月別: 2006年11月

沖縄7日目

 午前9時前、自然に目覚める。
 とりあえずバス停まで行って空港行きのバスの時刻を調べる。
 那覇地域に「ゆいレール」(モノレール)開通したせいで、コザから高速道路経由で空港へ行くバス路線がなくなっている。これは不便。
 部屋にもどってコーヒーだけ飲む。
 同宿者はいつのまにか若い女性4人になっている。彼女たちは昨日宜野湾であったという全員オレンジレンジのライブを聴きに来たらしい。
 僕はオレンジレンジの顔も歌も知らないのだけれど、コザ出身の彼らは地元でのライブを定期的にやっている。次は大晦日。前述のプロデューサーT氏はもちろんその関係者である。
 午前10時過ぎ、チェックアウト。
 午前10時20分ごろ胡屋からバスに乗る。午前11時10分、那覇の沖縄県庁前で下車。
 那覇国際通りの基点にある「パレット久茂地」1階のモスバーガーでブランチ。
 翻訳家Nさんの沖縄の仕事場が近くにあるはずだが、今回はニアミスのみ。
 11時45分、ゆいレールで空港へ向かう。
 ホームへ出るとちょうど空港行きが停車していて、窓から顔を出していた運転士はなんとすごく華奢な安室奈美恵顔の女性。かっこいい!
(安室奈美恵は別に好きじゃないけどさ)
(そういえば、先日、自宅に宅急便を届けに来たのもアイドル風の女の子だったなあ)
 売店で「さーたあんだぎー」を買って機上の人となる。

沖縄6日目

 午前9時頃起床。
 お、今日の朝食は、ポーク(SPAM)とトーストだ。
 室内で21度。時々雨がぱらつく、肌寒い天気。
 午前中、体調のチェックを兼ねて1時間ほどジョギング。小説にも登場する歓楽街「中の町」の朝のようすなどを確認。
 小説を書くというのはそこに居る人の生活を書くことでもあるので、朝昼夜週末平日雨晴れ曇りのようすを知りたくなるわけだ。
 ジョギングしてみると身体は重くて固く、筋肉も循環器系も、やはりあまり調子がよくない。
 小雨の中、屋上でストレッチするが、それもあまり強くはできない感じ。
 精神状態はいいがフィジカルコンディションはよくない。マッサージでも受けたいなあ。
 昼食はコザ食堂で沖縄ソバ(400円)。ソバの味はそこそこなんだけど、ここのオバちゃんがいい味出している。前回、サイフを忘れたせいだろう。ちゃんと僕の顔を覚えてくれていた。この手は使えるなあ。(笑)
 町で楽しく暮らすコツは町の人に顔を覚えてもらうことだけど、黙って5回通うより、1回目でサイフ忘れればすぐに覚えてもらえるわけだ。
(ただし、「またくるよ」と行って別れて、ちゃんとすぐにもう一度行くこと)
 コザクラでLANを借りてメールの読み書き。帰る頃になると仕事関連でいろいろなメールが入ってくる。
 夕食はリンリンでトンカツ定食(ボリュームたっぷり600円)を食べていると、イベントプロデューサーで観光協会副会長のTさんが入ってきて、横浜のイベントについて話をする。
 リンリンで食事をするのもこれが最後。オーナー夫婦と握手して別れる。
 まだ飲み始めるには時間が早いので宿に戻って執筆。
 午後8時ごろ、コザクラへ。
 店の常連である地元の医師と、医療システム、とりわけ医療関係者の労働環境について。
 某ホテル専務Mがまたしてもやってきて観光産業について。
 そこへコンテスト受賞5回の琉球紅型染・金城宏次(37)が合流。
(金城宏次は1月の出版記念パーティの引き出物の作者)
 酒を控えるため午後10時まではコーヒーを飲んでいたのだけれど、そこからビールと島酒2杯。(宏次のおごり)
 宏次は5月に東京に来たときに連れて行った新宿ゴールデン街がいたく気に入ったらしく、また東京にいったら行きたいと連呼。
 午後1時、宏次とゲート通りへ出たら水漏れで営業していなかったPEGが開いている。
 照喜名薫はホテルでのライブを終えてもどってきて店を開けたばかりだった。
 雨が降って寒いコザの町の人通りは少なく、他に客はいない。
 というわけで、ロックギタリストと革新的伝統工芸作家と駆け出し推理作家の3人で作品作り談義。(最初はエロ話してたはずなんだけど、どこからそうなったんだろう)
 ビールと島酒1杯。(これも宏次のおごり)
 午前3時、宏次はSHUNに移動していき、午前4時まで、ギター談義。
 コザ最後の夜、雨は上がっていた。

