月別: 2006年7月

執筆、あいまに読書、ときどきギター

 どこへも外出せず、ほとんどの時間、携帯電話の電源も切って執筆。
 飽きると、雑誌をめくったり、ギターを弾いたり。
 しばらくしまってあったタカミネのエレガットを出した。
 代わりに出ていたフェンダーのジャズベースをしまう。
 もう一台のタカミネのエレアコも出ている。
 執筆時間はここしばらくで最高に長かった。
 頭の中はイメージに満ちているけど、執筆速度や集中できる時間はまだ十分ペースに乗っていない。

ヨットで八景島シーパラダイス

 4時間睡眠でヨットハーバーへ。
 午前中は風があまりなかった。
 昼食を摂るために八景島マリーナへ。
 と、そこまでは静かなヨット日和だったが、シーパラダイスのレストランで食事を摂ろうとすると、半ば予想通り、どこも行列。
 やれやれ。
 そもそも、せっかくたまの日曜日にヨットに乗っているのに、レストランで食事をするというだけで興ざめ。レストランに並んで中途半端に美味しいものを食べるくらいなら、ヨットの上で弁当を食べる方が幸福なのだが、まあ、いろいろな事情で本日はそういうことになった。
 立食蕎麦屋にかぎりなく近い蕎麦屋がいちばん空いていたので、カツ丼にする。
 食事が終わり次第、混雑したエリアを早々に抜け出し、さっさと船にもどる。
 ギターを弾いたり、だらだら話しをしたり。
 午後2時頃、いよいよいい風が吹いてきたのでさっそく出航。
 かっとんで帰る。
 本日の最高速度 8.28kt 。
(エンジンで走った場合の我が艇の最高速度は 6.7kt 程度なので、風で走る方が速かったということ)
 夜は小説。

会心のスルーパス

 僕は、足遅いし、視野狭いし、サッカーが下手なんだけど、ときどき自分でビックリするようなプレーをすることがある。
 今日のフットサル。
 左サイドでボールをもらい、ふだんなら左奥へ入っていくところ、ゆっくり、中央へ横方向にドリブル。
 それを見た相手ディフェンスが3人、引きつけられて上がってくるのがわかった。
 そのとき、僕の視野が中央から右サイドに向いていたので、右サイドいちばん外からダッシュで上がってくる味方のプレイヤーが見えた。
 そこで、ややマイナス方向右へ加速をつけて、一歩踏みだすと、それを見て相手がよせてくる。その瞬間、ファーポストにオープンスペースができた。
 そこへ向けて角度をつけインサイドキックでパス。
 駆け込んだ味方にぴったり合って、ゴール!
 自分でも信じられないほど視野が確保されていた。
 自分でデフェンスを引き寄せてそれによってオープンスペースをつくってそこへパスを出すという理想的なプレーではないか!(と自画自賛)
 オーバラップして上がってくる仲間を見た瞬間、ゴールネットが揺れるまでが完全にイメージできて、その通りに動くことができた。 剣の達人が、相手が斬りかかってくる前に太刀の先の通る筋が見えるというけれど、まさにそういう感じ。(え? 言い過ぎ?)
 理由はわからないけど、その瞬間は会心の動き。
 不思議。
 ただ、結果として、こう動けばオープンスペースをつくることができる、と会得した感はあります。
(もういちどできるかどうかは、まったく別なんだけど)
 フットサルを始めたのは2002年、ワールドカップのボランティアがきっかけだ。
 その前、最後にサッカーをしたのは、中学の頃(クラブではなく、早朝と昼休みと放課後、クラスの連中と遊んでいた)だから、1969年。実に33年ぶりに、なんと生まれて初めてサッカーチームに入り、しかも生まれて初めて背中に自分の背番号のついたチームユニフォームを持つことができた。
 そのチームでの球蹴りが、4年続いて、今日で100回目。
 僕自身は、そのうち半分も出席していないと思うけれど、なにしろこの年齢になってサッカーをすることができるなんて思ってもいなかった。オッサンと遊んでくれる仲間たちにはほんとうに感謝している。
 100回記念の飲み会もあったけれど、執筆の調子が出てきていて、テンションを抜くのがもったいないので、残念だけど参加せずにまっすぐ帰宅。

処方箋を読めない薬剤師

 昨日行った北里大学病院の周囲には処方箋を受け付ける薬局が乱立している。
 通りがかりで便利なので、別の病院の処方箋を出したら、成分表示の処方箋を理解できない薬剤師がいて驚き。
「このお薬はありません」
 て、それは薬の名前ではなく、薬の成分だってば。「**ナトリウム」なんて商品名の薬があると思うだけで、薬剤師としての常識を疑う。コワイコワイ。もちろん、早々に立ち去る。

