Diary

沖縄と米軍

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 沖縄市の女子中学生がアメリカ海兵隊員から暴行を受けるという事件が起きました。
 米兵が中学生を誘った「サーティワンアイスクリーム」があるのが上の写真の「コザミュージックタウン」です。
 事件が起きて、外出禁止(オフリミット)になり、嘉手納基地の門前町であるコザ(沖縄市)がガランとしている、という報道がなされ、アメリカ兵向けの店が並んでいる空港通りやかつてそういう店が密集していたセンター通り(旧BCストリート)の映像がテレビで流されます。
 ところが、「米兵がいなくなってひっそりとしています」という映像は、いつもの風景とかわりがありません。あのあたりは、週末の夜以外はいつだってひっそりとしているんです。
 毎日のように兵隊で賑わっていたのは、ベトナム戦争の頃まで。
 日本中にあるシャッター通りと同じなのです。
 それにしても、平日の、しかも昼間の、いつもながらの映像を撮って、「事件の影響で人通りが絶えた沖縄」だと報道するまるでインチキなテレビ。都合のよい映像に都合のよい説明をつけて流して、どこが報道なのでしょうね。
 下の写真は、外出禁止でない、2004年と2007年のセンター通りとゲート通りです。
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東芝経営陣を讃える

 次世代DVDの規格として、HD-DVD と blu-ray が競争を繰り広げていました。
 まだユーザーへの導入が始まったばかりですが、昨年末までで blu-ray が圧倒的なシェアを確保したと聞いていました。しかし、まだ、ほとんど買った人がいない、市場としては黎明期。
 しかし、 HD-DVD を推進している東芝は撤退を決めたようです。
 かねてより、ハードディスク録画、衛星や光ファイバーでニアーオンデマンド、の時代になるので、ブルーレイかHDDVDかは、基本的にどうでもよいこと、という主張をしてきたので、ブルーレイが勝ったということには何の感慨もないのですが、この件でいちばん感動したのは、この時期に早々と撤退を決めたということです。
 一度始めた大プロジェクトを畳む決断がどれだけむずかしいか。
 会社を経営したことのある人でないとなかなか直感的にはわからないだろうと思うのですが、自分の判断で何百億の損失を確定させ、工場の操業を停止させる、という決断はなかなかできるものではありません。
 この時期の東芝のこの決断は日本の経営の歴史に残る大英断だと思います。
 かなりスゴイです。
 決断の背景には、勝ってこの市場の100%とってもその規模はたいしたことはなく、かつてのビテオテープのように各家庭に1台入るようにはならないであろうという予測もあったかもしれません。
 現に、うちも買うつもりは全くない。
 コンテンツを受け取る側では、多チャンネル化した放送とネット配信で十分ですし、家庭での保存もディスクに焼くよりも、ハードディスクにしまっておいたほうが便利だし、足らなければUSB接続などのハードディスクを増設したり差し替えた方が使い勝手がいい。(我が家のはまだそうではないけど、HDDレコーダーもその方向に変わってきています)
 そもそもオンデマンドでいつでも見ることができるのなら、保存する必要すらないんですよね。
 有料コンテンツなら、ライセンス情報だけ保持して、それを参照してそのつどダウンロードなりストリーム再生なりすればいい。保存が必要なのは、自分で製作したコンテンツくらいですが、それこそハードディスクでいい。
 というわけで、もともと不毛なあまり意味のない競争だったと思います。
 勝ってももうからない競争にお金をつぎ込むのは馬鹿げています。
 
