Diary

長崎から船に乗って鳥羽に着いた

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 午前5時50分、起床。
 午前6時半、朝食。レストラン・シンフォニアのバフェット。
 味もサービスも快適。
 午前7時、Costa Victoria は鳥羽港の沖にアンカーを降ろす。
 午前7時20分、下船の第一グループとしてテンダー(足船)に乗り移り、鳥羽港の桟橋へ。
 バスで山を越えて伊勢へ。
 20年に一度の式年遷宮の年の伊勢神宮内宮へ。
 遷宮の完了は今年10月だけど、真新しい新しい建物ができているのを隠された幕のところどころから観る。
 終了後、おかげ横丁へ。
 鮑の蒸し串(700円)とビール(300円)、みたらし団子(130円)、伊勢醤油煎餅(130円)、などを食べ歩き、〆は小西湖という店で「松阪牛骨横丁そば」という名のラーメン(700円)。
 どれも美味しゅうございました。
 12時半、バスに集合して賭場へ戻る。
 午後1時、鳥羽港に到着。
 近鉄鳥羽駅前の一番街で真珠店などをみる。
 ミキモトでは使わないグレードだけど、本物である真珠の装飾品などのビジネスを見る。
 御徒町がダイヤモンド街なら鳥羽一番街は真珠街。
 
 船室に戻った後はスパへ出向いて、30分ほどゆっくりする。
 午後6時、錨を上げて出港。
 御木本幸吉が人を見送るのに赤いハンカチをつかったという故事にちなんで赤いハンカチを振りながら、見送りに出てきた遊覧船に、こちらも赤いハンカチで応えながら出港。
(乗船時に入口で全員に赤いハンカチを渡されていた)
 残り160海里を横浜へ向かう。
 横浜から鳥羽へはヨットで行ったことがあるけど、今回はその逆の行程をクルーズ客船で。
 出航後、バフェットで軽く食べて荷物のパッキング。
 大きな荷物は午前1時までに廊下に出して預けなくてはならない。
 その後、ピッツェリアでピザと麺の夕食。
 今日のピザに生ハムがあるのを知って、キッチンに交渉して生ハムだけを皿に盛ってもらうことに成功。改めて赤ワインを頼んで Costa Victoria 最後の晩餐。
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仮装の夜

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 今夜のドレスコードは「仮装」。
 昼、マスク制作のイベントが行われていて、遅い時間に通りかかったらまだやっていたので、急遽参加。白い「お面」に、絵の具で色を塗っていく作業。
(実は仮装の用意は事前にしてきたので、作らなくてもよかったのだけど)
 技術はない上に、筆がひどく使いにくい。弘法だって筆を選んだのに、いわんやシロウトをや。
 道具が悪い上に技術もない。
 イメージはあるのに、手をかけていくとどんどん駄目になっていく。
 絵の描ける人がうらやましい。
 義務教育の図画工作で、せめて「かけ算の九九」のように絵を描く上での基本技術を身につけさせて欲しかった。
 けっこう時間を使ってまあなんとかマスクを完成させる。
 夜遅くから、仮装パレードがある。
 それに先だって、夕食のレストランにも仮装して出かけることにする。
 大人の学園祭なのだから楽しまなくては損だし、どうせなら人々にも楽しんでもらった方がいい。
 相席のテーブルで、同年配風の夫婦、それから、40代の頃に奥さんを亡くした一人旅をしているという年金世代の男性。初めて会う人同士だけど、こちらが仮装をしていったことによって、会話のきっかけができたから、以後、楽しい夕食となった。
 午後10時過ぎから仮装パレード開始。
 行き着く先はシアターで、そこでサンバのリズムで仮装した人たちが踊る。
 すごい熱気だ。
 11時過ぎ、体力も尽きてきたので辞去して、ピッツェリアへ。
 ピザだけでなく、すべてのレストランの中でここが一番イタリア風のものがある。
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終日航海

