月別: 2011年4月

あ、阿川さん

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洗濯、のち一時雨

 晴れたので、二度目の洗濯。
 福島に支援に行って帰って来た人に、向こうのようすを聞く。
 沖縄にいて被災地の取材ができてしまうなんて。
 髭が伸びてきたので、デイゴホテルの大浴場(500円)へ。
 体重が増えていなくてよかった。たいして減ってもいないけど。
 サイドウェイズでランチを食べている間に雨が降ってきた。
 いや、雨の気配を感じて、このあたりにしては高い(780円)けど宿に近いサイドウェイズにしたのだけど、いざ降ってくると「なんくるないさあ」という気分になって放置。
 濡れても晴れればまた乾く。
 オーシャンで仕事。(コーヒー350円)
 午後8時前帰宅。
 ちゃんと洗濯物は乾いていた。
 午後8時、凱莎琳(キャサリン)で友人に会う。
 彼女はツアーナース(団体旅行に同行するのが専門の看護師)という珍しい仕事。
 会うのは3年ぶりくらいだけど、元気そうだった。
 で、凱莎琳で食事をしていたカップル。
 那覇のゲストハウスで知り合ってコザに遊びに来たという。
 女の子の方は見るからにロックンロールしていてカッコイイ。
 どこかに今晩泊まるところはないか、というのでゲストハウスに2名様ご案内。
 凱莎琳で12時前まで過ごして、中の町Shunへ。
 ここでも、「あ、阿川さん」と知り合いに会う。
 全然約束してなくて、しかも別の店にいあるのに、二度三度「偶然に」会う人は一人二人ではない。
 午前2時、帰宅。

命ぬ御祝さびら

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 朝から雨。ちょっと寒い。
 朝食はパン。
 昼はペルー料理レストラン「ティティカカ」。
 Lomo Salsado というのをランチで食べる。牛肉とポテトと玉葱を黒酢と胡椒で炒めた感じの料理。
 ちょっと塩分高めだけどおいしかった。
 ついているドリンクは Chicha Morada という赤いベリーのジュースのようなもの。
 店内では日本人の顔をした人がスペイン語で会話している。
 あとから入って来たふつうの感じのオジイも注文はスペイン語だ。
 日本語は僕だけか?
 ペルーはもっとも古い日系移民の行き先のひとつで、沖縄からも沢山の人が行っている。そういった人が戻ってきてやっているらしい。
 フジモリ時代のペルーを舞台にした小説、書いてあるのだけど、ずっとお蔵入り。
 題材からして、いま出しても売れないので、何を出しても売れる著名作家になるまでの大事な在庫である。
 本日、パルミラ通りで開催される「てるりん祭」のステージは、雨天のため一番街のアーケードに移設。
 いつものように「オーシャン」に出て、仕事開始。コーヒー350円。
 てるりん祭は午後2時スタートだけど、夜まで続くので、ときどき Ustream の生中継をチェックしながら仕事を続ける。
 午後6時、オーシャンを出る。
 空腹なので、いろいろ迷った挙げ句、「ミッキー食堂」へ。
 からし菜のチャンプルー。500円でボリュームたっぷり。(ご飯は残す)
 さて、てるりん祭だ。
「てるりん」こと照屋林助は沖縄の芸能と心のカリスマ的人物。
 その息子が「りんけんバンド」の照屋林賢、三線製作者の照屋林次郎。
 4月4日は、故照屋林助の誕生日というわけ。
「てるりん祭」はいわば島唄の紅白歌合戦なのだが、入場無料、出入り自由。
 照屋林賢は写真が好きで、いつもキヤノンEOSにLレンズをつけて写真を撮りまくっている。
 自分が「ゆんたく」(おしゃべり、対談)でステージに登ってもカメラでトークの相手の写真を撮ったり。
 島唄のトリは登川誠仁。
 かなりの年配だが、歌い始めると矍鑠(かくしゃく)。
 洒落者でグレーの夏物のスーツはジミだが、襟の大きな真っ白いシャツ、足下はグレーの靴下に赤いワンポイントが入っていて、また、靴はピカピカ。
 登川流独特の三線のストロークは実に切れがよくて力強い。
 残念ながら島唄はうちなーぐち(沖縄語)がわからないので、語られる内容がわからず、僕にとって消化不良になるところもある。
 とりわけ、MCのところの冗談で笑えないのがとても悔しい。
 最後は園田青年団のエイサー。
 文字で書いたら「太鼓を叩きながら踊る」だけなのだけど、これがすごくて、あやうく涙がこぼれそうになった。
 園田の青年団は沖縄のエイサーの中でも別格と聞いていたが、本当にすごい。
 終了後、てるりん祭のスタッフでもある友人のひがよしひろに会ったので「園田のエイサーはほんとにすごいね」と言ったら「ありがとう」とすごくうれしそうだった。
 彼は園田青年団のOBで団長だった人。
 興奮を冷まそうと、静かなはずの(笑)オーシャンへ。
 カウンターで、演劇や音楽家の志とセルフプロモーションについて語り合ううちに、午前零時になっていた。
 だがしかし、コザの夜は零時では終わらない。
 歩いて「りんりん」の前にくると、店は閉まっているが中には人がいる気配。
 店の入口など閉まっていても、主人であれ客であれ、人がいそうなら、勝手に中へズカズカ入っていくのが沖縄流。
 予感は大的中。
 店には「てるりん祭」に出ていた沖縄音楽会の大御所・知名定男が若い島唄の連中を数人連れて来ていて、店の奥のステージで、酒の入ったプロの島唄歌いが、三線片手に次々とモノマネなどの余技を披露している。
 ついには知名定男・本人も、なんと、ステージにあったギターを弾いて二度も歌う。
 コザでは一流のプロミュージシャンが、どこでもすぐに演奏してしまうのだが、今日もすごいシーンに巡り会った。
 午前3時、帰宅。
 てるりん祭のステージのバックにあった言葉「命ぬ御祝さびら(ぬちぬぐすーじさびら)」。
(赤塚不二夫風にいえば)命の御祝いなのだ。
 命の御祝いしましょう。
 生きているということは御祝いすべきことなのだ。
 それが歌なのだ。
 文字が、心に滲みた、とても滲みた。
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スローなブギにしてくれ