沖縄5日目

 午前8時すぎ起床。
 昼食はミッキー食堂、ふーちゃんぷる。(500円)
 野菜がたくさん入っているのでがんばって完食。
 屋上で少しストレッチ。身体が重いなあ。
 午後7時、カフェバー・コザクラにてFMコザのラジオ番組「エロかしましコザクラ」の収録。ゲストで参加。
 一緒に参加したのは玉城満さん(笑築過激団座長 沖縄市民小劇場あしびなー館長)、ロックの歌姫リーミーさん他。
 20分3本。Pod Cast でも配信されるらしい。
 終了後、入れ替わりに音楽プロデューサーのTさん、某ホテル専務Mさんが来て、地域振興のあれやこれやについてゆんたく。
 収録中の島酒(二杯)はギャラ代わりということでご馳走になり、生ビールとガーリックポテト(味も量もGOOD)と追加の島酒で1300円。
 午後10時半、オーシャンへ。
 ギタリストのタラちゃんと大型免許再取得中のKさん(ふたりとも『覇権の標的』の読者でもある)、それに店主のシンガーソングライターのヤッシーとでゆんたく。
 カウンターのふたりが帰り、僕はたったっひとりの客。閉店時間過ぎて0時過ぎまであれやこれや。島酒300円。
 午前1時前には部屋にもどっていた。コザ旅行中、最も早い帰宅。それにしても飲み屋滞在時間5時間で、いちばん短いコザの暮らしって……。(笑)
 まあ、それが旅の目的である芸の肥やしだから、ここでしかできないことはきっちりしておかないと。
 でも酒は最小限にしよう。

