ちょっといわせて

早い復旧のために

 楽しいことを不謹慎だというのはやめよう。
 辛いときこそ、楽しいことが大切だ。
 肉体と心のどちらも大事。
 普通に暮らす。自粛はしない。
 基本的な経済が小さくなってしまっては復興のための経済力を失う。
 被害を受けていない人は今まで通りに暮らし、今まで通りにお金を使おう。
 それが被災者を救うことになる。
 批判は後にしよう。
 防災体制、行政の対応、政府の責任、そもそもの原発の是非、いろいろ言いたいことはあるだろう。
 でも、そういうことはいまは後回しでいい。
 大事なことは、人の命を救うこと、助かった人が少しでも心安らかに暮らせること。
 安全なところにいる人は、そのために何ができるか、それを考えよう。
 犯人捜しをしても、人を助けることはできない。

相撲の八百長

 相撲の八百長が発覚した。
 相撲は興行に過ぎないので、別に八百長したってかまわない。面白ければいいのだ。
 ただ、たかが興行に過ぎないくせに「国技」と自称したり、「品格」とか、「日本の伝統」とか言って欲しくないだけだ。
 朝青龍を追い出して明らかに相撲は面白くなくなった。
 強いライバルがいない状態で白鳳がいくら連勝したってその価値は下がってしまう。
 相撲協会が「品格」だの「日本の伝統」だのを口にするだけで、相撲はつまらなくなり、日本の伝統が汚れる。
 国民は損をするばかり。

二つ星レストラン・サンパウ事件

 ミシュラン2つ星のスペイン料理店「レストラン・サンパウ」の店長と自称する店のスタッフが、twitter で勝間和代さんが来店したことを書いた上で「嫌いな有名人 Best 3 だ」などと書いたのを、さっそく本人に見つけられ、そのことをブログに書かれてしまった。
 誰が来た、というプライバシーを公表するなんて、およそ一流の店がやることではない。その上、個人的な好き嫌いを公の場所で表明するなど、下品そのもの。
 店として、これほど不名誉なことはない。
 結果的にそれを知った支配人が迅速な対応をしたようだけれど。
 これで、来年以降のミシュランは絶望だろうなあ。
 町の定食屋ならともかく、高級店の部類では、客への応対も値段と味のうちだからね。
 反応があってもなくても、インターネットは公の場であり、陰口をいえる場所じゃない。

四月馬鹿のまわりの馬鹿

 4月1日の午前0時になったとたん、twitter にエイプリルフールの話題が流れ始めた。
 わずか2時間後の午前2時には、ニュースサイトには、「エイプリルフールのまとめサイト」なるものが登場。
 あのさ、根本的に間違っていないか。
 エイプリルフールっていうのは、騙したり騙されたりして楽しむ日だ。
 そもそも4月1日だということを意識していない故に、騙されたりして、それも楽しかったりする。
 いったん嘘だとわかっても騙された振りをしたり、同じ嘘で騙される人をちょっと離れたところで、ほくそ笑みながら見ていたり。
 自分の嘘が本気にされて噂になって広まっていくのを楽しんだり。人の嘘を嘘だとわかっていても別の人を騙すために使ったり。
 そんなことをして、ニヤニヤしながら、一日を過ごすのだ。
 だというのに「絶対に騙されないぞ」という空気を纏って、誰かが嘘をつくと、それをすぐに「それはエイプリルフールだ」と大声で言う人がいる。
 自分が嘘だと気づいても、せめて4月2日になるまで黙っているのが、エイプリルフールのマナーってもんじゃないか。
 いくら言論は自由だとはいえ、人々の騙したり騙されたりする楽しみを奪う権利は誰にもない。
 ネット時代には、ニュースや噂がすごい速度で拡がる。
 だから、エイプリルフールの楽しみも何倍にも増える可能性がある。
 だというのに、午前0時を過ぎてまもなく、ネットは「エイプリルフール」という言葉の大合唱。
 野暮なやつがいるせいで、今年のエイプリルフールは台無しだぜ。
 エイプリルフールにする真相究明ほど馬鹿げたものはない。
 四月馬鹿、黙って騙せぬ野暮な馬鹿。

