月別: 2006年7月

ノートパソコンでカフェ・ホッピング

 昼間はこつこつと小説。
 午後、いつもの高島町の Blenz Coffee で執筆。夕方近くになって中華街の Blenz Coffee まで移動してつづき。
 午後7時過ぎ、20年来の古い飲み友達と合流して「金陵」で飲む。
 焼き豚が美味しかった。他も美味しかったけど。
 最近、朝起きたときに背中が痛い。胆嚢ポリープの検査を久しぶりにした方がいいかもしれない。

代官山

 予定よりもかなり早く午後の用事が終了。すでに自宅からお散歩圏内なのだが、自宅へは寄らず馬車道駅からみなとみらい線に乗り、そのまま各駅停車で読書しながら代官山へ。
 6時の約束までにはかなり余裕があるので、久々に明るい代官山の町を散歩。
 ピーコックで物価調査したり、不動産やで物件を見たり、小説の取材のようなもの。ピーコックはいいものがあるけどやはり高い、HACドラッグはふつうに安い。(いつも使っている歯ブラシが安かったので購入)
 歩いている人がモノマネでないそれぞれのセンスでオシャレをしているところがこの町のいいところ。公園では写真学校の学生っぽい女の子が、マニュアルのフィルムカメラで友だちを撮っている。
 いわゆるインタナショナルブランドではないクリエイティブな洋服もたくさん売られているし、人々が美しくて気持ちがいい。
 静かだし、エスプレッソバーも、いいワインを売っている店も、きれいな花屋もあって、お金があって汚いものを見ないで暮らすにはいい町だと思う。
 僕が高校生の頃、マリオンクレープがなくて竹の子族が発生する前の、大衆化低年齢化以前の原宿がこんな感じだったな。
 1時間ほど歩き回った午後5時、駅近くのオープンカフェに入り、コーヒーを飲みながら原稿書き。
 ただし sign というこの店のコーヒーカップは、きれいなデザインだけど手に持ちにくいし口当たりも飲みにくい、猪口才(ちょこざい)でスカした「ダメデザイン」の典型。こういう虚仮威し(こけおどし)もまた、代官山という町の特徴だ。
 形だけでなく、本当に上質なものだけの町ができるには、もっと歴史がいるし、日本という国の国民性も変わらないとなのだと思う。ファッション雑誌が「お洒落な町」と煽っているうちは、形だけの文化が駆逐されることはない。
 でも、きれいであろうとする意志、というのはとても大事なので、こうして多少上滑りすることも許したい。少なくとも、他人によって確立された高価な「高級ブランド」や、みなと同じファッションをいっせいに追いかけているだけなのよりはずっといいと思う。この町には総じて、いろいろな意味で自分を際立たせたいという人たちの意志が感じられる。
 店のウエイトレスはひとりは宮里藍に、もうひとりは知り合いの「鮭子」さん(もちろんニックネーム)に似ている。そういえば、先週立ち寄った新橋のスペイン風立ち飲み屋のカウンターには「らら美」さん(同上:京都在住の元作家)にそっくりな人が入っていたっけ。
 客のうち何人かは、人に見られる職業(モデルとか女優とか)らしく、僕が視線を止めるとそれを鋭敏に感じとって向こうもこちらを見る。
 他にも美貌を職業にしているらしき女性(たぶん近くのマンションに住んでいる愛人)が年齢のバランスの違う男性と向かい合ってケーキを食べている。ただし、新橋から銀座七丁目あたりの夕方のように、女性はホステスではなさそうだし、男性は上場会社管理職でもなさそう。
 ところで白金に住む人をシロガネーゼなどというけど、代官山に住む人はなんていうのだろう。僕が命名するならダイカニアン? つい最近、白金から白金に引っ越した作家仲間・山田あかねさんに聞いてみたら知ってるかな。(笑)
 ちなみにダルタニアンはアレクサンドル・デュマの「三銃士」の主人公。「101匹わんちゃん」はダルメシアン。ファルナンド・マルコス大統領とイメルダ夫人がいたのはマカラニアン宮殿。(関係ないけど)
 徒歩で恵比寿へ出て、飲んで帰る。