沖縄4日目

 午前9時すぎ起床。
 目覚ましもかけたのだが、そのまえにジェット戦闘機の騒音で目覚めた。
 まごうことなき米軍基地の町。僕のいる部屋は基地のゲートまで歩いて5分だ。
 ジェット機の音をバックに、三線の音。
 コザに滞在するのは4度目で滞在日数合計20日以上になる。ずっと基地の近くにいるわけだけど、かなりの轟音でも基地の騒音を不快に思うことはほとんどない。町にふつうに兵隊がいて、彼らの日常とこちらの日常とが共存しているし、交流もある。すでにアメリカの兵隊はこの町の住人という感じがする。いて欲しくない人々ではなく、コミュニティの一員だと感じる。
 所詮、僕が短期の滞在者だからなのかもしれない。軽々しくこういうことを言うべきではないかもしれない。地域の事情、個人の事情はさまざまでひとことでは語れない。
 しかし、少なくとも基地があることでこのコザという町が輝きをもっていることだけは確かなのだ。経済だけでなく、独特の文化ができてこの町を文化的にも豊かにした。
 この町の文化は日本中に誇ることができる。戦後60年かかって、アメリカと沖縄が接触してできた素晴らしい文化。
 朝起きて午前11時までに、ジェット機の音がしたのは50回以上。三線の音もずっとしている。どちらもこの町の音だ。
 僕じゃなくて選択は当事者である沖縄の人が決めることだけれど、嘉手納基地がなくなってしまったら、コザという町に限っていえば、ここがお金も魅力もない町になることだけは確かだと思う。
 人を殺す道具である灰色の戦闘機の映像をテレビで見るとゴロゴロジャリジャリと口に中に違和感を覚えるけれど、この町の路上に立って酔っぱらって天衣無縫(英語で言えば crazy )に楽しんでいる兵隊をみれば、むしろ彼らを可愛いと思うし、同じ人間だと感じる。
 軍隊は固い武器の塊であると同時に、やわらかい人間の塊でもある。どちらを見るかで見え方はまるでちがう。
 たしかに、琉球王朝から現代にいたるまで沖縄には屈辱的歴史もあった。日本からもアメリカからも、沖縄はひどい扱いを受けた。
 けれど、どっこい沖縄の人だってたくましい。交わるところは交わり、自分たちを失わず、ちゃんと米軍基地という「環境」を自分のものにしている。
 本土の人が新聞やテレビで見聞きして想像するように、騒音に耳を塞いでじっと苦痛を堪え忍んでいるわけじゃないし、米軍が落とすお金にへつらっているわけでもないさあ。
(マクロには沖縄は「援助」「補償」に大きく依存しているのだけれど)
 昼食はミッキー食堂でタコライス。(500円)
 ミッキー食堂は以前はゲート通りの胡屋十字路近くにあり、カウンターの高さもアメリカサイズだったけれど、交差点付近の再開発で中央パークアベニューに移った。量はあいかわらずアメリカンだけれど椅子の高さはジャパニーズにかわった。
 デイゴホテルで入浴。(500円)
 夕食はリンリンで沖縄ソバ。(500円)
 午後8時に目がけてうるま市にある宮永英一の「鼓響館」へ。(バス代250円)
 一年ぶりにCHIBIに会う。
 オキナワンロックに関するテレビ番組をビデオで見たり、彼がプロデュースした城跡でのライブの映像を見たり。
 他にいたお客さんの迷惑も顧みず(笑)持参したギターをもって宮永英一とセッション。というとカッコイイが、まあ、音を合わせて遊んでもらった、ということ。
 宮永英一といえば、80年代、日本のロックの最高峰として君臨し一世を風靡したバンド「紫」のドラマー。彼のドラムをバックにギターを弾いて歌ったというのは、たとえていうならNHK交響楽団をバックにピアノコンチェルトを弾いたようなものである。(いやマジで)
 僕の演奏は根っからボロボロで、勢いだけで楽しませてもらったのだけれど、こちらがご迷惑をおかけした他のお客さんから飲み代を奢って戴く、というとんでもないオマケまでついて、恐縮至極。(したがって飲み代はタダ)
 あとはいつものことだが、音楽について、ロックについて、沖縄について、宮永英一、語る語る。(笑)
 午前1時頃、タクシーで胡屋十字路までもどる。(1410円)
 また中の町の「SHUN」へ行くと、思った通り、琉球紅型染の金城宏次がいた。昼間電話して、水曜あたりに飲みましょうね、と話していたのだが、実はそれ以前にどこかの飲み屋で会えるだろうと思っていた。
 コザでは僕はお釈迦様のように、誰がどこで飲んでいるかわかってしまうのである。(笑)
 アルコールを控えているのでビールだけ。(お通し込み800円)
 7時間飲み屋にいたけど、なんとかジョッキ二杯だけで切り抜けた休肝日(?)であった。

