月別: 2007年2月

めざせ、赤字脱却!

 明日からは完全な引越モードにはいるので本日は事務屋さん。
 というわけで、入力だけは終わっていた確定申告の作業。
 国税庁のウエブサイトに会計ソフトから出た数字を入力してちょいちょい……と、終わるはずだっただけど、なんと赤字申告は国税のサイトからはプリントアウトが出せないではないか。
 決算書だけは出せるんだけど。
 でもって、損失申告には第4表というのもいるので、pdfをダウンロードしてプリントアウト……したまではよかったんだけど、書き方がよくわからないので「手引き」もダウンロード。
 と、かなり時間がかかって朝になってしまった。(そもそもとりかかる時間が遅いというウワサも)
 平成18年度は、小説以外の仕事をほとんどしなかったし、小説も本が出なかったので大赤字。
 予定通りなので、驚くことではないのだけれど、今年は経済的にも頑張ろうと思う。
 次の本は、5月発売です。みんな買ってね。
(詳細は続報を待たれよ)

オートバイ遍歴

大学生の時、
HONDA CB50JX 
 リッターあたり150馬力のスーパー原チャリ。
 どんどんエンジンが回るので、奥多摩の上りでオーバーレブした。
その後、
HONDA WING GL400
 「振動を消すのは簡単だけど、乗り味を出すために振動を残した」と設計者が言う、当時は珍しかった水冷2気筒。
 気持ちのいいロングツアラーでした。
HONDA XL250S ?
 上野でボロボロのを買って、世田谷から相模原まで通勤につかっていた。何度直してもオイル漏れが直らないので、オイルを足しながら使っていた。
 多摩川の川原でオフロード遊びをして、こけてはクラッチレバーやブレーキレバーを何度もへし折ってしまったな。
 自分で白く塗装して、フロントフォークとタンクにYAMAHAのシールを貼って車種不明の「ヤマハモドキ」にしていた。修理のためにホンダSFへもっていったとき、フロントの人が伝票に「ヤマハ」と書くので、「ホンダです」というとびっくりしてた。してやったり! (見ればわかるだろうに)
そして、
HONDA GB250 Clubman
 http://www.honda.co.jp/news/1987/2870209.html
ずっと、バイクはホンダです。
こだわりは、
 4サイクルであること(上記全車種)
 シリンダーは多くないこと
  (GL400 だけ2気筒。他は1気筒)
 マフラーに金属光沢があること
  (XL250S はオフロードだったので、黒かった)
 GB250 Clubman は、僕の理想とする、もっともバイクらしいバイクです。このバイクを見ていると、設計者の心が伝わってくる。
「こういうバイクをつくりたい」と思っているエンジニアの思いがすべての部分に表現されている。
 20年前の1987年、最初に就職して8年働いたNECを辞めたとき、退職金で買おうと思ったのだけど、退職金は25万円しかなくて、39万円のこのバイクが買えなかったので、貯金を足して買いました。
 町乗りはほとんどせず、ツーリング専用で、4000Km走りました。(町乗り用には別にヤマハパッソルをもっていた)
 が、この15年ほどは、マンションの地下に置いたまま。
 タイヤの溝はほとんど減っていないけど、さすがにゴムの弾力は失われている感じ。
 本日、15年ぶりに地下室を出て、車に乗せられていきました。また乗れるようにメンテナンスしてもらうために。(そもそも動くようにしないと、引越ができないしね)

人生.zip

 20年ぶりの職場のOB会に行ってきたかと思うと、今度は40年前に通っていた大阪豊中の小学校の同窓会の案内が来た。
 6年の夏休みに東京へもどってきたので、その学校は卒業していないし、転校して入って2年しか通っていないし、参加しても僕を覚えている人は少数だとは思うのだけど、ネットで僕を40年ぶりに見つけてくれた人がいて、それつながりで情報が回ってきたのだ。
 電子ネットワークってすごいよね。
 と、思ったら、25年くらい前に、わいわい遊んでいた準草分け世代のスタイリストから『覇権の標的』読みましたメール。
 年賀状交換していたけど、これも20年くらい会っていなかったし、メールは初めてだよ。
 先々週には、夢の遊眠社を名乗る以前の劇団の仲間(当時の主演女優)から東京に引っ越してきたよとメールが来た。32年くらい前からの知り合いだ。
 なんだか、僕の人生がこの一ヶ月に凝縮されてきているみたいで、不思議な感じ。
 入稿になりました。5月刊行、ほぼ確定。

