(二輪ETC関連リンクや検索からいらっしゃった方、小説家・阿川大樹のサイトへようこそ)
意外に報道されていないけれど、すごいことになっている。
バイク用のETCの巨大な特需が起きているのだ。
バイクに乗るのは楽しいけれど、最大のストレスは、雨に降られることでも寒さでもなく、有料道路の料金所に並ぶことだ。
料金所でバイクを止め、グローブを外し、通行券を出して係員に渡し、ポケットを探して、お金を出し、おつりと領収書を受け取り、ポケットやバッグにしまい、再びグローブをして、ギアを入れ、走り出す。
自動車と比較して軽く二倍は時間がかかる。早くすませようとあわてて地面にグローブを落としたりすればさらに時間がかかる。
後ろに続いたドライバーの「ちぇ、早くしろよ」という舌打ちが聞こえてくるようだ。この針のむしろに座るような時間がいやなのだ。
バイクこそ、ETCの効果が大きい。料金割引なんか無くても、ETCにしたいと切に思うわけだ。
ところが、自動車のETCが数千円とか時には無料で取りつけられるのに対して、二輪用はもともと車載機の価格が高く、しかも、取りつけ料金も高い。実際の出費は機種によって2万5千円から5万円くらいかかるのだ。
毎日通勤で使っているのであればいざ知らず、月一ライダーには贅沢過ぎる。少々不便なことぐらい我慢しなさい、と自分に言い聞かせてきた。
(いや不便なのがいやなのではなく、後ろの人を待たせるのがいやなのだけど)
で、「地方の高速道路どこまで走っても1000円」政策の一環で、バイク用ETCに15570円の助成金が出ることになった。3月12日から31日までの申込み分がその対象だ。
実質12000円くらいからの費用で取り付けが可能になった。
これなら例の「給付金」でまかなえるではないか。
というわけで、市内某バイク店にてETC車載機を手に入れた。
ふだん暇な平日の真っ昼間、もともと事務的なことが得意ではなさそうな店長は続々やってくる客の対応に追われているばかりか、頻繁にかかってくる問い合わせ電話でパニックになっていた。
バイク用品の大手チェーン店では、休暇を取ってやってきたライダーが開店前に100人も並び、3月末までに取り付け可能な台数を一日の終わりを待たずに売り切ってしまったらしい。
四輪とちがって店ですべて取付までやらなければならないルールになっているため、3月末までの作業時間枠が埋まってしまえば、いくら在庫があっても助成金の対象にならない。どうやら、その時間枠が埋まってしまったらしい。
ここで申込みができなかった人も含め、小さなバイクショップには一日中問い合わせが殺到し、あっという間に日本中の機器の在庫とメカニックの作業時間が底をついてしまったというわけだ。
帰りにオートバックスへ立ち寄ったら、ここも平日なのに駐車場に自家用車がいっぱい駐まっていて、奥さん風の人たちがETCの申込みカウンターに群がっていた。取付がすむまで待っている人も多くて、週末並に売り場も混んでいた。(こちらは4輪の話)
もともとETCを付けたいと思っていた人の背中をうまく押したということのようです。
埼玉県のある人はバイクショップ20軒に電話してすべての店で売り切れ、または助成金申請用紙がなくなっているとネットで報告。大きい店はバックオーダー100台(開始二日目ですよ)、助成金が新年度にすぐに出ても、取付作業は3月どころか6月まではかかるだろうと。
平均客単価4万円(助成金の収入を含む)として、いままであった店舗にいきなり2日で500万円を売り上げるようなまったく新しい市場ができたわけですね。すごいなあ。
最近では、ブログを書く人など、書くこと自体を職業としていなくても、「書き手」が増えているから、pomeraみたいな道具は、もしかしたら、ものすごく需要があるのかもしれない。
一昔前、神話があった。
「タイプライターがふつうに使われる欧米と違って、日本人はキーボード操作が苦手である」という神話だ。
家電メーカーは、どうやらいまでも、どこかそう思っているふしがあって、テレビのリモコンにキーボードをつけないから、ビデオのタイトルを入れたりするのがすごくたいへんだったりする。
せっかく機械の能力としてはいろいろ便利になって編集能力やタイトル管理機能があったりするのに、文字入力のインターフェースが悪すぎるのだ。バカだよね。
