日: 2010年3月25日

祇園遊びを垣間見る

 午後、久しぶりの都内。
 某施設のオープニングレセプション。
 オーナーが京都の人で、祇園の舞妓さん芸妓さんによる「祝いの舞」があった。
 舞妓さん4人、芸妓さん8人。(だと思う)
 僕は一番近くで見せてもらう。
 芸妓さんたちの花代は、祇園の屋形を出てからそこに戻るまでらしい。
 これだけの人数を京都から東京に呼ぶと何百万円になるわけだ。
 こういうのを「お大尽」というのだね。
 祇園の芸妓さんといえば、日本舞踊の踊り手として、日本でも超一流であるわけだから、でもこの金額は実は高くはない。むしろ安いくらいだと思う。
 日本の伝統的エンターテインメントのプロ中のプロなんだから。
 祇園の舞妓芸妓は100人ほどという話も聞いたので、そうだとすると、その1割以上を東京に呼んでしまっているというわけか。それもすごい。
 ちなみに舞妓さんたちも舞ったけれど、その踊りの完成度に関して、芸妓さんと比べると問題にならない。
 舞妓さんはたしかに若くて可愛らしいけれど、芸妓さんの踊りを先に見てしまうと、その魅力も霞んでしまう。
 ステージで見てこれなのだから、自分の座敷に呼んで目の前で踊ってもらう、というのは、なんたる贅沢であるかと、改めて思う。
 文化は、お金のある人がそうやってお金をつかうことで守られていく。
 自分が貧乏だからといって、金持ちが金を使うのを否定的に考えるのは間違っている。金持ちの金遣いを咎めると、文化は衰退し、貧乏人はもっと貧乏になる。
 金持ちであれば、金を湯水のように使うこと自体が社会貢献であり、お金のある人にどんどん使ってもらわなければ、日本は困るのだ。