フランス革命の日だけど、日本では全国台風一色。
水不足は解消だろうけど、あまり被害が出ないといいなあ。
夕方、プールへ。
いつものように小一時間ウォーキング中心。
空いていて気持ちよかった。
テレビのドキュメンタリーに収穫あり。
新しい鉄鋼王ミタルの物語、それから、マラソンの瀬古と中山の物語。
民放は自己崩壊していて、特定の面白さを評価してくれる視聴者だけのために番組作りをして、それ以外の人からどんどん見放されて影響力を失ってきている。自分の努力でわざわざ視聴者を減らしているわけだ。
民放に共鳴できない人たちは、僕のようにテレビを見なくなるか、見るとしてもニュース以外はNHKしか見なくなってきている。(ニュースに関してはNHKだけでは危険すぎる)
そんな深刻なテレビ離れに早く気づかないと、メディアとして、あるいは、ビジネスとしての民間放送の将来は暗いと思う。
短編の第二稿に編集者の赤が入ったものが速達で届いたので、夜はそれに着手。
24日朝の放送は出かけていて見ることができなかったので、帰宅後、深夜の再放送で見た。
著者近影(笑)と経歴がしばらく映し出されたのは、とってもこそばゆいぞ。
内容は、司会・藤沢周(作家)、中江有里(女優・脚本家)の2人と伊佐山ひろ子 (女優)、逢坂剛 (作家)、吉田伸子 (書評家)の5人が『D列車でいこう』をよってたかって批評、というか誉めてくれる番組になっておりました。
ちょっとネタバレもあったけど。(特に逢坂剛さん)
逢坂剛さんが、小さな不満を口にしたとき、拙著を「おすすめの1冊」に選んでくれた吉田伸子さんが、「そこがいいんじゃないですか」といって反論してくれて、その瞬間に中江有里さんがうんうんとうなずく瞬間をカメラがしっかり切り取っていて、それが番組としてのハイライトシーンかな。
「吉田さんは、面白い本を見つけてくる天才ですね」という逢坂剛さんの開口一番がなかなかいいキャッチコピーになってました。
朝の放送から不在の間、複数の人が amazon の売上順位をウォッチしてくれていて、それをまとめてエクセルの表に入力して、「週刊ブックレビューによる amazon の反応」という資料ができたので、編集者にメールで送っておく。
僕はベースが理科系なので、こういうデータを見るのが大好き。
最高位は25日午前0時20分ごろに記録した63位のようです。
「レイモンド・チャンドラー+村上春樹」という超強力コンビと抜きつ抜かれつのデッドヒートを繰り広げていたようすが、数字としてすごく面白かった。
いや、チャンドラーといえば、ハードボイルドの金字塔のような作家だし、村上春樹といえば「村上チルドレン」と呼ばれる一群の作家まで産み出した日本文学界の寵児だし、一時的にせよ、そういう作家の本と売上順位で並ぶなんてのは、デビュー2作目のかけだし作家としては、すごいことであります。(まあ、時間と共に水を空けられることは目に見えてはいるけどさ)
NHK「週刊ブックレビュー」のサイトは こちら
青島幸男が亡くなった。1932年生まれの青島幸男は、僕より22歳年上。
「おとなの漫画」「シャボン玉ホリデー」「スーダラ節」「ハイそれまでよ」「明日があるさ」「お昼のワイドショー」、彼が作品を産み出していた時代に僕の人格形成が行われたようなもので、全部同時代だ。
テレビのテレビらしさを作った人であり、サラリーマンを世間の主役にした時代の申し子でもある。
35歳で参議院に当選したところまで、それはテレビの力を信じた結果でもあった。
野坂昭如とならんで青島幸男は早稲田大学の校風を具現化したような人でもあり、少しだけ上の世代で早稲田大学を謳歌した僕の父親に芯にあるメンタリティにおいてそっくりで、青島を見ていると父親を見ているような気がしていた。
