出来立ての原稿と。
パソコンを持たないで外出する解放感(笑)
した。
少しくつろいで外へでる。
昨晩、早寝をした。
6時間眠ろうと思っていたのだけど、午前3時に目が覚めたので、そのまま起きてしまう。
しかし、集中力が出ない。
午後、リハビリへ。
本日のブックオフは2冊で250円の収入。(笑)
みなとみらいのマクドナルドで原稿書き。
セキチュウに立ち寄って帰宅。
午後8時、眠くなったので30分寝るつもりが、目が覚めたら4時間も経っていた。
粗大ゴミを出さなくてはならないのだ。それも大物。
下駄箱、ラタンのチェスト2点、食器棚1点。
下駄箱は実は3つの棚を並べたもので、そのままだと回収費用が1個1500円で合計4500円費用がかかるので、捨てるに当たって、3つを完全に接着して1つの家具に改造。しかも、粗大ゴミ置き場へ運んでから現場で。
チェストは、中身を段ボールに移して、運び出す。食器棚は実は仕事部屋の食品ストレージとカメラの仕舞い場所。カメラ7台をエアキャップにつつんでこれも段ボールに梱包。
意外に時間がかかって、終わったのは午前5時前。
シャワーを浴びて、翌午前6時から、やれやれ、やっとまた執筆開始。
脱稿まであとほんのわずかのところで、疲れが溜まってきた。
とりあえず、みなとみらいを1時間散歩。久しぶり。
いったん帰宅して、改めて外出。
途中、ヨドバシカメラへよってちょっといいイヤフォンを買う。
楽器が全部ちゃんとした場所に聞こえる。演奏してる時はこういう音を聴いてるんだよな。
目的は、飯田橋のホテルエドモントにて、推理作家協会新年会。
これで協会のパーティーも一巡したので、これからは、無条件に出るのはやめる。
営業できるチャンネルが執筆能力を極端に上回っても意味ないし。
担当編集者に会って、進捗状況など報告。
以前、別のパーティで会って『覇権の標的』を送っておいた某社役員が声をかけてくれて、感想を頂戴する。楽しく読んでいただいたようでよかった。
二社ほど、編集と「次はうちでも長編お願いします」なる会話が飛び交うが、もちろん、パーティの時点では社交辞令の域を出ない。
いずれにしてもある程度プロットつくってからでないと。
ビンゴ、全然開かずリーチにもならない。商品の Wii 欲しかったのに。(笑)
午前1時半に起きたのでもう眠くてしようがないので、パーティを中座して帰る途中、筋肉弱ってまた腰痛。少し鍛えようと、電車ですわらず。
午後11時前に寝ました。
家を一歩も出ず。食事と執筆以外にはなにもしなかった一日。
こんな日記を書いても読者の方は面白くないでしょうが。
スミマセン。
前夜(起床午後8時)からずっと起きて原稿書き。
午前11時過ぎ、疲れたし、暖かそうなので、散歩に出る。
過去48時間くらいほとんどカーテンも閉めたまま家に籠もっていたので、太陽の光に当たるのがうれしい。
いつもはいかない午前中のスーパー。品揃えがよく見えるから不思議。(笑)
眠くはない。でも疲れている。
寝た方がいいのか、少し休めば回復するのか判断がつかず。
妻がいないので、気分を変えて居間のオーディオで音楽を聴きながらノートパソコンで執筆。
(こちらのほうがアンプもスピーカーもいいので、聞いていて疲れない)
結局、午後7時、就寝。
正午前就寝。
泥のように眠るとはこのこと。午後8時起床。
将棋で言えば、「詰む」とわかった状態。
最初の内、600枚の小説の全体を自分の頭が一度に把握しきれなくて、漠然と、最後までにはすべてがつながるという「予感」だけがして、それで書き進んでいくのだけれど、ここまできて、やっと、残り部分のことを全部頭に置いておくことができて、未解決の伏線が、引き出しに収まるように全部つながって……、完成した状態が完全にイメージできる、そんなところまできました。
つまり、頭の中では完全にできあがった。
あとは頭の中の図面通りに書くだけ。
早ければ(バンバン手が動けば)、あと二日で完成するでしょう。
やっと心安らかになった~。
ここまで来ないうちは、「もしかしたらこの小説は完成しないんじゃないか」という思いがずっと胸の奥にある。
苦しいところから抜け出た感じ。
午前11時過ぎ、就寝。
午後3時起床。シャワーを浴びてリハビリへ。
今日のブックオフは、4冊で190円。
なんだかだんだん安くなるなあ。ついにリハビリ代210円を下回った。
(もともと、この両者に金額的な関係はないので、比較してもしかたがないんだけど(笑))
タクシーで東横イン桜木町へ。
某大手半導体メーカーのエンジニアHさんと、20年ぶりの再会。
AXという規格のパソコンのためのグラフィックチップを開発しているときに製造をお願いしていた。その会社の技術窓口がHさんだった。
NECのPC9800が日本の標準で、MS-DOS。Windows はまだ 3.1 で、まったく使えないOSだったころの話だ。
ちょうど僕が、NECからアスキーに転職して、最初のプロジェクトだった。
NECでは開発部にパソコンが2台あっただけだが、アスキーにはひとり一台以上、パソコンがあった。
インターネットはまだなくて、パソコン通信の時代。社外のメールは junet 。
1986年の時点で、すでにアスキーの社内では電子メールをつかって仕事をしていた。
アスキー社内のホストは VAX11 だった。演算速度1MIPS。これが VAX MIPS と呼ばれる演算速度の基準になる単位になったりした。
いまのパソコンよりも1000倍遅いマシンを、社員全員で使っていたのだ。
LSIの設計データのやりとりをするのに、Hさんの会社に専用の部屋を用意してもらい、電話回線を引いてもらって、そこにファイル受信用のパソコンを持ち込み、モデムを使って、自分のパソコンからファイルを送り込んだ。
なにしろ、NECの開発部門ですら、50人に2台のパソコンしかなかったころの話だ。
半導体LSIという最先端の分野でも、設計データを電子的にやりとりする環境はなかった。だから、自前でピアトゥピアの通信システムを構築してデータのやりとりをできるようにした。
ただし、その部屋は無人だったため、データを送ると、Hさんに電話して、「データを送りました」と連絡する必要があった。電子メールなんてのは、仕事には使えないものだったのだ。
たった20年前の電子立国日本の姿である。
中華街まで歩いて、家庭料理系のお店でHさんと食事。
なんと、1月24日にして、本年、最初の外のみ。
(Hさんはお酒を飲まない人なので、僕だけビール2本)
午後10時半に帰宅。
そこから、翌午前11時まで原稿書き。
リハビリは休む。
家に籠もってただ仕事。