 そういう読みを含めて、早期に撤退を決めて損失を最小限に抑えた東芝経営陣の判断の素晴らしさに、敬意を表します。これはもう絶賛すべきです。

歌について、言葉について

 昼間のうちは映画化関係のメールのやりとり。
 夜になって本気モードの執筆開始。
 すっかり川上未映子に影響を受けてしまってます。
 自分が執筆モードなので、彼女の小説はまだ読んでないけど、音楽の方で。
 そういう意味では川上未映子ではなくミュージシャン名義だから「未映子」の影響というべきか。
(さらにいえば「未映子」を名乗る前の「川上三枝子」名義のアルバムも、純正ロックでとってもいい)
 言葉自身のもつ力というか魂みたいなものについて考え込む。
 未映子の歌が滲みる。彼女の歌い方も言葉を音としてではなく言葉として(へんな表現だけど)送り出そうという歌い方なんだな。
 こういう風に、言葉に入り込んでしまうのは、エンターテインメント作家としてはたいへんよろしくないわけです。純文学へいってしまっては、僕の目指しているキャリアはまたリセットになってしまう。53歳でやっとここまできて、いまさらリセットしている人生の残りはないからね。
 なので、かなり困ったな、と思ったんだけど、ふと気づいた。
 そう、言葉を大切にするなら、歌の方でやればいいじゃないか、と。
 そんなわけで、猛烈に歌をつくって唄いたくなっている。
 いまの長編が書き上がったら、一曲、書こうと思う。
 ん? 確定申告? それもあるんだよな。まったく。 浮き世はままならぬ。

ミュージシャンとしての川上未映子

 昨日、スターバックスでインタビューを読んだ川上未映子。
 芥川賞受賞作の冒頭部分も少し読んで、改めてじっくり読もうとそこまでにしておいたのだった。
 本人、文筆歌手を名乗っている。
 で、今日は彼女の歌を聴いている。
 まず、楽器としての声の質がいい。
 さらに曲全体にわたってニュアンスの作り込み方にセンスがある。
 その上、それを伝える表現力がある。
 宇多田ヒカル以来の感動! この人はスゴイ。
 小説と音楽。
 僕のやりたいものの才能を高いレベルで持っている。
 いいなあ、素直に、この才能に嫉妬します。
 僕はだいたいオレ様な人間なので、あまり人を崇拝したり心酔したり権威を頼りに選んだりしない人だと思うけど、この人はスゴイ。

川上未映子

 午前5時就寝。
 午前8時20分、目覚ましが鳴ったが起きず。
 やばい! 8時48分、起床。
 午前9時2分、病院の受付に到着。
 同25分、診察終了。(手術後6ヶ月の「定期点検」)
 近くにプロントができていたので、380円のモーニングセット。
 スーパーに寄って日用品や食料品の買い物。
 午前11時過ぎ、帰宅。執筆開始。
 午後3時、近所の中華屋さんでランチ。
 その足でスターバックスへ出勤。室内が暑く眠くなりそうだったので、「本日のコーヒー」サイズはグランデ。
 午後5時近くまで執筆。
 疲れたところで、ブックカフェになっているので、芥川賞全文掲載の文藝春秋をテーブルまでもってきて、 川上未映子の受賞インタビューだけ読む。
 この人の顔、すごくいいと思うんだよね。
 自分ができている。簡単に凝り固まったのではなく、手を広げて辿り着いた顔をしている。などと人様の尊顔を批評するなんざ失礼至極なのだけれど。
 インタビューを読んでも、ブログ(というか公式サイト)を読んでも、セルフプロモーションをきちんと考えている。やっぱり音楽系の人であるということもあると思うけれど、衆目をきちんと集める、ということをきちんと意識している人だ。
 純文学系の人によくある悪いところは、全部、彼女の中では解決されていて、立ち位置というのができている。
 というわけで、小説の方はきちんと読まないといけないので、時を改めることにした。
 夜は夜で、また執筆。
 〆切のエッセイも書いてメールで送付。
 ヘッドフォン、都合10時間ほど鳴らしたと思うのだけれど、いい音になってきました。

「ミリキタニの猫」横浜で上映

 阿川大樹お気に入りのドキュメンタリー映画「ミリキタニの猫」が、これまたお気に入りの映画館シネマ・ジャック&ベティ(横浜)で本日から上映されます
「ミリキタニの猫」
 The Cats of Mirikitani
http://www.uplink.co.jp/thecatsofmirikitani/index2.php
 シネマ・ジャック&ベティ
 http://www.jackandbetty.net/
 231-0056/横浜市中区若葉町3-51
 TEL.045-243-9800 FAX.045-252-0827
 ◆京浜急行線 黄金町駅下車 徒歩3分
 ◆横浜市営地下鉄 阪東橋駅下車 徒歩5分
 上映時間 10:30 14:05  (ただし 2/2 は 10:00 の1回)
 料金 大人1700円 大高1500円 中小シニア1000円

