3kmほどのジョギング。
まあ、走れるのだけど、循環器呼吸器系よりも筋肉が限界になる、そんな状態に戻ってしまっていることは明白。
つまり、マラソン出場を決めた9月初旬、3ヶ月前に逆戻りだ。
午後7時半すぎ、コガーデンが屋台に変身する「コガバー」へ。
高架下だけど野外なので、足首にレッグウォーマー、そして、この冬初めてジッポーのカイロを持参。
アーティストたちと表現について、けっこう真剣に話をして、楽しかった。
6時間分オイルを入れたはずなのに、シーズン始めで中のフエルトが乾燥しきっているためは4時間ほどで消えてしまった。
意識してなかったけど、午後11時には体中の筋肉がこわばっていた。
パソコンのバックアップ作業をさせてあった事務所に戻って少し暖を取り、カイロを再点火して、午前1時前、帰路につく。
Diary
久方ぶりに都内へ。
最寄り駅で各駅停車が来たら代官山へ、急行や特急が来たら下北沢へ、それぞれ取材に行こうと思っていたところ、急行が来たので、自動的に行き先は下北沢となる。
夕暮れ時の町を歩いて、いくつかの場所を定点観測。
下北沢の特徴としていくつかのカテゴリーの店が多いのだが携帯電話屋もそのひとつ。
価格調査がてら見て歩くと、機種変更でいまはスマートホンよりも普通の携帯電話の方が高い。
スマホをもたせて、月々の通信料の客単価を上げることを目指しているわけだ。
こちらは、月々の支払いの大きいのは避けているし、トータルの支出でもスマホが高くなるので検討対象外)
最後は、見たこと感じたことについてメモを取るために、南口駅前のマクドナルドへ。
約束の時刻が近づいたので、渋谷へ戻る。
渋谷駅から「学03」というバスで一つ目、渋谷三丁目で下車したところのイタリアン・レストラン Trattoria Siciliana Don Ciccio へ。
有名店で予約が取りにくく、イタリア料理店としては値段もなかなかなので、自分では行きにくいのだけれど、本日はご接待。
というか、S社編集さんと『インバウンド』の打ち上げを兼ねた打合せ。
偶然だが、横浜のイタリア食材のイベントで知り合ったKさんが、最近、この店のフロアマネージャとして移動してきていると、横浜の別のイタリア料理店で聞いていたのだが、案の定、ドアを開けるといきなり出会う。
料理はどれも美味しい。
どうやったらこの味が出せるのか、素人ではわからない「料理人の作る料理」だ。
担当編集さんはワイン好きなので、いつも二人でワイン2本は楽々空けてしまう。
ごちそうさまでした。
我々が店を出る頃にはテーブルは2回転目に入っていた。
交通費
440円x2 + 120円x2 + 170円
ずっとDISCASというツタヤの通販レンタルのシステムを使っていたのだけど、イタリアにいる間は借りられないので、4月に解約していた。
3年ぶりに実店舗でのレンタル会員になる。
4枚1000円でCDを借りて仕事場へ。
Bill Evans, Norah Jones それに Melody Gardot を2枚。
CDが売れなくなっているそうだ。
音楽業界はそれを違法ダウンロードのせいにしていたりするのだけど、僕はちがうと思う。
いま、僕のパソコンには12000曲近くの音楽が入っている。
もちろん違法にダウンロードしたものじゃなくて、買ったり有料でレンタルしたり、すべてきちんと著作権料を支払っている。
24時間かけっぱなしで、全部聞くのに37日かかる、とパソコンの画面に表示が出ている。
僕の残りの人生はせいぜい30年くらいしかなく、1日は24時間しかないし、音楽ばかり聴いていられないから、新しく買わなくても十分なだけの音楽コレクションをもっている。
レコードやCDで聞いていた頃は、コレクションにもっている曲を覚えていられないから、古くからある曲は一部を除いてあまり聴かれなくなったものだ。
そこで新しいアーティストや新しい曲が耳に入ると、新たにCDを買うことになる。
ところがパソコンの中にあると、古いものも新しいものも、すべてが同列で目に入ってくる。シャッフル機能で機械が自動的に忘れていた古い曲をかけてきたりする。
iPod や iTunes のおかげで古いものを聞く機会が多くなったのだ。
その分だけ、新しい曲を聴く機会が減り、新しいものを買うモチベーションが以前よりも低くなっている。
かつては新しいレコードを買うと、しばらくはそればかり聞いたものだけど、いまは、新しいものを買っても、ライブラリーの12000曲に、静かに加わるだけで、以前ほど新しいものばかり聴くというわけでもない。
つまり、CDが売れないのは、違法ダウンロードのせいじゃなくて、パソコンや iPod にライブラリーが全部入り、それを持ち歩いて聞く機会が増えたので、音楽を聴く時間が限られている中で新しいものの必要性が減ったからだ。
ようするに新しい効き方のスタイルのなかで、音楽業界が昔売った音楽自体が、新しい音楽を売る邪魔をしているというわけだ。
