日: 2007年1月24日

20年ぶりの再会

 午前11時過ぎ、就寝。
 午後3時起床。シャワーを浴びてリハビリへ。
 今日のブックオフは、4冊で190円。
 なんだかだんだん安くなるなあ。ついにリハビリ代210円を下回った。
(もともと、この両者に金額的な関係はないので、比較してもしかたがないんだけど(笑))
 タクシーで東横イン桜木町へ。
 某大手半導体メーカーのエンジニアHさんと、20年ぶりの再会。
 AXという規格のパソコンのためのグラフィックチップを開発しているときに製造をお願いしていた。その会社の技術窓口がHさんだった。
 NECのPC9800が日本の標準で、MS-DOS。Windows はまだ 3.1 で、まったく使えないOSだったころの話だ。
 ちょうど僕が、NECからアスキーに転職して、最初のプロジェクトだった。
 NECでは開発部にパソコンが2台あっただけだが、アスキーにはひとり一台以上、パソコンがあった。
 インターネットはまだなくて、パソコン通信の時代。社外のメールは junet 。
 1986年の時点で、すでにアスキーの社内では電子メールをつかって仕事をしていた。
 アスキー社内のホストは VAX11 だった。演算速度1MIPS。これが VAX MIPS と呼ばれる演算速度の基準になる単位になったりした。
 いまのパソコンよりも1000倍遅いマシンを、社員全員で使っていたのだ。
 LSIの設計データのやりとりをするのに、Hさんの会社に専用の部屋を用意してもらい、電話回線を引いてもらって、そこにファイル受信用のパソコンを持ち込み、モデムを使って、自分のパソコンからファイルを送り込んだ。
 なにしろ、NECの開発部門ですら、50人に2台のパソコンしかなかったころの話だ。
 半導体LSIという最先端の分野でも、設計データを電子的にやりとりする環境はなかった。だから、自前でピアトゥピアの通信システムを構築してデータのやりとりをできるようにした。
 ただし、その部屋は無人だったため、データを送ると、Hさんに電話して、「データを送りました」と連絡する必要があった。電子メールなんてのは、仕事には使えないものだったのだ。
 たった20年前の電子立国日本の姿である。
 中華街まで歩いて、家庭料理系のお店でHさんと食事。
 なんと、1月24日にして、本年、最初の外のみ。
(Hさんはお酒を飲まない人なので、僕だけビール2本)
 午後10時半に帰宅。
 そこから、翌午前11時まで原稿書き。