北里大学病院

 午前9時過ぎ、家を出て相模原の北里大学病院へ。
 8月中旬に妻が足の手術をするので、そのための貯血。つまり、他人の血を輸血することにともなうさまざまなリスクを回避するために自分の血液をあらかじめ抜き取って保存しておくのだ。
 午前中は内科のチェック(別の病院にかかっている持病に関連するデータなどを、外科手術を行う北里病院内の内科医に対して事前に情報提供しておく)。
 昼食をはさんで、午後一番に血液の採取。400mlずつ2回、合計800mlの血液を手術に先だって抜いておく、その第一回目だ。
 ふだん、妻は自分で運転してどこへでも行くのだけれど、血液を採取した場合、目眩など運転に支障をきたす場合があるので、運転しないようにと注意があり、それで帰路の運転手としていっしょにいったわけだ。
 妻は北里病院にはすでに3回入院して手術しているので、見舞いに行っているこちらも、久しぶりに行くとなんとなく懐かしい。
 もともと病院というのはほとんどが待ち時間の上、付き添いのこちらはすべてが待ち時間。資料本を1冊読み終わり、パソコンで原稿を書き、さらには病院(=大学)構内の有隣堂で医学書の立ち読み。
 有隣堂のこの店舗はほとんどが医学の教科書や専門書なので、ジュンク堂にいるような楽しさがある。精神医学や整形外科学関連で買いたい本が何冊かあったが、どれも6000円以上して高価なので、とりあえず立ち読み。
 大学で理科系の勉強をした最大のメリットは、どんな専門分野の本であっても、読めば書いてあることが理解できるということ。(ただし、一部の数学や理論物理学の論文などは例外)
 小説家を目指す人は理科系の大学へ進むべきだと思う。将来小説を書きたい人が文学部なんて行くのは百害あって一利なし。自由なタイミングで大学の外で独学ができる分野で、かつ、直接職業にも結びつかない学問は、必ずしも「大学で」学ぶ必要はない。
 小説を書くために重要なものは、文章の書き方でも、文学史の知識でもなく、社会や人間を見る眼差し。だから小説を書きたい人が文学部に行くのは実は遠回りだ。
 病院での待ち時間がいくつかの理由で長くなったせいで、帰り道の道路が混み始め、帰宅時刻が予定よりも1時間半ほど遅くなる。
 午後6時の別件の待ち合わせに15分ほど遅刻。野毛の「萬里」で食事をしながら打合せ。桜木町からJRで帰宅。

初めて執筆依頼を断る

 午前九時に家を出て綱島へ向かう。久しぶりに晴れたなあ。暑い。
 プロの写真家でもあり、内科医でもある高校のクラスメート、井上冬彦の診療所へ。
 超音波で胆嚢ポリープのようすを見てもらうのが目的。六年ほど検査もしていなかったが、安定しているようだ。「起床時に背中が痛いのは100%胆嚢のせいではない」と断言されてしまった。
 血液検査の結果は明日聞く、ということで帰宅。
 夕方まで自宅で小説書き。
 夕方六時、駅前の崎陽軒本店のティールームで打合せ。
 ここ三年、毎年、引き受けてきた仕事なのだけれど、あまりに原稿料が安いので、次回については最低限の条件を提示した。
 別に偉そうにするつもりはないのだけれど、小説以外はすべて「お金のためにする仕事」。(いえ、小説もお金にするために書いているわけですから)小説を書く時間やテンションを犠牲にするには相応の対価をもらわないと。人生の残り時間が少ないので。
 あげくに「ストーリーを考える練習になるんじゃないですか」だって。
 冗談じゃありません。日常生活からして100%小説のために生活しているのだから、本当は自分の小説以外のことに「ストーリーを考える」という大切なテンションは使いたくないけど、お金のために心を切り売りしているのですよ。
 できるものなら真剣勝負の試合をたくさんこなしたいという時期に、僕にはいまさら練習に費やせるほど心の体力に余裕はありません。本番(小説)のために心の体力を温存したいのに、お金のために他の仕事も引き受けているのだから、その肝心のお金を十分いただけないとなったら、やっぱり引き受けるわけにはいきません。
 依頼主は出版の人ではなくメーカー系の人。なので、物書きが商品となる文章を書くためにどれだけのものを注ぎ込んでいるのか、理解できないのも無理からぬこととは思うけれど、原稿料という形で金銭的に正当に評価する気がないのであれば、ビジネスの交渉のテーブルにはつけない。
 ということで、文筆業を開業して以来、初めて原稿の依頼を断りました、というお話し。
(もちろん、適正な対価を払ってもらえるようなら喜んで書かせて戴くのですが)