1日2時間音楽を聴くとすると、ライブラリのすべてを聴くのに1年かかるから、この先、平均すると生きている間にもっている曲をせいぜい30回くらいしか聴くことができない。
かつてレコードの頃はコレクションも少なかったから、買ったらあっというまに30回くらいは聴いたものだけどね。
まあ、それでも新しいものを買うことは買うのだけどね。
遺物です。さっきゴミに出してきました。
僕のアイデンティティに「ミュージシャン」が残っていた頃のもの。
左が YAMAHA RX15 Digital Rythm Programmer
ちょっと高級なリズムボックス。ドラムの音源でもあります。
右が、YAMAHA QX5 Digital Sequence Recorder
デジタル楽器を制御してオーケストラのように鳴らす機械。
どちらも1980年代中期のものです。
それぞれ7万円位。
当時の可処分所得内の比率としてはけっこう高かったです。
こういうのを買うために食費を削ったのでエンゲル係数が低くなりました。(笑)
今では、MACを買うとついてくる GarageBand で全部できてしまいます。
いや、むしろ、ずっとずっと高機能です。
パソコンを全部揃えると100万円近くした時代ですが、そんな機能はありませんでした。
自分の志の変遷に関わる重要機材の一部なので、ずっと棚にしまってありました。
でも、さっき、捨ててきました。
(下の写真は、かつて一緒に使っていた TEAC TASCAM244 Multi-truck Recorder )
アーティスト・さとうりさプロデュースによる カフェ・プアン
ゲストシェフ・阿川大樹の
「黄金町ベネチア化計画 バーカロがやってきた」
9月16日(日) 17時から22時
黄金町 高架下スタジオ Site-D
90日のベネチア滞在を終えて、黄金町に戻ってきた阿川大樹です。
ベネチアには、バーカロとよばれる立ち飲み屋がたくさんあります。
夕方、仕事を終えた土地の人たちが、いやいや、むしろ昼間っから、ちょいと一杯ひっかけにやって来ます。
そこで出るのが cichetti (チケッティ)と呼ばれる小さなおつまみ。
写真2000枚のスライドショーを環境映像に、イタリアのラジオの聞こえる黄金町で、ちょいと一杯を楽しんでください。
ベネト州の発泡白ワイン・プロセッコ、代表的食前酒・スプリッツ、エミリアロマーニャ州の赤い発泡酒ランブルスコ、などをリーズナブルな黄金町価格で。
(阿川、ただいま、仕入れに奔走中)
チラシは、こちら から、ダウンロードできます。
(追記)
メニュー できました。
お値段は、各250円から500円くらいを予定しています。
(追記 2012/9/20)
盛況のうちに終了いたしました。
たくさんの方々のご来場、ありがとうございました。
予想外の盛況に手際やおもてなしに不十分なところが多々あったと思います。
お礼に重ねまして、お詫び申し上げます。
映画「ヘルタースケルター」(監督:蜷川実花 主演:沢尻エリカ)を観た。
僕はほとんど映画を観ない人だ。
執筆資料としてDVDを見ることはいくらかあるにしても、劇場で映画を観ることはほとんどない。たぶん、年に2,3本くらい。
そんなわけで、この映画「ヘルタースケルター」は、僕が今年劇場で観た最初の作品となった。
素敵な映画だった。
いい意味でサイケデリック、いい意味で純文学的、そして退廃的。
設定を提示したら、その背景や真実みを理屈で説明しない。
そのかわり、映像とキャストの存在感で、観客の中に存在させてしまう。
映画というメディアの強みをとても旨く使っている。
特筆したいことはふたつ。
まず、キャスティングが素晴らしい。
主人公「りりこ」とライバルの後輩モデル「吉川こずえ」の対比は、ふたりが登場する最初のワンシーンで一気に提示される。
桃井かおりを桃井かおりでありながら今までと違う使い方をしている。
寺島しのぶをあまり美しくないマネージャー役で使っている。
意外性がありながら、それらもはまっている。
役者から可能性を引き出した監督の力量を感じる。
そして、この監督は人の表情を捕まえるのがうまい。
人物を手がける写真家である監督の「目」が遺憾なく発揮されている。
冒頭から、沢尻エリカの魅力にまっしぐらに引き込まれるし、どの人物も最初に登場したときに、説明なしのワンカットで存在感を与えられている。
一枚の絵で人の心を捕まえる技をほんとうによく知っていて、それはそれは「ずるいよ」といいたくなるほどうまい。
あけすけなセックスに関する台詞は、男性の視点ではなく、むしろ女性の会話的(女子会の下ネタ的)。
セックスをするシーンはぎこちなく記号的に見える。
だけど、それは僕が男性で、男性目線のセックスシーンを見慣れているからそう思うのかもしれない。
悪い意味で「文学的な」大仰で思わせぶりな台詞がちりばめられているので、それにしらけることもあるのだけれど、それは確信犯で監督の計算の内なのではないかとさえ思う。
シーンとして出色なのは、りりこがマネージャーの恋人を彼女の目の前で誘うシーン。
