月別: 2006年10月

太極拳、恐るべし

 今週は忘れずに太極拳。これで3回目。
 動きはわかってきたようなそうでないような。(笑)
 90分のクラスなのだけれど、そのあいだほぼ膝を少し曲げ、腰をごくわずか折った姿勢でいるわけだ。
 ところがやがて腿や腰の筋肉を使っているという意識がなくなる。
 筋肉を使っていないのに、自分の頭が地上1.5mのところに存在している。つまり、身体が宙に浮いているような感じなのだ。
 不思議な体験。
 心とか意識とかいうものは、肉体と別の存在ではなく、肉体とともに存在しているらしい。
 90分の終わりに、全員で整理体操のようなことをするのだが、50人ほどの人が一斉に同じ動きをしているのに、空気が動かない。空気を切り裂くのではなく腕の動く先の空気を腕に取り込んで後ろに吐き出しているというか、空気の分子が身体をすり抜けているような感じ。
 別にみんな達人ではなく、そこいらのふつうのじいちゃんばあちゃんたちなんですよ。
 スピリチュアルな説明は全然なくて、ただただ動きをまねているだけなのに、心のありようが変わっている。太極拳、恐るべし。
 中華街の龍仙(馬さんの店)の支店が三ツ沢上町の駅のすぐそばにあるので、終了後は、そこでランチ。600円なのに、めちゃうま。
 午後4時、帰宅。
 二時間ほどして身体の疲れが取れてみると心身快調。

ひきこもり

 ただ、執筆。
 集中力、いまいち。
「明日は太極拳ですよ」
 先週、行きそびれたという日記を書いたら、ひとり暮らしの母が、メールをよこした。
 親ってありがたいなあ。(と、ここに書いて礼を言っておく)

またしてもヨットもお休み

 残り50枚と思ってからどんどん長くなって、ゴールが逃げる。
 編集者が催促してこないのが不気味。
 人生の優先度相当高いにもかかわらず、ヨットも休み。
 夕方、みなとみらいへジョギング。日曜日の人出。
 足が弱っているよなあ。ゆっくり身体作りしたいなあ。

書く、書く、ナップスター

 身体がどんより血流が悪い感じなので、やはり午後4時ごろから、散歩。
 Blenz Coffee へ行ったら混んでいるので、結局、また Tully’s へ。
 途中、100円マック外で立ち食い。
 かつて違法コピー流通の担い手だったナップスターがちゃんとした音楽配信会社になって、日本でも定額制の配信サイトをオープン。で、7日間の無料お試しに入ってみた。仕事のBGMにいいかなと。
 夜0時から1時あたりはストリームでは切れ切れで実用にならず。
 しかたなく、ダウンロード(スピード遅いけど)。
 洋楽が充実していて、探していると楽しい。新しい発見もある。
 毎月1280円で150万曲聴き放題は有線放送だと思えばいいかもしれません。
 ダウンロードだと196Kbpsなので、かなり音質もいい。
 いくらでもダウンロードできるけど、月額契約をやめるとライセンスが切れてすべて聴けなくなるという方式は合理的かも。
 ラジオでもテレビでも大人の音楽番組がないので、新しいアーチストが出ていてもそれを知る機会がなくなっているけれど、いわばアルバムごと全曲視聴できるシステムなので、CD選びにもいいかも。
 できれば、iPod と統合したいんだけどなあ。
 そんなわけで、ガーシュインの “Summertime” を20人くらいのアーチストで聞き比べたり、映画『The有頂天ホテル』の中で YOU が唄った “If My Friend Could See Me” を6人くらいのアーチスト聞き比べをしたり、しながら、明け方まで執筆。
 420枚を越えているけど、あと50枚で終わるかなあ。もう少し枚数が必要か。

執筆、執筆、執筆。

 て、四六時中書いているわけではない。
 書いている時間は限られているけど、その他のすべての時間が書く時間を産み出すため、書く時間の効率を上げるため、書く時間に書ける自分をつくるため。

履修科目不足問題 がんばれ高校生!

