本日の散歩は、ムラーノ島へ。
言わずと知れたガラス工芸で有名な島。
いくつかのガラス工房を公開しているが、ガラス工房自体は世界共通だし、本当のトップクラスの技術を見ることができそうではないので、そういうところはパスして、いい物を置いている店をいくつか見て回る。
伝統とコンテンポラリーな感覚が融合されたいいものもたくさんある。
立派なシャンデリアがたくさん提げられた店で、店の人が話しかけてきて、こちらが少しイタリア語がわかると知ると、ゆっくりしゃべっていろいろ教えてくれた。
よいものはたくさんあるが、値段の方もしっかりしている。
Museo del Vetro (ガラス博物館)を見学。
ペットボトルに水を詰めていったので、結局、一銭も使わずに帰宅して、遅い昼食は自宅で。スパゲッティ・ボロネーゼ。
それからはいつものように、長編の構成を考える。
夕食は、鶏肉のコットレッタ、アチェート・バルサミコ・サラダ。
Ca Pesaro にある Galleria Internazionale d’Arte Moderna とその上の階にある Museo Orientale へ。
近代美術館の方は19世紀から20世紀の絵画が中心。
とりわけ有名な絵というわけはないけれど、いい絵ばかり。
こういうところがベネチアの豊かさでもある。
東洋博物館は、日本の江戸時代の物がたくさん。
鎧兜や美術品などさまざま。徳川家のものもけっこうある。
どの時代に集められたものなのだろう。
ここも歩いて3分で帰宅できる場所。
大分、過ごしやすくなってきた。
あとは自宅で長編小説のことを考えて、思索的に過ごす。
夕食はリゾット、トマトとモッツァレラ・チーズ、メルルーサのフライ。
7月の終わりからホームステイに来ていたゲスト(妻の大学院時代の友人たち)が朝早く帰国の途に。
女子会の嵐が去って、落ち着いた時間がもどってきた。(笑)
ホームステイのお礼にと、ムラーノ製のグラスを戴きました。
ずっとイタリアに居ても、自分用には買わないので、イタリア生活のいい思い出になります。感謝。
フィレンツェとかベローナとかで夏休みをしていたので、仕事の勘がもどらない。
朝からエッセイを書こうとして、題材がありすぎて何について書こうか考えているうちに昼になる。
昼食は、冷凍しておいたラタトゥイユを戻して、野菜とマッシュルームのスパゲティ。
一歩も外へ出なかった。
ずっと泊まっていたゲスト二人の最後の晩なので、夕食は、Orata をオーブンで蒸し焼きに。
午後から、San Stae 教会と、San Polo 教会を見学。
夕食はゲストと合流して Trattoria alla Madonna.
いつ来てもここの Spaghettini alla sepie nero は美味しい。
プロセッコと料理でひとり22ユーロ。
著作の二次使用に関する契約書などの検討。
夕食は、 San Polo 広場の Ristrante La Corte ビールと食事で、ひとり18ユーロ。
自炊すれば夕食でも1食3ユーロくらいなのだけど、7月の終わりから、日本から泊まりに来ているゲストがいるので、夕食が外食続きで、羽が生えたようにお金が出ていく。
財政的にピンチだけど、レストランで見かける周囲の人間模様なども、すべて芸の肥やしであり、経験が金で買えるなら、お金はあとから稼げばよいということにしておこう。
ホテルの朝食前に、30分ほど、ベローナの町を取材して歩く。
チェックアウト後、妻たちと別れて、一人で帰宅。
フィレンツェで3泊、ベローナで1泊の夏休みもこれでおしまいだ。
午前11時過ぎ、Verona Porta Nuova 駅につくとベネチア行きの鈍行列車がちょうど出てしまったところ。