都知事になって彼がやったことも、反骨精神とサラリーマンの視点ではすでに経済も政治もやっていけないという現実離れにおいて、昔の早稲田そのものだった。これも企業に不適合で自分で事業を興して玉砕した父親を彷彿とさせる。
(そこへいくと、慶応の人は、実に現実をちゃんと見ている。福沢諭吉は偉いなあ)
権威に対する「アンチ」が真骨頂だった早稲田の青島がテレビを作った。
いつのまにか、テレビはテレビ自体が権威であり旧勢力になり、「小泉自民党圧勝」をまるで予想できなかったくらいに国民とは離れた存在になって、暴走を続けている。
多数が善良であるという前提のなかで「毒」や「本音」に意味があったのに、世間の毒が平気で表に出て、それを「本音」として肯定することが当たり前になると、暴走に歯止めがかからない。
アンチとして、やってはいけないことを「テレビの中だけで」やって視聴者が溜飲を下げていた時代が終わり、皮肉やイジメの番組が、テレビが権威になった時代には、「テレビでもやっているのだから」となんでも許されると錯覚され、テレビニュースで繰り返し報道される例外的な悪事が、「だれでもやっている」と視聴者に受け取られて、「社会の本当の姿は汚くてずるい人間が得をしている場所だ」とだけ翻訳されて疑われなくなってしまった。 テレビが少数例を取り上げ続けると、人々の心の中で、それが「ふつう」になってしまうのだ。
青島幸男さんには、政治をやらずにずっとテレビを動かしていて欲しかった。
早稲田精神で、ずっとテレビを権威にしないでおいて欲しかった。
僕にとって、青島幸男のマスターピースは、渥美清主演の「泣いてたまるか」のいくつかの作品だ。
青島幸男も岸田今日子も70代半ば。
平均寿命が80年あるからといって、自分が何歳で死ぬのかはわからないから標準的に生きた部類の寿命だろう。
特に長生きしたいわけではないけど、宇宙の真理がどうであろうと、自分のもっている時間は有限なのだなあ。などと当たり前のことを思った。
小説書こう。
10月4日(初日) 新宿・シアター・サンモール
原作・総合プロデュース 神田昌典
脚本・演出 永井寛孝
僕自身、劇団「夢の遊眠社」の創立メンバーであり、芝居を創ってきた経験があるので、演劇一般について作り手側の視点で見てしまうことを、まずはじめにお断りしておきます。
(以下、文中、敬称を略す)
この演劇については、ひとことでいうと「楽しかったが居心地が悪かった」というのが率直なところだ。
この芝居を観て、僕はたくさん笑ったし、楽しかった。だが、反面、観ている間に何度も落ち着かない気持ちになった。
1998年 日本映画
監督 新村良二
製作 円谷粲
プロデューサー 米山紳 関根房江 前島真理奈
原作 家田荘子
脚本 山上梨香
立河宜子(梶井みどり)
升毅(須賀崇之)
かとうあつき(関谷歩美)
中尾彬(大森七郎)
小野みゆき(水島真知子)
たしかにあのころ、家田荘子は時代の寵児だったなあ、と昔を偲びたい気持ちになる映画。
描いている世界がバブルなのに、どこか微妙に上品な仕上がりになっていて、けっこう切ない映画だった。
どういうハコガキで脚本を作っていったか、作り手としてとてもわかりやすい。それは単純だけれど悪いことではない。わかりやすさのなかに「ある視点」があればそれで映画は成立するから。
たぶん、この映画で出色なのは素材としての立河宜子という女優と、彼女の変化を一瞬で表現しているメイクだったと思う。
(メイクの人、タイトルロールで名前を見損なってごめんなさい)
監督: 大島渚
出演: 松田英子, 藤竜也, 殿山泰司
昭和11年の「安部定事件」をあつかった大島渚監督1976年の作品のノーカット版。
GyaOで。
76年の公開当時、安部定事件を扱ったことと過激な性描写で日本公開版ではやたらとカットされていることなどが話題になっっていた。
30年前のことだ。
当時の僕は話題のされ方になんだかうんざりしていたのと、スチールでみる松田英子にあまり興味を引かれなかったということもあって、この映画を観なかった。
