ちょっといわせて

さなぎの食堂

 昨日、テレビを見ていたら横浜のドヤ街・寿町の「さなぎの食堂」というところが、コンビニの期限切れの弁当を無料で仕入れて再加工して、300円で立派な定食を出しているのを報道していた。
 放送の中では、局側が、コンビニでは期限切れの2-4時間前に店頭から下げるので期限が切れているわけではないと強調していたけれど、実際に食堂で提供されるのは期限が切れた後であることも当然多いだろうし、食堂の方はそんなこと問題にしていないだろうし、最終的にお客さんに出す食品に責任が持てれば消費期限なんてどうでもいい。
 もちろん期限なんて切れたって全然平気なわけだから、このアプローチはとってもエコでいいと思う。
 日本で年間に捨てられる残飯は2300万トンだそうで、世界的な食糧危機の中で、そもそもあまり意味のない期限がちょっと切れたくらいで、それほどの量を捨ててしまうこと自体が人類にとっての犯罪だと僕は思っている。
 だって、それだけの食料またはお金があれば、地球のどこかの何千万人という人が生き延びることができるのだ。
 ちなみに、世界の食糧援助総量が750万トンだそうです。
 日本の家庭から出る残飯だけでも金額に換算すると3.2兆円、日本全体では11兆円という数字もあります。(数字の根拠や妥当性について僕はまだ検証できていません)
 さなぎの食堂の定食はコンビニ弁当からつくった痕跡などまったく見えないみごとなもので、ことの性質上、仕入れが安定しない中で創意工夫して出しているその知恵には敬服する。
 僕も、あんまり収入がないクセに、近所で600-800円のランチを食べてしまうことがあり、身の丈から考えたら贅沢なので、運動がてら、自転車でさなぎ食堂までいってみてもいいかもしれないと思った。
 青森では、林檎がヒョウの被害を受けてキズモノがたくさんできてしまっているらしい。
 野菜や果物の外観というのも、あまり意味のないことで、外観の悪いものもちゃんと食べきろうという運動はもっと拡がって欲しいと思う。
*阿川大樹の長編小説
         

クルム伊達公子

 随分前から、テニスプレーヤーとしてというより女性として伊達公子を好きでした。
 あんまりアイドルに熱を上げたこととかないのだけど、グラフとの試合のビデオ買ったりして。写真集ももっているし。
 ビデオってば、未開封のうちにいまやVHS再生装置がない。(笑)
 僕が女性の写真集を買ってもっているのは、加賀まりこと伊達公子だけです。写真入りの本としては三浦良枝(ロス疑惑の三浦元社長の奥さん)もあるけど。
 昨日は、インターネットで中村藍子との準決勝のスコアをリアルタイムでチェックしていた。
 第一セット第一ゲームブレークされて、そのあと第三ゲームの0-40から9ポイント連取でブレークバックしてスコアを伸ばしたり。
 数字だけしか見てないのにワクワク。
 結果、第一シードの中村に勝って、本日の決勝に進出。
 そのあと、一時間くらい間を空けてダブルスの準決勝にも出て、こちらは第一セットとられてから、フルセットで逆転勝ち。
 すごいよね。
 で、決勝を見るのに先だって、HDDのスペース確保を兼ねて、現役復帰する前に行われた、伊達・グラフ・ナブラチロワのドリームマッチの録画を見た。
 テニスの質がちがう。このときでもお金の取れるテニスをしている。
 やっぱり天才。
 グラフやナブラチロワは、もっと上を行く天才だったのだなあ。(ドリームマッチは伊達の勝ちだったけど)
 こういう人たちって本当に才能と努力の両方がすばらしいなあ。
 自分の人間としての凡庸さを思うと、嫉妬も感じるけど(天才と同じ土俵でふつうに比べてしまうのが僕の脳天気なところだが)でも、それ以上になんだかそういう人を見るってことは快感なのだな。
 せめて、同じくらいの努力はしないとだなあ。
 妻が外食なので、本日は、3食、作り置きのカレー。

