日: 2009年11月12日

ホルモンでも食いに行かへんか

 本日も、淡々と、黙々と、仕事。
 途中、財政刷新会議の事業仕分けをインターネット中継で聞いていたけど、さすがに気が散ってだめなので、途中で諦める。
 こういう方法で削ることが本当にいい事かどうかは議論があると思うけれど、ひとつひとつに「国がやる必要があるのか」「同じお金を地方に回して地方に任せればよいのではないか」と問うのは、国の制度設計に新しい基準を持ち込み、それを徹底するという意味がある。
 この方法でひとつふたつ政策を間違ったとしても、可視化することに十分な民主主義の発展の上で意味があるし、そのメリットを考えれば、この手段で不適切にストップされる細かな政策の誤りなど、多少はあってもよいと思う。
 一番大事なのは、遅ればせながらも、より民主主義的な手段を確立することであり、それはつまり、あらゆることを国民に見えるようにすることだ。
 できるだけ国民に見せた上でなら、国民がバカで判断を間違っても、民主主義というのはそれでいいのだ。責任を取るのも国民、結果を甘んじて受けるのも国民。民主主義とは、いちばんよい選択をするしくみではなく、特定の人間に権力が集中しないという仕組みであるに過ぎない。民主主義というのは遠回りをもともと内包している。
(善意の賢い権力者の独裁がいちばん効率がよいが、それを敢えて捨てて、効率は悪いけど、特定少数の強すぎる影響をあらかじめ回避するのが民主主義である)
 午後7時半、アーチスト仲間の増田拓史、久保萌菜、ヴィンセント・レオンらと、ホルモン焼き「がま親分」へ。
 ヴィンセントが土曜日に帰国するので、お別れ会のようなもの。
 9時に解散して、スタジオにもどって仕事の続き。
 本日は、なかなかはかどった。
 0時半過ぎ、帰宅。

座りんぼう

「立ちん坊」といえば、街角に立っている娼婦のことである。
 阿川のスタジオの前の大岡川を渡ってすぐの若葉町あたりには、日によってかなりの「立ちん坊」がいるのだけど、先日、見かけたのは座りんぼう。
「オニイサン、一万円。オマンコもできるよ」
 地べたにしゃがんだまま、こっちまで聞こえる大きな声で道行く人に話しかけている。
 周囲に聞こえる大声で誘われたら恥ずかしくて「客」になりにくいよなあ。
 一万円払って彼女と何かしたいかなあ。
 あんな大きな声で商売して、警察に捕まらないのかなあ。
 まあ、人それぞれってことですね。
 川のこっち側も、野毛に向かっていくと小規模なホテル街があって、そのあたりのごく狭い一角に、女装の男娼が立っている。
 黒いゴシック系ロングドレスで太っている人。
 華奢で、必ず黒いストッキングを履いている人。
 この二人はよくいるんだけど、このあいだは、毛糸の帽子を被った「普段着のシャンソン歌手」風の長身の人。
 そういえば、ホモセクシュアルと言えばフランスは本場だし。
 まあ、人それぞれってことですね。