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 長崎から次の寄港地鳥羽までは520海里の終日航海。
 気温も上がり、風も弱くて絶好のクルーズ日和。
 朝起きてまずジョギング、約4Km。
 ジョギングトラックになっている救命ボートのさがったエリアでは保守要員がボートを降ろすクレーンにグリスを入れて回っている。
 シャワーを浴びて、朝食は後甲板のオムレツステーションへ。
 気候がいいので気持ちよい。
 肝心のオムレツは火が通り過ぎ。
(食品衛生上の理由で半熟のオムレツは作らないということらしい)
 部屋にもどって書き物。
 12時過ぎ、レストラン・ファンタジアでフルコース。
 ううむ。メインの魚が醤油味だ。
 あのね、日本食も別に用意しているのはいいとして、一方でちゃんとしたイタリア料理を食べさせてくれ。
 オリーブオイルすらほとんど使っていない。
 日本中にイタリアンレストランがどんどん増えているというのに、「日本人はオリーブオイルは苦手」っていったいいつの時代の神話だ。
 船内でいろいろトラブルがあったからだと思う。
 長崎から大量にHISの社員が乗り込んできたようで、そこいら中にHISのジャンパー姿の人が目立つ。改善に努力しているのは分かるけど、フルコースを出すレストランに青いジャンパーを着て監視員のように立っているのは、ひどく感じが悪いのでやめて欲しい。
 部屋にもどって書き物。
 船室はスターボード(右舷)なので、航海中、釜山からこっち、窓の外は海ばかり。携帯電話の電波もほとんど届かない。
 前回の終日航海日は天気が悪かったので、みな、ここぞとばかりプールサイドに出ている。
 午後2時過ぎ、それまで18ノットほどで航行していた Costa Victoria は、速度を15ノット以下にまで落としていた。
 天候の見通しがよいのだろう。入港時刻に合わせて時間調整をしているようだ。
 行程はは520海里を18ノットでいくと29時間で着いてしまうが、プランの上では37時間ある。

長崎

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 久しぶりに携帯電話の電波が受信できるようになってきた。
 
 五島列島の島並も美しい。
 港の奥へ入っていくと大小の造船所のドックが無数にある。
 天候も良好で緑の陸地を見ながら、定刻午前9時30分、長崎港に入港。
 係船が終了すると、ゴミ集めのトラックが来る。岸壁の水栓からホースで給水を始める。
 客船は寄港地での補給もたいへんだ。
(船で2000人の乗客が真水のシャワーが使えるというのは凄いことなのだ)
 下船は午前11時、入国手続きを終え、ターミナルを出るとすぐに「旧香港上海銀行」というのがあった。予想外にいい展示だった。入場料100円。機械がいろいろ壊れていて直すお金がないみたい。
 当別展示の久保田馨の頓珍漢人形がまた素敵。
 アーティストってすごいなあ。
 そこから大浦天主堂も徒歩で坂を上がってすぐ。
 ここへ来るのは9年ぶり二度目だが、以前より建物の傷みが進んできている。
 長崎は世界遺産への登録を働きかけているらしいけれど、それ以前にきちんと歴史的建造物を保存していかないと。
 天主堂から下りる坂の途中で飲んだザボンジュースとビワジュースがとても美味しかった。(各300円)
 次は長崎ちゃんぽんか皿うどん。
 中華街へ新しい道が整備されていて、天主堂下から800m。
 そこで事件発生!
「江山楼」で皿うどんを食べていると奥歯の詰め物が外れてしまう。
 旅はまだ続く、船の上には船医はいるが歯科医はいない。
 幸い2ブロックほどの至近距離に歯科があり、午後2時からの診療時間が始まったばかりだった。
 飛び込みですぐに診てもらうことができ、親切な先生と女性スタッフのおかげですぐに問題解決。
 トラブルの日かと思ったら、今日はむしろラッキーだ。
 船にもどる途中に “EIGHT FLAG”(何故か単数形)という店を見つけて美味しい紅茶とワッフルを食べる。ほんとのアンチックのインテリアも素敵で、これもラッキー。
 午後6時、出航。
 岸壁では地元の高校生のブラスバンドが演奏してくれている。ありがとう。
 夜はシアターでマイケルジャクソンのそっくりさんのショーを二度観る。
 ショーを観ている間にレストランは終わってしまったので、ピッツェリア。
 ちゃんと窯で焼く Vera Pizza で、美味しい。アジア風のヌードルも美味しい。焼き野菜なども美味しい。
 この船の全食事処でここが一番イタリアっぽい。
 中国人のウェイターにナイフを複数形 knives で言ったらチンプンカンプンで、単数型 knife でないと通じなかった。日本の中学生以下だぜ。
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済州島