USBでキーボードを挿せるようになっていれば、多くの家庭にあるキーボードで文字が簡単に入力できるというのに、50音の表の上をカーソル移動して文字を選ばせられる。
(せめて、携帯電話方式でテンキーで文字入力できればずっとまし)
実際は、いい道具さえあれば、それで文字を書きたくてしょうがない人はたくさんいるのかもしれない。
著述を直接職業としない人でも、実際、会社での仕事の多くは文書作成だし、仕事以外にも、ブログに日記を書いたり、自分史を書いたり、趣味で小説を書いたりする人はものすごくいるから、いまや「使いやすい文章入力ツール」があったら少々のお金を出しても手に入れたい人は意外に多いのかもしれない。
若い世代は、すでに携帯メールでコミュニケーションしながら育っているから、思いの丈を文字にする文化は、これからますます盛んになるだろう。
文房具屋さんの KING JIM が「電子鉛筆」として pomera を発売したのはひょっとしたら必然なのかもしれない。電気屋さんやパソコン屋さんこそが、キーボードやパソコンをいつまでも特別な存在と考えていたけど、ユーザーの方はとっくに書く道具として使いこなしていたのではないか。
pomera とその評判を見聞きしていると、そんな気がするのだ。
筆記用具だと思えば3時間しか使えないなんてあり得ないし、ネットにつながらないとダメだなんてことも別にない。そんなボールペンや鉛筆がどこにあるっていうんだ。
去年までに起きていたこと;
2008年3月期決算で、ホンダの売上は12兆円。営業利益8500億円。
7年連続で過去最高の売上高(前年比12%増)。
9ヶ月後の現在起きていること;
欧州の自動車販売は前年同月比26%減
http://www.news24.jp/125211.html
米国の自動車販売は前年同月比37%減
http://www.news24.jp/124325.html
中国も15%減。
http://www.asahi.com/business/update/1211/TKY200812110267.html
1年前に比べてドルは円に対して20%下落
http://finance.yahoo.com/q/bc?s=USDJPY=X&t=1y&l=on&z=l&q=l&c=USDEUR=X
ホンダの海外売上比率は 86.8% です。
つまり、世界で車の売れる台数が3割くらい減って、その上、同じ額でもドルで入ってくる売り上げ収入は円にすると1年前に比べて2割少ないことになります。
この傾向がこの先1年続くと、売上金額はドルベースで3割減、円換算で少なくとも4割減になります。
12兆円の売上が8兆円になり、何もせずに放っておけば、2兆円規模の赤字になります。
自動車産業にとって、ものすごーく厳しい経済状況です。
そして、自動車産業は1年前には日本の企業の中でまだまだ優等生だったのです。
たった9ヶ月で世の中ががらっと変わってしまいました。
いままでのようなゆっくりとした変化ではなく、過激な、構造的な、変化です。
日本そのものがピンチです。
企業からの税収は激減します。所得税も伸びません。
一方で、失業者は増え、高齢化はあいかわらず、医師も足りません。
消費税以外に財源はなくなります。(無駄遣いはなくすにしても)
この先、自動車産業が市場として復興することはないかもしれません。
おそらくいままでの雇用を守ることすらむずかしいでしょう。
まだまだある人手不足の産業に人を移動させる必要があります。
と同時に、新しい産業が起きて、雇用を吸収する必要があります。
午前8時過ぎ起床。クルマ通勤の妻に渋谷でドロップしてもらい、まずはマクドナルドでコーヒー(120円)……までは順調なスタートだった。
さあて、井の頭線で駒場へ向かおうかと思ったところで、気がつく。
昨日、スポーツクラブへ行くときに、図書館の入館証を出したままもってきていない。駒場へ行っても図書館が使えないのでは意味がない。
いやはや、朝から大マヌケ。
家までもどるとすでに昼前である。ほぼ午前中を無駄にしてしまった。
あらためて近所のスターバックスに出勤。