7.4ユーロの料金で乗れる列車は午後1時過ぎ。
しかたなく、いったんチケットを買うが、金の無駄より時間の無駄をなくすべきと思い直して、11時59分発の22ユーロの急行のチケットを買い直す。
7.4ユーロですむところを、30ユーロほどかけて帰ってきたことになるが、列車の中でも仕事できたし、よしとする。
帰宅してシャワーを浴び終わっても、まだ午後2時。
夜まで、思索的な時間を過ごすことができた。
夕食は Ae Oche でピザ。
ハイスワインと食事でひとり14ユーロ。
やっと帰ったベネチアで1泊しただけで今日は、列車で、Verona へ。
午後5時過ぎ、アーチをくぐると世界遺産でもある城塞都市ベローナの旧市街だ。
古代ローマの円形劇場 Arena di Verona は、いまでも現役の劇場で、そこで毎年夏になると、野外オペラが開催されている。
収容人員2万人。
演目は、毎日変わる。
僕らが今晩見るのは、ビゼーの「カルメン」。
とりあえず Hotel Bologna にチェックイン。
アレーナのすぐそばだ。
オペラが始まるのは日が暮れる午後9時。
まず、アイスクリームを食べ、しかるのちにスーパー・マーケット PAM で水とビールを買う。
劇場に入る前に円形劇場が見える広場のレストランで食事を摂る。
毎日演目が変わるので、アレーナの周囲には、当日の演目では使わないセットが無造作に置かれている。
トゥーランドットやアイーダなど、つまり、広場にスフィンクスがいたりするわけだ。
一番安い席は古代ローマ時代のままの石段だから、外では、お尻が痛くならないように敷く座布団が売られていたりする。
安い席は指定席ではないらしく(石の上に番号をふれないからか)、場所取りのために早くから入口に人が並んでいる。
一方、アリーナ席の最前部はドレスコードがあって盛装して行く必要があり、町にはローブ・デコルテやタキシードで歩いたりテラスで食事をしたりする人も見かける。
僕らの席は、石段の上に椅子を設えた、中間の席。
それでも出演者とオーケストラで演者300人以上の大スペクタクルだから82ユーロとけっこうな値段ではある。
午後8時半すぎに入場。
まだ明るい中、日暮れの開演を待つ。
ステージの脇にバーができていて、最前部の席の人にはスパークリグワインが振る舞われているようだ。
僕らの席にはビール売りの女の子ならぬ、ペットボトルの水を売るにいちゃんが、ときどき行き来する。(500mlで2ユーロ)
僕らはホテルで自分のペットボトルに水を詰め替えて出てきている。
周囲にはドイツ語が目立つ。
ドイツ人かオーストリア人かスイス人かはよくわからない。
日が暮れると共に開演。
タイミングを合わせたように、まん丸の月がステージの後ろから昇ってきた。
2万人の劇場で行われるオペラは出演者も盛りだくさん、ステージを馬車が走る大規模なもの。
劇団四季はおろか、ハリウッド映画を凌ぐ、大スペクタクル。
こうしてオペラは、つねに時代性を失うことなく、娯楽として鍛えられた身体と才能との両方を投じて、その魅力を維持しているのだ。
文化として現代から孤立して保護される存在ではなく、コンテンポラリーの娯楽として、毎日2万人の観光客を集める巨大な観光資源になるほどの力を持って、観客から受け入れられている。
おなじように才能と研鑽によって作られている文楽は、オペラや歌舞伎のようにコンテンポラリーな視点で作られているだろうか。
古典や伝統に胡座をかいて、観客を楽しませるという基本を失っていないだろうか。
それが橋下大阪市長が投げかけた問題提起なのだと思う。
全4幕のカルメンは、途中20分ずつの休憩を3回はさんで、午前1時までつづいた。
周辺のレストランはすべて Aperto dopo opera .