苦しがる人々

 厚労省の調査で「生活が苦しい」と感じるのが過去最高の57%だったそうです。
 数字から見て、別に貧乏な人たちだけがそう感じているわけではないということがわかります。
 苦しいと感じるよりも楽だと感じる方が楽しいのに、それほど貧乏でもない人までもが、「苦しい」と感じて不幸せになってしまっている。
 大して不幸せでもないのに満足しない国民性って、困ったもんだなあと思います。
 この人たちは客観的に経済的な豊かさでは満足しないでどんなに経済力があっても「苦しい」と思ってしまう。
 経済の問題ではなく心の問題だってことです。
 日本みたいな豊かな国で、最下層にいるわけではない、平均よりも上の経済状態の人までもが「生活が苦しい」って絶対おかしいです。
 何のための経済? なんのための労働?
 
 焼鳥屋で飲めて、900円のラーメン食べられて、毎日風呂に入れて、昼飯をどこで食おうか迷うことができて、子供を塾に通わせられて、たまには奥さんが誘い合ってホテルで3000円のランチを食べていて、子供はDSのソフトを何本ももっていて……。
 そういう人が「生活が苦しい」って思ってしまうのって、おかしくないですか?
 それって誰のせいですか?
 どうやったらみんなシアワセになれるんですか?

オヤジバンド周辺の違和感

 朝まで仕事をしたかったので、ヨットは休みにした。
 で、夕方、スポーツクラブのプールへ。
 日曜の夕方は終了時間が19時だということもあって、プールも混雑。
 終わって帰ろうとすると、自転車の後輪がパンクしている。
 歩いて五分ほどの距離なので、押して帰りました。
(外を歩いて汗をかいたシャツをロッカーに下げてあとでまた着るのがいやなので、自転車でささっと行くようにしている)
 夜は、HDDレコーダーの中味を整理して空きをつくるために録画したまま見ていなかったものを、再生しながら居間で仕事。
 昨年のオヤジバンドコンテストの映像があった。第11回。
 次に仕事しながらモントルージャスフェスティバル2007。
 そこでふと気づいたこと。
 オヤジバンドが流行っているとかいわれているけど、よく考えたらへんだ。音楽と年齢って、もともとあまり関係ないんじゃないだろうか。
 ジャズフェスティバルでもロックフェスでも、ステージに上がっているプロのミュージシャンの年齢は四〇歳以上の方が多い。
 当たり前だよね。年齢が上がるほどテクニックも音楽性も高くなっていくことの方が多いんだから。
 プロのバリバリ現役がオヤジの方が多いわけだから、アマチュアだってオヤジが多いのはまったく特別なことじゃない。
 どうやら、どこかに「オヤジはロックをやらない」という事実無根の思い込みがあって、だから、そう思っている人が「オヤジなのにロックをやっている」と本人も周囲も言ったりするわけだ。
 それは単に、30年前にはオヤジたちにロック文化がなくて、若い世代しかロックを聴かなかったり演奏しなかったりしただけのことだと思う。
 でも、歳を取ったらロックを聴かなくなる、という特別な理由はなくて、ロックだけ聴くことはないかもしれないけど、ロックだって聴くだろう。
 逆に若い頃に演歌の文化に触れていない世代は歳を取っても演歌を聴くようにはあまりならないわけだ。
 ロック=若者 演歌=オヤジ という図式は1970年代にはそうだったかもしれないけど、それはそのときたまたまそうだっただけのこと。
 というわけで、オヤジバンドをやっている人にありがちな、どこか「自分は若い」というちょっと肩に力が入った感じにも違和感をもったのでした。
 好きな音楽を聴いたり演奏したりするのに、年齢なんてもともと関係ないのだ。