国母選手の問題について

 オリンピックも日程が進み、世の中が少し落ち着いてきたので、そろそろ、スノーボードの国母選手の問題について、書いておこうと思う。
 国母選手について、海外のメディアを調べてみた。
 当たり前だけど、Los Angeles Times, New York Times, Le Monde など、海外の主要メディアには Kokubo の K の字もない。
 他にも、それほど報じられているわけではない。
 このことから、「日本人として恥ずかしい」という批判は的外れであることがわかる。大雑把にいえば、そんなことは日本人以外はだれも知らないのだから。
 海外のメディアで一部取り上げられているのは、「国母選手の服装や態度が日本で問題になって、出場辞退にまで波及しそうであった」という内容だ。
 つまり、メディアに報じられている海外の反応は、国母の服装については「日本にも変わったヤツがいる」という当たり前の事実を伝え、「そんなことで大騒ぎしている日本」というものを、奇異に感じているように見える。
 または、メディアによっては明らかにそうした日本人を揶揄している内容であったりする。
 つまり、日本が恥をかいたのは、「国母選手の服装が乱れていた」ことによってではなく、「そんなことで大騒ぎしている」こと、によるものだった。
 結局、この問題は、SAJや日本のメディアやJOCの方が国母選手よりもよっぽど恥を晒した、というわけだ。
 そもそも他所の国の選手がどんな服装でいるかなど、世界はだれも気にしていない。日本人だって、ジャマイカやリヒテンシュタインの選手の移動中の服装がどんなだったかなんて、興味ないじゃないか。
 移動中の服装なんぞで、「世界に恥をさらす」なんてことは、もとからあり得ないのだ。
(国母の服装を映像で流しているのは日本のテレビだけで、それを見るのは日本人だけである)
 こういうことが起きると、「常識」を振り回して「非常識なもの」を批判する人が沢山出てくる。
 けれど、常識というのは多数派であるかどうかとほぼ同義であって、善悪とか良否とはちがう。多くの人が共有している価値観を常識というけれど、では異なる価値観は排斥されるべきかと言えば、そうではない。
 服装問題は、いい悪いではなく、少数のもの、多様性を認めるかどうか、という問題だ。
 僕も国母選手の服装はどちらかというと嫌いだけど、僕の嫌いなファッションをする人がいても、それはかまわない。自分が嫌いなものを、国だとか常識だとかそういうものを持ち出して、「あたかも自分の好みや自分のライフスタイルこそが正しく、他のものは正しくない」みたいにいうのは、間違っている。
「品格」を持ち出して批判をする人もいる。
 上品な人は「自分」を律することで自らの品格を保つのであって、けっして「他人」のことを「品格がない」などといって貶すことはしない。
 公然と人の品格をとやかく言うのは下品な人のやることである。
 つまり、国母選手の服装について、とやかく言えば言うほど、言っている人が恥をかくことになる、ということか。

新型インフルエンザ。いよいよ流行中

 昨日は44人、10日に16人、9日に5人、なんて調子で横浜市では、順調に(?)感染者を増やしてます。
 累計で149人だそうです。
 現在小学校3つが学級閉鎖。
 知人のお嬢さんのところの中学では学年閉鎖。
 いよいよ本格的な流行が始まっているかもしれません。
 報道するなら今なんだけどなあ。
 どうせ9月には任期満了になる衆議院の選挙が何時行われるかが、毎日毎日時々刻々報道するほどの重要事項かいな。
 テレビにとっては、番組編成の上で、重要な関心事であることはわかるけど。

軽い命

 東京マラソンでタレントの松村邦洋さんが倒れたという。
 除細動器(AED)で一命は取り留めたというけど、後遺症は大丈夫なのかな。
 なんだか、いいわけのついた辛い苦しいをテレビで見せて、「**なのにがんばった」と人を感動させる、というのがやたら流行っている。
 年寄りなのに、デブなのに、貧乏なのに、(苦労と無縁に見える)美形なのに、お母さんなのに、甲子園出場が決まった直後にお父さんが死んだのに、とかいうやつだ。
 そして、そういうのいうのを見て、「わたしもがんばろうと思った」りする。「元気をもらった」なんていう。
 いいわけは関係ないよ。マラソンはマラソンだ。野球は野球だ。山登りは山登りだ。柔道は柔道だ。
 それぞれやりたい人がそれぞれの事情を抱えてしっかり自分のためにやればいいよ。
 元気は人からもらわないで、自分で人生を見つめて前を向けよ。
 肥満の人がマラソンに向かないのはわかっている。
 それを走らせる番組ってなんなんだろう。
「命がけでがんばります」
 言葉としてほんとうにしょっちゅう使われている、命がただの言葉になっている。
 その軽さのままに、ほんとに命をかけてしまう人が後を絶たない。そして、無意味に死にそうになったり、ほんとうに死んでしまったりする。
 たくさんの人がマラソンを完走するけど、たとえ5時間のタイムだってちゃんとトレーニングしなければ完走できない。でも、その為の努力をする人が今日だけで3万人もあの場所にいた。
 それが素敵なのだ。 無名の人が無名のまま、黙々と「自分のために」がんばったのだ。それだけでいいじゃないか、と思う。
 友達もひとり走ったはずだけど、どうしただろうと、やがて嵐になってしまった横浜の空を見上げて思っていた。
 夜は、連載の第五話を書く。