3人のそれぞれの心の動揺と痛みが出ていて、観ているこちらが辛いと感じながら、同時に「こんな女がこうして迫ってきたら自分だったらどうするだろう」と、観ているこちらの煩悩と妄想があぶり出される。
このシーンだけのために、この映画が存在してもいいと思った。
常識的には、この映画で描かれている主人公は不幸だし、歪んだ世界の物語なのだけれど、この映画を観ていると、それでもなお「りりこ」がこの世に存在するのなら、世界なんて歪んでいたっていいじゃないか、とも思えてくる。
(いまや死語となっているであろう)デカダンスの誘惑を提示されて、観るものの価値観は揺すぶられる。それが快感だ。
僕は小説家だけど、よくできた映画を観ると映画というメディアのもつ特性をうらやましく思うことがたまにある。
この映画はそんな映画だった。
イタリア(ベネチア)にほぼ3ヶ月住んでみて、気づいた所をまとめて見た。
【イタリアの生活のよいところ】
食材がだいたい日本の値段の4分の1、種類も豊富で美味しい。
ワインが1リットル200円くらい。
食材などは量り売りなので無駄が出ない。
包装が簡単なのでゴミがあまり出ない。
個人商店が多く物を買うのが楽しい。
広場があって地域のコミュニティがある。
近所の音や声がよく聞こえる。
電話やネットも安い。
文化や芸術も天こ盛り、値段も安い。
人々がのんびりしている。
暮らし方の種類がいろいろで、他人に干渉しない。
完璧なサービスを仕事を期待するあまりに、そうでないことに苛立ったり、他人の出来の悪さをあげつらったり、そういうピリピリした空気がない。
ちょうどよい加減にいい加減。
【イタリア生活のよくない(?)ところ】
壊れたものはなかなか治らない。
色々いい加減。
いちいち長い行列ができる。
列が短いからといって時間がかからないかどうかはわからない。
(自分の番が来たら必要な時間をたっぷりとりたいから、窓口で長く時間を使う人がいても互いに許す)
近所の音や声がよく聞こえる。
(迷惑をかけないように息をひそめて暮らすのではなく、お互いに迷惑かけ合い許し合う暮らし)
商店の営業時間がまちまちで昼休みもあるので、個別に営業時間を知っていないと買い物ができない。
夜中には何も買えない。(コンビニはない)
公的機関の情報がしばしば間違っている。
掲示や公式サイトではなくいちいち人を辿って確かめていかないと正確な情報、必要な情報が手に入らない。
(「わかんなかったら聞けよ」方式:情報の基本は口伝?)
(現場にマニュアルもないから、訊いて担当者がわからないとき、担当者は知っている誰かに順番に聞いて回る。だから窓口でやたら時間がかかったりする)
(はなからものごとを文書で周知徹底しようと思っていないみたい)
お店も話をしないと欲しい物が出てこない。
(まさかないだろうと思って訊いてみると、びっくり、奥から出てきたりする)
でも、すべて最初からそういうものだと思っていれば、特に問題でもないから、悪いところはとりたててないともいえる。
ようするに、ものごとを最短距離で効率的にやろう、などという野望を持たなければ、何も問題はない。
「完璧」はいろいろ高くつくから、完璧を目指そうと思っていない社会。
「いい加減」といってもずるいのではなくて、「お互いに不十分」なのを許し合っているからフェア。
(こっちはちゃんとしているんだから、そっちもちゃんとしろ、と迫ったりしない)
その結果として、とても暮らしやすい社会ができている。
ちなみに、
電気料金は日本の1.5倍くらい。
一人当たりGDPは日本の7割くらい。
原発をやめて高い電気料金になって、GDPが7割くらいまで下がった日本の暮らしを考えたとき、十分、幸福に暮らせるんだよ、というロールモデルになっているかもしれない。(もちろんそう簡単には比較できないのだけれど)
どっちにしろ、いまの日本にいるよりずっと暮らしやすい。
できれば日本に帰りたくない。
今週は San Giacomo 広場にステージが組まれ、毎日、バンドが入っているらしい。
夜遅くまで聞こえてくる音。
これがベネチアの夏の音なのか、と思う音はアメリカンロック。
ただし、僕も疲れているし、妻も体調がいまいちなので、我々は生協で買ってきた Orata で、家で夕食。
美味しく戴きました。
午前7時半起床。
大浴場で汗を流して、チェックアウト。
タクシーを呼んでもらって、新都心おもろまちへ。
約束の時間の1時間前、ミスタードーナッツで時間調整しながら朝食。
沖縄タイムス本社で学芸部による取材。
終了後、浦添のFM沖縄へ移動。
看板番組「ハッピーアイランド」に出演。
沖縄で一番人気のある長寿番組。
初対面ながらパーソナリティの多喜ひろみさんとも打ち解けて。
(実は、多喜さんが、「クラスメートの幼なじみ」であることが最近わかった)
それにしても月曜から木曜の生放送を20年以上続けている、多喜ひろみさんの、その技術と頭の回転と適切な心の反射神経に脱帽!
