日: 2012年8月18日

レオナルド・ダビンチ 最後の晩餐

 朝6時に家を出て、Trenitalia でミラノへ向かう。(二人で38ユーロ)
 列車の中で、家から持ってきたブリオッシュを食べる。
 2時間半の鉄道の旅で到着したミラノの駅は、大きくて美しい、まるで美術館のよう。
 規模でも建築としての美しさも東京駅なんてもんじゃない。
 中二階のカフェで、再びブリオッシュとコーヒーの朝ご飯。
 地下鉄M2。
 午前11時45分、で、予約してあったレオナルド・ダ・ビンチ作「最後の晩餐」を見る。
「最後の晩餐」は、完全予約制で1回25名、15分間。
 修道院の食堂の壁画であるこの絵は、思っていたよりもずっと大きい。
 そして、この大きさがあってこそ、遠近法の奥行きが効果を発揮する。
 その迫力は、印刷物で見るものと、まったくといっていいほど違う。
(印刷物ではテーブルの回りの人物だけに着目して切り取られたものもあるが、実物に描かれている天井部分がないと奥行きのダイナミックさが話にならないくらいちがう。
 完全予約制だけど、15分ゆっくり見ることのできるシステムはとてもいい。
 混雑の中で押し合いへし合いで絵画を鑑賞するのはいやだ。
 芸術鑑賞は夏休みのラジオ体操じゃないのだから、「見た」とスタンプ帳にハンコの押すのが目的じゃない。
 さて、そういうわけで、正午にはミラノのメインイベントは終了。
 あとは、何をしようかな、というところだけど、正直、どうでもいいので、そのあとの時間の使い方は、もっぱら妻に任せる。
 Santa Maria delle grazie 教会から、徒歩で少し行ったところの Castello Sforzesco へ。
 おとぎ話に出て来るような、画に描いたような、ヨーロッパの「お城」である。
 その中が、さまざまな博物館美術館になっている。
 入場料、なんと無料。無料だけど無料の券を持っていないと入ることができないという、意味不明なシステムに沿って発券所でチケットをもらって、見て歩く。
 ものすごくでかいお城で博物館だらけなのに、カフェがなくて、飲み物を買うこともできず、3時間ほど完全に脱水状態になる。あわや流行の熱中症になるところ。
 つくづく、ここでも芸術鑑賞は体力勝負である。
 城を出たところに屋台があって、何はともあれ、コカコーラ。(2.5ユーロ)
 それから、噴水のある広場の反対側で、座って食べることのできる切り売りのピザと水で、ほっとひと息。
 地下鉄、M1で Duomo まで。
 世界4大聖堂といえば、バチカンのサンピエトロ寺院、英国セントポール寺院、スペインはセビリア大聖堂、そして、ミラノの大聖堂。
 本日のミラノ大聖堂で、人生4大聖堂コンプリート!
 ミラノの大聖堂はステンドグラスが素敵。
 ただ、礼拝の椅子からの両側に、たいしたことのない絵画が提げられていて、ステンドグラスへの視界を遮っているのが、とても残念。
 大聖堂からは、ミラノの新京極とでもいうべきアーケードの商店街(高級ブランド店が並ぶ)を通り抜けて、有名なスカラ座へ。
 このスカラ座、正面に立っていながら、別の場所に立派なものがあるに違いない、と思わず周辺を歩き回って探してしまったほど外観はショボイ。
 アーケード街、店の名前は金色で表示するという町にルールらしく、マクドナルドのロゴもゴールド。
 列車は午後8時過ぎなので、早めの夕食。
 ちょっと調べたレストランが意外に遠くて途中で断念し、通りすがりで入った店で。名物ミラノ風カツレツとミラノ風リゾット。ブランド街のレストランだと30ユーロのミラノ風のカツレツが10ユーロという店なので、たいして美味しくないけど、まあ、ミラノへ来てミラノ風を食べたということで。
 他にサラダとビールで、ふたりで39.5ユーロ。
 地下鉄M1で Milano Centrale へもどる。
 Trenitalia で Venezia Santa Lucia へもどり、午後11時前、帰宅。
 距離270キロを、同じ列車で、行きは二人で38ユーロ、帰りは二人で18ユーロ。
 イタリアの鉄道は安い。
 あらゆるものについて、日本は過剰品質で値段が高くなっていると感じる。
 
 試験でも80点なら5時間勉強すればいいところ、95点を取るには10時間、100点なら20時間勉強する必要があったりする。
 完璧を求めず、80点でいいことのすれば、コストはとても安くなる。
 なんでも完璧を目指すのは悪いことではないけど、多くの場合、無駄が多い。
 ダイヤを正確に守ろうとしないだけで、運賃はずっと安くなるのではないか。(分単位で正確に運行される新幹線と、たいてい10分ぐらい遅れるけど料金が半額で大阪までいける鉄道と、どちらが本当にユーザーが臨んでいるものなのか。改めて考え直していく必要があるんじゃないだろうか。
 経済成長が緩やかになった時代に、完璧主義をやめて80点主義、場合によっては60点主義でアプローチするという発想の転換が必要になっているのではないだろうか。
 すべてがいい加減だけど何でも安くてけっこう用が足りてしまうイタリアで生活してみると、日本の完璧主義の馬鹿馬鹿しさみたいなものをすごく感じる。