ブックカフェなのでちらりとクルマ雑誌などをみると、フォルクスワーゲンの専門誌などが一種ならずあって、内容を見ると妙にエンスーな感じが意外だった。
フォルクスワーゲンといえば名前からして国民車だし、ごくふつうの自動車だとしか思っていなかったのだけど、本の中ではなんだかスポーツカーみたいに扱われている。
僕らの世代でいうと、ブルーバードSSS、カローラレビン、スプリンタートレノ、みたいな感じの記事が満載。
まあ、たしかにフォルクスワーゲンのクルマには一貫したアイデンティティのようなものは感じる。
トヨタは車種をまたいで、あるいはモデルチェンジごとに、VWほどの統一感はない。
トヨタだと、大衆車カローラだっていまではけっこう立派なクルマになってしまって、代わりに下のクラスとしてヴィッツなんかを出してきたり。
そこには、若くて貧乏なうちには小さいクルマで、成功していく過程で、だんだんと大きいクルマにしていくという暗黙の前提があり、カローラからカローラに買い換えるときも前よりは大きく立派になり、できれば「いつかはクラウン」という終身雇用年功序列出世物語がモデルになっているところがあり、それがたしかに日本的なのかもしれない。
一方で、ヨーロッパのクルマは、お金があろうとなかろうと、目的と好みに応じて、それぞれ特徴のあるクルマを選んで乗る、そのためのバリエーションの提示として、メーカーやその車種展開があるように見える。
そうなればフォルクスワーゲンゴルフに乗る人がベンツに乗る人よりも死にやすくていいわけではないのは当たり前だけれど、日本メーカーのクルマでは、下位モデルでは安全装備が目立って貧弱で、ある意味、コンパクトなクルマや動力性能を求めないクルマに乗る人は、道路で命を張らなくてはならないように見えるのも確かだ。
日本の車社会もすでに成熟していて、クルマで人生のステータスを表現しようという発想はヤクザとごく一部の人たちのものになっている。
とりわけ若者にとって自動車はロマンの対象ではなく、移動の道具にしかみえていないようだし、そうなれば都市に暮らすなら「なにげにクルマなんてなくてもいんじゃね」ということで、僕らの頃には学生のうちに取得しておくのが当然のようだった運転免許すら、今の大学生はあまり取らなくなっているらしい。
中国でも景気が減速し、伸び盛りとされる新興国需要がまもなく一巡してしまうと、もう自動車産業は大きくは伸びることのない構造不況業種になっていく運命にあるようだ。
アメリカで自動車の売上が前年比30%も減ったなんてことは、世界史の上で一度もない。
つまり、いまは産業革命以来、最大級の不況であり、その影響はこれからますます大きくなるだろう。
実際、11月には、前年比40%減にまでなってしまった。GMは半減し、放っておけば半年後には確実に倒産する状態になっている。
いま生きている人が、「だれも一度も経験したことのない不況」になっている。
まだ黒字であるうちに人員削減を発表しているトヨタやキヤノンはさすがの先見性だといえる。
大きく長くなるであろう不況に向かって、人員削減であらかじめ自分を小さくしておくことは企業にとって必須だ。そうしなければトヨタだってキヤノンだってつぶれるかもしれないのだ。
こういうときに人員削減をする企業を「けしからん」となじっても始まらない。どこまでの会社が倒産するかまったく予断を許さないような不況の中で、トヨタもキヤノンもみな一斉に自分自身サバイバル状態なのだ。
全産業横断的に不況の嵐に突入するとき、職を失った人を救うことができるのは政府だけだ。だれも雇い手はいなくなるのだから。
大切なことがある。
弱者を守るために政府が対策をとるということは、弱者でない国民の負担を増やす必要があるということだ。
政府のお財布は国民の財布である。
このような大不況の中で、給料が20%減らされたくらいの人は弱者には入らない。職がある限り、弱者を守ってあげる側の人間であることを自覚しなくてはならない。
給料がちょっと減ったぐらいで弱者面して、政府を糾弾したり、大企業をなじったりしても何も解決にならない。(でも、新聞やテレビはそういう態度をとるだろうけどね)
未曾有の危機にあるのだ。だれか偉い人が答を知っていて、その人が現れればみんなが救われるなんてシナリオは成り立たない。みんなで答を見つけなければならない時代に入るのだ。