小型船舶操縦士免許更新

 小型船舶操縦士の5年ごとの更新のために、本牧の船舶職員養成機関へ。
 裸眼で視力ぎりぎりだけど、あてずっぽうがよく当たって(笑)身体検査も無事通過。乱視が進んでいるので、Cの字が十分小さいとふたつ並んで見えるので、なんとか読めるのだ。
 船員生協の食堂で冷やし天ぷらそば(450円)を食べてから講習を受ける。30分の講義と30分のビデオ教材。合計一時間で講習は終了。(身体検査と講習で3980円)
 平成15年の法改正で、いろいろ簡略化されている。行政改革。
 ふつうに手続きすると海事代理士(国土交通省の船舶関係専門の行政書士のようなもの)に依頼して新しい免許が代理申請されて自宅に郵送されてくるのだけれど、実は更新講習修了証をもって自分で国土交通省運輸局ヘ行くと手数料がかからない上に即日交付。
 というわけで、市営バスで横浜駅までもどる途中の横浜第二合同庁舎へ。
 庁内の郵便局で1350円の収入印紙を買って申請書に貼り付け、OCRの申請用紙に鉛筆書きで住所氏名を書いて写真と本籍地入りの住民票をつけて出すと、わずか10分ほどで、新しい免許証交付。

にわか独身

 午前9時過ぎ、妻が出かけるので、駐車場まで荷物を運んで送り出す。
 知り合いの方の別荘へしばらく泊まり込みらしい。
 午後、雨の上がった時間を狙って、みなとみらい方面へ散歩。銀行ATMをまわったり、100円ショップへ寄ったり。
 横浜駅西口へ出てヨドバシカメラで、写真をプリントする用紙、512MBのメモリなどを購入。
 にわか独身なので、焼鳥屋に立ち寄ってビール1本ヤキトリ4本で1100円也。
 帰宅後、さっそくメモリをPCに挿す。無事1GBになった。少し起動が早くなったかな、という程度。
 CPUクーラーを交換して静かになり、当面の不満がなくなったので、当分このマシンを使う覚悟を決めたのだ。Celeron 2.6GHz で執筆には十分。Gyao が少しギクシャクするのは、どうやらオンボードVGAでは少し力不足の模様。(CPUでもメモリでもないようだ)

チェルノブイリ

 雨降りだが久しぶりに涼しくて、昼間はクーラーがいらなかった。
 プロットから本文書き起こしの準備(こちらはわりと機械的作業)をしながら、ディスカバリーチャンネルで録画したチェルノブイリのドキュメンタリーを見ようとしたら、字幕だったので、ながら作業ができなかった。(笑)
 このフィルムは大正解で、確実に小説1本分のインスピレーションを得た。
 それとは別にデュマの「モンテクリスト伯」について、物語性の絞殺、いや、考察。
 (最近学習させたつもりはないのに、どうして絞殺が先に出てくるのだ。これもミステリーのネタになるかも)
 夕方からは湿気がヒドイので冷房をかける。
 本日は、アイデアに富んだ日だった。

思索的に暮らす試み

 小説を書くのは体力勝負の面と心のコンディション作りの両面があるので、そのあたりのマネージメントをかけだし作家としてはうまくやって、来るべき売れっ子(笑)の時にガンガン書ける人になる方法を身につけておかなくてはなりません。
 先のことはそういうふうになってから心配せよ、というご意見もあろうと思いますが。(笑)
 で、17日海の日は世間は休日ながら、心のコンディショニングの日と位置づけ、「思索的にすごそう」と決めたのだった。
 で、本を読んだり、考えごとをしたり、もの思いに耽ったり。
 体を動かす運動だけはしたかったけれど、あいにく雨降りで、静かな一日。