サラリーマン川柳

「仕事減り 休日増えて 居場所なし」
「チェンジしろ! 怒鳴った部長が チェンジした」
「昼食は 低カロリーより 低コスト」
「ガソリンが 決める我が家の 旅行先」
「通勤の 電車の中は ゲーセンか?」
「朝バナナ 効果があったの お店だけ」
「国会より ねじれて欲しい ウエストよ!!」
 第一生命保険は9日、恒例のサラリーマン川柳コンクールの入選100作品を発表した。
 いつも思うけど、こういう情けなさや不幸を共有する精神風土はきらいだな。ネガティブな気分を伝染させるのやめてほしいな。もっと明るく前向きにできないのかなあ。
 ちなみに、上のセレクションは某新聞社の挙げた例で、実際の100選には、もっと楽しいのがあるのですが。
 同じペーソスを表現するにしても、このくらいにしてほしい。
 以下、阿川大樹も作ってみた。
  「20年、ついに課長だ、昇進だ」
  「あと二年、定年、自由を 夢に見る」
  「100円も 意外にうまい ハンバーガー」
  「大盛りで 贅沢気分 たぬきそば」
  「若者の 未来に奢る ウメサワー」
  「義理チョコを 知って笑顔で ありがとう」
  「ママチャリは 重いからこそ フィットネス」
  「こすっても 平気の平左 ボロ車」
  「交付金 増やしてみせる アナ馬券」
  「カラオケに ギター持ち込む オヤジバンド」
  「空振りの 勝負下着も 背筋のび」
  「お茶出しに 笑顔千金 狙い籠め」
  「メシ狙い 部長に悩み 打ち明ける」
  「朝帰り 遅刻してでも 服を替え」

探偵手帳?

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 子供の頃、雑誌の付録に「探偵手帳」というのがありました。
 変装の仕方とか、シャーロックホームズの住所とか、暗い夜に水たまりを見分ける方法とか、そんなことが書いてありました。
 なんとなく、内容がもの足りなくて、自分でそういう手帳を作ってみたりもしました。
 写真は推理作家協会の手帳。
 むかしは、企業が手帳をつくって、年末になると取引先に配ったりしていました。
 NECで働いていた頃は、技術部門だったので、たしか年末に回覧が回ってきてお金を出して買った覚えがあります。
 そういえば、カレンダーというのも、最近は配られなくなりました。
 なんで写真に目薬が写っているかというと、ドライアイだからです。

「ベルク」は新宿文化

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 二日続けてプール。
 昨日より明らかに楽。体は正直だ。
 ただし、疲れは残っているので控えめに。
 空いていて自分のペースで泳げたので、200m一本。
 夕方から新宿へ出かける。
 とりあえず駅構内(ルミネエスト)の「ベルク」でビール。
 この店、安くて上質のサービスを提供し、雰囲気からして新宿文化の薫り高いところなのだけど、オーナーが変わったルミネに立ち退きを迫られている。立ち退き反対の署名はどんどん集まる。社会的運動にまで発展しつつある。
 新宿でベルクに立ち退けというのは、銀座でいえば鳩居堂や三越やソニービルや和光、大阪でいえば通天閣、ニューヨークでいえば自由の女神、浅草でいえば雷門や神谷バー、同じ新宿で他の例を挙げれば紀伊國屋本店に立ち退けといっているようなもの。
 ようするに文化の破壊だ。
 ルミネエストは、ファッションビルに飲食店はいらないという。「もっとお洒落にしたい」ということなのだろうが、ルミネに入っている「洋品店」たちよりも、「ベルク」のほうがずっと粋だしファッショナブルだ。
 金太郎飴のようにどこもかわらない洋服屋を集めただけのビルよりも、ベルクがあるだけで魅力的な場所になることがわからないらしい。
 来年早々、新宿を舞台にした長編を発表する予定の阿川大樹は誇りをもって、そして、新宿への最大の愛をもって、「ベルク」を応援します。
                           ベルクを守る署名は こちら