履修科目不足問題 がんばれ高校生!

 必須科目である世界史(平成6年からそうなったそうです)などの科目を受験に集中するために履修させていなかった高校がたくさんあることがわかってきて、3年生の卒業資格がなくなるかもしれないと、騒ぎがどんどん大きくなっています。
 災害の犠牲者の如く、新しい報道があるたびにその数が増えているので、実数が把握できないけれど。
 ルールがある以上、世界史をやった上で大学に入る、というのが当たり前なのに、なんで楽しようとするんでしょうね。
 教育の場で楽してどうするんだろう。
 苦労していろいろ学ぶ場で楽したら自分が損するわけです。
 そんなに目先の楽をしたいなら大学行かなければもっと楽です。
 でも、大学自体が目的ではなく、将来を豊かにするために大学へ行くのだから、豊かになれない勉強の仕方で大学へ行くのはもったいない。
 世界史を勉強しなくても大学に入ればこっちのもの、というほど人生も社会も甘くありません。世界史を履修して大学に入った人と、そうでない人は、すでに入った時点で差があるわけだし、放っておけば、その差は時間とともにもっと開いていきます。
 長期的みて世界史を勉強しておいた方が明らかに得です。(他の科目でもそうですが)
 知識という「タネ」があると外部の刺激から「興味」が生まれます。興味をもつと自分からどんどん情報を吸収しようとするので、結果として、少しの知識があれば、なにかのきっかけで百倍にも千倍にもなる。増殖するんですね。
 ところがタネがないとピンと来ないから、話を聞いてもテレビを見ても「つまんねえ」でおしまい。
 高校程度の知識というのはそういうタネの役割をするわけで、もともと世界史でならった年号が役に立つわけじゃない。でも、ちゃんとタネとして役に立つ。でも、「つまんねえ」で終わってしまう人は、そう口にしたその瞬間に、受験に関係ない高校の勉強が「役に立つんだということに気づくチャンス」すら失ってしまう。
 タネがないところに雨が降っても芽は出ない。雨はいつ降るかわからないから、チャンスを逃さないためにはタネを蒔いておく必要がある。高校で学習する知識というのはそういうものです。
 高校の知識が長い人生の間の知識や経験の格差を産むことになります。
(だって、そのために高校へ行くのであって、大学へ行くためだけに高校があるわけじゃない)
 そもそもどんないい大学を出たところで、それまでに学んだことよりもその後に学ぶことの方が何十倍何百倍も多いわけです。だから大学に入るかどうか、あるいは、「どの大学」に入るかが問題なのではなくて、大学を出てから知識を自分で増殖させる能力があるかどうかが将来を決めるといってもいい。
 同じ大学を出ても、知識を増やす能力が低い人は実りのある人生を送るのに圧倒的に不利になる。ランクが低いと思われている大学の卒業生でも知識増殖能力が身についていれば豊かな人生を送る上でとても有利になります。
 みすみす不利な選択をするのが「世界史を履修しないで受験科目だけを勉強する」ということなのに、それを学校がルールを無視してまでやってしまうなんて。
 高校で学ばなくてもあとで必要になればいつでも自分で学ぶことはできます。必要だと自分で気づく限りは。
 気づくことができれば大丈夫。問題はありません。高校で学んだところで、そのなかの知識自体はそれだけで役に立つわけではないから、結局、あとで自分で学ぶ必要があることは同じです。
 ところが高校で学ぶような基礎的な知識がないために「自分に必要だ」ということすら気づかない危険が高くなってしまう。その結果、ある人は必要なことを学び、ある人は必要なのに必要だと気づくことなく学ばない、ということになる。
 こうして格差は拡がっていきます。
 学校が受験科目以外を学習させないということは、そういう潜在的負け組国民を増やしていることになる。生徒たちがとてもかわいそうです。
 
 先日まもなく出るという東大に関するある本の著者に会いました。
 彼が東大生について調査をした結果、東大生は、中学の時も高校の時も本をたくさん読んでいるというのです。
 本というのは受験参考書のことではなく、小説や新書やノンフィクションやエッセイや解説書や、いわゆる本屋にならんでいる普通の本のことです。当然、それらの本を読んでも入試問題が解けるようになるわけではありません。
 世間で「受験の勝者」のように思われている東大生ですが、彼らは受験に役立たない(と思われている)ことをたくさんしているということがデータとしてわかったというわけです。
 一部の会社や官僚組織でもないかぎり、東大を出ただけで出世するなんてことは事実に反した単なる都市伝説であって、現実の社会はそんなに甘くはありません。むしろいい大学(と世間で思われている大学)を出た人が沢山いる一流企業ほど長い目でみて、ちゃんと実力主義になっています。
 実力というのは結局のところ、「自分で知識や経験を増やすことのできる力」や「人が気づかないことに気づく力」「だれもやったことのないことに挑戦できる力」のことで、会社員であろうと、ラーメン店のオーナーであろうと、教えられたことだけしかできない人、というのは社会で生き延びていくのがむずかしい。
 少なくとも教えてもらった知識を自分で増やせる人でなくてはならない。
 知識を増やすにはタネが必要です。そのタネはあとで自分で勉強するより、学校で習う方がずっと楽だし、知っていることが多ければ、人生の楽しみも多くなります。たとえ授業中寝ていても耳に必ず残っている。そのことに大きな価値があるわけです。居眠りする授業すらないなんて、それはあまりにひどいことです。
 受験科目ではなくても、勉強しておかないと絶対に損です。
 高校世界史の知識があるだけで、テレビだって映画だってドラクエだって海外旅行だって、何倍も面白くなります。ニュース番組がバラエティ以上に面白く感じられたりします。
 生活の中で我慢しながら人の話を聞く時間が減って、わくわくする時間が増えます。受験に関係ないけど高校のカリキュラムに入っているような知識は、一生のあいだ、人生を百倍楽しむための魔法の薬みたいなものです。
 3月31日までに履修すればいいので、受験が終わってからでも、50分x70回(6時間の時間割で2週間)の時間は取れます
 大丈夫。
 騒ぎに巻き込まれてしまった高校生のみんな、がんばって勉強してくれ!


ネット上のいろいろな意見
http://blog.livedoor.jp/miyayamateki/archives/50620897.html
http://plaza.rakuten.co.jp/lions/diary/200610250001/
http://blogs.yahoo.co.jp/fukukacho/22221734.html

履修科目不足問題 がんばれ高校生!” への3件のコメント

  1. おまえの高校こそ履修漏れなんやろ!白状せい!通報されたくなかったら失せろ!

  2.  コメントありがとうございます。
     入れてくださったアドレス、メール不達でした。
     履修漏れがある高校はごく一部ですよ。たいていの人はちゃんとルールは守っている。世の中、「みんなズルしている」なんてことはない。
     うちの高校は割と進学率の高い都立高校ですが、履修漏れどころか、文系理系コースもなくて、文系でも数学Ⅲ必修でした。理系も社会か全科目必修。落としたら卒業できません。
     叩いても埃も出ないと思います(笑)
     受験科目しかやらないような高校には行きたくないです。

  3. 履修不足

    こんちは。X3です。 全国各地の履修不足問題が連日盛り上がりをみせてますね。 「

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