掃除と花火

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 朝食前の午前9時過ぎ、運動がてら自転車でまたしても山下公園まで。
 花火大会なので、人々が場所取りをしている。
 我が家は自宅のバルコニーから見えるので、場所取りがいらない。
 そのために高額な家賃を払っているようなものなので、花火の優先順位はかなり高く、ヨットもお休み。フットサルには出ようと思っていたが、準備に手間取り、ドタキャン。
 結局、花火のための一日になった。(もちろんそれでかまわない)
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 こういっちゃなんだが、我が家ではあまり掃除をしない。
 しかし花火である。人が来る。つまり掃除をしなければならない。
 というわけで、自宅に人を呼ぶと掃除せざるを得ないので、ちょうどいいわけだ。
 昼の間、風がなくて上空に煙が停滞しそうで心配していたが、適度な風で煙は運び去られ、花火には絶好の夜になった。
 日本人に生まれてよかった。花火を見るといつもそう思う。

炊けてない!

 炊飯器をセットして、米が炊きあがるまで自転車で山下公園まで。
 さあ、帰って夕食だ、と思ったら、どうやらスイッチを入れ忘れていたらしい。
 マヌケ!
 暑さのせいにしておこう。認知症ではない……と思う。

暑さになんて負けないぞ(笑)

 エッセイを書き上げて送信。
 プロットが第一関門を通過したので、そろそろ執筆準備に入っておこうかな。
 その前に、切替。
 暑さに負けないために、敢えて、暑い中、運動しに出てみる。この暑さ、逃げていると克服できるってわけでもないので、正面から暑さに負けない体づくりも必要な気がする。

テクノロジーの保つ旧交

 20年ほど前からオンラインで知り合った人たち。
 その中には、いっしょに遊んだり、いっしょに仕事をしたり、かなり親密につきあうようになった人もたくさんいて、いまではむしろ、交友範囲の大きな部分になっているし、お互いの人生にも影響を与え合ったりもしている関係だったり。
 そういう人たちとは、たとえ直接会う機会は少なくても、互いに日記を読んだりネット上で意見交換をしたり、親戚や会社の同僚なんかよりも、よっぽど互いのことをよく知っているなんてことも珍しくない。
 昨晩も、そんな人と会った。関西から仕事で出てきていたのだ。
 20年ほどのつきあいがあるのに、会った回数はそれほどでもなく、それでもなんとなくつかずはなれず互いの近況を把握している。そんな関係のひとりだ。
「最後にあったのは10年以上前だよねえ」
「**さんの結婚パーティの時だから」
 ……なんて話から始まって、仕事の話をしたりヨットの話をしたり(彼はかつて有名なレース艇のメンバーだった)。
 経済小説「も」書いている人間としては、いろいろな業界の人の話を聞くのもとても楽しい。もちろん小説家にとってはどんなことも芸の肥やしだからあらゆる話が自動的に取材みたいなものでもある。
 
 会う機会があまりない、という意味では細いつきあいなのだけれど、お互いのことを結構知っているという意味では、その年月の長さも含めて、けっこう太いつきあいのようにも思う。
 彼を待つ間、新橋で新しく見つけた「バル・ビエン」(カタカナでしか書いていないからわからないけれど、スペイン語で「よいバー」という意味だろう、多分)というスペイン風立ち飲み屋で、サラリーマンらしい人たちの会話をきいて、あまりの内容の無さと理想の低さについ小さく腹を立てていたのだけれど、彼と話をしたらそんなこともすっかり吹き飛んでしまった。
 コンピュータと通信というテクノロジーが、こうして新しい人間関係のあり方をつくっている、ということに、技術者だった僕はけっこう誇りを持っていたりもする。
 この日記を携帯から読んでいるはずの母にしても、いっしょに住んでいた頃よりも今の方が、息子の暮らしぶりや考えていることをよくわかっているんじゃないかな。