月別: 2006年6月

物憂い株主

 午後、泉岳寺まで出かけて2%だけ株をもっている会社の株主総会で「ものいう株主」(笑)。
(前夜は、新しい会社法のお勉強もしました。経済小説作家でもあるし)
(時価総額はかぎりなくゼロに近いんだけど)
「ものいう」といっても決算書の根拠について詳細を説明してもらっただけだけ。質問内容は事前にメールしておいたし。
 横浜駅までもどって、午後3時、トリスバーで「和風おろしトンカツ定食」690円。おそーい朝食。
 スターバックスで原稿書きをして、夕方、帰宅。
 12時には自分なりの予定をこなしたので寝ようと思ったのだけれど、結局、ワールドカップを二試合とも観てしまい、就寝したのは翌午前8時。やれやれ。

フォローと準備

 パーティで名刺交換した編集者に自著を送る準備。手元の在庫があまりないので、自分で買ってきたり。(笑) いわゆる「名刺代わり」というやつ。
 まずはいろいろな編集者に「あ、阿川大樹っていい小説書くじゃん!」と思ってもらわないと。
 小型船舶操縦士の免許更新のやりかたの調査。5年に一度だから前回のことを覚えていないし、制度自体も変わっている。手続きは簡略化の方向でよいことです。(住民票とってこないと:備忘録がわり)
 以前取締役をやっていた会社の株主総会があるので、資料の検討。
「ものいう株主」になるかどうかは別として。
 経済小説「も」書く作家としてはビビッドな数字を見て考えることをたまにはやらないとね。
 と、ワールドカップが小休止なので事務的なことを片づけて、また小説に入る準備。

推理作家協会賞贈呈式とパーティ

 新橋の第一ホテル東京にて、日本推理作家協会賞贈呈式とパーティ。
 早めに出て出先で原稿を書くつもりが、いつもとちがう格好をしようと思うと、ワイシャツがどうの、ベルトはどこにしまったっけ、と結局ぎりぎりになったので、珍しくノートパソコンを持たずに手ぶらで家を出る。
 本日、お出かけの iPod は、スガシカオと宇多田ヒカル。
 入口ですがやみつるさんと合流。
 パーティでは次々にいろいろな人を紹介してもらう。駆けだし作家にとって、パーティは営業の場なので、料理を食べているヒマはない。が、すがやさんまで料理が食べられないのは申し訳ないけど、ここはすっかりお世話になることにする。
 オンラインでは十数年の知り合いでもある鈴木輝一郎さんにも初めて会う。修業時代にいろいろ教えてもらった人でもある。
「名刺たくさんもってます? 作品のストックありますね」
「もちろん!」
 というわけで、輝一郎さんにつれられて、まずは、理事長の大沢在昌さんに挨拶。
 田中光二さんと話しをしているとすぐ横にいる北方謙三さんの葉巻が匂ってくる。
 ソフトボールでいっしょだった人たちともあらためて名刺交換。
 宮部みゆきさんを遠くで見たり、あれ? やたら女性に囲まれているのは東野圭吾さん? などと、ミーハーしたり。
 というわけで、料理は一皿、お酒も4杯ぐらいは飲みましたが、編集者、作家、合わせて二十五人ほど名刺交換しました。
 ところで、こういう文壇系パーティには必ず銀座のきれいなおねえさんたちがたくさんいて、立ち話しているところへ、カウンターからお酒を持ってきてくれたりする。
 それはもうかなりきれい。もちろん彼女たちはそれぞれに営業に来ているわけだ。協会の重鎮がたくさんお金を使っている証でもある(笑)。
 彼女たちは別の意味で人を選別する能力に長けている。いわゆる職業的直感というやつ。観察していると実は瞬間瞬間に「客になるか」つまり「成功しているか」または「成功しそうか」を判定するための視線を配っている。そこで視線の動きを見ていると、彼女たちの視線の止まり方で、彼女たちの直感がなにを悟ったかがわかる。
 そんななか、本日の収穫としてかなりうれしかったのは、僕への視線が「成功しそう」判定の視線だったということ。
 彼女たちの人を見る目=直感が正しかったことを、僕も結果で示したいものだ。(笑) だからって、特別そういうお店に行きたいってわけじゃないけれどね。
 終了後は、すがやみつるさんと、新宿ゴールデン街へ。
 でも、よゐこは電車のあるうちに帰りましたとさ。

一段落

 16本セットの原稿をなんとか納品。
 10本ぐらいまでは順調だったけれど、残り6本はかなり苦しんだ。1本ならとても簡単だけれど、似た原稿を16本書くのは160倍ぐらいたいへん。
 サッカーは、イタリア対オーストラリア。
 後半ロスタイムでPK勝ち。これぞ劣勢での勝ち方のお手本。さすがイタリア。
 いまの日本には到底できない試合運びだった。
 頭の切替に読書。
「隠蔽捜査」(今野敏 新潮社) 吉川英治新人文学賞受賞作。
 テーマの設定が拙著「覇権の標的」と共通するところがあると思った。
 さあて、いったん寝ましょうか。

