午後1時、マンションの不具合を見に来る建設会社の人の応対が終わったところで、風呂の掃除を兼ねてシャワー。ついでに風呂場の床でシャワーを使って、埃だらけの籠とか、いろいろなものを洗う。
新しく手に入れた防水スピーカーに iPod を入れて聴きながらの作業が快適。
電気屋でテレビのカタログをピックアップ。
我が家のテレビは新しい14型の方で10年前のもの。大きい方のテレビ(21型)は、よくわからないけど15年以上前のも。AV( Audio & Video )といっても、我が家は音楽にこだわりはあってもVの方にはあまり興味がないので、テレビはその店でいちばん安いものを買うという感じ。そもそもあまりテレビを見ないし、見ても情報として見ているだけなので、大画面とか高画質とかサラウンドとかはどうでもいいのだ。
で、大きい方の水平同期が合わなくなってきている。というわけで、そろそろ買い換えを検討中。
その足で、整形外科へ行ってリハビリ。
うぅ~、背中と腰がパンパンに張っている。
終了後、湘南新宿ラインで新宿へ。
28年くらい前によく遊んでいた仲間と久々の再会。4人でよく喋ったなあ。
毎週のようにテニスしたりスキーしたり朝まで飲んだり、人生においてやたら遊びまくった1年ちょっとの期間があったのだ。
草分けスタイリストがすっかりママだったり、その友だちの某有名映画監督夫人もいたり、時間の流れで、変わったような変わらないような、まあ、ようするにそういうもんですね。(意味不明)
二次会はゴールデン街へ。G店で偶然さらに久しぶりのY嬢にも遭遇。
午前0時に一人帰ったので、結果的に両手に花状態で、3軒目A店。
午前1時半、お姫様たちオネムのため、通りまで出てタクシーに載せ、ひとりでG店にもどると、となりが『覇権の標的』の読者のCさんだった。買って頂いた本にA店を通じてサインしていたりしたのだけど、ご本人にお会いするのは初めて。
Cさんに誘われてY店へ。
名前は知っていたけど入るのは初めて。ママは女優さんで頭のいい人。(もちろん美しい)
青山で会社員をやっていたときにつくっていたバンドの女性メンバーに顔も声も似ているなあ。別人に思えない瞬間があって、話していると混乱する。(酔っているだけ?)
CさんとA店へ移動。そもそもの接点だったママが「やっと会えたのね」。
午前4時半過ぎ、電車が動き出したので店を後にする。
Cさんはカウンターで沈没中。
4人に会うつもりで出かけた新宿で6人に会ったという感じの一夜でした。
午前6時半起床。3時間くらい寝たかな。
午前8時前、ヨットハーバー。
午前9時前、出航。自艇ではなく、友人の船でヨットレースに参戦。レース海面は横浜港みなとみらい沖。
が、気温9度、風が冷たい。海から見える富士山の雪を頂いた姿がよけいに寒々しい。快晴だが、強風で波に突っ込む毎に飛沫をかぶる。
もちろん、下はユニクロのヒートテック暖か下着。上はヘビーデューティ用のフローティングジャケット(救命胴衣の役割もするヨット用の合羽)。
しかし、寒い。
レース海面まであと30分ほどというところで、午前10時過ぎ、強風のためレース中止の連絡。正直、ほっとした。
ハーバーへ戻ると、陸上は晴天の長閑な昼時である。
昼過ぎまで、日向でのんびり。
帰宅した後、午後、妻の仕事部屋の本棚の組み立て。
夕方から野毛の「萬里」にて、2月に亡くなった人を偲ぶ会。
午後8時過ぎ、帰宅。
午前5時半。喉が渇いて目が覚める。
ポットでお茶を淹れ、コップで水を飲んでまた寝。
午前9時、アラームで起床。
シャワーを浴びたりしてゆっくり11時前まで過ごす。
チェックアウト後、近くに新しくできたカレー屋「得王」でトンカツカレー。
地下鉄東西線に乗って蹴上で降りてみる。蹴上インクラインという傾斜鉄道の跡地を見ようとして、南禅寺金地院の前に来たので、ひとつぐらいお寺を見ようと400円の拝観料を払って石庭の前でしばしのんびり。
駅の方へもどったところにインクラインがあることがわかり、そこへ。
日本最初の商業水力発電所を見て、インクラインの鉄路を歩き、京都市立美術館の前からバスに乗って四条河原町へ。
マクドナルドで無線LANを使いがてら食事。
寺町京極まで歩いて、カフェで締め切りのエッセイを書く。
カフェの壁に書かれた英語(一部フランス語)
Cafe et Croissants
Our Cafe Boutique offer you genuine mystic Bali coffee and organic bakery with a plenty of lively nature.