 必須科目である世界史(平成6年からそうなったそうです)などの科目を受験に集中するために履修させていなかった高校がたくさんあることがわかってきて、3年生の卒業資格がなくなるかもしれないと、騒ぎがどんどん大きくなっています。
 災害の犠牲者の如く、新しい報道があるたびにその数が増えているので、実数が把握できないけれど。
 ルールがある以上、世界史をやった上で大学に入る、というのが当たり前なのに、なんで楽しようとするんでしょうね。
 教育の場で楽してどうするんだろう。
 苦労していろいろ学ぶ場で楽したら自分が損するわけです。
 そんなに目先の楽をしたいなら大学行かなければもっと楽です。
 でも、大学自体が目的ではなく、将来を豊かにするために大学へ行くのだから、豊かになれない勉強の仕方で大学へ行くのはもったいない。
 世界史を勉強しなくても大学に入ればこっちのもの、というほど人生も社会も甘くありません。世界史を履修して大学に入った人と、そうでない人は、すでに入った時点で差があるわけだし、放っておけば、その差は時間とともにもっと開いていきます。
 長期的みて世界史を勉強しておいた方が明らかに得です。(他の科目でもそうですが)
 知識という「タネ」があると外部の刺激から「興味」が生まれます。興味をもつと自分からどんどん情報を吸収しようとするので、結果として、少しの知識があれば、なにかのきっかけで百倍にも千倍にもなる。増殖するんですね。
 ところがタネがないとピンと来ないから、話を聞いてもテレビを見ても「つまんねえ」でおしまい。
 高校程度の知識というのはそういうタネの役割をするわけで、もともと世界史でならった年号が役に立つわけじゃない。でも、ちゃんとタネとして役に立つ。でも、「つまんねえ」で終わってしまう人は、そう口にしたその瞬間に、受験に関係ない高校の勉強が「役に立つんだということに気づくチャンス」すら失ってしまう。
 タネがないところに雨が降っても芽は出ない。雨はいつ降るかわからないから、チャンスを逃さないためにはタネを蒔いておく必要がある。高校で学習する知識というのはそういうものです。
 高校の知識が長い人生の間の知識や経験の格差を産むことになります。
(だって、そのために高校へ行くのであって、大学へ行くためだけに高校があるわけじゃない)
 そもそもどんないい大学を出たところで、それまでに学んだことよりもその後に学ぶことの方が何十倍何百倍も多いわけです。だから大学に入るかどうか、あるいは、「どの大学」に入るかが問題なのではなくて、大学を出てから知識を自分で増殖させる能力があるかどうかが将来を決めるといってもいい。
 同じ大学を出ても、知識を増やす能力が低い人は実りのある人生を送るのに圧倒的に不利になる。ランクが低いと思われている大学の卒業生でも知識増殖能力が身についていれば豊かな人生を送る上でとても有利になります。
 みすみす不利な選択をするのが「世界史を履修しないで受験科目だけを勉強する」ということなのに、それを学校がルールを無視してまでやってしまうなんて。
 高校で学ばなくてもあとで必要になればいつでも自分で学ぶことはできます。必要だと自分で気づく限りは。
 気づくことができれば大丈夫。問題はありません。高校で学んだところで、そのなかの知識自体はそれだけで役に立つわけではないから、結局、あとで自分で学ぶ必要があることは同じです。
 ところが高校で学ぶような基礎的な知識がないために「自分に必要だ」ということすら気づかない危険が高くなってしまう。その結果、ある人は必要なことを学び、ある人は必要なのに必要だと気づくことなく学ばない、ということになる。
 こうして格差は拡がっていきます。
 学校が受験科目以外を学習させないということは、そういう潜在的負け組国民を増やしていることになる。生徒たちがとてもかわいそうです。
 