失業率が20%になったとき、職のある人が20%の収入源を受け入れれば、雇用は確保できる。
こういうときに生き残るのは「貧乏に強いライフスタイル」を身につけている人だと思う。
昨日、テレビを見ていたら横浜のドヤ街・寿町の「さなぎの食堂」というところが、コンビニの期限切れの弁当を無料で仕入れて再加工して、300円で立派な定食を出しているのを報道していた。
放送の中では、局側が、コンビニでは期限切れの2-4時間前に店頭から下げるので期限が切れているわけではないと強調していたけれど、実際に食堂で提供されるのは期限が切れた後であることも当然多いだろうし、食堂の方はそんなこと問題にしていないだろうし、最終的にお客さんに出す食品に責任が持てれば消費期限なんてどうでもいい。
もちろん期限なんて切れたって全然平気なわけだから、このアプローチはとってもエコでいいと思う。
日本で年間に捨てられる残飯は2300万トンだそうで、世界的な食糧危機の中で、そもそもあまり意味のない期限がちょっと切れたくらいで、それほどの量を捨ててしまうこと自体が人類にとっての犯罪だと僕は思っている。
だって、それだけの食料またはお金があれば、地球のどこかの何千万人という人が生き延びることができるのだ。
ちなみに、世界の食糧援助総量が750万トンだそうです。
日本の家庭から出る残飯だけでも金額に換算すると3.2兆円、日本全体では11兆円という数字もあります。(数字の根拠や妥当性について僕はまだ検証できていません)
さなぎの食堂の定食はコンビニ弁当からつくった痕跡などまったく見えないみごとなもので、ことの性質上、仕入れが安定しない中で創意工夫して出しているその知恵には敬服する。
僕も、あんまり収入がないクセに、近所で600-800円のランチを食べてしまうことがあり、身の丈から考えたら贅沢なので、運動がてら、自転車でさなぎ食堂までいってみてもいいかもしれないと思った。
青森では、林檎がヒョウの被害を受けてキズモノがたくさんできてしまっているらしい。
野菜や果物の外観というのも、あまり意味のないことで、外観の悪いものもちゃんと食べきろうという運動はもっと拡がって欲しいと思う。
*阿川大樹の長編小説
CNNによる出口調査の結果を見てみました。
http://edition.cnn.com/ELECTION/2008/results/polls/#USP00p1
黒人の95%がオバマに投票しています。
期日前投票に行列した(場所によっては6時間待ち)で投票したのもこの人たちでした。
その他の有色人種もオバマ。
でも、白人が75%を占めていて、55%がマケインです。
年収150万円以下では圧倒的にオバマです。
でも、高年収でもオバマとマケインは拮抗しています。
オバマは選挙活動資金が豊富で、多くは10ドル単位の個人献金です。政治資金が豊富=金持ちのための政治、という構造が今回のアメリカではまったく成り立たなかったことが顕著な歴史上の事件だと思います。
学歴では、大学院卒業と高校にいってない層でオバマが強い。
高学歴高収入と、最下層でオバマ支持、中間層はマケインとオバマは拮抗してます。
よく言われる民主党支持層がこれほど顕著に出ているのも象徴的です。
見方を変えると、白人でも高学歴や高収入の人はオバマ。そういう人は、東部各州やカリフォルニアに集中しています。
共和党の強い、あまり高学歴でない中部南部白人層(カントリーミュージックを聴く人たち)がマケイン。
高齢者はマケイン。
初めて投票した人の69%はオバマ。
日本も、選挙に行かないクセに被害者意識が強くて格差に文句を言う人が、もっと主体的に政治にかかわれば社会は変わると思うのに。
麻生首相が頻繁にホテルのバーに行っているということを、ぶらさがり取材をした北海道新聞の長谷川綾という記者が指摘した。
いわく「高額な店で毎晩飲食していて、庶民感覚からずれている」と。
麻生さんは、ホテルのバーや、(記者も知っている)麻布十番の店の名を挙げて、「高いところだとは思っていない」と答えた。
