日: 2011年4月4日

命ぬ御祝さびら

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 朝から雨。ちょっと寒い。
 朝食はパン。
 昼はペルー料理レストラン「ティティカカ」。
 Lomo Salsado というのをランチで食べる。牛肉とポテトと玉葱を黒酢と胡椒で炒めた感じの料理。
 ちょっと塩分高めだけどおいしかった。
 ついているドリンクは Chicha Morada という赤いベリーのジュースのようなもの。
 店内では日本人の顔をした人がスペイン語で会話している。
 あとから入って来たふつうの感じのオジイも注文はスペイン語だ。
 日本語は僕だけか?
 ペルーはもっとも古い日系移民の行き先のひとつで、沖縄からも沢山の人が行っている。そういった人が戻ってきてやっているらしい。
 フジモリ時代のペルーを舞台にした小説、書いてあるのだけど、ずっとお蔵入り。
 題材からして、いま出しても売れないので、何を出しても売れる著名作家になるまでの大事な在庫である。
 本日、パルミラ通りで開催される「てるりん祭」のステージは、雨天のため一番街のアーケードに移設。
 いつものように「オーシャン」に出て、仕事開始。コーヒー350円。
 てるりん祭は午後2時スタートだけど、夜まで続くので、ときどき Ustream の生中継をチェックしながら仕事を続ける。
 午後6時、オーシャンを出る。
 空腹なので、いろいろ迷った挙げ句、「ミッキー食堂」へ。
 からし菜のチャンプルー。500円でボリュームたっぷり。(ご飯は残す)
 さて、てるりん祭だ。
「てるりん」こと照屋林助は沖縄の芸能と心のカリスマ的人物。
 その息子が「りんけんバンド」の照屋林賢、三線製作者の照屋林次郎。
 4月4日は、故照屋林助の誕生日というわけ。
「てるりん祭」はいわば島唄の紅白歌合戦なのだが、入場無料、出入り自由。
 照屋林賢は写真が好きで、いつもキヤノンEOSにLレンズをつけて写真を撮りまくっている。
 自分が「ゆんたく」(おしゃべり、対談)でステージに登ってもカメラでトークの相手の写真を撮ったり。
 島唄のトリは登川誠仁。
 かなりの年配だが、歌い始めると矍鑠(かくしゃく)。
 洒落者でグレーの夏物のスーツはジミだが、襟の大きな真っ白いシャツ、足下はグレーの靴下に赤いワンポイントが入っていて、また、靴はピカピカ。
 登川流独特の三線のストロークは実に切れがよくて力強い。
 残念ながら島唄はうちなーぐち(沖縄語)がわからないので、語られる内容がわからず、僕にとって消化不良になるところもある。
 とりわけ、MCのところの冗談で笑えないのがとても悔しい。
 最後は園田青年団のエイサー。
 文字で書いたら「太鼓を叩きながら踊る」だけなのだけど、これがすごくて、あやうく涙がこぼれそうになった。
 園田の青年団は沖縄のエイサーの中でも別格と聞いていたが、本当にすごい。
 終了後、てるりん祭のスタッフでもある友人のひがよしひろに会ったので「園田のエイサーはほんとにすごいね」と言ったら「ありがとう」とすごくうれしそうだった。
 彼は園田青年団のOBで団長だった人。
 興奮を冷まそうと、静かなはずの(笑)オーシャンへ。
 カウンターで、演劇や音楽家の志とセルフプロモーションについて語り合ううちに、午前零時になっていた。
 だがしかし、コザの夜は零時では終わらない。
 歩いて「りんりん」の前にくると、店は閉まっているが中には人がいる気配。
 店の入口など閉まっていても、主人であれ客であれ、人がいそうなら、勝手に中へズカズカ入っていくのが沖縄流。
 予感は大的中。
 店には「てるりん祭」に出ていた沖縄音楽会の大御所・知名定男が若い島唄の連中を数人連れて来ていて、店の奥のステージで、酒の入ったプロの島唄歌いが、三線片手に次々とモノマネなどの余技を披露している。
 ついには知名定男・本人も、なんと、ステージにあったギターを弾いて二度も歌う。
 コザでは一流のプロミュージシャンが、どこでもすぐに演奏してしまうのだが、今日もすごいシーンに巡り会った。
 午前3時、帰宅。
 てるりん祭のステージのバックにあった言葉「命ぬ御祝さびら(ぬちぬぐすーじさびら)」。
(赤塚不二夫風にいえば)命の御祝いなのだ。
 命の御祝いしましょう。
 生きているということは御祝いすべきことなのだ。
 それが歌なのだ。
 文字が、心に滲みた、とても滲みた。
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