 先日まもなく出るという東大に関するある本の著者に会いました。
 彼が東大生について調査をした結果、東大生は、中学の時も高校の時も本をたくさん読んでいるというのです。
 本というのは受験参考書のことではなく、小説や新書やノンフィクションやエッセイや解説書や、いわゆる本屋にならんでいる普通の本のことです。当然、それらの本を読んでも入試問題が解けるようになるわけではありません。
 世間で「受験の勝者」のように思われている東大生ですが、彼らは受験に役立たない(と思われている)ことをたくさんしているということがデータとしてわかったというわけです。
 一部の会社や官僚組織でもないかぎり、東大を出ただけで出世するなんてことは事実に反した単なる都市伝説であって、現実の社会はそんなに甘くはありません。むしろいい大学(と世間で思われている大学)を出た人が沢山いる一流企業ほど長い目でみて、ちゃんと実力主義になっています。
 実力というのは結局のところ、「自分で知識や経験を増やすことのできる力」や「人が気づかないことに気づく力」「だれもやったことのないことに挑戦できる力」のことで、会社員であろうと、ラーメン店のオーナーであろうと、教えられたことだけしかできない人、というのは社会で生き延びていくのがむずかしい。
 少なくとも教えてもらった知識を自分で増やせる人でなくてはならない。
 知識を増やすにはタネが必要です。そのタネはあとで自分で勉強するより、学校で習う方がずっと楽だし、知っていることが多ければ、人生の楽しみも多くなります。たとえ授業中寝ていても耳に必ず残っている。そのことに大きな価値があるわけです。居眠りする授業すらないなんて、それはあまりにひどいことです。
 受験科目ではなくても、勉強しておかないと絶対に損です。
 高校世界史の知識があるだけで、テレビだって映画だってドラクエだって海外旅行だって、何倍も面白くなります。ニュース番組がバラエティ以上に面白く感じられたりします。
 生活の中で我慢しながら人の話を聞く時間が減って、わくわくする時間が増えます。受験に関係ないけど高校のカリキュラムに入っているような知識は、一生のあいだ、人生を百倍楽しむための魔法の薬みたいなものです。
 3月31日までに履修すればいいので、受験が終わってからでも、50分x70回(6時間の時間割で2週間)の時間は取れます
 大丈夫。
 騒ぎに巻き込まれてしまった高校生のみんな、がんばって勉強してくれ!

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太極拳。忘れる

 小説のこと以外、まったく頭になかったので火曜日が太極拳の日だったことをまったく忘れていた。
(それ以前に自分が生きているのが何曜日なのかがあまりわかっていなかったりするんだけど)
 少し前には体調が崩れてきたなあ、もうじき太極拳だから行けばよくなるだろう、それまでの辛抱だ、なんて思っていたのに、いざ、その日になったらスルーしてしまったというわけだ。
「しまった、1時から太極拳なのにもう3時!」
 なあんて一瞬あわてたりしたのだが、2時間過ぎていたのではなく26時間過ぎていたというわけ。
 そんなわけで身体はなんとなく重い。
 前日から目が痛いので、遠くを見るために散歩に出る。
 まず、ジャックモールのマクドナルドでランチ。
  (マックチキン100円+ハンバーガー80円+コーラS100円=280円)
 いつもの Blenz Coffee へ行くとレジに行列ができていたので、それならば2ブロックほどのところにある Tully’s へ。
 机が狭いけど、ここはここでとても静か。
 近所のタワーマンションの住人なのか、定年後とみられる男性が3人、それぞれひとりでコーヒーを飲みに来ている。
 午後8時前にスーパーに寄って半額になった惣菜などを買って帰宅。
 夜半からつづき、まずまずの進みだが、朝8時まで起きていたので、まだ生活時間がずれ始めている。

目が痛い

 前日ペースがよかったせいか、朝からずっと目が痛い。
 そんなこんなでペース上がらず。二日間の平均を取れば十分なパフォーマンスなので、明日がんばればいいな、と。
 しかし、急に寒いな。
 そろそろ短パンにTシャツでは不適切な服装という感じ。靴下ぐらいは履こうかな。
(短パンも真夏だと暑いから今どきならちょうどいい短パンというのもあるし、真夏はタンクトップだけどいまは半袖Tシャツとか、一応、衣替えしてるんですけど)
 ちなみに、顔の高さで24.6度、床から15センチの高さで22.5度でした。外気温は20度までいってないはず。

どんと進む

 立ち止まりの効果が出たのか、どんと進む。
 進むと楽しい。(たいていは苦しい(笑))
 ただし、調子がよかったので午前4時までやってしまった。

いったん立ち止まって

 数日前、370枚ほどのところまで書き上げた。
 そこで、ここのところ、3日ほどかけて、改めて頭からあらすじを抽出。まだ書いていないところを含めて、85枚ほどの「あらすじ」をいったん完成させる。
 目的は、
  1)つじつまが会わないところを洗い出しておくこと、
  2)残りの部分を書くにあたって勢いをつけるために展開をおさらいしておく、
  3)本格的な改稿の前に分量バランスやテンポなどを確認しておく、   など。
 ここから約100枚ほど書いて第ゼロ稿として、そこから改稿に入るという手順。
 これを含めて、もう1タイトル出版が決まっていながら未完成の書き下ろしがあるので、なんとなくどんよりとしたプレッシャーだ。少し前まで、だれにも頼まれもしない原稿を書いていたのだからして、こういうのにまだ心が慣れていないのだ。ありがたいことだけど。
 小説家の場合、忙しくても猫の手は借りられないので、自分でやるしかない。