月別: 2011年3月

整骨院通い

 土日月と行かなかったので4日ぶりの整骨院。
 左肩はゆっくりよくなっているのだけど、右手首はここ数日よくない。
 手首を右に捻ると痛むので、ネジ1本締めるのに苦労。
 傷んでいる筋をマッサージしてもらうとそのときはよくなるのだけどね。
 サッカーのチャリティマッチ、全日本vsJリーグ選抜を見るために急いで帰宅。
 夕食は、厚揚のグリル、小松菜たっぷりのお蕎麦、それにトマト。
 ふと思い立って、ロキソニンを服用。

やっと原稿が書けた

「新刊展望」の原稿を書き上げて送る。
 短いものだけど、地震以降、原稿を書き上げたのはこれが初めて。
 なんとか創作頭に切り換えつつある。
 毎日目の前に未経験の事実が突きつけられていると、どうしてもインプットモードになってしまって、アウトプットができなくなる。
 東日本の放射能汚染についてイメージを掴みたい方は、こちらがお勧めです。

ふと思う

子供の頃、そんなに電車は沢山走ってなかった。
時々停電した。
夜9時には寝ろと言われた。
早く大人になりたいとは思ったけど、その他に不満はなかった。
世界のたいていの場所で、電車はたまにしか来ない。
停電もする。
みな、それぞれの場所で、それぞれ、そこそこ幸福だと思う。
停電しないって、もしかしたら、少しおかしかないか、とふと思う。

ヨット、のち、鍋

 午後3時過ぎ、ヨットハーバーへ。
 ほんとはオートバイで行くつもりだったけど、寒いので車。
 バッテリーを2つ降ろして、充電を頼む。
 春の支度だ。
 ちかごろ、出艇回数と充電回数が同じくらい。(笑)
 あとは、クラブハウスでコーヒーを飲みながら他の船のオーナーたちと、だらだらお喋り。
 食料品の買い出しをして帰宅。
 夕食は、同じマンションに住む一人暮らしの友人を呼んで鍋をつつく。

ディスティネーション

 オフィスでなくてもできる仕事のフェーズなので、散歩がてら仕事の道具をもって家を出る。
 ついでにGPSロガーもポケットに。
 で、6kmほど歩いて、気がついたら黄金町のスタジオのすぐ近くに来ていた。
「あんた、どんだけ仕事場が好きなのさ」と自分のなかの「あんた」に聞いてみる。
「あんた」はただにやにや笑ってた。

国難

 水道の水に「乳児が飲むのに不適」という放射性ヨウ素が検出された。
 乳児がいない人が買い占めに走ると、乳児が飲む水がなくなって彼らを被爆させてしまう、という風に考えない人が、ごく一部とはいえけっこうな数いるのだということがあからさまになって、暗い気持ちになる。
 僕はずっと原発に反対してきたし、先の選挙で民主党に投票していないし、そもそも政治的権力がウソやごまかしに満ちているということも知っている。
 だけど、いまは政府の批判はしない。
 若い人はともかく、56歳まで選挙権を持って生きてきて、こういう国になっていることに、僕は責任を感じている。
 僕の望んだ政府であったことが一度もなくても、民主主義の中に生きている僕が、56年かけてこんな国しか作ることができなかったのは、紛れもなく僕自身の責任でもあるのだ。
 僕だけの責任ではないにしても。
 たとえ、政府の発表する放射線量がウソで、その結果、僕が被爆して命を縮めたとしても、僕はそれを自分の為したことの結果として受け入れる。
 (むろん、僕自身の判断がきとんとした根拠をもってできれば、それに従って行動するけれど)
 日本が落ち着きを取り戻したら、この国の政府を批判もするし、どうしてこういう国になってしまったのか、多くの人と話をしながら考えていきたいと思う。
 けれど、いま、政府の批判はしない。
(たぶん、愚痴は言うと思うけど(笑))
 むしろ、どうしたらいいのか、多くの人の語ることに耳を傾け、時に意見を述べ、いまでなければ考えることのできないことを考え、自分よりも過酷な人生を送っている人のために何ができるか考え、そして行動したいと思う。
 自分にはまるで責任がないと被害者面をして、あるいはまるで第三者のように、声高に批判を述べるだけの人を、いったん、遠ざけて見てみる。
 日本は民主主義国家だ。
 日本国政府は日本国民すべてが、選び、雇い入れた、僕(しもべ)だ。
 使用人がしでかしたことは雇い主の責任だ。
 日本で、選挙権を持っている人は、誰ひとり、その責任から逃れることはできない。
 いま、政府をどれだけ批判しようと、誰ひとり、免責にはならないのだ。
 この国のオーナーは国民である。
 すべての問題は我々自身の中にある。
 だから、これからもずっと、考え続ける。僕なりのやり方で行動しつづける。