それを聞いたぶらさがりの時にいた多くのメディアが、麻生首相のネガティブキャンペーンのネタとして、「ホテルのバーは高くない」という首相の発言をきわめて恣意的に歪曲して一斉に取り上げた。
その尻馬に乗った民主党や社民党や共産党が、「国民が生活に苦しんでいるのに……」というコメントを発表した。
で、国民の方はどうしたか。
mixi のこのニュースへのコメントでは9割以上の人々が、
「ホテルは高くない」
「お金を持っている人が自分のサイフでどこへ行こうが問題ない」
「首相が居酒屋や焼鳥屋へSPや報道陣を引き連れて来たらかえってみんなの迷惑」
「一国の首相が、和民に通っているとしたら、そんな情けない国に住みたくない」
「金持ちには金を使ってもらわないと景気がよくならない」
「もっと大事なことがあるのにくだらないネガティブキャンペーンにはうんざり」
とメディアに批判的な反応をした。
一部の、ホテルのバーの値段を知らない人は、メディアの論調の通り「毎日高い店に出入りするなんて」と反応した。
ところが、そうしたコメントのほとんどには、他の人が「ホテルのバーは高くない」と、帝国ホテルやニューオータニのバーの値段表や、麻布十番「馬尻」のメニューの写真などを示して、事実関係を教えてあげていた。
ぶらさがり取材のやりとりの全文は、ネット上に文章で、あるいは you tube などの映像で参照でき、それを見た上で、麻生首相の行きつけの店の値段を知れば、メディアの報道がいかに事実を曲げているかということを誰でも、直接確かめることができる。
メディアの死が近づいている。
ネットコミュニティが健全な発展を示し始めている。
むろん、いつもそうではないけれど。
問題は、情報格差。
インターネットを使わず、新聞テレビだけを情報源としている人たちの中には、メディアの的外れな報道を真に受けてしまう人が少なからずいる。
7時20分に目覚ましをかけたつもりだった。
2時間遅れの起床午前9時20分。
午前11時、出発。一路、長野県大町温泉郷へ。
一番の難所は中央高速調布インターチェンジまで。高速に乗ってしまえばあとはほとんどそのまま渋滞なし。交通量は少ない。ガソリンが高くなったせいもあるのかな。
こちらは1980年代前半にリッター140-172円を経験しているので、いままでそれより安かった方が不思議な感じがして、特に驚かないんだけど。
体感的にここ最近、いくつかの品目で急に上がったというものの、過去20年間、あまり物価が上がっているという実感がないし、多くの品目で価格はむしろ下がっているので、現在辺りまでは「物価高にあえぐ」という印象はない。テレビではさんざん庶民に大打撃なんていうけど、全然、ピンと来ない。昔はもっとずっと生活苦しかったから。
(これ以上に上がると、そろそろ初体験ゾーンかもしれないけど)
サラリーマンをやっていたころの昼食代は、工場勤務の社員食堂時代は別にしても20年前でも800円くらいだった。そのころのガソリンはリッター150円くらい。
いまでは、コンビニ弁当があるので、500円でも可能だし、マクドナルドでよければ300円でもランチが可能。物価はまだそんなに高いという実感はありません。
タマゴも牛乳もほとんど上がっていません。
30年前、手取り10万円を切る初任給で風呂なしトイレ共同の8畳一間に暮らしていたときも、夕食を外食すると定食が600-800円だったから、今と同じようなものです。いまみたいにチェーンの居酒屋はあまりなかったので、飲み代ももっと高かった。
高速道路はスイスイ走るととても楽しいので、ガソリン高騰も悪くない。
いままで無駄に走っていたところが節約されるようになるでしょう。宅配便だって、ほとんどの場合、別に1日で届かなくたっていいじゃない。
無駄に急いで無駄にエネルギー消費していたのを改めるいい機会だと思います。
と、そんなわけで、午後4時、大町温泉郷の旅館「緑翠亭 景水」に到着。
和風の温泉旅館は久しぶり。
窓側が外の景色の見えるお風呂になっている。24時間お湯が満たされている浴槽は信楽焼。
夕食の料理は板長さんの創意工夫が表現された味も見かけもすばらしいもの。
難をいえば、量が多すぎるってことかな。こりゃあ太りそうだ。
人というのは、未知のものを見るときに、何か知っているものと同じものを発見し、まず最初にそこから類推して仮説を立てる。こういう場所はおそらくこうであろう、という具合に。
