朝5時前、できあがった連載の原稿を編集者にメール。
始発のバスで帰宅しようかと思ったら、本日は祝日でバスがない。
世の中は今日からゴールデンウィークか。
歩き始めると急に緑を濃くした大岡川の桜並木が朝日を受けて美しい。
日本丸の周りの緑も美しい。
横浜美術館の前の公園の緑も美しい。
マクドナルドがやっていたら何か軽く食べようかと思ったけど、開店は7時だった。
午前6時15分過ぎ、家に到着。
腹が減って眠れない感じなので、にんべんの鰹だしをお湯で薄めて飲む。
午前7時過ぎ、就寝。
昼頃に起きた。
なんとなく仕事をする気がしない。
自転車用のヘルメットの塩梅が悪くなっている。
自転車を買ったときに買ったものだから、もう20年くらいたっている。
発泡スチロールが経年変化でシュリンクしているのがはっきりわかる。
安全面からも買い換え時だと判断して、運動がてら、自転車用品店を回る。
結局、家のそばのスポーツオーソリティで GIRO の製品を購入。
今までのに比べてものすごく快適。
二十年分製品が進歩しているのか、単に僕が使っていたのが安物だったのか。
たぶん、その両方だろう。
その他、家事ばかりしていて仕事が進まなかったので、深夜零時になってから近所のスターバックスへ出勤して午前2時まで仕事。
かなり暖かい。
でも夜は寒くなるから、着て出るものが難しい。
「第三会議室 returns」(日経ビジネスオンライン)の連載第三回の原稿を書く日だが、夕方の時点でほとんどできていないので、早々に徹夜と決める。
夕食は、ちょっと趣向を変えて、日ノ出町の羊肉専門の中華料理店。
朝食は、たらこスパゲティ。
自転車通勤の途中、自転車屋でブレーキシューを探すがない。
20年前のシマノの105なので、やや入手難。
とりあえず一組だけ手に入っているので、前輪だけ交換。
後輪の分はアマゾンでみつかったので発注。
ブレーキのゴム自体はあまり磨り減っていないのだけど、20年使っているので、弾力がなくて固くなってしまっている。
スタジオに着いてからは、やや、ゆるゆるな感じで仕事。
午後3時から、黄金町のアーチストの連絡会議。
夕食は自宅で。
酢豚の残り、だし巻き玉子、ワカメの赤だし味噌汁(本日の出汁は煮干し)。
高島中央公園にて運動。
のち、黄金町へ出勤。
午後5時半、池袋。
西武百貨店ギャラリーにて石居麻耶さんの個展「星の還る街」。
45万円の絵が欲しかったなあ。
「D列車でいこう」が10万部を突破したら買おう。
(文庫版「D列車でいこう」「幸福な会社」の表紙を描いてくださったのが石居麻耶さん)
欲しかった絵のことを考えながらジュンク堂へ向かっていたら、電話が鳴った。
「阿川さん、いいお知らせです」
と徳間の編集者からの電話なら話の中身は決まっている。
「D列車でいこう」(徳間文庫)、6刷決定。
しかし、10万部までには、まだまだかなりあります。
豊島区役所方面へ出て楽器屋二軒を冷やかす。
探しているめぼしい楽器はありませんでした。
重版で気が大きくなっているからあったら散財していたかも。あぶないあぶない。
池袋駅で立食い蕎麦。冷やしたぬきそば、360円。
山手線で新宿へ。
東口改札を出てすぐの「ベルク」で生ビール、315円。
とりあえず一人で祝杯。
待ち合わせは8時なので、ここでも楽器屋まわり。
やはり収穫なし。
甲州街道から西口側にまわり、ドトールで仕事。(コーヒー200円)
午後8時から、僕にしては高級な居酒屋で、古い女友達二人と両手に花で飲む。
朝食がてら妻と近所を散歩。
マクドナルドでホットドッグとハッシュブラウンとコーヒー。
マリノスの練習場の周囲を回ってスーパーに立ち寄って帰宅。
自転車で遠回り出勤。3キロの道を14キロの遠回り。
途中、本牧小港の味奈登庵で、野菜つけ天そば。900円。
順調に仕事をこなして、午後10時過ぎ、スタジオを出る。
土曜で雨降りにつき出勤取りやめ。
週末はバスがないのだ。
外へは出られないので運動は wii の「シェイプボクシング2」。
晴れ間になったのでパソコンをもってランチに「香露庵」へ。
カツ丼ともりそばのセット(1000円)。
ところが食事が終わると大雨になっている。
傘がない。都会では自殺する若者が増えるかもしれない。
少し離れたブレンズコーヒーで仕事をしようと思っていたのだが、至近のスターバックスに変更。
雨の中を走って辿り着くと、混んでいて席がない。
長居もできなさそうなので、諦めて帰宅。
自宅で仕事のつづき。
まずまず順調。
原発の事故で多くの人の健康と心と財産が脅かされている。
いままで、僕は原子力発電所を安全だと信じることが一度もできなかった。
科学を学んだものとして、安全であればありがたいというわずかな期待を込めながら、いろいろ調べてきた。
原子力を推進している機関に正式な質問状を出して回答をもらったりしても、やはり危険であるという結論は変わらなかった。
何十年と危険だと思っていたのに、ついに大きな被害を出してしまった。
結果的に、僕にとっていまの事態は「反原発運動の敗北」である。
なぜ原子力発電所の建設と運用を止めることができなかったのか。
地震が起きた日から、ずっと考えてきた。
原発に反対する人の意見を毎日大量に見たり聞いたり読んだりしてきた。
世の中でこれほど多くの人が危険について指摘し、運動をしてきたというのに、なぜ、原子力発電所がこれほどたくさんできてしまったのか、それを改めて考え続けた。