血の気の多い夕食

 淡々と原稿書き。
 まだまだだけど、少しペースが出てきたかなあ。でももっと加速つかないと。
 家に引きこもっていたら、出先にいた妻が電話をかけてきて「ステーキが食べたい」というので、スーパーに買い出しに。
 妻は八月に手術をするためにまもなく「貯血」を始めるので、血の気の多い夕食が欲しいというわけ。
 一日に一度は家を出ないとなんだかシャキッとしない性分なので、ちょうど良かった。
 肉の焼き加減も我ながらなかなか。

推理作家協会総会

 昼間、執筆の調子が出てきたので、本当は外出したくなかったけど、駆けだし作家としては営業も大事なのでムリをして外出。
 飯田橋ホテル・メトロポリタン・エドモントにて日本推理作家協会総会、それから懇親会なのだ。
 午後4時30分。
 初めてなので総会にも出てみたけれど、ずいぶん狭い部屋に四角く机を並べてあり、ほとんどが理事の人たちなので居心地が悪い、(意外とシャイなんです。ほんとに)
 議長の東野圭吾さんが遅刻なので真保裕一さんが代行。説明が終わった頃に東野さんが登場。やっぱり黒っぽい服装。中央に大沢在昌さん。北方謙三さんはいつものように葉巻を吸う。逢坂剛さんは盛んに軽口を飛ばす。会計報告が宮部みゆきさん、楡周平さんは着物姿、他には北村薫さん、福井晴敏さん(たぶん)、柴田よしきさん、などなど、名前は有名でも必ずしも作家の顔まで有名とは限らないので、名前のわからない人も多数。
 議事進行は、和やかな雰囲気ながらポイントを外さず、といって無駄もなく、やはり頭のいい人たちの集まりなのだなあと思った。予算、決算、60周年記念行事のことなど、いろいろ。
 早々に終わったのであとはロビーでパソコンを出して執筆。
 午後6時、懇親会開始。
 藤田宜永さんは背が高いなあ。
 知り合いは前回よりも少ないが、知っている編集者を見つけては話して回る。
 実績ある編集者というのは、話しをしてみて全然ちがうんだなこれが。駄目な人は雑談しているだけだけ。どうせつきあうなら、しっかりとした人の方が楽しいし、たぶん、仕事もうまくいく。
 やはり「おねえさん」は来ているのだけれど、場所が飯田橋のせいか、かなり水準が落ちるなあ。(笑)
 あまり親しい人はいないが、こういうときこそソフトボール仲間がいて助かる。(フットサルで痛めた足首にテーピングしてまでソフトボールに行ってほんとうによかったよ) ボーリング大会や温泉卓球大会、フットサル大会、テニス大会などの話題。(ん? 推理作家協会は何の団体だったっけ?)
 ビンゴの司会は真保裕一さん、くじを引くのは楡周平さん、商品をわたすのは大沢在昌さん。
 ディズニーランドのペアチケット、ホテルエドモントのお食事券、ときたあとは、思わず当たらないでくれと願うほどの冗談賞品のオンパレード。
 最後、角川書店提供のワインになったところで、僕がビンゴ!
 3人いたのでじゃんけんになり、じゃんけんに弱い僕が勝ってしまった。ブルゴーニュの新進メーカーの赤ワインでした。ラッキー。
 商品提供の角川の名物編集者にお礼がてら話しをしに行く。
 複数の編集者と今後につながる話もいろいろできて、来た甲斐があった。
 午後7時半、ほぼ見つけた知り合いとは話しし終わったところで、会場を後にする。
 渋谷に向かうつもりで電車に乗る。午後9時15分開始の映画を観るだめだったが、いつもより知り合いが少ない分、酒を飲んでいたようで、映画の途中で眠ってしまいそうなので、予定を変更して、新宿へ。
 ゴールデン街のなじみの店を2軒回って、終電で帰宅。

予定変更

 ヨットハーバーへ着いたら、雨は上がっていたがすごい湿気。
 船を出そうとしたらハーバーの機械が壊れて出せなくなり、水上繋留の仲間の船で出ることになる。
 昼食は、そちらの船のクルーのつくってくれた絶品のペンネを戴く。
 帰宅後、あわててスーパーに買い出し。
 妻が帰ってきたので、夕食を分担してつくる。
 夜、かなりリキを入れて執筆。
 ここしばらく、昼執筆、夜は息抜き、というリズムだったけれど、今日は日曜なので逆。

主夫の密かな喜び(笑)

 昼間は家に引きこもり、こつこつと執筆。
 午後2時過ぎ、運動のため自転車で山下公園まで往復。
 自分ひとりだけなので、夕方はやめの夕食は、ご飯に海苔の佃煮だけという超適当。
 午後8時半まで仕事したところで、行きつけの飲み屋がリニューアルしたとのことで出かける。こちらがあまり行かないので常連の人に会うのも久しぶり。
 毎晩、夜になると出かけている。妻が今日まで外泊なので、家事から解放されるのがいいのだ。朝昼も、自分ひとりなら超手抜きの食事でいいし。