で、30年の時を経て観たのだが、これが実に「静かな」名作なのである。
性器を切り取る事件がどうとか、映画に於ける性描写がどうだとか、そういう騒ぎのイメージと、この映画のできあがりはまったく異なる。
破滅を予感しながらそこに敢えて埋もれていく、定と吉蔵。
お互いのすべてを受け入れるという選択は、スクリーンのこちら側にいる人間にとっては、最初から最後まで「痛い」。痛くて痛くて、救い出したい衝動にたびたび駆られる。なぜなら観客の側には、しがらみを持った日常があり、それを背負うこと続けることをよしとする価値判断があるから。
けれど、ふたりはひとりひとりで終焉を予感しながら、互いにはそれを話さず、それぞれに相手を受け入れつづけ、その結果をもすべて受け止め続ける。
この映画は「愛」を「精神」と「肉体」に分けようとしていない。精神と肉体のあいだには区別もなければ序列もない。ただ、目の前の相手をどだけ受け入れるかだけが提示されている。もっといえば、「愛」という言葉に抽象化することすらしていない。
最後、すでに観客が知っている結末に辿り着くそのとき、吉蔵はあたかも天寿を全うする人のように静かに死を受け入れ、定はそれをしずかに見届ける。性器切断、猟奇事件という言葉のもつイメージとしての壮絶さなどまったくそこにはない。あるのは、とても静かで豊かな死なのである。
ああそうか、死は精神と肉体を区別しないから、愛も精神と肉体を区別しないのだな。もし愛こそが生きることを価値づけるものなら、愛はすごく死に似ているし、だからこそ、生と死がすごく近いところにある。
静かな手段で常識を覆すこと。それができる大島渚という人の才能をうらやましく思う。
松田英子が静かでつややかで、これ以外にないという演技をしているのにも驚く。
この映画にはわくわくドキドキするストーリーはない。つまりシナリオによって成立するのではなく、役者の演技とカメラによってはじめて成立する映画だ。それを考えると、松田をキャスティングする「目」に驚く。
もしかしたら逆で、大島は松田を知って「コリーダ」を作ろうと思ったのかもしれない。
(と、かんじるくらいなのだが、実際は松田はオーディションで選ばれている)
GYAOで視聴。
曰く
>>
戦争末期、海軍日本で特攻兵器“回天”の説明をうける予備士官の若者たち。15人いた士官も今や7人となっていた。危険な訓練で命を落とす隊員が出たことで、玉井は自分たちの任務に懐疑的になっている。そんななか、死んだと思われていた村瀬と北村が生還を果たす。わずかな希望を抱く隊員たちだったが、彼らにもやがて出撃命令が下された。それぞれの想いを胸に隊員たちは、潜水艦に搭乗していく…。
>>
監督:松林宗恵
原作:津村敏行
音楽:伊福部昭
出演:岡田英次、木村功、宇津井健、高原駿雄、和田孝
1955年 / 日本
既視感。どこも予想を裏切ることのない、いかにもありそうな特攻隊の映画だけれど、1955年、終戦後10年、作っておくべきタイミングで作った日本映画だと思う。
この映画ができる10年前に、まだ日本は戦争をしていたのであり、この映画は現実のことだった。
同じ長さ、いまから10年前の1996年、僕が会社員を辞めたころだ。10年は短くて長い。
メディアに登場する回数は減ってきたというものの、ヨン様の人気はまだまだ衰えていないらしい。
でも、僕は男なのでヨン様の魅力がよくわからない。
で、知り合いの女性に聞いてみようと思ったのだけれど、これがどうも僕のまわりにはヨン様のファンがまったくいないことがわかった。
女友達は多い方だと思うのだけれど、24才から60才くらいまでの知り合いの女性に聞いてみて、ヨン様が好き、という人が全然いないのだ。
これはどういうわけだろう。
僕のまわりだけ、ちょっと変わった特殊な女性が集まっている?