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 ややスロースタート。
 朝食はパン。
 昼食はオーシャンで、ヤキメシとコーヒー。600円。
 そのまま夕方までそこで仕事。
 夕食は丸仲食堂のカツB。
 豚肉を叩いて延ばした大きなとんかつ。ハムカツより薄いくらいなので、衣の食感がかりっとしている。合わせソースも美味しい。小さな冷や奴とミニサラダ、それに美味しいアサリの味噌汁がついて650円。
 ちょうどいい仕事場を探してみるがないので、再びオーシャンへ。
 コーラを飲みながら仕事。250円。
 コザ出身で東京へ出ていたけど戻ってきた、という女性が、コザでカフェを開きたいのだが、とヤッシーに相談していた。
 あとからカズシがやってきて、ヤッシーのギターを弾きながら「僕、独身ですけど」とかいってアプローチしていた。うん、なかなかきれいな人でした。
 いい大人が高校生みたいなのもコザのいいところ。
 この女性、大沢在昌さんとか渡辺淳一さんと飲んだことがあって銀座で働いていたことがある、というので、てっきり(語尾アゲしない)クラブで働いていたのだと思った。
 が、あとで聞いたらブランドのお店で洋服を売っていたらしい。
 そのまま、午後11時半まで仕事。
 沖縄にいるのにアルコールは飲まない一日。(すごい)
(タイトルと本文の内容は関係ありません)
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沖縄の土曜日

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 朝食は「すばやー ケンサン」で沖縄そば。(450円)
 午前、珈琲館で仕事。(400円)
 いったんゲストハウスにもどり、シャワーを浴びながら洗濯機を回す。
 ジージャン、トレーナー、ポロシャツ、下着。
 南国の太陽で乾かした洗濯物を身につけるのは気持ちがよいのだ。
 沖縄には太陽という贅沢がある。
 屋上に干したあとは、「オーシャン」で仕事。
 タコスとコーヒー。(600円)
 スーパー・サンエーで買い物。
 横浜とちがい商品も豊富にある。
 それだけで心安らか。
 どれだけ物質的な豊かさに慣れきっていたのか、それに気づく。
 夕食用のじゅーしー弁当。398円のところ1割引で360円。
 その他、さんぴん茶と野菜ジュースなど、合計760円。
 午後10時過ぎまで仕事。
 のち、ライブハウス「JET」でロックのライブを聴く。
 ラム&コーク、500円。
 
