日: 2008年12月4日

ドヤ街の食堂

 どんな町もそうだけれど、都市には裏と表がある。
 日本でもっとも人気の高い観光地横浜は美しい町だけれど、人々の集まる中華街や元町から、あるいは関内から、徒歩圏内に簡易宿泊所の集まる地区がある。
 わずか1ブロック離れたところには、その匂いもないほどに、その場所は見えない壁で囲まれたように存在しているのだ。
 外縁の一辺には、表通りに向けてブライダル向けのドレスを売る美しい店もあり、結婚という前途に目を輝かせている男女が訪れる。
 別の一辺には、ボートピア横浜と呼ばれる大きくてきれいな競艇場外船券売り場がある。
 仕事にあぶれた人間が、金とヒマを虚しく費やすのにあまりにも最適な場所であることが、なんともいえない違和感を醸し出す。
 レースがない時間のボートピアには誰も用がないはずだけれど、警備員だけはたくさんいて、顔を上げれば目的地は見える場所だというのに「ボートピア」という文字と矢印が書かれた案内看板を持ってたっている。つまりそれは雇用対策で、もし、週に一日、その職にありつければ、週の残り6日間仕事がなくても、とりあえず食費をまかなうことができる。
 擦り切れたカーゴパンツにホームセンターで買ったカストロジャンパー(別名:ドカジャン)をひっかけてその町に行った。自転車を少し離れた表通りに駐め、脱いだ軍手をポケットにねじ込みながら、表通りから寿町に折れる。
 その瞬間から、もう視野に入るのは全然違う町だ。
 中程に急に有名になった「さなぎの食堂」があり、その引き戸を開けると、入ってすぐがカウンターで、中のキッチンが見える。
 豚汁定食、納豆定食、寿町カレー、コロッケ定食などが300円。
 牡蠣フライ定食は400円、トンカツ定食は500円だ。
 好物のハムカツ定食が食べたかったのに、今日のメニューにないのですごくがっかりして、カレーを注文。
 会計を済ませる頃には、もうトレイにカレーと味噌汁と小皿が並ぶ。
 トレイをもって、ビニールの敷かれたテーブルにつく。
 味噌汁の具は、たっぷりで、ワカメとキャベツとモヤシが入っている。小皿には、ゲソの竜田揚げときんぴらゴボウ。味が濃いから、どうやらこれがコンビニ弁当の残飯の活用らしい。
 カレーには、人参ジャガイモ肉がたっぷり入っていて、まあ、いわゆるカレーライスの味で、東大の生協食堂やNECの社員食堂と変わらない。
 ご飯に比べてルーがたっぷりかかっていて、たいていの食堂でルーの消費を抑えながらご飯を食べていく習慣がある僕は、ご飯が残り三分の一ほどになったところで、大量のルーを余らせてしまい、最後はルーだけをスプーンですくって食べることになってしまった。
 なぜか壁にはバリ風(?)の絵が飾られている。
 平日の午後4時の客は、僕以外全員が60歳以上、ほとんどは70歳を超えている。服装にはほとんど彩度というものが感じられず、まるで店中が30年前のモノクローム写真の中にあるみたいだ。
 みなひとことも口をきかず食べ、そして店を出る。声を出しているのは店の人だけだ。
 たしかにそこにいる人々の表情は、あまり幸福そうには見えない。
 けれどそこは妙に居心地がいい。
 幸福でないことが許されている心地よさとでもいうようなものがある。
 ここでは幸福を競う人は誰もいないのだ。
 
 日が暮れたこの町を歩くと、コインランドリーとカップ酒を立ち飲みする店の明かりがやけに目立つ。午後4時に立ち飲みは満員だ。
 ここでは、外食でも1日食費700円くらいで十分生きていける。
(行政から食券をもらえばそれすらいらない)
 もし、健康で、週に一度か二度、ワンカップの酒を買うことのできるほどのわずかな余裕があり、どこか寝る場所を知っていれば、生きていける。(一日1300円を払うことができれば宿泊所に住める)
 体さえ健康で、たまに仕事に就ければ、がんばらなくても生きていけてしまう。
(もちろん仕事が見つからない高齢者や健康でない人はたいへんだ)
 この微妙な居心地のよさは、もしかしたらこの町をブラックホールのようにしてしまい、しばらくいるうちに、ここから「這い上がろう」なんてことを考えなくなってしまうような気がする。