沖縄3日目

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 正午前に起床。
 朝食はコーヒーとドーナツにゆで卵。(宿についている朝食で無料)
 天気がよいので、とりあえず洗濯。
 そういえば太陽の下に洗濯物を干すのは久しぶりだ。(自宅は高層マンションなので、風が強すぎて外に洗濯物は干せない。全部片側に余ってしまうし、風になびいてコンクリートの外壁に触れて汚れてしまう)
 今日は、ゲート通りで「ゲート#2フェスタ」だ。
 実はイベントがあるとは知らずにやってきたので、昼間の執筆時間がとられてしまうけど、町のイベントは小説のヒントに満ちているので、取材して回らないわけにはいかない。
 準備のようすなどを写真に撮りに行くと、知り合いの人たちがたくさん働いている。ようするに、僕のコザの知り合いはミュージシャン系か地元商店会系なので、あたりを歩くと知り合いだらけというわけ。横浜にいてもこんなに頻繁に知り合いに会うことはないぞ。
 リンリンのオーナー夫婦も屋台を出している。
 開店準備前ということで、生ビールをご馳走になる。今日は酒を控えようと思っていたのだが、飲むとおいしい。(笑)
 12時になると交通規制が敷かれ、全国からこの日のために集まったものすごい数のハーレーダビッドソンだけが、制限区域に入ることができる。
 昼食はタイ屋台料理の「ソムチャイ」でスープ麺。
 非常にタイ風。タイにも行ったことがあるけれど、こういうタイ料理を食べて思い出すのは、僕の場合、やはりアメリカなのだ。
 シリコンバレーにひとりで行き来していたころ、アメリカ人に囲まれて時間を過ごし、普段とは異種の食べ物を口にする、なんともいえない「旅先の孤独感」のようなものが、実はけっこう好きだったりする。
 僕がコザが好きなのは、音楽、人との繋がり、そして同時に、どこか寂しい「旅らしさ」のようなものが、すべて内包されているからだと思う。
 楽ではないけど、自分の居場所を見つけて自分らしく生きている人たちがたくさんいて、自分の生き方を肯定されるようでもあるし、同時に自分の甘さを感じたりもする。
 どちらにしても人生には寂しさが必要だ、と僕は思う。
 いったん帰宅して沖縄の太陽を浴びてすっかり乾いた洗濯物を取り込む。
 午後4時過ぎ、ふたたびゲート通りに戻る。
 琉球大学のプロレス同好会のリング。
 沖縄そばや泡盛や焼きそばやたこ焼きを売っている屋台。
 ダンススクールの生徒による子どもたちのダンスパフォーマンス。
 アメリカ人によるエイサー。
 腕相撲大会。
 テントの中やPAブースに知り合いがいっぱい。地元の人が手弁当でイベントを造り上げているわけだ。
 屋台で泡盛200円。唐揚げとフライドポテト300円。
 しかし、連日の飲み過ぎで、泡盛は半分しか飲めなかった。
 嘉手納基地にいちばん近いステージで、Shima Gai’s のライブを聴く。
 野外ステージに出て、楽しそうに演奏している。
(しかし彼らはプロなのにノーギャラなのだよ)
 暑さにバテ気味。部屋へ戻って休養。
 行く予定だったライブ2本(ダブルブッキング)をどちらも行かずに休む。
 午後10時、少し元気になったのでオーシャンへ。
 するとすると、なんとコザで知らぬ人はいないJETのドラムのコーちゃんがギターを弾いて歌っている。珍しい光景だ。ベーシストとアメリカ人の奥さん(マルチナ・ナブラチロワ風:実は前日の激マズ・キューバリブレをつくった人だ)もいる。
 店の常連のKさんに「おまえも歌え」と言われたが、聴衆がすごすぎるし、迷ったけどちょっと遠慮。
 しかしオーシャン、過去二年とは見違える盛況ぶり。パートナーに触発された(尻を叩かれたともいう)オーナーのヤッシーが「その気」になったらしいのだ。
 名物のタコス(1個なので正確にはタコ)とビール。(800円)
 午後11時すぎ。コザクラへ。
 知人がふたり、地域振興について熱く語っている。
 ビール500円。
(日記は旅の経費帳代わりなもんで、いちいち値段が書いてあります)
 ビールを飲み干したところで部屋にもどる。
 まったく飲まないわけにはいかないけど、いくらか肝臓を休ませることができたかな。