消えたチケット

「粗大ゴミの券ください」
「はい」
「200円の5枚」
 横浜市は粗大ゴミを処分するのに、郵便局かコンビニで、ゴミの種類に応じて200-1500円のシールを買って貼って出すことになっている。
「すみません。2枚しかないんです」
 あちゃぁ~。
 明日、朝8時までにシールを貼って出さなくてはならないのだ。今回は5点。3月8日にさらに6点。
 すでに今年に入って10点以上出している。
 3月2日にみなとみらいのとあるマンションの入居がはじまる。うちのマンションの窓からも見える。
 横浜の都心。同じライフスタイル向け。
 実は、我が家は3月7日にそこへ引っ越す。今同じマンションに住んでいるヨットの共同オーナーも同じ処に引っ越す。独自の調査によれば、少なくともこのマンションからあのマンションに引っ越すのは5世帯ある。おそらく近隣のマンションも入れれば20世帯くらいが、同じ時期に一斉にみなとみらいに移動するかもしれない。
 引越といえば大量の粗大ゴミが発生する。
 というわけで、うちも分散して必死でいままでも粗大ゴミを出していたわけだが、近隣で同じ人が多いとなると、粗大ゴミ収集シールの特需が発生するわけである。
「じゃあ、とりあえずその2枚ください」
 ジョギングの帰りに立ち寄ったコンビニで2枚しか買えなかった。ジョギングのコースを延長して他のコンビニにあたる。どこも全部売り切れである。
 つごう4軒のコンビニをまわって、やっと4軒目で調達に成功した。
 わがマンションから駅と反対に500mほど離れたところであった。
 この分では3月8日の分は、早めに買っておかなくては。
 次回は、粗大ゴミ処分シール代金だけで5000円ほどかかる。ひえー、である。

20年のあいだ

 ここのところ、たっぷり8時間睡眠を摂っている。
 3時間でも生きていけるけど、8時間寝ると「休んだぁ」という実感がある。
 まあ、そういう時期もないとね。
 夕方家を出る。と、駅に向かう途中でサイフを忘れていたことに気づく。出がけに家の鍵が見つからず、30分以上探していたので、それで気を取られてお金のことを忘れていた。下車駅ではおそらく6時過ぎるし、ATMがあるかどうかもわからなかったので、途中のファミリーマートで現金を降ろす。手数料105円。
 午後6時、向河原駅到着。
 少し時間があるので、ドトールでコーヒー。やっと覚醒した感じ。(笑)
 6時30分、「NEC玉川クラブ」に到着。
 システムLSI推進開発本部デバイス技術部OB会。(意味不明でゴメン)
 大学を出て最初に就職した日本電気(NEC)で、研修後、府中にあるコンピュータ技術本部第二技術部というところに配属になった。ところが3ヶ月ほどして、この「システムLSI……」という組織ができて、そこに転勤になった。
 この組織は、社内のかなり広いいろいろな部署から人が集められてできた新しい部署だったので、いまとなっては、当時の仲間たちにはちょっとしら不思議な連帯感が形成されていて、ある種の産みの苦しみを共同体験した同士という感じがあるのだ。
 その組織も5年ほど前に廃止されてなくなったらしく、有志による幹事団が関係者200名に声をかけ、100名ほどが集まったというわけ。
 僕がNECを退職したのは1987年の3月。だから、ほとんどの人には20年ぶりに会うことになる。
「本、読んだよ」と声をかけてくれる人もあれば、「今、何してるの」という人もあり、後者にはもちろん『覇権の標的』の紹介が裏面に書かれた名刺を渡して宣伝。終了前に5分ほどスピーチ。
 9時に終了したあとは、すでに閉店している近くの中華料理屋をむりやり開けてもらって二次会。旧交を温めて家路についた。
 ちなみに、『覇権の標的』に登場する旭製作所の半導体工場はNEC相模原工場に似ています。
 旭製作所の置かれたシチュエーションは日立製作所。
 物語に登場するSAは、日立製作所のSHマイコン。主人公がこの会社在籍中に苦労して開発しているチップのユーザーであるゼータ・グラフィクスはセガ・エンタープライゼス。その会社が発売する予定のゲーム機「ドリームプレス」はセガの「ドリームキャスト」に似ています。「サターン(土星)」じゃなくて「ジュピター(木星)」なんてゲーム機があったり。
 ICM こと International Computer Machinary は IBM こと International Business Machines 似ているし、会長の名前も実在の人物に少し似ていますね。
 その他、「これはだれのこと?」と楽しめる「隠し味」がけっこう入っています。もちろん似ているだけで、物語はフィクションです。
 NECで8年働いて、やめるとき退職金でバイクを買おうと思ったら、39万円のオートバイも買えないほどの退職金だったので、貯金を足して買ったのが GB250 Clubman というバイク。
 20年後の今もマンションの地下に保管してあります。4000キロしか走っていない。こんど小田原のメカニックに預けて再び乗れるようにメンテナンスしてもらいます。