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 夜が明けても窓の外は海ばかりだ。
 今回の航海は終始風がけっこうあって、だいたいの時間、毎秒10mから15m以上の風がづいている。
 基本、海の上に携帯電話の電波は届かないのだけど、陸に近い場所では時々電波が届く。その隙間を縫って、ネットにつないでいたけれど、夜が明けてからは日本の携帯電話の電波はまったく届かない。
 そう、ここは東シナ海である。
 朝食は昨日大トラブルのレストランへ敢えて出向く。
 案内されたテーブルがかなり違う場所なので、担当者はまったくちがう。
 今朝は4人がけのテーブルで相席はリタイヤ組のご夫婦。
 サーバーもちゃんとしていて、昨日とうってかわって、楽しく会話しながらの朝食となった。
 午後3時半、済州島北部の客船ターミナルに入港。
 海から船で外国に入るのは生まれて初めて。
 おそらく韓国政府が外国の客船に便宜を図る制度になっているためか、入国の手続き事態は極めて簡略化されている。
 ただし、2000人が一斉に降りてくるのを一気に処理するキャパシティはないので、着岸完了から、全員が船から下りるまでには1時間以上かかる。
 観光タクシーのチャーターをアレンジしたときには船の予定は14時30分入港だったのが、15時30分に変更。タクシーの予約は入港時刻の1時間後だけれど、それも変更しなくてはならない。
 というような用事だけのために28日に羽田まで韓国で使える国際電話を借りに行ってきたのだった。
 済州島に近づき、借りている韓国の携帯電話の電波が入るようになったので、タクシー会社に電話するが、韓国語のメッセージで応答があるばかりで、何を言っているか分からない。
 仕方がないので、船のインフォメーションデスクへ出向いて、韓国語のできるスタッフを呼んでもらい相手の会社の緊急サービスに電話をかけて、すべてのアレンジの変更を伝えてもらう。
 これで一件落着。
 結局、かけた電話はこれで使った1分55秒。
 午後4時30分、船を下り、ターミナルのエリアから出たところで待っていたワンボックスカーのタクシーのキムさんと落ち合うことに成功し、4時間、案内してもらう。
 道行く自動車はほとんどが「ヒュンダイ」、次が「KIA」と韓国メーカーの車ばかりで、希にフォードやクライスラーが混じるが、日本車はまったく走っていない。
 町の看板で見た日本のブランドは「富士ゼロックス」だけ、世界でもこれほど日本製品や日本企業の影の薄い場所は見たことがない。日本企業ゼロパーセントの島だ。
 済州島は到着が夕方近くですぐに暗くなってしまうので、できることが限られる。
 オプショナルツアーは焼肉を食べるような内容だけど、韓国料理は日本に本格的なものがたくさんあるから、済州島で時間を使って食事をするのは時間がもったいない。
 というわけで、僕らはタクシーをチャーターして、個別に案内してもらうことにした。
 三姓穴、オバケ道路を案内してもらって、龍頭岩から海岸線を走る。
 済州島の南には大資本の高級リゾートが並んでいるが、西の海岸は日本でいえば江ノ島茅ヶ崎の感じ。
 庶民的なごく当たり前の海岸風景。
 違うのは溶岩の黒い岩の続く海岸と、海沿いの道にびっしりと刺身屋が並ぶこと。
 チャーターすると、普通の観光客が興味のないような質問を運転手さんにどんどんできるので、僕みたいにふつうの観光客が興味をもちそうなmのにはあまり興味がなき人間にはとても役に立つ。
 海岸沿いの(少しだけ)お洒落なカフェでウィンナコーヒーを飲み、あとは船にもどってもらう途中でコンビニに寄って買い物。韓国ではもとファミリーマートだったところが「CU」というチェーンになっているという。
 オプショナルツアーでない我々はいつもどおり、船内で食事。無料だし。
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太平洋から東シナ海へ