三人称単数現在形のSがなかったり、冠詞がなかったり、lively nature という意味不明の表現があったり、よくあることだけど、気になって気になって。
この店、God Mountain というのだけど、きっとオーナは神山さんという人にまちがいない。(笑)
前日、新幹線の中から、飲み友達にメールしておいたのだけど、返事がないので、ひとりでまた「長竹」。
(携帯電話のスイッチをあまり入れない人だとわかっていて、家の電話番号やPCのメールアドレスも知っているのだけど、まあ、ひとりならひとりでもいいや、という気分なので)
午後8時40分、タクシーで八条口へ。まもなく「のぞみ」の人となる。
午前9時45分起床。4時間くらい寝たかな。
新幹線で京都へ出張。
もともとは青春18きっぷで行こうと思っていたのだけれど、昨今の腰痛でぎぶあっぷ。素直に新幹線で。
二時半、山科駅到着。久しぶりに来たら駅前に切符の安売り小屋ができていた。新幹線の切符は横浜よりも170円ほど高い。京都には他にもチケット屋ができていて、ここで特徴的なのは近距離の切符も安売りされていること。
もともと、40年ほど前、大阪では回数券を買ってバラ売りすることで生計を立てているオバちゃんがたくさんいたのだけれど、大阪万博で「外国から来るお客さんにみっともない」ということになって一斉に排除された歴史がある。どっこい、伝統は生きていたわけである。いいなあ、こういうたくましさ、好きだなあ。
とある医療法人でお仕事をしたあと、先斗町のワインバー「鶉亭」で接待を受ける。オーナーソムリエが、いいワインをどんどん開けてくれる。金に糸目をつけなければ、とてもよい店である。(笑)
ここでちょっと面白いことがあったのだけど内緒。(そのうち小説のネタにするかも)
午後11時すぎ、道に迷いつつ、先斗町のお気に入りの店「長竹」へ。
なんど通っても、前を通り過ぎてしまって発見するのが難しいのだ。
ほとんど閉店準備をしている店に無理を言って飲ませてもらう。
ひとりいた女性客(心理学の先生)がカリフォルニア大学サンタクルーズ校に留学していたという。シリコンバレーに通っていた頃、休日にサンタクルーズには行ったことがあるので、ちょっとサンタクルーズ論議など。UCサンタクルーズのマスコットは Banana Slug という巨大なナメクジなんだそうだ。ちょっとカウンターカルチャー的な自然保護の伝統があるキャンパスだという話。
ちょうど、ワインバーではUCデイビスの醸造科がカリフォルニアワインの醸造技術を牛耳っているという話をしていたところ。
帰ろうとしたところで、大阪の大学の経済学部の先生が芸子さんをふたりともなって来店。昼から女性たちをひきつれて、滋賀の方へ遊びにいっていたところだそうで、お大尽遊びの真っ最中。
「騒がせてすみませんね」
と、初対面なのにビールをご馳走になる。
ふだん着物の芸子さんは、洋服でもつい浅く腰掛けるクセが出てしまう、という。(帯が潰れないように座るから)京都らしい話を聞いてうれしくなる。
このみせ、3年前に来たときにも、別の大学の先生3人に会った。やたらと大学の先生の多い店だ。
結局、0時半頃まで飲み、タクシーでホテルへもどる。
酔っぱらって、部屋の電気をつけたままバタンキュー。
クジラが港に迷い込み、それを外へ出そうとしていた人が亡くなった。
クジラが狭いところに迷い込むのは、頻繁にあるわけではないけれど、クジラの習性の一部で、別に異常ではない。
それを人間が外へ出す必要はないと思う。
中にいられちゃ迷惑だというのが本音だ、というならわかるけれど、「救う」という発想が本当なら、それは人間の奢りだと思う。
人間が見ているところでもそうでないところでも、野性の生物は産まれ、いろいろな理由で死んでいく。それが自然というもので、そこに人間が介入するのはおかしい。たまたま目に見えている自然を、人間が自分の思うとおりにしようとする。その発想が好きではありません。あえていうなら、それは自然破壊だと思う。
クジラが死なない自然なんて、この地球にはない。
なぜ、クジラの死を自然の一部として見ていられないのか。
クジラは多くの小さな魚類の天敵だから、クジラが死ねば代わりにエサになる生物が救われる。クジラが死ぬのはかわいそうで、クジラが生き延びることでエサとして食べられるイワシはかわいそうではない、というのは、人間の勝手な感情であって、クジラを救うことは自然を救うことでもなんでもない。
自然というのは、だれかが生きれば代わりにだれかが死んでいく、そういうものではないですか。