アメリカンバー


日本人、僕だけ。
ただいまサンタナ。
アメリカを懐かしく感じる不思議。
妙にほっとする。

沖縄2日目

 午前8時半起床。宿泊者に朝食。1時間ほど二度寝。
 昼はよいこで原稿書き。
 昼食はコザ食堂でカツ丼。玉城満さんの奥さんがゆんたくしていた。サイフをもっていくの忘れて、支払いの時にあわてて取りに帰る。
 夕食前にデイゴホテルの大浴場へ。(500円)
 県民体育大会のために宮古島代表で来ているという軟式テニスの選手と湯船でゆんたく。
 夕食に「リンリン」へ行くと、知り合いの商店街の人が年末イルミネーションの打合せをしている。
「3Dで完成予想図つくりたいんだけどできない?」
 おれは旅行者だっちゅうの。(笑)
(トーフちゃんぷるとビールで900円)
 午後9時、「コザクラ」にて投げ銭ライブ。
 出演は売り出し中の「タワタエミ」ちゃんと「Mr.スティービー」。
 MCが楽しくて紙のお金がけっこう集まっていたなあ。高くついた。クラブFUJIYAMAだって入場料500円だぞ。(笑)
 タワタエミちゃん、カーペンターズのカバーなども丁寧に歌っていたけれど、自分の持ち歌がいちばんよかった。帰り際にそう言ったらすごくうれしそうにしていたのが印象的。来年1月21日、那覇で初のワンマンライブだそうです。
 僕は行けないけれど、がんばって欲しいなあ。
(ビールと投げ銭で1500円)
 午後11時半、”Al’s Place” でコウゾウさんの Shima Gai’s を聴く。(ハイネッケン600円)
 客で日本人は僕ひとり。ピュアなアメリカンバーだ。
 こういう場所に来ると、アメリカを頻繁に往復していた頃に魂に染みついたアメリカ文化が頭をもたげてくるのか、すごく懐かしい気分になる。
 コザは、沖縄であり、アメリカであり、断じて日本ではない。
 0時過ぎ、JETでハウスバンドのライブを聴く。(キューバリブレ500円 激マズ どうやらラムを変えたらしい)
 土曜日なのにPEGが締まっている。
 中の町社交街の「SHUN」にでも行こうかと出かけると、なんとそこにPEGのオーナーのギタリストKがいるではないか。(笑)
 水道管が破裂して店が開けられないとのこと。(執筆中の小説そっくり。ただしくどいようだがモデルにしているのは別の店である)
 仕事をしないで飲めるKは、やたらリラックスしてがんがん飲んでいる。
 つきあって話をしているうちに午前6時。(ほとんど飲み放題みたいなもんで2100円)
 ふ~。もちろん飲み疲れである。
「SHUN」はライブハウスではないのに、1年前よりもギターが増えて7本くらいある。ドラムセットまである。しかも近々またギターが増えそうだ。