ワールドカップ、これから本番

 ワールドカップはこれからが佳境。
 見逃せない試合ばかりになっている。
 というわけで、24日から25日にかけては、まず「イングランド対スウェーデン」。
 次の試合までの二時間の間に、必死で仕事。
 午前4時からは「アルゼンチン対メキシコ」。
 6時には、終わるかと思ったら、同点で延長線。ああ、少しは眠らなくては、ということで、あきらめてベッドに入る。
 で、1時間寝て、25日午前7時起床。
 8時前に、日産スタジアムへ向かう。
 スタジアムにあるスポーツ医科学センター内で2002年ワールドカップの時のボランティアOBの団体よこはま2002の年次総会+懇親会。
 総会ではカメラマン、懇親会では司会。
 午後2時に終了して、買い物などを済ませて、午後4時帰宅。やっと就寝。
 4時間半ほど眠ったら、頭スッキリ。
 たいていのことは、1時間睡眠でもほぼ支障なくできるので、この睡眠パターンは意外といいかも。
 頭がスッキリしていないとできない原稿書き、眠いと危ない車の運転、心臓麻痺が心配なスポーツ、などだけはちゃんと寝ておかないとだけれど。

現、と書いて、「うつつ」

 ここのところ、女に、じゃなかった、ワールドカップだのソフトボールだのにうつつを抜かしていたので、仕事がはかどってません。
(ソフトボールは、駆けだし作家としては営業上のこともあるので、まったくの遊びではないのだけど、一応)
 ワールドカップはまだ20試合ほど残っていて、実は、これからが本番。
 というわけで、今夜は少し仕事の方をがんばらなくては。

ニッポンをたのむ

 つらい。
 ひどい試合だった。
 でも、これが俺たちの実力なんだ。
 はずかしいほど、力の差があった。
 わずかなチャンスはあったけれど、ブラジルにはそれにつけいらせない強さがあり、日本は前半の残り時間を守りきるサッカーに切り替える多様性も技術ももっていなかった。
 だからあの1点で、すべてが終わってしまった。
 徹底的に力が違った。
 日本が優れているところはただの1点も見いだせない完全な敗北だと思う。
 
 くやしい。
 僕が小学生だったら、サッカー選手になって自分の力で日本を勝たせたいと思うけど、もう間に合わないから、だれかきっと、強い日本の担い手になってくれ。
「うちに男の子がいたらねえ」
 カミさんが言った。
 結婚して23年、子供が欲しいという会話をはじめてしたよ。いままで、子供のいる人をこれほどまでにうらやましいと思ったことなかったんだけどね。
 だれか、ニッポンをたのむ。
 SAMURAI BLUE PARK を手伝っているとき、巧い子が何人かいた。
 ずっとずっとボールを蹴ってる。まだやめないのってくらい蹴ってる。そんな子がた。
 たのむぞ、ほんとだぞ、いま改めてそう叫びたいよ。

高原直泰君へ そして日本へ

 2002年6月21日、僕は君を見た。
 君は、静岡スタジアムエコパの観客席で、イングランド対ブラジルの準々決勝を見ていた。ほんとうはピッチに立っていたかっただろうに。
 あれから4年が経ち、あのとき客席から見たブラジルと、まもなく君は戦う。
 あのときに見ただろう。あのロナウドやカフーと同じグランドに立つのだ。
 奮い立て、高原直泰。八年分の思いをこめろ。
 奮い立て、日本。

推理作家協会ソフトボール同好会


 推理作家協会のソフトボール同好会。
 ちなみに、ヒマラヤ球場にはアルプススタンドはありません。
 正式名称は「明治神宮外苑軟式野球場ヒマラヤグランド」というらしい。
 午後2時から4時間、ずっとソフトボール!
 出版社の編集者のチーム・エディターズ対ミステリーズの戦いは、3試合ともミステリーズの勝利。
 逢坂剛さんがとにかく元気いっぱい。腕も確かです。新保裕一さんも安定したプレー。
 新参者の阿川大樹は、名前を顔が一致しないまま、みなさんと楽しく遊ばせていただきました。
 終了後は、信濃町駅近くの居酒屋で懇親会。

アンリ・カルティエ=ブレッソン 瞬間の記憶

 フランス系女友達に誘われてアンリ・カルティエ=ブレッソンのドキュメンタリ映画を観る。
 場所は、渋谷スペイン坂の rise X 。38席しかないミニシアターだ。
 淡々とブレッソン自身が写真を見せながら語っていく。
 ブレッソンを知りたい人にとってこの加工されない感じの映像は悪くないと思う。とにかく作りすぎていない。作り手というのは往々にして作りすぎるものなので、この視点は評価できる。
 一方で、ブレッソンや、周囲の人が語っている内容そのものは、本当にブレッソンの写真の本質に迫っているかどうか、個人的には首を傾げた。というのも、僕も(手すさびだけど)写真を撮るし、いろいろな創作にたずさわってきたけれど、そうした創作者の視点からは、この映画で語られている内容が当たり前すぎて、驚きがなかったからだ。
 もっとブレッソンを怒らせたり困らせたりして、そこからもっと奥深くのものを引っ張り出す、というやり方があってもよかったと思う。でないと、どこか「巨匠ブレッソンにお伺いを立て」ている映画のようでもある。カメラも監督もブレッソンという被写体と戦わなかった映画だ。
 ただ、冒頭に述べたように、あまりいじらずにカルティエ=ブレッソンが語るに任せる、という手法は、実は受け手としては意味があることなので、被写体と戦わなかったことが、必ずしも悪いことだとはいえない。プレーンな情報源であることもドキュメンタリー映画の役割なのだから。
 フランス語の映画は久しぶりに観たなあ。イタリア語も英語も混じっていたけれど。
 大学で5年間フランス語を勉強した(はずな)ので、少しはわかるけど少ししかわからない。ちょこっとラジオ講座を聴いただけのイタリア語とあまり変わらないのが情けない。(笑)