友人の紹介により、お茶の水で、トライベッカ映画祭観客賞の “The Cats of Mirikitani”の内輪の試写会にお邪魔する。
ニューヨークのホームレスで日系アメリカ人の画家 Jimmy Mirikitani を追いかけたドキュメンタリー映画。
戦争中、敵性外国人収容所 Internment Camp に収容された Jimmy と、この映画の監督である Linda Hattendorf の心の交流と、Jimmy から溢れ出る、歴史と人間性が淡々と伝えられる秀作。
広島の原爆で身内を失い、収容所でも家族や友人を失った Jimmy は、ニューヨークの街頭で画を描いて売っているホームレスだった。
9.11のテロをきっかけに、彼は Linda の家に居候する。
Lindaは彼のパスポートを復活させ、Social Security の援助を受けさせようとするが、ひょうひょうと生きている彼は、はじめのうちそれを拒む。
しかし、彼女が生き別れになっていた姉を見つけ出して電話口で話しをさせるなど、彼との静かな交流を通じて、社会/国との書類上の接点をも再生させ、福祉アパートに住まわせるようにうながしていく。
その過程で、Jimmy Mirikitani の魅力がスクリーンのこちらにも伝わってくる。
「10時半には帰ってくると行ったのに帰りが遅いから心配したじゃないか」
と、Jimmy が娘を心配する父親のように Linda に向かって怒る場面が出色。
この種のドキュメンタリーをもし日本のテレビ局がつくったなら、感情を押しつけ価値観を押しつけるナレーションがたくさん入ってしまうだろう。だけれど、このフィルムでは、登場する人物の会話だけで語られている。
たとえば、生き別れの姉と再会したというのに、そのシーンは本編には登場せず、ラストのスタッフロールの背景に出てくるだけなのだ。日本のテレビなら、これぞハイライトシーンという「感動の再会」としてベタベタに語られるにちがいない。
当然、監督 Linda は彼を撮影し始めたときに、彼女なりの「予感」あるいは「予断」を抱いていたはずだ。
が、彼と真摯につきあううちに、Jimmy をきちんと自分の目で再発見し、新たに見つけた彼の魅力を忌憚なく映像に捉えていっている。
彼の背後にある、日米の歴史はあくまでも彼の言葉に留まり、監督によって過度にブーストされることもない。
つまり、被写体とカメラがきわめてフェアな1対1の関係を築いている。
Jimmy の言葉をどう受け止めるかは、スクリーンのこちら側にいる我々に委ねられている。
スそれゆえに、思想や知識ではなく、自然な共感が生まれてくる。
無駄のない74分だ。
(おそらく、編集で、何をとり、何を捨てるか、大きな選択をたくさんしただろうし、すごく苦しんだのではないかと思う)
きわめて個人的な収穫についても併せて書いておく。
すでに書き上げた日系アメリカ人女性ジャーナリストを主人公として、ペルーを舞台にした小説(未刊)で、日系ペルー人の来歴を調べた際、テキサス州にある Crystal City という収容所に行き当たった。その場所は少し特殊なのだが、このフィルムでも少しだけ触れられている。
また、新宿のホームレス、サンフランシスコのダウンタウンのホームレス、を扱った短編も書いたことがある。
ホームレスと、日系外国人、というライフワークの予感のある分野をもっている阿川としては、偶然のこととはいえ、資料的にも大きな収穫があった。
試写終了後、軽いレセプションがあり、この映画の Co-Producer である Masa さんと話しをすることもできた。
会場を辞去した後は、もうひとつのライフワーク「沖縄」にちなんだわけではないが、御茶ノ水駅近くの沖縄料理店で食事をして帰宅。
久しぶりに飲んだ「菊の露」(泡盛)がなつかしい味。
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