この方法は十分に経験を積んでいる人なら多くの場合、それほど精度は悪くない。
ただ、あくまでも経験を基準にする以上、経験したことのないものがあれば類推は困難になるし、群盲象を語るようにサンプル地点がちがうことで結論が変わることもある。
時間として53年間生きてきているし、地理的にアメリカには60回くらい、その他の国や地域にも15ヶ国くらい行ったことがあるから、僕はそれほど世間知らずではないと思うけれど、コザはまったく想像を超えている。
一言でいえば、平準化されていないために、ある測定結果をもとに延長線上に類推することがほとんどできないのだ。
週末と平日でまったく異なる町になる。夜と昼とも全然ちがう。店の構えと中がちがう。夜でも、午後10時と午前2時は全然ちがう。
見た目は、きわめてさびれている。都会と比べれば特にその差は大きい。
都会なら看板のペンキが剥がれて読めなくなっている店はふつうまったく期待できないが、コザでは外装と店の満足度はほとんど独立していて無関係だ。なので、看板や外装で判断すれば、コザはただのさびれた活気のない町にしかみえない。
週末だけオープンする店が有り、その店が特別なにぎわいをもつ。
看板もボロいし、平日にどの時刻に通りかかってもつぶれて営業していない店に見えるだろう。営業している時刻に店の前に立っても掠れた看板に照明が当てられている程度で、まあ、それほど見栄えはかわらないかもしれない。
だが、金曜の午後11時から午前2時にその店に行けば、チャージなしドリンク500円で、世界でも一流のロックを聴くことができて、アメリカ兵も日本人も入り乱れて熱狂している。
午前1時にオープンし、午前2時からライブが始まって午前5時までそれが続き、ずっと満員の店がある。昼間はもちろん、午後10時に前を通っても、ただのつぶれた店にしか見えない。実際、僕は4年間もその店は営業していないと思っていた。
たいていは午前0時に開くが開かないこともあるバーがある。
何もないときはただ無愛想な店主が飲み物を出しているだけである。
平日でも午後2時を過ぎると、カウンターに数人の客が並ぶことがあり、そのほとんどがプロのミュージシャンだったりする。それだけならそういう客層であるというだけだ。
が、そこにアメリカ人がやって来て、壁のギターを弾いてもいいかと言いだす。
彼は軽くつま弾き始め、やがてちょっと歌い出す。
ライブハウスでもないのに、その店にはギターが3本あり、時には客がギターを携えて来店している。歌い始めたアメリカ人にカウンターの客が合わせる。代わる代わる全員がギターを持ちかえてセッションになる。
ひとしきり終わってから、自己紹介をする。
そのアメリカ人のことをだれも知らないがミュージシャンだというので、店のパソコンで検索してみると、全米でCDを500万枚売っているグループのボーカルだとわかる。彼に加わってセッションをした客はみなプロのギタリストだから、500万枚アーチストよりももちろんギターが旨い。
口には出さないがビックリして帰ったはずだ。
別な店では、カウンターの日本人客が、黒人兵にブルースギターの弾き方を教えているのを見たこともある。
たぶん、そんな町は日本のどこにもない。
コザはどこにも似ていないから、いろいろ類推するのがほとんど不可能だ。見た目はただのシャッター街で、実際、空き店舗も多いのだけれど、見た目からは絶対空き店舗だとしか見えないけれど、実は営業している店もたくさんあり、中ではそんなことが起きているのだ。
貸店舗を返すときに原状復帰をしないみたいだから、多くの空き店舗にも看板が掲げられている。営業している店でも造作にほとんどお金をかけない。突然の夜逃げの店もある。
ようするに、店が閉まっているときに、空き店舗かどうかを判断する方法がまったくない。確かめたかったら2週間くらいにわたって昼間や深夜や早朝など色々な時刻に定点観測してみる必要がある。
これほど外観で判断できない町も珍しい。
だからこそ探検が楽しいし、町はアドベンチャーに満ちている。
その上、それによって発見できるもののクオリティがとても高いから、コザという町はものすごく魅力的なのだ。