その可能性もなきにしもあらずだけど、どうも腑に落ちないのであった。
友人の紹介により、お茶の水で、トライベッカ映画祭観客賞の “The Cats of Mirikitani”の内輪の試写会にお邪魔する。
ニューヨークのホームレスで日系アメリカ人の画家 Jimmy Mirikitani を追いかけたドキュメンタリー映画。
戦争中、敵性外国人収容所 Internment Camp に収容された Jimmy と、この映画の監督である Linda Hattendorf の心の交流と、Jimmy から溢れ出る、歴史と人間性が淡々と伝えられる秀作。
広島の原爆で身内を失い、収容所でも家族や友人を失った Jimmy は、ニューヨークの街頭で画を描いて売っているホームレスだった。
9.11のテロをきっかけに、彼は Linda の家に居候する。
Lindaは彼のパスポートを復活させ、Social Security の援助を受けさせようとするが、ひょうひょうと生きている彼は、はじめのうちそれを拒む。
しかし、彼女が生き別れになっていた姉を見つけ出して電話口で話しをさせるなど、彼との静かな交流を通じて、社会/国との書類上の接点をも再生させ、福祉アパートに住まわせるようにうながしていく。
その過程で、Jimmy Mirikitani の魅力がスクリーンのこちらにも伝わってくる。
「10時半には帰ってくると行ったのに帰りが遅いから心配したじゃないか」
と、Jimmy が娘を心配する父親のように Linda に向かって怒る場面が出色。
この種のドキュメンタリーをもし日本のテレビ局がつくったなら、感情を押しつけ価値観を押しつけるナレーションがたくさん入ってしまうだろう。だけれど、このフィルムでは、登場する人物の会話だけで語られている。
たとえば、生き別れの姉と再会したというのに、そのシーンは本編には登場せず、ラストのスタッフロールの背景に出てくるだけなのだ。日本のテレビなら、これぞハイライトシーンという「感動の再会」としてベタベタに語られるにちがいない。
当然、監督 Linda は彼を撮影し始めたときに、彼女なりの「予感」あるいは「予断」を抱いていたはずだ。
が、彼と真摯につきあううちに、Jimmy をきちんと自分の目で再発見し、新たに見つけた彼の魅力を忌憚なく映像に捉えていっている。
彼の背後にある、日米の歴史はあくまでも彼の言葉に留まり、監督によって過度にブーストされることもない。
つまり、被写体とカメラがきわめてフェアな1対1の関係を築いている。
Jimmy の言葉をどう受け止めるかは、スクリーンのこちら側にいる我々に委ねられている。
スそれゆえに、思想や知識ではなく、自然な共感が生まれてくる。
無駄のない74分だ。
(おそらく、編集で、何をとり、何を捨てるか、大きな選択をたくさんしただろうし、すごく苦しんだのではないかと思う)
きわめて個人的な収穫についても併せて書いておく。
すでに書き上げた日系アメリカ人女性ジャーナリストを主人公として、ペルーを舞台にした小説(未刊)で、日系ペルー人の来歴を調べた際、テキサス州にある Crystal City という収容所に行き当たった。その場所は少し特殊なのだが、このフィルムでも少しだけ触れられている。
また、新宿のホームレス、サンフランシスコのダウンタウンのホームレス、を扱った短編も書いたことがある。
ホームレスと、日系外国人、というライフワークの予感のある分野をもっている阿川としては、偶然のこととはいえ、資料的にも大きな収穫があった。
試写終了後、軽いレセプションがあり、この映画の Co-Producer である Masa さんと話しをすることもできた。
会場を辞去した後は、もうひとつのライフワーク「沖縄」にちなんだわけではないが、御茶ノ水駅近くの沖縄料理店で食事をして帰宅。
久しぶりに飲んだ「菊の露」(泡盛)がなつかしい味。
阿川大樹の新刊『D列車でいこう』は こちら
沖縄取材の代わり、という感じで、沖縄の映画ばかり作っている中川陽介監督の作品を3つ続けてみた。
「青い魚」(1998)
「Departure」(2000)
「Fire!」(2002)
カメラを固定して長回しをする。タイプとしてはあまり好みじゃない鈴木清順みたいな映画。でも、鈴木清順が「画をつくっている」とすると、中川陽介は「目が貼りついている」感じがする。空気の中で見つけたフレームを「ほら、こんなのを見つけたよ」と切り取って見せようとしている。
テンポも悪い。ひたすら淡々としている。 映画学校の卒業製作みたいな映画とでもいえばいいか。
実際、井坂聡監督といっしょに見た日本映画学校の卒業製作作品にも、同じ雰囲気をもつものが結構あった。
つまんない映画との共通点がこんなにたくさんあるのに、なんだか魅力的な映画たち。
なんなんだろう、と思ったら、「切ない気持ち」をもつ自分を渇望するための映画のような気がしてきた。
Fire! は渋谷で見ようと思っていたら先週で終わってしまって悔やんでいたところ、Gyao! で放映が始まったので、昨夜、すかさず見た。
僕の好きなコザが舞台。
知っている風景がたくさんあって懐かしかった。
生まれても育っても住んでもいない町で、瞬間、その景色を見て懐かしいと思うのは、シリコンバレーと沖縄コザ。
きっとシリコンバレーが第二の故郷で、コザが第三の故郷なんだと思う。
そして、東京生まれで転勤族の家に育った僕には第一の故郷はない。