 この映画に関する阿川大樹の映画評は、以下のURLで。
 http://www.agawataiju.com/diary/2006/08/the_cats_of_mirikitani_1.html
 というわけで、すでに見ているのですが、時間を作ってもういちど行きたいと思っています。

大阪国際女子マラソン 福士選手

 去る1月27日の大阪国際女子マラソン。
 福士選手がオリンピック出場権を目指してマラソンに出場して独走したけど、途中から走れなくなって、惨憺たる結果ながらゴールしました。
 彼女は1万メートルとハーフマラソンの日本記録保持者で、立派なアスリートだと僕は思っています。
 しかし、マラソンにおいては全然だめでした。
 オリンピックアスリートというのは、結果の世界で勝負する人であって、他人を感動させる女優やエンターテイナーではない。24時間テレビの欽ちゃんとはまったくちがう。
 だから僕は彼女を評価しません。実際、見ていて感動もしませんでした。
(高橋尚子がきらいなのも「みんなに元気をあげるために走る」みたいなことをいうからです。「自分が勝つために走るんです」といってくれたらいいのに)
 準備期間が一ヶ月だったとか、練習でも40Kmを走ったことがなかったとか、とんでもないことが伝わってきます。
 チャンレンジは否定しません。
 しかし北京オリンピックがあるのはずっと前から判っている。
 僕の友人知人にはマラソンを完走した市民ランナーは何人もいますが、異口同音に「ハーフマラソンとフルマラソンは全然違う」といいます。
 マラソンはハーフマラソンの二倍なのではなくて、まったく別の競技であることは、広く知られていることです。
 僕自身、フルマラソン完走のためにトレーニングしたことがあるので、マラソンを走りきることがどれだけ大変であるかそれなりにわかっているつもりです。
 でも、福士さんは40Kmを走ったことがない ???
(そりゃあ市民ランナーには42Kmを初めて走るのがレース当日という人はたくさんいます。なにしろ完走するのに7時間かかったりしますから、ふつう練習時間が確保できません)
 個人として、どのようなアプローチをしようとそれは自由だけど、結果がすべての競技の世界で、素人の僕から見たって準備の仕方がまるっきり間違っていて、やはり結果もその通り。
 競技で生計を立てている人のことを「最後まで走って立派だった」なんていっちゃいかんです。
 マラソンを最後まで走ること自体は立派です。
 そういうレベルの立派な人は僕の知っているだけでもたくさんいる。テレビに映っているから立派なんじゃない。何万人も立派な人はいる。僕はできないからそれができる人をもちろん尊敬しています。
 でも、あの場所はそういう場所じゃなくて、オリンピックアスリートを選ぶ場所だから、その基準で評価しなくちゃ。
 急にマラソン代表になりたくて、時すでにレース一ヶ月前だったとして、残り枠は事実上一人だとして、まだ高橋尚子もこれから走るという状況で、そのような条件の中、代表選手になるためには、ぶっちぎりのタイムで優勝するしか道はない。だから最初から飛ばして神憑り的な結果に賭ける、という戦術しかなくて、それを実行したのは妥当だと思います。
 彼女が選ばれるとしたら、つぶれるリスクを覚悟の上で飛ばしていくしかない。最初から飛ばしたのは妥当な戦術ではある。
 それを一か八かで実行してダメだったということです。誉めるような要素はどこにもない。
 中学校の全員参加のマラソン大会だったら僕も誉めます。
 でも、オリンピックアスリートを選ぶ場所で、福士さんより上位にいる人よりも彼女が立派だとはまったくいえない。
 福士さんがあの瞬間なりにがんばったというのは事実だけれど、むしろ、彼女より先に倒れずにゴールした人の方が、福士さんよりずっとずっとがんばったのだということを忘れてはいけない。
 結果じゃなくガンバル人を誉めるのだというなら、やっぱり福士さんより上位の人を誉めるべきだと思います。あんなところで倒れてしまう福士さんは、むしろ頑張り方が足りなかったからああなったのです。
 テレビ局にとっては大喜びのシーンでした。
 自分の目にどう見えるかではなく、見えないところで何が起きているか。福士さんより前を走った人が、どれだけのことをしていて、福士さんには何が足りなかったのか。
 テレビを見てそれを考えないと真実を見誤ります。
 テレビに映っているものがすべてではない。
 ところで、努力は自分のために必要だからするのであって、努力そのものに価値があるわけではありません。
 子供の教育の過程では努力の必要性を教え成功体験を身につけさせるために努力を誉めるのは必要なことです。大人の世界では結果を伴わない努力は認められない。
 努力を誉められる人にはなりたくない。そういう自戒をこめて。
 当日のトップ10は以下の通りでした。
 阿川大樹は福士さんを讃える代わりに、以下の方々を讃えたいと思います。
  大阪国際女子マラソン成績     時 分  秒
  〈1〉ヤマウチ(英)      2.25.10
  〈2〉森本 友(天満屋)    2.25.34
  〈3〉モンビ(ケニア)     2.26.00
  〈4〉大平美樹(三井住友海上) 2.26.09
  〈5〉扇 まどか(十八銀行)  2.26.55
  〈6〉シモン(ルーマニア)   2.27.17
  〈7〉奥永 美香(九電工)   2.27.52
  〈8〉藤川 亜希(資生堂)   2.28.06
  〈9〉トメスク(ルーマニア)  2.28.15
  〈10〉ドネ(仏)       2.28.24