年寄りはマナーが悪いなあ

 朝6時半に起きて近くを散歩するつもりだったが、ものすごい雨。
 昨日の晴天が嘘のようだ。ほんとうに運がよかった。
 最後なので、大浴場へ朝風呂を楽しみにいく。
 浴場は年配の男性がいっぱい。「○×寿会連合会」という団体さんがバス4台ほどで泊まっているのだ。
 ところが、風呂場の洗い場に使い終わったカミソリが散乱している。試しに数えてみるとその数およそ50本近く。後の人のことを考えていないんだな。
 ここに限らず、年配の男性はどこでもとてもマナーが悪い。若者の方が礼儀正しいことが多い。どうしてなんだろう。
 60歳以上の男性は家庭で専業主婦の奥さんに面倒を見てもらっていて、旅行に行くときでも、パンツから着替えまで全部奥さんが用意したカバンをそのままもってくるようなライフスタイイルの人が多いせいではないかと思う。
 この年代の人は、自分で下着を選んで買ったことがないという人がとても多い。家のお風呂でも、きっと、掃除なんてしていなくて、どんなに散らかしてもそのあと奥さんがちゃんと掃除してくれている。
 会社ではそこそこちゃんとしていても、生活の場になると自分で自分の面倒を見られない人が結構いる。飲食店などで店員に向かって横柄な態度をとるのも特徴。
「あ、おねえさん、これ片付けて」
 なんて言い方をなじみの店でもなんでもないところで初対面の店員に向かってする。
「すみません、これ片付けてもらえませんか」
 くらいの言い方をするのが、初対面の対等な人間同士の言葉遣いだろうと思うのだけど。
 だいたいそんなところで偉そうな口の利き方をするのは、人間の器が小さく見えて格好悪いと思わないのかなあ。
 朝食を摂り、午前10時のチェックアウト時間少し前に出発。
 ワイパーを最高速にするほどの豪雨であった。
 道路はまたしてもすべて渋滞もなく順調で午後3時前には都内に到着。
 妻はそのまま車で仕事場に向かうので、僕は渋谷で降ろしてもらって電車で帰宅。
 我ら夫婦の夏休みはこれで終了。2日連続で一時も原稿を書かないなんてこと、すごく久しぶりだ。よく寝たし、いつも重たい目も雄大な景色でリフレッシュ。
 しかし、案の定、体重が1kg以上増えていた。
 まず、スポーツクラブへ行って筋トレ、夕食後は執筆に復帰。

増税しよう、しなきゃだめだろう

基礎年金に関するとても大雑把な話
 全額消費税増加でまかなうとして;
 受給者2500万人に月6万円を支給するのに必要な財源は 1兆5000億円
 それを一億人の消費支出でまかなうとして、
   消費税率6%のとき、一人当たり必要な消費支出は 月25万円
 つまり、消費支出が例えばひとり平均25万円というモデルだとすると、
 消費税を11%に上げないと全額税負担できないということだ。
 消費税でなくてもどこかに財源が必要であることにかわりはない。
 ひとり月15000円、年金掛け金としてはらうか消費税で払うか、他に税金をあげるか、という話。
 弱い立場の人を守ろうと思ったら、中間層以上の人は何らかの負担増が必要だ。
 中間層にいて、「もっと上から取れ」みたいな「自分は関係ない」かのような意識は問題からの逃避だと思う。
 役人や政治家の無駄遣いを減らすのにも時間がかかる。「まず無駄遣いをなくしてから増税」なんてことをいっていたら自分の傷が深くなるだけだ。
 無駄遣いをなくすのと増税は後先の問題じゃなくて、同時進行しかない。
 みんな、自分の国なんだぜ。あんたたちが選んだ政治家だぜ。あんたが雇っている役人だぜ。
 役人や政治家が悪いとしたら、僕もあんたも含む「国民」のせいなんだぜ。
 他人事みたいに人のせいにして、自分のせいじゃない、政治家が悪い、なんて、のんきなことをいわないでくれ。
 所得税の課税限度にすら届かないから、小説家になってからの近年の僕は年収的には完全に最下層にいるわけだけど、それでも増税しなきゃダメだろうと思っている。(昔、めちゃめちゃ働いた蓄えがあるから、生活に困ってはいないから弱者ではない)
 立食蕎麦を天ぷら蕎麦からタヌキ蕎麦にしてでも、さらには100円マックでガマンしてでも、みんなで税金もっと払わなきゃダメだろう。自分の国だよ。
 なんで、みんな他人事みたいなこと言って「増税反対」みたいなこと言えるんだ。
 暮らしていけている人たち、みんなで「暮らしていけない人たち」を守ってやれるようにしようよ。
 貧困層を直撃しない中間層以上への増税をしようじゃないか。
 自分が本当の弱者なのか貧困層なのか、フェアに考えよう。
「貧困層を守れ」という大義名分でほんとうは自分の負担を増やしたくないだけ何じゃないのか。
 胸に手を当てて考えてくれ。
 いまの自民党の増税案がいいっていっているわけじゃない。
 ちゃんとした増税を真面目に考えようよ。本当に弱い人がちゃんと生きていける日本を作ろうよ。