亡くなった方はお気の毒だけれど、彼のやろうとしていたことに僕は賛成できない。やるべきでないことをして命を落としたから、よけいに痛ましい。
それにしてもライフジャケットをしていなかったなんて、自然をなめている。自然は、胡散臭いヒューマニズムの場所ではなく、野性の場だ。海も、クジラも。体長15mのマッコウクジラに長さ数mの小舟で近づくことの危険を自分で判断できず、こともあろうに縄をかけて引っ張ろうとした。そこでクジラが暴れないと判断することに人間の異常さを感じる。
ヒューマニズムが通用するのは人間の世界だけだということを、彼は知らなかったのだろうか。
編集者の人が校正刷りをもって家を訪ねてくれた。
部屋は引越荷物で客人を入れられる状態ではないので、マンションの1Fのレセプションルームで打合せ。
ゲラを受け取りつつ、新刊のタイトルについて、あれやこれや。
発売日は5月20日にほぼ決定。
いよいよタイムリミット。
しかし、疲労困憊のため午前10時まで爆睡。
朝食を摂って、妻が旧居へ、こちらは新居に留まり、台所など最低限の開梱。
通信回線とPCは途切れなく確保していたけれど、コンピュータに向かう時間が結局全然ない。
ピアノ運送屋が旧居から新居へピアノをもってくる。
図面上、ぎりぎり入れられる場所に、本当に入れてしまった! あの重いものを1センチの精度で動かして運び込むプロのワザ。すごいの一言。
僕も自転車で旧居へ向かう。
信号待ちをしていたら大柄な男性が向こうからジョギングでやってきた。思わず目があったら、横浜Fマリノスの松田選手だった。
午後3時半、クーラーを外す工事業者が二人で登場。3台を30分で外して持ち去る。
ひとりは外国人。産廃業者のようで、外すそばから、そのままもっていくわけだ。うまいタイアップ。
さあて、残された部屋の元をとにかくまとめて、棄てるもの、持ちかえるものにわける。
ゴミを分別しなければならないので、とにかく捨てる作業に時間がかかる。
暗くなってから、やっと撤収。
引越プロジェクトは、運んだ段ボール200個以上。粗大ゴミ20点。捨てたゴミ袋100個以上。
いやはやたいへんな作業だったなあ。
処分した廃棄物はゴミの重さはきっと500Kgくらいあったと思う。
ようするにゴミといっしょに暮らしていたというわけだ。
新居にもっていったものにもまだまだ廃棄物はたくさんある。
何もなくなったまどから、最後の夜景を見て、ブレーカーを落とし、鍵を閉めて終了。
8年住んだへやにバイバイ。ここでの人生、楽しかったよ。
午前8時半、荷物到着。午前10時半、搬入終了。
段ボール200個と家具、わずか90分である。
開梱しているヒマはなく、すぐに古い部屋へ。
翌8日に粗大ゴミを出して、すべてを撤収しなければならない。タイムリミットはこちら。
大型の家具2点、ワゴン、種々の木材、金属類などを縛ってゴミ置き場へ運び出す。
引越はたいへんだが、やるべきことは有限で、やればやっただけかならず前に進み、やがて終わる。
小説を書いていると、無限に時間をかけられるし、「この小説は完成しないのではないか」という気持ちにつねに苛まれている。
やっただけ仕事が前に進む肉体労働は楽だ。
(ただし、腰の容体は確実に悪化している)
床に残る大量のゴミ。
家庭内LANを敷設あった大量のケーブル類。
ほとんど疲労で朦朧としながら新居へ帰宅。
まだベッドがないので、ソファで眠る。床よりはずっといい。
前夜からパッキングで、午前7時半就寝。
午前8時起床。30分寝たらけっこう元気になった。
朝9時、梱包お手伝いの引越業者のあばさま2名到着。
台所と居間の食器棚、そして、妻の書斎の本をすごい速度で段ボールへ。
自分でやると棄てるものの取捨選択とか、開梱の時のイメージとか考えてしまうので、機械的にやってくれる人が必要。
途中で段ボールが足りなくなる。30個ほど追加で届けてもらう。車に積めるのか。
午後3時、トラックと作業員到着。
午後5時過ぎ、トラックは出発。
ピアノとエアコンと、粗大ゴミと大量の廃棄物が残る部屋は、もはや自分の家という気持ちがわかない。
搬入は翌日。
新居で入浴。床に布団を敷いて眠る。床暖房があるので暖かい。しかし、硬い。
某所で、鍵の引き渡しを受ける。
その瞬間から新居が我が家となる。
区役所の出張所が臨時に開設されていて、住民票の移動。
さっそく新居へはいっていろいろなことを確認。電源を入れ、水道の栓などを開いてもらう。
すでに引っ越してくる人もいて、入口は大混乱。
夕方、自宅へ戻り、梱包の続き。
風呂の道具をもって、新居で入浴。