書きたい小説と売れる小説

「売れる本と書きたい本のどちらに重きを置いていますか」
 と、まあ、そんなふうな質問を戴いたことがあります。
 ところが、僕の中で書きたい本と売れる本は対立概念じゃないので、「どちら」という感覚は全くないのですね。
 まず書きたいことはものすごくたくさんある、ということ。
 書きたいことが少ししかないと、それが売れなさそうってこともあり得ますが、書きたいことがたくさんあるから、そのなかには売れる可能性が十分にあるというものもたくさんある。したがって、売るために書きたくないことを書く、ということが生じるとはまったく思っていません。
 では、書きたいものの中で売れそうにないから書けないものはあるか。
 ある時点ではそれはあります。
 たとえば、修業時代が長いですから、書き上がった長編短編が何作かあります。それぞれ書きたかったものを書いた。でもって、まあ、いろいろな事情でいまは売り出せないということはある。
 先日の推理作家協会のパーティでも、とある編集者からこんな質問を受けました。
「**の小説、いまどうなってますか?」
 **というのは、デビュー前にその出版社に持ち込み、某賞の応募作としてその編集者に読んでもらった作品のことです。数年前のことですが覚えていてくれたんですね。
「いやあ、***だったりしてなかなか出せないんですよ」
「あれは面白いから、多少手を入れた上で何年かしたら出版できますよ」
 と、いうわけです。
 すべては基本的に阿川大樹のネームバリューの問題です。
 阿川大樹という名前で買ってくださる読者が増えれば、出版社の方からぜひうちで出版したい、というようなことを必ずいってくるようになる。
 どんなに売れっ子になっても、すべての出版社がなんでもいいから原稿をくれというわけではありません。
 5000部でも採算が取れるけど、どうせなら5万部、できれば50万部と要求水準もそれなりに上がっていきますから、「そっちじゃなくってどうせならこっちで行きましょうよ」ということになる。
 ですが「いい小説」という概念に沿うかぎり、どこかにそれを出したいと思ってくれる出版社はいる。そういう小説を求めている読者も必ずいる。
 しかし、そういう出版社にしてもリスクを負えないから、おいそれとは出せない。でも、阿川大樹という作家にネームバリューがつけば、少なくとも損をしないくらいには売れるようになる。つまり自分の力で出版社のリスクを減らすことができる。
 売れる作家になれば、(出して損をするほど)売れない小説というのはなくなるので、書きたい小説が(程度の差こそあれ)すべて売れる小説になる。
 作家は自分の力で「売れないと思われた本」を「売れる本」に変えることができる。なので、書きたいことがたくさんあり、それで売れていくことができれば、基本的に書きたい本はやがてちゃんと世に出せる。
 いま売れそうにない本は、それなりに売れる本に変えてから(つまり阿川大樹にネームバリューを付けてから)売り出せばよい。
 新製品を出すときには、製品を今の需要にマッチさせるか、あるいは、製品を売るために需要を創出するか、すればいいわけです。
「阿川大樹の小説」という新しい市場ができれば、そこで商品化が可能になる。市場のないうちに無理に新製品を出す必要はない。
 いかにも売れなさそうな小説しか書きたい小説がない、という作家の人はこれはかなり悶々とすることになるでしょう。自分の中で「売れる本」と「書きたい本」が対立しちゃいますし、編集者もそれを感じとりますから。
 阿川の場合は、さいわいそういうことはないので、とにかくどんどん書いて、実績を積むことが、さらなる自分の自由度を獲得する武器にもなる、と考えているわけです。
 そのために個々の作品毎に待ち時間ができることは全然問題ない。
 そもそも書きたいものというのは、たとえば中学生からもっていたものであったりするわけで、すでに四十年くらい体の中にしまってあるものだってある。この先十年余計に温めておいてもどうってことないですし、それまでのあいだ、別の「売れそうな書きたいこと」をどんどん書いていればいい。
 はたして、結果が思った通りになるかどうかは、すべて日々書いている作品の結果にかかっている。毎日がその戦いの一部であるし、もしかしたらそれは綱渡りでどっかでハシゴを外されてそのままお陀仏なんてこともあり得ますけれど。
 分野こそちがうけれど、イチローや松坂と同じプロの世界にいるわけだから、当たり前のことです。
 プロである以上、一打席一打席、一球一球が、勝負。
 そして書きたいことを書ききるまでこの世に生きているということ。
 あと、ついでにいえば、「根拠のない自信」というのも腕一本のプロフェッショナルに必須の才能だと思います。(笑)