9周年目のフットサル

 午後3時から、みなとみらいスポーツパークでフットサル。
 2002年、日韓ワールドカップのボランティアで作った球蹴り仲間だち。
 この3月で9周年。
(大会は6月だったが、ボランティアはずっと先に始まっていた。くわしくは拙著「ワールドカップは終わらない」を参照)
 学生だったやつも僕みたいに最初からオッサンだったやつもいるけど、みんな9年分年取って、結婚したり、してなかったり、転勤したり、子供ができたり。
 年代とか仕事とか一切関係なくて、ものすごくフラットに一緒に遊べる仲間がいることがとても心地よい。
 僕はこのチームで、生まれて初めてチームスポーツのユニフォームというのを手にした。背番号54番。(対外試合のときしか着ないのでほとんどもっているだけだけど)
 GPSロガーをポケットに入れて走ってみた。
 7分のゲームを4試合。試合中の移動距離は3.2km強。
 一試合平均800m。サッカーの90分に換算すると、10kmをちょっと越える。
 終了後は、中華料理で9周年記念の宴会。

山口芳宏さんと飲む

 ジョギング&ストレッチの為に公園へ出る。
 束の間の土曜日の風景。
 子供とサッカーのボールを蹴り合う父親。ブランコに付き沿う母親。
 平和な風景に、地震のことも原発のことも、少しだけ忘れる。
 小一時間、身体を動かす。
 明日は、フットサルなのだ。
 で、家にもどってきたところで、同業の山口芳宏さんから電話。
「横浜駅にいるんだけど、飲みません?」というお誘い。
 ちょっと迷ったけど、楽しいことしてお金を使わないとね。
 というわけで、シャワーを浴びる時間をもらって、桜木町で合流。
 
 野毛の「新上海」で食べてのみ、次は「華」。
 一人暮らしの山口さんは二ヶ月ぶりに店員以外の人と会話した、ということで、しゃべるしゃべる。
 あっというまに午前0時を過ぎました。

みなとみらい万葉倶楽部

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 どうにも気持ちがどんよりとしている。
 創作的なことが全然できない。
(それでもなんとか連載のエッセイを書いて送ったけど)
 鬱だ。
 地震の、主としてテレビの、影響にまちがいない。
 小説家という職業柄か、そもそもの自分の性格そのものなのか、あるシチュエーションに置かれた人の心の中を想像して詳細に自分の頭の中に構築してみる習慣ができている。
 被災地域の凄惨な映像を見ては、頻繁にそれを繰り返すものだから、精神が壊れ始めている。
 朝からいよいよ、原子力発電所が大変なことになっている。
 地震と津波の災害は、時間とともに改善していくわけだが、こちらは起こりうる可能性として、もしかしたら破局に向かっているかもしれない。
 工場労働者だったこともあるし、大きなプラントをいくつか見学したこともある。
 沸騰水型と加圧水型の区別がつく程度の、原子力発電についてのそこそこの知識もある。
 テレビを見ていると、どうしても事故が起きている現場のようす、被曝しながら作業員がやっていること、などが頭に浮かんでしまう。
 わりと心の健康には自信のあるほうだけど、いまはかなり不味い状態だ。
 原発がまずいことになる可能性があるので、勇気がいるといえばいるのだけれど、しばらくの間、テレビを見るのをやめることにした。
 というわけで、その手段の一つとして歩いて10分ほどの銭湯「万葉倶楽部」に行ってみることにした。
 温泉に浸かってゆっくりしながら、リクライニングの椅子で読書をする。
 とまあそういうイメージだったのだけど、実際は節電中で室内が暗く、読書はちょっとむり。
 視野の隅でテレビを見ている人がいるので、時折そっちをチラ見しておけば非常事態になればわかるだろう。
 椅子に身体を埋めるうちに、うとうと。
 目が覚めると日が暮れていた。
「ああ、休んだ」という実感がある。
 朝から胸に引っかかっていたのは、政府や東電の原発に関する情報発信のしかたが昨夜あたりから変わっていること。
 何かを隠している感じがしないでもない。
 別ルートからいろいろな情報も耳に入る。
 一応、避難の準備をしておいた方がいいと判断して、当座の衣類など避難所生活を想定した荷物の準備をしておくことにした。
 一方、反原発側である原子力資料室と東京都がそれぞれに測定している放射能レベルの数値を比較してみたところ、ほぼ一致していた。
 それによって、少なくとも現在の時点で、すでに大量の放射能が出ているという事実はなさそうだと判断した。(放射能レベルについて国や東電が嘘をついていないと判断できる、ということ)
 とりあえずすぐに逃げることにはならなそうだ。

