日: 2009年5月3日

そうだ。忌野清志郎になりたかったのだ。

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 午前9時、ヨットハーバーに集まる。
 午前10時前、内房総保田へ向けて出発。風は南西で8-10mくらいか。
 けっこう吹いているが片上りで機帆走、7ノットオーバーでぐんぐん進む。
 セールは一段縮めた1ptリーフ。
 観音崎を越えたところで、前にストームジブを揚げてセーリングに移る。
 ゴールデンウィークで航路を行き交う本船が少ないので、東京湾を渡るのが随分と楽だ。
 保田の5マイル(海里)ほど北で千葉側に渡り、岸に沿って南下する。
 風はどんどん上がってくるようすなので、2ptリーフに縮帆。波が結構高く人数こそ僕を含めて5人だが僕以外、乗り慣れないクルーとヨット教室の生徒さんたちなので、作業はけっこう難行した。
 午後1時頃、無事に保田漁港に入港。
 いつのまにかポンツーン(浮き桟橋)が増設されて収容能力が上がっている。
 この漁港は、地方振興の成功例として経済界では有名な存在。
 舫いをとって飲むジントニックがうまい。
 のんびりと飲んだり食べたりほとんど無為に過ごすという幸福。
 ただ、忌野清志郎が死んでしまった喪失感は意外に大きく、ふとしたときに彼のことを思い出す。
 そうなんだ。きっと僕は清志郎みたいな人でいたかったんだと思う。
 そういう風に意識したことはなかったけれど、彼が死んで初めて気づいた。
 日が暮れていくのをゆっくりと感じながら時間を過ごす。
 クルーたちは風呂に行くというが、めちゃ混みなのはわかっていて、混雑をかき分ける気力体力が残っていないので、先に寝ることにする。
 横になって時計を見たら、なんとまだ午後7時36分だった。
 こんなに早く寝るなんて、ほとんどあり得ない「事件」だ。