野毛でサボリNight

 昨晩は心身共に疲れ気味だったので、野毛へお出かけ。
 まず書いている部分を印刷して、デニーズで赤入れ。
 コーヒー220円おかわり自由。
 夕方五時を過ぎて、焼き鳥「末広」へ。
 この時刻でほぼ満席だ。
 末広は評判の店で名前は知っていたけど僕は初めて。
 安いしネタもいいし食べ物としては美味しいのだけれど、まったく焦がさない焼き方なので、焼き鳥らしい香ばしさがないのがおおいに不満。
 店に煙が立っていないんだもん。
 都橋商店街の「華」に流れ、最後はショットバー「日の出理容院」。
 日の出理容院はむかし床屋だった店構えそのままで外にはバーともなんとも書いていないのだけれど、中にはいると女性のバーテンダー一人でやっていて、ジャズがゆっくり流れている普通のショットバー。
 ここも初めてだったので、バーテンダーの腕を知るために、「ラムでなにかショートカクテルを」と頼んでみた。
 はたして出てきたのはXYZだった。ずいぶん甘くて僕の好みじゃない。
 チャージがなしで、2杯で1200円は格安だから、カクテルじゃなくてウィスキーなどをショットで飲むならいいと思う。
 仕事しないと目も含め、体が楽だ。
 朝型で暮らしているので、午後9時を過ぎると眠くてだめ。

「問題小説」2月号

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(クリックすると拡大します)
「問題小説」2月号(徳間書店)、いよいよ明日(1月22日)発売です。
   巻頭グラビア 阿川大樹・赤レンガ倉庫にて (合計3ページ)
  「ショウルームの女」阿川大樹 短編ミステリー 50枚
文芸雑誌(小説誌)初登場。巻頭グラビア独占(笑)ももちろん初。
売ってるところには普通に売っていますが、売っていないお店もかなり多いのです。すみません。