買い物狂騒曲

 スタジオに出ないことにする。
 買い占め品不足が報道されているので、定点観測をかねてスーパーを回ることにした。
 よりによってトイレットペーパーの在庫がほとんどなくなったので補充が必要。
 他は通常の食料品の購入だ。
 最初は TESCO。
 トイレットペーパーは4つで297円というふだん我が家で使っているものの3倍の値段のものが少しだけあった。
 とりあえずこれだけ補充すれば基本的には困らない。
 ママ友さんグループが、大きな鞄を肩から提げて買い漁っている。売り場から携帯電話で「こっちに**あったわよ。買っておく?」などと話してる。
 この人たちは昔の1973年のトイレットペーパーパニックの時代を知らないのだ。
 家庭の主婦として「自分の必要なものを決して切らさない」ことについて、何の疑問もなくまっしぐらに「がんばっている」つもりなのだ。
 それがどれほど反社会的な犯罪的行為であるかなど、まるで意識の中にない。
 人類が歴史に学ぶことがどれほど難しいのかを思い知る。
 トイレットペーパーの他は牛乳と解凍もののサンマを買って帰宅。
 このご時世にトイレットペーパーを持って外を歩いていると、「自己中的で頭の悪いヒト」と思われそうで、とても恥ずかしかった。
 改めて出直す二軒目はプラザ栄光生鮮館。
 こちらも売り場のあちこちに空間ができている。
 少し前から切らしている中華スープの顆粒、それに豆腐、大根、揚げ物。
 ついでに、隣のセキチューで、アタックとミューズをひとつずつ。
 いつも巨大な壁一面を占めているトイレットペーペーがまったくない。
 どうやら地震が起きるとみんなよっぽどウンチが沢山出るようになるらしいのだ。
 生理用品も少なくなっている。
 地震で周期が狂ってしまうのかな。
 身体のメンテナンスの為に野毛へマッサージを受けに。
 50分、上半身を中心にほぐしてもらう。
 50代も半ばを過ぎると、お金を使って他人に頼まないと疲れが取りきれない。
 終了後、本日三軒目の観測点である「ちぇるる」の地下にある「あおば」。 どこもそうだったけれど、野菜や魚はまずまず在庫があるし、フルーツ類も豊富に揃っている。
 米、パスタ、インスタントラーメンなどがない。
 インスタントラーメンはともかく、停電になってインフラが途絶えたときに米なんかは食えないのになあ。生米を食べるつもりなのか。
 スパゲッティだって、茹でるのに沢山水と燃料を必要とする。
 どういう基準でまとめ買いしているのかまったく理解不能。
 節電のために照明が暗くなっている商店で空っぽの棚に囲まれると、殺伐とした気持ちになるのは確かで、たしかに不安感が募ってくる。
 意識して自制しないと余計なものを買いたくなるのは確かだ。
 こういう気持ちになるのは初めてだったので、よい取材になった。