沖縄 第1日

11月24日
 少し早いけど、自動車通勤の妻に便乗して午前9時半、横浜シティエアターミナル(YCAT)へ。
 10時、羽田空港着。
 久しぶりなので少しターミナルを探検。
 10時30分過ぎ、エアポートラウンジ。提携クレジットカードをもっているので入場無料。電源付の椅子があってソフトドリンク飲み放題。シャワーもあるけどさすがにそれは使わない。家を出ていきなりシャワーというのも話としては面白いので、そのうちチャレンジしよう。(笑)
 コーヒー飲みながら執筆。旅行中、野菜不足になると予想されるので、トマトジュース2杯。
 手荷物検査場の入口のようすを窓から見下ろすことができるので安心。
 11時30分。手荷物検査。
 ターミナル近くで、お土産の彩鳳のシュウマイと、昼食の「炙り鯖トロ寿司」を買う。
 11時46分、ターミナルに着くとすでに搭乗は始まっている。
 飛行機の席は取れる限り二階席通路側二列目と決めている。本日の場合82H。
 14時40分、定刻通り、那覇空港に着陸。
 荷物を受け取って従姉妹Aに電話すると、すでにホンダプレリュードは到着していた。
 気温26度。空港ビルを出て車に乗り込みまでのすでに汗ばむ。
 遠回りして恩納村のその名も「シーサイドドライブイン」といういかにもな名前のドライブインでカレー。実は従姉妹Aはオキナワンロックの大御所・宮永英一のマネージャーなのだが、ツアー中、カレーが食いたいな、というとここなのだそうだ。ウコンの色が特徴的な香ばしいカレー。
 17時、この旅行のベースとなる沖縄市(コザ)のゲストハウスに到着。
 トイレと風呂は共同だけど、6畳ほどの板の間の個室で、机と椅子があって一週間15000円ほど。もっと安いところもあるけど、執筆環境が確実に確保できるのがありがたい。コザは4回目だがここが定宿。
 唯一の難点は屋内配線のアース側が浮いているらしくて、ノートパソコンの筐体を触ると少しビリビリ感電気味なこと。執筆ツアーではUSBのフルサイズのキーボードをもっていくのでこれは問題なし。
 18時前、開店前のパーラー「リンリン」でオリオンビール300円。
「また来ているよ」の挨拶だ。2週間ほど前には友人の舞踏家Rが立ち寄っている。(彼女が泊まったゲストハウスの屋上が僕の泊まっている部屋の窓から見えている)
 18時過ぎ、カフェバー「コザクラ」で島酒(泡盛)300円。ここでもさっそく知り合いに会う。
 18時40分。胡屋交差点野外ステージで「さようなら胡屋歩道橋コンサート」とかなんとかいうコンサート。
 見に来ている中に、ここでも知人多数。そこらじゅうで「また来ているよ」の挨拶。
 楽屋(というかステージサイド)に行って、シンガーソングライターの「ひがよしひろ」とギタリストの「タラ」(顔が忌野清志郎にそっくり)と「また来たよ」の握手。
 コザ到着2時間で、あっというまに知り合い20人ほどに会って挨拶。
 そのまま楽屋席(笑)で最後まで聴かせていただきました。
 通りすがりのアメリカ兵がノリノリでステージの前で踊りまくり。コザらしい風景だ。
 再び「リンリン」に行くと、そこでまた知り合い3人。(オリオンのジョッキ400円)
「オーシャン」に行って3人。(島酒300円)
 さっきのステージで弦を2本も切った左利きのひがよしひろは、「弦、2本も貼り替えるのめんどくさいから」と、ここではふつうの右利きのギターを逆さにもって弾いている。おそるべし。
 ジミ・ヘンドリックスもギターを逆さにもってはいたが、彼は弦も逆に張っていた。ひがよしひろは1弦が一番上にきているギターで演奏しているのだ。ヒエ~!
 0時過ぎ、”Al’s Place” にいってコウゾウさんのバンド “Shima Gais” を聴こうと思ったら、ちょうどステージが終わったばかりのところで、次のステージまでに時間があるということだったので、バー「PEG」へ。
 水漏れで床が濡れているではないか。執筆中の小説にバーの水漏れのシーンがあるので、びっくり。モデルにしているのは別のバーなんだけどさ。
「日曜日、野球やらないか」「来週、夜釣りにいかないか」と誘われるが、とりあえずまだ予定がはっきりしないので答を保留。
 そんなふうにPEGで引っ掛かってしまって、Al’s Place には戻れなかった。PEGでは島酒500円。他のお客さんのおつりがないというので、2500円を店に貸し。(笑)
 そんなわけで、5軒まわって一晩にしてあっという間に知り合い30人以上に再会した。あと2軒まわると、ほぼ知り合いを網羅できる。

本日より、沖縄

 昨日は23回目の結婚記念日でした。考えてみるとけっこう長いな。
 昼はデパートで食器など見てから、昼からビール。夜は、大戸屋でオカズ単品をつまみに、日本酒を飲む。夫婦で地味に豪遊だ。(笑)
 しかし大戸屋は安いし美味しいし。
 日本酒2本飲んで、料理4点に、そば、デザートつきの「お茶バー」までつけて、ふたりで3200円も使ったら大満足。
 安いのに、高いところ以上の味を出していて、食器も十分豊かさを感じさせるし、ほぼ欠点がない。
 飲食産業の鑑、みたいな店だなあ。
 本日より30日まで、沖縄です。
 
 昼は執筆。夜は取材と称して(笑)音楽と酒。
(だって、コザのミュージシャンにまつわる物語なんだもん)
(最初のバージョンは1月10日に書けていたんだけど、一昨日、編集者と打ち合わせして、改稿の方向が決まりました。向こうとこっち、種々の事情で、2年越しのプロジェクトになっている)
 ちょっと大荷物だけど、今回はギターを持って行ってみます。ミュージシャン心を感じる旅だから。
 さあて、これからパッキング。

新作打合せ

 東横線が座れなかったので、Linux Zaurus で、プロットを読み直しながら渋谷へ。
 マークシティのカフェで文庫書き下ろしのプロットについて、編集者と打合せ。
 考えている方向が揃っているようで、安心して書ける。
 少し時間があったので、渋谷の街を散策。
 タワーレコードに入ってみたりして、若者みたい。(笑)
 桜木町へ移動して、午後7時から、ボランティア団体の世話人会。
 終了後、いつもの中華料理店「万里」にて、久しぶりの人たちと会食。