日: 2009年1月31日

観世能楽堂にて

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 観世流能楽師・岡庭祥大さんからチケットをいただいたので渋谷の観世能楽堂まで能の鑑賞に。
 能楽堂のある松濤町は徒歩だと東大駒場キャンパスと渋谷駅のちょうど中間地点あたりにある。
 かつて高級な女子学生会館があり、北海道から出てきて上智大学に通っていた女の子を送っていったことがあった。35年くらい前の話だ。(笑)
 会館の周囲には防犯カメラが設置されているので、近づいてからお別れのキスなんてしていると、録画されてしまう、という会話をした。(会話だけですってば)

演目は
 能    翁(おきな)               関根祥六
 舞囃子 高砂(たかさご)            関根祥人
 狂言  素袍落(すおうおとし)         山本則俊
 舞囃子 熊野 村雨留(ゆや むらさめどめ) 観世清和
 能    道成寺(どうじょうじ)          岡庭祥大

 休憩を挟んで5時間におよぶ演目のため、僕は狂言「素袍落」から最後までを観た。もったいない気もしたが、心が疲れてしまうと岡庭祥大さんの道成寺までテンションが続かないと思ったのだ。
 素袍落は、主人の使いで出た太郎冠者が使い先で酔っぱらってしまう、というシチュエーションを描いた落語の長屋話のような面白い話。太郎冠者が次第に酔っていく様が実に滑稽でよかった。
 道成寺は天台宗の道成寺という寺の鐘にまつわる女の怨念を描いたもので、跳び上がって鐘の中に消え、出てくると般若になった女が乱舞するという大曲。
 鼓や笛の音色と、声を楽器のようにあやつる鼓方と、静の中に瞬間の動を表現するシテの、緊張感ある駆け引きのインプロビゼーションによる長い長いクレッシェンドのような展開から、それまでの静を一気に打ち破る、怨念の素早い切れのよい大立ち回り、というエンターテインメント性豊かな芸術だった。
 僕は今まで能楽堂で能を観ることはほとんどなく、野外の薪能などがほとんどだったけれど、素晴らしい物を観ることができて幸福な時間だった。
 鍛えられた体力と体の切れを持ちながら、ほとんどの時間を「静」で満たす能はものすごく不思議な舞台芸術だ。
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 売店では袴にする反物が売られている。仕立て上がりで139000円。
 チケットはA席で15000円だし、古典芸能はお金がかかるなあ。
 でも、すべての人がその一生をかけて技を磨いている、そういう演者による、能や狂言や歌舞伎やクラシック音楽がそうそう安くはできないのもわかる。経済原理でこういうものが失われては困るのと同時に、文化を育てるためにこそ、もう少しコストダウンはできないのかとも思う。
 会社員だった父がどうしたきっかけか宝生流の謡(うたい)を習っていて、一時、家で練習をしていたり、結婚披露宴で余興として「高砂」なんかを謡っていたりしたのを思い出した。家にあった謡の本は処分してしまったのかな。
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友あり、遠方より来たる

 午後5時半、能が終了。
 夕食は、渋谷の「かつや」でファストフードのカツ丼(520円)を食べる。
 妻は明日の仕事のため、都心に泊まり込みで今夜はいない。
 静岡にいるヨット仲間が業界団体の旅行で横浜へ来ているということで、その足で横浜までもどる。
 途中、電車の中で、pomera を使って連載の構想を練る。
 午後7時半から、都橋商店街のHで待機。(1000円)
 午後9時前、ツアーから解放された友人Sその他と野毛で合流。
 みんな腹一杯なので、Yのテーブル席で余り食べずにワインを飲む。
 5人で赤ワイン5本、オードブル2皿。(ひとり2200円)
 もう一軒、かなりクセのあるバーNで1杯(1000円)
 午前1時半、徒歩で帰宅。
 久しぶりによく飲んだ。
(ふだんは呑んでいるようで、かなりセーブしている)
 歯も磨かずにバタンキュー。朝までぐっすり。
 Yでのんでいるとき、隣のテーブルにいた男1+女3のグループと途中から仲良くなった。
 聞けば、神戸で大学時代を過ごした仲間で、男が片思いだった女性と元カノの二人に、いまの彼女を紹介するというイベントだったらしい。
 人生はドラマに満ちているね。