日: 2012年8月1日

切符を買う列に並びながら考えたこと

 4日間のフィレンツェも今日は最終日。
 昨日の疲れも取れたかのように見える朝。
 
 午前10時にチェックアウト。
 荷物をホテルに預けて中央市場へ。
 完全にプロ向けというわけでもなく、一般消費者向けというわけでもない。
 十二分に観光客向けでもあって、楽しい店構えが作られている。
 日本でここに一番似ているのは、那覇にある牧志公設市場。
 乾物も売っている肉屋で、たっぷりのハムとチーズを挟んだサンドイッチ。(ひとつ4.5ユーロ)の朝食。
 ここには「宅急便」ののぼり旗が。
 帰りの列車の切符を買いに Firenze Santa Maria Novella 駅へ。
 列車の切符を買うのに長時間並ぶのはヨーロッパではよく見る風景。
 19ある窓口のうち4つしか開いていないところに、長い列ができている。日本だったら苦情が出て、もっと窓口を開けるようにするだろうけど、イタリアではそういう方向には発想が行かない。
 待たないようにするには人を余計に雇わなくてはならないから、窓口を開けると運賃を高くしなければならないけど、どっちがいいの? 安い方がいいでしょ? うん、安い方がいいから僕たち列に並ぶよ、とこうなる。
 ところが、日本では、俺は金を払う客だ、客を待たせないのは当然だ、運賃そのままで待たせないように窓口を開けろ、と詰め寄る。
 なまじ日本の会社は創意工夫の合理化努力でそこそこ客の無理難題を実現してしまうから、ますます客はつけあがり、ワガママを言い放題。
 その結果、従業員の給料が上がらなかったり、非正規雇用が増えたりするわけだ。それで可処分所得が増えず、デフレ・スパイラル。
 イタリア人だって、切符を買うのに待たない方がいいのは同じだけど、サービスをよくすれば値段は上がるのだ、という当たり前のことがわかっているところが、日本人と違うところ。
 値段を上げずにサービスをよくしたら、働いている人間の給料を減らすしかないわけで、結局、国の経済として列に並んでいる側の国民にもどってくるのだ。
 ちなみに、イタリアの特急には普通席に3段階の料金があって、例えば、フィレンツェとベネチアの間は真ん中の料金だとひとり29ユーロ。高い料金だと58ユーロ。座席も車両もまったく同じ。
(ファーストクラスは別にあって、もちろん別料金で車両もサービスも別)
 さらに、後日談でいうと、ベネチアから120kmのベローナまで普通列車で行くのは7.5ユーロ。横浜から東京まで25kmで450円のJRより断然安い。
 さて、帰りの足が確保できたところで、Plazza Pitti にある Galleria Palatina に向かう。
 入場料13ユーロ。
 本日も、ラファエロ、ルーベンス、ティントレット、ボッティチェリ、などなどに出迎えられて至福の時間。
 宮殿の中にある、メディチ家の寝室、浴室、専用の教会、なども立派。
 俗に「貴族趣味」などというと、悪趣味の代名詞に使われるわけだけど、メディチ家の場合は、その貴族趣味でラファエロを集めていたりするわけで、たいへんけっこうなご趣味でいらっしゃいます。
 特にガイドの表示もないけど、部屋の隅には景徳鎮の壺なども大量にある。
 と同時に、部屋によっては、本当のレリーフではなくて、壁にだまし絵を描いて、壁や天井に豪華な立体装飾を施しているかのように見せる、映画のセットのような手法(ディズニーランドの手法でもある)も場所によってはコストダウンのために使われている。
 横浜のみなとみらいに結婚式場が作られるのが「ニセモノ」で醜悪であると、有識者が景観論争を起こしているけど、メディチ家ですらニセモノを駆使しているわけで、建築の歴史を見ると、どうも有識者の方が分が悪い。
 そもそも横浜の景観論争は独りよがりで、僕の目から見ると、万葉倶楽部も観覧車(コスモワールド)も、とっくに景観をぶちこわしている安っぽい建物だと思う。そこに結婚式場ができるのがケシカラン、などというのは何をかいわんや、という感じ。
 いわゆる有識者の人たちのバランス感覚はよく理解できない。
 お行儀のいい町よりも、無秩序な町が好き、という僕の趣味も多分に影響しているけど。
 僕はみなとみらいの住人だから、みなとみらいについて当事者なのだけど、何かというと景観をとやかくいうみなとみらいの「格好だけつけて中身のない」景観が大嫌いなのだ。
 たしかに一部で景観がデザインされて、景色としての町はちょっと面白い部分もあるけれど、町には命が与えられなければならない。
 いまのみなとみらいは、どこの都会にもあるテナントが並ぶ「ハコ」ばっかりができていく、つまらない町だよ。
 みなとみらいには何かが生まれる空気がまるでない。
 
 再び、Ristrante Vincanto
 ギリシャ人のウエイトレス、イオアナは3年この店で働いていて、もうじき、久しぶりに故郷へ帰るのだそうだ。