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 航海二日目は終日航海。
 とりあえずジョギング。
 船の6階の外部デッキを一周できるようになっている。一周500m弱だろうか。
 しっかりロングタイツの完全装備の人、夫婦でジョギングの後に仲良く喫煙している人、僕の後方にぴたっと付いて来る人、何度も追い越していく人、などなど。
 その後はのんびりデッキで読書でもしようという計画だったが、どっこい曇ったり雨が降ったりで肌寒い。
 朝食はアラカルトのファンタジア・レストランへ。
 これが大混乱で、オーダーしてから2時間経っても料理が出てこない。
 部屋までは来ているのに、いつまで経っても席に配られて来ない。
 痺れを切らして注文が届かないまま席を立って、ビュッフェレストランへ鞍替えする人多数。
 こういうとき、小説家は得だ。
 トラブルが起きれば起きるほど、その原因は何なのか、トラブルの最中、そこで巻き込まれている人たちはいったいどのように行動するか、それをずっと観察していて飽きることがない。
 イライラするどころか、興味津々なのだ。
 ま、料理がでてこないとお腹はどんどん減るけどね。そんなことは人間模様の観察に比べれば大した問題ではない。
 やがて客の一人がフロアの離れたところにいる日本人の担当者に事情を連絡。
(何しろ、2000人の乗客が数カ所のレストランで食事をするので、メインレストランのフロアは広く、テーブル数は多い)
 本来、ウェイトレスではないHISの女性スタッフが、その場でできることをやろうとするのだが、彼女自身がいらだっているのが表に出て、それがこちらにも伝わってくるので、かえって客の心がささくれる。
 接客業は笑顔で仕事ができないならたとえそれが客のためでも余計なことはしない方がマシだったりするのだなあ、と知る。ご飯が食べられないことよりも、彼女のギスギスした立ち居振る舞いの方が不快になったりするのだ。責任感と善意によるものだとはいえ。
 注文した料理ができあがってフロアに届く頃には多くの客が業を煮やして席を立ってしまっていたので、後には食べる人のいない料理が大量に積み上がって壁を作っていた。
 午前7時半にレストランに入って食事を終えて席を立ったのは午前10
 昼食はビュッフェレストラン。
 夕食は、有料の特別レストラン・マニフィコ。
 マニフィコはサービスの質は高いがそれでも完璧ではない。
 でもフルコースで33.5ドルとしては優秀だとは思う。
(他のレストランでは無料でフルコースを食べることができるので、値段の差は数字以上に大きいわけだけれど)
 すべては値段に見合えばフェアなのであって、安い店で高級店と同じサービスを求めるのは間違っている。ましてやイタリアの船に乗って完璧なサービスを求めるなんてお門違いだと、今の僕なら思う。
 昨年、イタリアで暮らした経験が活きている。
 完璧なディナーと、まあまあのディナーの価格差は10倍くらいあっても当たり前なのである。
 この有料レストランでは、バイオリンとピアノの生演奏があるのだけど、まあ、けっこう荒っぽい演奏で、絶対に東邦学園の音楽科には入学できないだろうな。
 最後にバイオリニストがうちのテーブルに来てリクエストを取り、目の前で演奏してくれた。
 イタリア人かと聞いたらハンガリー人だと。
 Costa Victoria の今回の航海はHISのチャーターなので乗客2000人はほぼ日本人ばかりだけど従業員は極めて多国籍。
 確認しただけで、日本、韓国、中国、インド、ペルー、インドネシア、シンガポール、ハンガリー、そしてイタリア。
 船籍はイタリア、船長はイタリア人で船の運航はイタリア人が中心のようだけど、レストランやその他の接客系は中国人が多く、イタリア人はほとんどいない。
 クルーの間でもイタリア語は公用語ではなく英語のようだ。(イタリア語、改めて少し練習してきたんだけど)
 トスカーナの赤ワイン(62ドル)はよい感じでした。
 
 本日もワインを飲んでバタンキュー。お休みなさい。
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客船 Costa Victoria