つまり、オペラが終了すると、ふたたび店を開けて、円形劇場から吐き出される人々の胃袋を満たす。
久しぶりにベネチアで目覚める普通の一日の始まり。
本日のメインは、午後9時。
Venezia Jazz Festival のイベントのひとつ、Teatro Goldoni で上原ひろみのコンサート。
技術も表現力も感性もすべてにおいて最上級のピアニスト。
20世紀がマイルス・デイビスの時代なら、21世紀は上原ひろみの時代といわれるだろう。
それが一番高い席で30ユーロ。
日本の青山 Blue Note だったら12000円くらいかな。
日本では前売りチケットが安くて当日が高い。
イタリアでは逆。
美術館でもコンサートでも、予約すると予約料金を取られて高くなる。
これも文化の違い。
4日間のフィレンツェも今日は最終日。
昨日の疲れも取れたかのように見える朝。
午前10時にチェックアウト。
荷物をホテルに預けて中央市場へ。
完全にプロ向けというわけでもなく、一般消費者向けというわけでもない。
十二分に観光客向けでもあって、楽しい店構えが作られている。
日本でここに一番似ているのは、那覇にある牧志公設市場。
乾物も売っている肉屋で、たっぷりのハムとチーズを挟んだサンドイッチ。(ひとつ4.5ユーロ)の朝食。
ここには「宅急便」ののぼり旗が。
帰りの列車の切符を買いに Firenze Santa Maria Novella 駅へ。
列車の切符を買うのに長時間並ぶのはヨーロッパではよく見る風景。
19ある窓口のうち4つしか開いていないところに、長い列ができている。日本だったら苦情が出て、もっと窓口を開けるようにするだろうけど、イタリアではそういう方向には発想が行かない。
待たないようにするには人を余計に雇わなくてはならないから、窓口を開けると運賃を高くしなければならないけど、どっちがいいの? 安い方がいいでしょ? うん、安い方がいいから僕たち列に並ぶよ、とこうなる。
ところが、日本では、俺は金を払う客だ、客を待たせないのは当然だ、運賃そのままで待たせないように窓口を開けろ、と詰め寄る。
なまじ日本の会社は創意工夫の合理化努力でそこそこ客の無理難題を実現してしまうから、ますます客はつけあがり、ワガママを言い放題。
その結果、従業員の給料が上がらなかったり、非正規雇用が増えたりするわけだ。それで可処分所得が増えず、デフレ・スパイラル。
イタリア人だって、切符を買うのに待たない方がいいのは同じだけど、サービスをよくすれば値段は上がるのだ、という当たり前のことがわかっているところが、日本人と違うところ。
値段を上げずにサービスをよくしたら、働いている人間の給料を減らすしかないわけで、結局、国の経済として列に並んでいる側の国民にもどってくるのだ。
ちなみに、イタリアの特急には普通席に3段階の料金があって、例えば、フィレンツェとベネチアの間は真ん中の料金だとひとり29ユーロ。高い料金だと58ユーロ。座席も車両もまったく同じ。
(ファーストクラスは別にあって、もちろん別料金で車両もサービスも別)
さらに、後日談でいうと、ベネチアから120kmのベローナまで普通列車で行くのは7.5ユーロ。横浜から東京まで25kmで450円のJRより断然安い。
さて、帰りの足が確保できたところで、Plazza Pitti にある Galleria Palatina に向かう。
入場料13ユーロ。
本日も、ラファエロ、ルーベンス、ティントレット、ボッティチェリ、などなどに出迎えられて至福の時間。
宮殿の中にある、メディチ家の寝室、浴室、専用の教会、なども立派。
俗に「貴族趣味」などというと、悪趣味の代名詞に使われるわけだけど、メディチ家の場合は、その貴族趣味でラファエロを集めていたりするわけで、たいへんけっこうなご趣味でいらっしゃいます。
特にガイドの表示もないけど、部屋の隅には景徳鎮の壺なども大量にある。
と同時に、部屋によっては、本当のレリーフではなくて、壁にだまし絵を描いて、壁や天井に豪華な立体装飾を施しているかのように見せる、映画のセットのような手法(ディズニーランドの手法でもある)も場所によってはコストダウンのために使われている。
横浜のみなとみらいに結婚式場が作られるのが「ニセモノ」で醜悪であると、有識者が景観論争を起こしているけど、メディチ家ですらニセモノを駆使しているわけで、建築の歴史を見ると、どうも有識者の方が分が悪い。
そもそも横浜の景観論争は独りよがりで、僕の目から見ると、万葉倶楽部も観覧車(コスモワールド)も、とっくに景観をぶちこわしている安っぽい建物だと思う。そこに結婚式場ができるのがケシカラン、などというのは何をかいわんや、という感じ。
いわゆる有識者の人たちのバランス感覚はよく理解できない。
お行儀のいい町よりも、無秩序な町が好き、という僕の趣味も多分に影響しているけど。
僕はみなとみらいの住人だから、みなとみらいについて当事者なのだけど、何かというと景観をとやかくいうみなとみらいの「格好だけつけて中身のない」景観が大嫌いなのだ。
たしかに一部で景観がデザインされて、景色としての町はちょっと面白い部分もあるけれど、町には命が与えられなければならない。
いまのみなとみらいは、どこの都会にもあるテナントが並ぶ「ハコ」ばっかりができていく、つまらない町だよ。
みなとみらいには何かが生まれる空気がまるでない。
再び、Ristrante Vincanto
ギリシャ人のウエイトレス、イオアナは3年この店で働いていて、もうじき、久しぶりに故郷へ帰るのだそうだ。