切なる願い 営業をやめないで!!

 マクドナルドの4店で、日付の改ざんがあったそうだ。
 マクドナルドにお願い!
 僕は、古いのでも、書き換えたのでも、一向にかまわないので、絶対に営業を自粛したりしないでください。
 マクドナルドがなくなると、すご~く、困ります。
 どうか貧しい小説家を助けると思って、安易に自粛したりしないで、営業を続けてください。
 お願いします。お願いします。お願いします。
 報道機関のみなさまにお願い!
 どうか僕の大切なマクドナルドをいじめないでください。
 かけだしの小説家の将来のために、マクドナルドを営業停止に追い込まないでください。
 お願いします。お願いします。お願いします。
 ついでに、赤福も、はやく営業再開してくれるようにお願いします。
 事件が起きて、あの味を思い出してしまって、もう、無性に食べたくてガマンできません。
 ちょっとぐらい古くてもかまわないし、いつまで食べるかは自分で決めますから、どうか僕に赤福餅を売ってください。
 お願いします。お願いします。お願いします。
 嘘をついちゃいけないよ。
 でも、消費期限や賞味期限なんて、本来、食べる人が決めること。
 だって、売る人は店頭までしか保証できない。
 買ってからどう保管してどう調理するか、食べる人の胃腸の状態はどうか、なんてことは売る人の知ったことではない。むりに安全にしようとすれば、まだ全然食べられるのに期限が終わるように書くしかないじゃないか。
 たとえば、玉子なんて、冬場なら消費期限(産み落とされてから14日間)がきれてから、実際は47日後でも生で食べられるらしい。

ルイ・ヴィトンの似合う人

 ルイ・ヴィトンもって歩いている人をあまりステキだと思ったことがないなあ。そういえば。
 普通に着るたいていの洋服には合わない。とりわけファッション性の高いデザインの洋服にはまったく合わないと思う。合うのはものすごくオーソドックスでどんよりとした服装だけでしょう。だからヴィトンのバッグをもって歩いている人のほとんどはコーディネートが崩れているように思う。
 モノグラムってユーザーが製造者の宣伝して歩くみたいでなんだか抵抗があるし。
 唯一、似合うシチュエーションって、キュンと音が凍り付くような冬の寒い朝、すごく分厚くて古いデザインのコートを着て、白い息を吐きながら、ヨーロッパの鉄道駅で、高いステップをまたいで列車に乗り込んでいくとき、ぐらいのような気がする。

定点観測「コットンマム」(その3)