当然ながら、原子力発電所は「エネルギーが大量に必要である」という前提から始まっている。
その前提を疑うことなく、だから原子力発電所は必要なのだと言われ続け、その前提を崩すことができなかった。
炭酸ガス排出がよくないというもう一つの前提がそれを補強した。
そして、他の発電手段が技術的に、あるいは、経済的に不十分であるという前提が加えられた。
原子力発電所は安全である、という絶対的な前提を基礎にして、推進されてきた。
改めて前提を並べてみよう。
1)電気エネルギーが大量に必要である
2)火力発電は炭酸ガスを排出することで環境を破壊する
(石油石炭天然ガス資源の国際依存というリスクも存在する)
3)太陽光、風力、潮汐、地熱などによる発電は技術的に未熟で経済的にも成立しない
4)原子力発電は安全でクリーンである
今回の事故によって、4)が成立しないことは明らかになった。
仮に今回の事故を教訓に改善が為されたとしても、それで万全であると言い切ることは不可能だと僕は考えている。
どんな事態を想定したところで、人の創造力は経験以上には膨らまず、原発事故の被害の及ぶ規模や年月からいって、経験したときにはもう後の祭りだ。
想定できる人為的ミスについても同様だ。
しかし、時間が経てば異なる見解も表明されるようになり、ふたたび原子力発電所の建設を推進しようという動きはでるだろう。
絶対安全などということはあり得ないと考えるし、そもそも危険因子は自然災害や偶発的な事故だけでなく、テロや戦争など意図的な攻撃の標的となることを考えれば、安全であるはずがない。
ミサイルや自爆航空機の衝突も十分あり得る。
原子力発電所作業員や制御システムを運用する人間が故意に事故を起こそうとする可能性も否定できない。
少数の悪意をすべて予測し、すべてに対策を取ることはそもそも不可能だ。
そのような危惧は、新しいものではなく、ずっと表明され続けてきた。
であるのに、原子力発電所は作られた。
その事実を前提に考えると、安全性の議論とは別に、上記の、1-3をきとんと問い直さなくてはならない。
安全であるという前提以外の、そもそもの原子力発電所建設の前提である1-3について、長期間、すべて問い直しつづけて、いま僕自身は、この前提自体があやまっていると考えている。
これについては、時間を作って別の機会にできるだけきちんと述べたいと思う。
それはそれとして、1-4のすべての前提が否定され、日本中にどれだけ原子力発電所建設反対の人が多かったとしても、我が国の社会システムにおいては、発電所を作りたいと思う少数の人が原発立地の少数の人と合意しさえすれば、原子力発電所の建設が可能なのである。
あらゆる原子力発電所は、そのようなシステムの反映として建設されている。
原子力発電所の建設に反対し、本当に建設を止めるためには、この点に注目しなければならない。
いままで、僕を含め、原子力発電に反対する人は、主として建設の主体である電力会社や政府に対して議論を挑んできた。運動家たちの反対運動のターゲットも、電力会社や政府だった。
しかし、たとえ彼らを論破しても原子力発電所は止まらない。
実は原発を推進する意志を持つ人たちにとっては、反対運動をそこそこに受け流して、建設地とだけ話をすればよかったのだから。
建設地の人たちが一枚岩で両手を挙げて賛成してきたわけではないことも知っている。原発の事故の責任が建設地の周辺の人々にあると責めるつもりもない。
福島を始めとする原発立地には、その地域ごとの事情があり、結果として原発建設を受け入れる決断をする事情があった。
つきつめれば経済の問題だ。
雇用、税金、補助金、交付金、その他の通常の地元の経済、そうしたものに、原子力発電所を受け入れようとする本当の要因があった。
原子力発電は一世代で背負うことができないほどに危険であり、やめなければならないと僕は思う。
今後も引き続き、原発の建設や運用を阻止するためには、立地地域のそうした事情を原子力発電所以外の手段で解決する答を用意しなければならない。
そうでなければ、日本のさまざまな地域で「背に腹は代えられぬ」と考える人たちがこれからも出るだろう。建設したい側の人たちは、その人たちにアプローチしてなんとか原子力発電所を動かそうとするだろう。
以前も、現在も、多くの反原発の人がしているように、電力会社や政府に向けてだけ反原発運動をしても、原発は阻止できない。
原子力発電に反対する人は、僕自身も含め、そのことを肝に銘じなければならないと思う。
忙中むりやり閑あり。
横浜スタジアムのプロ野球「横浜vs広島東洋」の内野指定席をもらったので、妻と野球観戦へ。
試合開始は十三時だけど、早めに行って練習から見る。
試合は8-11で横浜の負け。
残念だったけど、生で見る野球は面白い。
9回に登板したプロ3年目22歳の佐藤が3者3振と好投したところが収穫かな。
試合後、仕事場へ。
午後10時過ぎまで仕事。
黙々と仕事。
午後6時前、小説家仲間の山口芳宏さんから電話。
「横浜で大崎梢さんと呑むんだけど一緒にどう?」
もう少し仕事をしたいので二軒目で合流したのが午後九時。
午前0時少し前まで焼き鳥で楽しく歓談。
そこから徒歩で帰宅。
7月発売の文庫の原稿。
「幸福な会社」(徳間文庫)の続編です。
最初の三十枚くらいのところまで。
子供を持つお母さんは「(本当は大丈夫でも)放射能が子供にとって危険だ」という話を聞いた方が安心するらしい、という不思議。