小旅行 湯河原梅林

 高島屋の地下の店へ。
 幸いなことに10時発売(一日限定三回売り出す)ニューヨークチーズケーキがまだあった。手みやげゲット。
 東海道線で小田原へ。
 車でピックアップしてもらって、某自動車修理工場へ。
 知り合いのメカニックにバイクのメンテナンスの段取りをつける。
 海岸沿いを湯河原まで。梅林は七分咲き。平日だというのに、たくさんの人がきている。年配の人がほとんどだが、立派な一眼レフをもっている人が多い。
 梅林の中に岩場があり、ロッククライミングの練習をしている人が数人。これも白髪の人たちだ。女性も。
 おすすめの蕎麦屋でおすすめの天丼を食べる。ドライバーには悪いけど、ビールも。
 夕方、小田原駅でドロップ。
 豊かな小旅行だった。

新規開店のヘアサロン

 午前4時半、目が覚めた。いきなり朝型だ。
 簡単な仕事を少しして午前10時半、本日オープンのマンションの向かいの男性向け美容室へ。
 前からあるその隣の美容室はシャンプーとカットで4200円でちとお高いので、駅の近くの3800円の理容室まで行っていたのだが、新規開店のこちらは2800円。
 開店して第一号の記念すべき客になる。
 仕事も速いし、値段も安い。しかも、美容院方式でシャンプーは仰向けで楽。仕上げもナチュアラル。いいかもしれない。
 美容院だと行った直後がいちばんいいのに、床屋の場合、仕上がりは「床屋に行きたて」にできあがる。顔を剃っても洗い流さず拭き取るだけなので、必ず吹き出物になるから、顔なんて剃って欲しくない。前屈みでシャンプーすると、顔に水が回って、鼻の穴に水が入ったりして不愉快。旧来の床屋のシステムというのはどうもいろいろ不合理なところが多いし、ちまちま慇懃に作業をするので時間もかかる。
 昭和のゆるやかな時代、おそらく床屋は一種の社交の場だった。
 祖父は床屋が好きで、よく行っていて、そこでずっとお喋りをするのが楽しみだった節があり、その床屋に僕が行くと、理容師が我が家族のことをよく知っているのに驚いたものだ。いまほどプライバシーに社会が敏感ではなかったころの話である。
 いま、美容院だと、カットの作業はけっこう大胆でスピード感がある。スピードも腕のうちだ。女性は男よりも頻繁に美容室に行くし、パーマをかければ否応なく時間がかかるから、カットを慇懃にやっている場合ではない。
 というわけで、慣れてしまえば、理容室よりも美容室の方が快適なのだ。
 
 切ってもらっているうちに、花屋がやってきて、なんたら会社の代表取締役なんたらさんから、店に花が届く。一方、どうやらいくつかの化粧品が足らないらしい。会員カードを発行する機械の操作がわからないらしく、スタッフが機械を覗き込んでいる。
 終わってお金を払うと、会員番号1番の会員カードをくれる。
 ポイントが溜まるとなにがうれしいのかという説明は特にない。(笑)
 預けたコートは着せてくれたが、荷物のことは忘れている。
 受け取って店を出る。店主は外まで送りに出てなんども頭を下げる。銀座のクラブのようでもある。
 歩き始めて20m。気がついた。眼鏡を置いてきた。
 再び店の扉を開けてもスタッフはまだ気づいていなかった。
「あの、眼鏡を」
「あ、すみません」
 さっきまで座っていた席に前の棚に僕の眼鏡がそのままあった。
「いきなり、ペナルティですね。もうしわけございません」
 おもしろい体験だった。けっして不愉快ではない。
 一所懸命お店を始めた感じ。また利用します。がんばって。

仕事をしない日

 朝一番で、原稿を送って午後になって起きてくる。
 本日は、仕事をしない日にする。
 夕食に日本酒を2合ほどのんだrた、うまい具合に午後11時過ぎに眠くなったので、午前0時前に就寝。

床屋に行きたい

 髪の毛がじゃまくさくなってきた。
 
 本日はBGMは趣向を大幅に変えて、ワーグナーの楽劇「トリスタンとイゾルデ」
 泣かせどころ(笑)を書き終えて、あとは、そこが Deus ex machina になってしまわないように、前の方に降りかけてある魔法の粉を再確認&修正しておくちょっとした作業。
 翌、午前7時すぎ、46個のファイルをツールで一気に繋ぎ合わせて、最後に「(了)」も文字を打つ。
 脱稿。
 編集者に宣言通りの期日に送付。
 今回は予定通りのタイミングでテンションをつくれた。
 プロとしてやっていける感じが少しする。

サッカーは上半身

 週日に上半身の運動をしたからか、身体の切れはよく、2つ、納得できるプレイができたかな。
 途中から体力尽きてしまうのはしょうがない。
 サッカーは上半身だと知った日。
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 写真はテーピング、ケガしたわけではありません。