 新しいカーナビが届いたのでテストランを兼ねてコットンマムへ。
 あいかわらず野菜は安くていいものがあるけれど、肉や魚は高くて買えないものばかり。前にも書いたけれど、正月やクリスマスには買うかもしれないが、ふつうの人間は100グラム400円の肉なんか食べない。
 近隣のマンションの価格帯と家族構成を考えても、100グラム400円の肉を日常的に買うはずがない。
 地域の掲示板を見ると、お洒落な品揃えを喜んでいる声が書き込まれていたりするけれど、新築マンションを買って入居前から入居直後の精神的昂揚が終わって、リアルライフの実需になれば、この品揃えのスーパーが成り立たないのは火を見るよりも明らかだ。
 あんまり売れないから、広く薄く並べていて、しかも営業時間の終わり近くには補充を躊躇しているから、遅く行くと商品がない。悪循環だ。
 開店当初からこのビジネスモデルではうまくいかないだろうと思っていたけれど、今日辺りには、いよいよかなり経営が苦しいようすが表に見えてきている。
 あちこちの棚に「空き」ができ、虫食い状態。
 空いた棚の分、いままでなかった安くて売れるものを品揃えとして入れていくのならいいけれど、どうやら単純に在庫を圧縮しているだけのようなのだ。在庫の回転の悪い輸入菓子などをたくさん並べているから、ほんとうに生活に必要で誰もが買いたくなるような商品を並べる場所がない。ジェリービーンズなんか並べたって誰も買わないでしょうが。POSデータ見ないで経営しているのかなあ。
 開店してから9ヶ月になろうとしているのに、問題に気づいていないのかもしれない。
 もしかして、客が少ない原因を、みなとみらい地区とを結ぶ横断道路(橋)の建設が予定より遅れているせいだと思っていて、道路ができるまでの辛抱で、橋ができればたくさん客が来るとおもっているとしたら、それは大間違いだと思う。
 いまの品揃えではどこからだって客は呼べない。高級な肉や輸入菓子は、このあたりではどこでも売っているのだ。わざわざコットンマムに買いに来ない。スーパーはまず「地域のイチバン」にならなくてはだめだ。そのためにはまず日常の食品をちゃんと並べておかなくては。オリーブオイルをたくさん並べる前に、近くのコットンハーバーに住んでいる人が東神奈川まで安い食材を買いに行かなくても済むようにしなくては。(せっかく近くに住んでいる人の需要を逃しているなんて)
 以上、経済小説 を書いている主夫、阿川大樹の提言でした。

 このブログのコットンハーバー関連のエントリーは ここ から。

赤坂議員宿舎問題

 新しく完成した衆議院議員宿舎に入り手がいないそうだ。
 3LDKの豪華な造りで周辺の類似物件に比べて家賃が破格に安い、と、批判的に報道されている。ネガティブキャンペーンの最中に入居するのを避けたいという議員の思惑もあるようだ。
 家賃が安いといったって、家族みんなでそこに住んで家計がらくになるわけでもない。要するに、住居というよりも仕事上必要な宿舎なわけだ。
 国会議員は忙しいときは寝る時間もないくらいだ。都心にいて通勤時間を極小にして10分でも15分でも睡眠時間をとるべきで、遠く離れた家賃の安いところから時間をかけて通って月に何十万かを節約するのと、体力を温存するのを比較したら、国を預かるものとしては、体力を温存するべきだというのは当たり前のことじゃないか。
 一箇所に集まっていた方が警備の効率もよく、警備コストを下げることもできる。
 3LDKもいらないだろう、というのはその通りだと思う。
 しかし、そういうことは枝葉末節の問題で、仕事上の必要性に応じて用意されている施設は有効活用していかに成果を出すか、というのが問題なわけだ。
 それを一般人の住宅と同じレベルで論じて贅沢だとかなんだとか、ひがみっぽいことを報道するから、こういうことになる。
 議員も議員で、「この施設を十二分に活用して最大限の成果を出します。見ていてください」と胸を張って入ればいいだけの話。
 また、くだらないメディアのせいで税金が無駄になる。
 やだなあ、こういう足の引っ張り合いのような精神風土。