「ハッピーアイランドの本」も頂戴したので、サインをして戴きました。
放送の後、FM沖縄の応接室で、そのままタウン誌「おきなわ倶楽部」の取材。
タクシーでおもろまちに戻って、TSUTAYA那覇新都心店へ。
わああ、びっくり!
『インバウンド』が村上春樹『1Q84』の文庫と背中合わせで同じボリュームで多面展開。
次は、牧志のジュンク堂那覇店。
こちらも、超弩級の面展開。
阿川、目がうるうるしてきました。
県庁近くのホテルにチェックインしてから、編集担当のSさんと打ち上げに出る。
『インバウンド』(小学館)販売促進のための沖縄ロードはこれで終了。
洗練されているけど高くはない沖縄料理店での打ち上げでは次の小説の話なども。
土砂降りの中、店の閉店で追い出され、数十メートル走ったところにあった神戸バー「仲々」でワインを飲みながら雨の上がるのを待つ。
TSUTAYA 那覇新都心店では、なんと!『1Q84』(文庫版)と同規模の展開
ジュンク堂那覇店の店頭はこの迫力。著者本人もびっくり。
午前9時半、電話の着信音で起こされる。
琉球新報の記者から電話。新刊について取材したいとのこと。
デイゴの悟さんから話が伝わっているのだ。
沖縄は東京から遠隔でやるとなかなか話が進まないが、現地に来ると、友人知人がするすると連携して、話がドンドン進んでしまう。
最上階の大浴場で少しゆったり。スコールの音を聞きながら。
遅い朝食を摂ろうと思ったが、まだスコールが来て外へ出られないので、ホテルでランチ。
1000円。
食べ終わった頃には雨は上がって、外は湿度100%に近い。
日焼け止めを塗り、サングラスをして出かける。
やたら広い家に引っ越した照喜名薫の家を訪ねる。
わお。ほんとに広い。今度からここに泊めてもらおう、という算段。
音市場の3階の事務所へ立ち寄って、音楽プロデューサーの徳さんにあって献本。
一昨年、ピースフル・ラブロック・フェスティバルのバックヤードを取材させてもらった。
昨夜に続き、宮脇書店に行くが、ちょうど店長は休憩時間で不在。
ついでにサンエーの洋品売り場で、かりゆしウエア(島田順子デザイン!)を買う。
午後3時、カフェ「オーシャン」で琉球新報の取材を受ける。
取材の最後に写真撮影とのことで、ポロシャツをさっき買ったかりゆしウエアに着替える。
撮影後はポロシャツにもどる。(笑)
コーヒー、お替わりしたから700円。
午後4時過ぎ、3度目の正直で宮脇書店へ。
店長に会って、今後のメディア露出のことなどを話す。
オンラインでは在庫が在ることになっているが、まだ、店舗に本は届いていないらしい。
まだオーシャンのタコスを食べていなかったので、すきま時間に、もういちどオーシャンへ。
タコス2個(1個なら複数形のタコスでなくタコなのだよ、みんな!)と生ビール。1100円。
午後9時、パルミラ通りのパーラーりんりんへ。
りんりんにも1冊、献本。
待ち合わせたベーシストのコウゾウさん(『インバウンド』ではドラマーになっている)に献本。
りんけんバンドのかーつーも一緒に飲む。
ここで、コザでの全タスクは終了。
中の町のSHUNで少しまったり。この店お通しが300円なのだけど、4品も出て来る。そのどれもが美味しい。
午前0時を回ったところで、へとへとになってホテルへ戻る。