「パーラーりんりん」へ入ると予想通り知り合い多数。
 ベースのコーゾー、彫り師のルパン、などなど。
 島酒2杯としめ鯖。1000円。
 午前2時、「PEG」へ移動。
 カウンターに「伍八」の主人と「JET」のベーシストがいた。
 戦後からベトナム戦争までのコザの話を聞く。
(僕がいままで取材を続けてきたのは、ベトナム戦争以降のことが中心だった)
 コザは午前零時を回ってからが本当のコザ。
 コザの人には反米感情がほとんどない。
 時にアメリカ政府は気に入らないがアメリカ人を嫌いではない。
 米軍による震災への援助活動についても大いに感謝している。
“Operation Tomodachi”についても極めて高く評価。
 僕も地震直後からアメリカ第七艦隊の広報を追いかけているけど、システマチックな米軍の活躍はすごい。
 http://twitter.com/#!/us7thflt

野暮なエイプリルフール

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 本日はエイプリルフール。
 ウソを見かけたら騙されたふりをすればいいのに、それはウソだとさっそく暴いて喜ぶ人が午前0時5分には現れて、今年も興ざめのエイプリルフール。
 インターネットで情報流通が速くなっているので、集合智でウソの寿命が短くなってしまっているんだね。
 みなさん、来年からはウソを見抜いてもせめて夕方ぐらいまではそれを指摘しないようにしよう。ウソを指摘する代わり、自分も気の利いたウソをつこうじゃないか。
 と、そんなようすを見ながら、明け方まで旅支度をしていた。
 午前9時起床。
 お出かけ前はなにかとバタバタ。
 YCATへ向かうために久々に横浜駅東口のポルタを歩くと、ずいぶんと様変わりしていてびっくり。
 安い速い系の飲食店がことごとくなくなり高級化している。
 不便だなあ。
 物販系もファッションにシフトしてしまっている。
 丸善が洋服屋になっているのに愕然。
 YCATも航空会社のカウンターがなくなり、シウマイも真空パックだけになり、ひっそりしている。世の中、どんどん経費が切り詰められている。
 ここからは10分おきに出ているバスに乗ると25分で羽田空港に着く。
(成田行きのバスも90分きっかりで空港に着く)
 実は、横浜は東京のほとんどの場所よりも羽田にも成田にも近いのである。
 朝昼兼用の食事は空港の寿司屋「勘六」(一人前1365円)にしたのだけど、伊勢佐木町の回転寿司の方がうまい。
 というわけで、12時40分発、ANA133便で、沖縄へ向かう。
 座席はいつもの二階76C。
 午後3時15分、那覇に到着。
 ゆいレールで旭橋まで出て、バスセンターから4時5分発77番のバスでコザへ向かう。
 コザの胡屋についたのは午後5時。
 いつも泊まっているゲストハウスに到着すると無人。
 書いてある電話番号に電話すると、「入って右の部屋です」。
「とりあえず部屋を使っててください」
 と、チェックインもせずに部屋に入り、そのまま一晩泊まる。
 沖縄らしいよね。
 コザインフォの前へ行くと、みんながちょうど福島いわき市向けの応援寄せ書きをしているところで、「阿川さん、ちょうどよかった」と僕も参加。
 まさか沖縄に来て福島の応援に参加するとは思っていなかった。
 明日、応援部隊がいわきに向かうそうだ。
 1年ぶりのコザはけっこう変わっている。
 全体によりアメリカ人のニーズに特化した店が増えている感じ。
 いまごろになって学んだのか、むしろ本土の人が来てやっているのか。
 腹ぺこなので、まずは「オーシャン」へ。
 なんとテレビが地デジ対応になっている。
 ヤッシーは新しくギターも買っていた。
 オーシャンには何年も通っているけど、1年でこんなに変わったのは初めてだ。この店、ちなみに創業41年目だったかな。そのあいだほとんど変わっていないはず。
 ビールとタコライスで1000円。
 つぎは「りんりん」。
 島酒300円。
 つぎは「伍八」。
 やきとり、イカの刺身、生ビールで1200円(たぶん「友達割引」してくれている)
 ここで、商店街の再開発の行政の資料や図面を見る。
 午後10時半、つぎは「Shun」。
 ちょうど店を開けたところ。
 泡盛のボトルが置いてあるので、すごくおいしい豪華お通しがついて800円。
 午前0時、最後は「PEG」。
 ここもちょうど店を開けたところ。
 もう酒は飲みたくないので、さんぴん茶。
 ピカンテソースのかかったオムレツがついて400円。
 午前1時過ぎ、帰宅。
 これで知り合いの店で行っていないのは「ちゃぼ」だけか。
 これで、明日には、僕がコザに来ていることが知れ渡っているはず。
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