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 Costa Victoria には11のバーと5つのレストランがある。
 劇場がひとつ、図書室や会議室もある。
 野外プールとスパ、室内にもスパがある。
 テニスコートやアスレチックジム、ジョギングトラックもある。
 託児所や美容室も協会もある。カジノもある。
 あちこちのバーやレストランで音楽の生演奏もある。
 すべてが同時に開くわけではないけれど、それぞれ特徴のある場所で飲食をいろいろなスタイルで楽しむことができる。
 ダンス教室、料理や菓子作りの教室、訪問地の語学や観光に関する教室、ヨガの教室もある。
 ラスベガスのホテルのようであり、地中海クラブのようでもある。
 とにかく初日なので、チェックインから出航までの3時間や出航してからしばらくは探検だ。
 どの乗客も考えることは同じなので、無駄に行き来する人で(笑)どこもかしこも混んでいる。
 全長230mあるので、行ったり来たりでけっこう運動になる。(笑)
 前後方向に行き来できる階とできない絵画あり、地理感ができないとピンポイントで目的地に辿り着くことができない。
 夕食は、シンフォニアレストランで、イタリア料理のフルコース。
 テーブル担当のビクトルは中国系シンガポール人。
 ちなみに24時間、何かを食べることができ、食事はすべて無料。
 そのかわり、飲食物は一切持ち込み禁止。
 アルコール類は有料。
 前夜、支度のために4時間しか眠っていないので、プロセッコを飲んで食事を終えたら、バタンキュー。
 おやすみなさい。

ああ、憧れの外国航路

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 午前11時半、タクシーを呼んで大桟橋へ向かう。
 空いていれば10分のところ。
 時はゴールデンウィーク、最後は大桟橋手前で、大桟橋駐車場を目指す観光客の車で渋滞。
(その先のターミナルへ行く車はほとんどないのに)
 正午、チェックイン。
 目的地が韓国済州島なので、横浜から「出国」となる。
 部屋は10階のバルコニー付ツインルーム。
 出航は15時。
 14時30分開始予定の避難訓練は45分に変更。
 その時刻までに船体探検。
 どこもかしこも人々が右往左往している。
 避難訓練は警報が鳴ったら部屋にもどって救命胴衣をつけて案内にしたがって行動せよ、というミッションのはずなのに、早々に救命胴衣をつけて廊下を歩いている人、集合場所にさっさと来てしまう人などがいて、みんな字をちゃんと読まないんだなあ、という感じ。
 桟橋側では見物の人がたくさんスズナリでこちらを見ている。
 吹奏楽団も待機。
 とりあえず昼食。まずはプールの階にあるビュッフェ・ボレロで。
 14時45分、警報が鳴って避難訓練のアナウンス。
 救命胴衣を付けて客室のある10階から5階へ降り、外のデッキへ。
 頭上に救命ボートが並んでいる。
 モノハル艇もあればカタマランもある。
 15時過ぎ、こちらはまだ訓練中だが、業を煮やした(?)ブラスバンドが桟橋で演奏を始める。(笑)
 15時15分、訓練終了。
 いきなり離岸が始まる。こちらはまだ救命胴衣を付けて下層のデッキにいる。
 上のデッキから感慨無量で桟橋を離れるのを見ながら、外国航路へ出港したかったのに。(笑)
 大桟橋から横浜ベイブリッジへ出る前の狭い通路を通過するときに、タグボートに右舷を押してもらう。観音崎を超えてあしか島沖でもタグボートに押してもらっていた。
 風速は15m前後でやや強い風だけれど、ヨットなら元気いっぱいでかっ飛び状態。
 どうやら客船は背が高いので、横風にはめっぽう弱いようだ。
 

