日: 2010年6月4日

法事に参加できなかった

 午前11時、家のことをやっている時に電話。
 さる大切な人の法事が執り行われるのに、僕が来ていないという電話だった。
 電話の主いわく、僕に伝えた、ということなので、きっとそうに違いない。何ヶ月か前、僕は電話でその連絡を受けたのだろう。だけど、僕にはまったく記憶がなかった。
 直ぐに家を出れば1時間遅刻で参加できる場所だった。
 その頃にはお経は終わっているだろうが、食事の席には間に合い、お線香をあげることくらいはできる。
 しかし、4時間後にどうしても送らなければならない原稿があるのでそれも叶わず。
 故人の家族の心を傷つけてしまうことになって、とても申し訳ない気持ちだけれど、どうにもならなかった。
***
 過去20年以上、99.99%の重要なことは電子メールで連絡を受け取っている。仕事のことにせよ、そうでないことにせよ。
 重要なことが郵便で来ることも希にはあるけれど、それは急ぎでないことが「ほぼ」わかっているので、郵便は月に1度くらい時間を作ってまとめて開封する。
 その時に、封書を開いてメモをしたり、(電子的な)スケジュール帳に書き込んだり。
 そんな習慣から、電子メール以外で連絡を受けたときに、それを記録しておく手順が失われている。
 たぶん、その連絡は電話で受けたのだと思う。けれど、電話を切ったとたんに忘れてしまったのだろう。
 考え事をしている時に割り込みで電話があると、相手の人には申し訳ないけど、電話口で話をしていても、実は上の空である。
 そして、一日のほとんどの時間、考え事をしている。
 結果的に、かかってきた電話で得られた情報はあまり記憶に残らないことになる。仕事場にいるときにはたぶんすぐにメモを取ることが多いのだと思うけど。
(思う、というのはメモを取っていないことは、ほぼ確実に忘れてしまうので、自分のなかでは存在しなくてわからない)
 困ったことだ。
 困ったことではあるけれど、もっと困ったことは、そんなことが起きないようにする対策がないということだ。
 考え事をしていないときだけ電話を受けるというわけにはいかない。そうである以上、僕の代わりに電話を受けてスケジュールを管理してくれる秘書を雇う以外に対策がない。(会社員のときは秘書がいてくれたので、とても助かっていた)
 電子メールは、あとで読み返すことができて、メモを取る必要がないので、秘書がいなくて、メールを読んだ瞬間がどんなに上の空でも、忘れることはないのだけど。
 だからこそ重要な連絡は互いにメールでするようになっている。
 電話で決めたことでも、「今の件、あとでメールしておいて」とメールをもらうようにしている。そうすればその瞬間、電話の内容が頭から離れても情報は確実に残る。
 法事の話はその手順にもかからなかったというわけだ。
 大切な人の法事に出ることができなくて、僕自身、とても情けない気持ちだし、何より、故人の家族に申し訳ない。
 でも、僕がこういう人間である以上、電話はどうしても無理なんだよなあ。
 他にも電話でした約束を僕はたくさんすっぽかしているのかもしれない。