旅支度

 明日から客船クルーズに出かける。
 というわけで、全日、旅支度。
 YCATからリムジンバスで羽田空港国際線ターミナルへ。
 横浜港から船旅に出るのに羽田空港へ来た理由は携帯電話。
 我が家にある海外向け携帯電話はGSMという方式で例外的に韓国では使えない。
 訪問先の済州島でチャーターしたタクシーに、船が入港した時点で電話連絡しなくてはならない。
 船からかける電話は衛星回線で、通話料が高価な上、つながらないこともある。
 ターミナルの公衆電話でかけるには船から下りなければならず、船から下りるのは入国手続きなどのため入港から1時間以上後になると思われる。
 というわけで、そのためだけに確実な手段として携帯電話が必要なのだった。
 連休のため千葉方面へ行く横断橋「東京湾アクアライン」の渋滞が首都高速にまで伸びているため、バスは経路を変更して羽田へ向かう。
 羽田空港到着まで35分ほどだが、国際線ターミナルはそこから10分以上かかった。羽田の国際線ターミナルに来るのは初めて。ゴールデンウィーク中なのにガラガラ。
 3階出発フロアにある携帯電話のカウンターで韓国のキャリアの電話機を受け取る。羽田まで家から1時間、用事は5分。
 せっかくなので、ターミナルをぐるりと歩いてみる。
 リムジンバスで再びYCATへ。(往復運賃940円)
 帰宅後は荷物の準備。
 客船クルーズは、船上生活そのものが旅の目的なので、荷物が多い。
 毎日、時間によって、ドレスコードが変わる。
 カジュアル、フォーマル、仮装、など。
 靴だけでも、革靴(黒と茶の2足)、ジョギングシューズ、ウォーキングシューズ、部屋用のサンダルと5足が必要。
 ジャケットはフォーマルと仮装で含めて3着。
 などなど、こんなに洋服を持って行く旅行は人生はじめて。
 夫婦二人のパッキング終了は翌午前5時過ぎ。
 

桜宮高校のこと

 桜宮高校の体育科の入試中止について、「受験生が困る」「進路が狭められる」「橋下市長の横暴だ」という意見を聞くことが多い。
 確かに桜宮高校への入学を志望していた生徒にとっては一大事だ。
 けれど、入試をするには「入るに足る学校である」ことが最低条件だ。
「入らない方がいい学校」のなら、志望者を受け入れてはいけない。
「受験生がかわいそう」論はその点が抜け落ちているように思う。
 部活顧問の暴力と、部活で冷遇されることで、アスリートとしての進路に大きな影響があること、それを苦にして自殺をした主将がいた。
 顔が腫れ上がるほど30-40発殴るという暴力が「強くなるために必要な体罰」であるはずはない。
 であるのに、この高校では黙認されてきた。
 校長も教師も保護者も、全員、そうした事実を知りながら黙認してきた。
 バスケ部が強く、顧問が18年のあいだ対外試合での実績があるということにより、犯罪が黙認されてきたのだ。
 一人の暴力教師がいた、ということではなく、暴力を誰も止めない学校だった。
 部活が強くなるなら、暴力教師が生徒を殴ってもよい、と皆が考えていた。
 あるいは、そうした実績がある故に、おかしいと思ってもそれを正せない人たちの集まりだった。
 教育とは「何が正しいか」を教える場だ。
 同時に、「間違っているときはそれを正す」ことを学ぶ場だ。
 対立するものの中から、適切な優先度を判断する能力を学ぶ場だ。
 それは、スポーツで活躍することよりも遥かに重要な、人生の原則だと僕は思う。
 しかし、この学校では、その大原則が教えられることなく、おかしなことが行われているのを知りながら、ずっとそれを集団で許してきた。
 一人の暴力教師の犯罪ではなく、その犯罪を黙認することをよしとする学校だった。
 入試を実施し、新入生が入ってくるまでに、この学校があるべき姿に変わることができるとは思えない。
「先生は悪くない」「とにかく入学したい生徒の希望を叶えるべきだ」
 そういう声がいまだに公然と聞かれる場所は、教育の場所としてふさわしくない。
 本人が「希望している」からといて、教育の場としてふさわしくない学校に新たな生徒を受け入れるべきだろうか。
 受験生の意志を尊重するためには、受験生が正確な情報から冷静に判断できることが前提となる。
 しかし、正確な情報はまだない。学校の内情を十分知ることもできない。
 有名校のバスケット部に入ることに目が眩んだ中学生とその親に、この状況下で冷静な判断などはできない。
 冷静な判断ができない状態の中学生の「本人の意志」は、学校が危険で教育にふさわしい場所にもどることができるかどうかわからない状況で、それだけ尊重すべきなのだろうか。
 そうした「本人の希望」を理由に適切が教育が行われる確証のない場所に中学からの受験生を受け入れることは、とても無責任なことだと思う。
 入試中止は、不祥事を起こした学校への「罰則」などではなく、十分な教育ができない学校へ新たな生徒を受け入れない「防波堤」だ。