人というのは、未知のものを見るときに、何か知っているものと同じものを発見し、まず最初にそこから類推して仮説を立てる。こういう場所はおそらくこうであろう、という具合に。
この方法は十分に経験を積んでいる人なら多くの場合、それほど精度は悪くない。
ただ、あくまでも経験を基準にする以上、経験したことのないものがあれば類推は困難になるし、群盲象を語るようにサンプル地点がちがうことで結論が変わることもある。
時間として53年間生きてきているし、地理的にアメリカには60回くらい、その他の国や地域にも15ヶ国くらい行ったことがあるから、僕はそれほど世間知らずではないと思うけれど、コザはまったく想像を超えている。
一言でいえば、平準化されていないために、ある測定結果をもとに延長線上に類推することがほとんどできないのだ。
週末と平日でまったく異なる町になる。夜と昼とも全然ちがう。店の構えと中がちがう。夜でも、午後10時と午前2時は全然ちがう。
見た目は、きわめてさびれている。都会と比べれば特にその差は大きい。
都会なら看板のペンキが剥がれて読めなくなっている店はふつうまったく期待できないが、コザでは外装と店の満足度はほとんど独立していて無関係だ。なので、看板や外装で判断すれば、コザはただのさびれた活気のない町にしかみえない。
週末だけオープンする店が有り、その店が特別なにぎわいをもつ。
看板もボロいし、平日にどの時刻に通りかかってもつぶれて営業していない店に見えるだろう。営業している時刻に店の前に立っても掠れた看板に照明が当てられている程度で、まあ、それほど見栄えはかわらないかもしれない。
だが、金曜の午後11時から午前2時にその店に行けば、チャージなしドリンク500円で、世界でも一流のロックを聴くことができて、アメリカ兵も日本人も入り乱れて熱狂している。
午前1時にオープンし、午前2時からライブが始まって午前5時までそれが続き、ずっと満員の店がある。昼間はもちろん、午後10時に前を通っても、ただのつぶれた店にしか見えない。実際、僕は4年間もその店は営業していないと思っていた。
たいていは午前0時に開くが開かないこともあるバーがある。
何もないときはただ無愛想な店主が飲み物を出しているだけである。
平日でも午後2時を過ぎると、カウンターに数人の客が並ぶことがあり、そのほとんどがプロのミュージシャンだったりする。それだけならそういう客層であるというだけだ。
が、そこにアメリカ人がやって来て、壁のギターを弾いてもいいかと言いだす。
彼は軽くつま弾き始め、やがてちょっと歌い出す。
ライブハウスでもないのに、その店にはギターが3本あり、時には客がギターを携えて来店している。歌い始めたアメリカ人にカウンターの客が合わせる。代わる代わる全員がギターを持ちかえてセッションになる。
ひとしきり終わってから、自己紹介をする。
そのアメリカ人のことをだれも知らないがミュージシャンだというので、店のパソコンで検索してみると、全米でCDを500万枚売っているグループのボーカルだとわかる。彼に加わってセッションをした客はみなプロのギタリストだから、500万枚アーチストよりももちろんギターが旨い。
口には出さないがビックリして帰ったはずだ。
別な店では、カウンターの日本人客が、黒人兵にブルースギターの弾き方を教えているのを見たこともある。
たぶん、そんな町は日本のどこにもない。
コザはどこにも似ていないから、いろいろ類推するのがほとんど不可能だ。見た目はただのシャッター街で、実際、空き店舗も多いのだけれど、見た目からは絶対空き店舗だとしか見えないけれど、実は営業している店もたくさんあり、中ではそんなことが起きているのだ。
貸店舗を返すときに原状復帰をしないみたいだから、多くの空き店舗にも看板が掲げられている。営業している店でも造作にほとんどお金をかけない。突然の夜逃げの店もある。
ようするに、店が閉まっているときに、空き店舗かどうかを判断する方法がまったくない。確かめたかったら2週間くらいにわたって昼間や深夜や早朝など色々な時刻に定点観測してみる必要がある。
これほど外観で判断できない町も珍しい。
だからこそ探検が楽しいし、町はアドベンチャーに満ちている。
その上、それによって発見できるもののクオリティがとても高いから、コザという町はものすごく魅力的なのだ。
Diary
起床午前8時40分。
晴れている。晴れるとなったらそれはもう強烈な日差しだ。
まず初めに考えたこと。洗濯できる!
沖縄の天気は変わりやすい。お天道様のゴキゲンのいいうちに人間はスキをうかがって洗濯をせねばならぬ。というわけで、朝食前に洗濯。
さすが二時間ほどで乾いてしまった。横浜のマンションはベランダに洗濯物が干せないので、太陽の光で干したものを着るのは久しぶりだ。
しかし、この変わりやすい天気では会社勤めの人は洗濯物を干せないな。
朝食は昨日のうちに買っておいた ZAZOO のパン。
ちょうどオーシャンの隣なのだけれど、なかなかおいしいのだ。
昼前から原稿書き。
昼は、昨日食べ損なった弁当を冷蔵庫から出して電子レンジでチン。
いつものようにオーシャンに出勤して原稿書き。
午後4時、コザ音楽祭本戦会場のミュージックタウン音市場へ。
どういうわけか本日の僕はこのバンドコンペティションの審査員なのだ。
その他の審査員はコンディショングリーンのボーカルとして有名なカッチャン、紫のドラマー宮永英一、ZODIACの照喜名薫ほか、錚々たるメンバー。本土の人間は僕だけである。
本戦は午後5時半から11のバンドで争われた。
客席後方に設けられた審査員席で、評価シートに点数をつけながら聴く。
プロを目指す若いミュージシャンにとっては将来がかかっている。いい加減に点数をつけるわけにはいかない。しかも、唯一の小説家の審査員として、場合によっては特によかった歌詞があれば審査員特別賞を出すということだ。
バラエティに富んだ出場者たちだったが、これはすごいと驚かせてくれるグループはいない。演奏技術も凡庸。
ずっと関わってきた審査員たちによれば、今年は全体にレベルが低いのだという。
小説でもそうだけれど、プロになるということは、世界に満ちあふれているすべてのミュージシャンと競争する場に出るということ。ある年の本選会で一番であるかどうかは、それを考えればほんとに些末なことなのだ。
グランプリと金賞は僅差だったが、真剣な討議の結果、COCORE(ココア)というバンドがグランプリに決まった。
僕はベストボーカル賞のプレゼンターとして賞状と副賞をわたす。
さて、終了後は、「音洞(おとぼら)」という店でリーミーがアコースティックで歌うライブが九時からあるはずなので、駆けつける。ただし、時刻はすでに10時半である。
初めての店におそるおそる入っていってみると、コザには珍しい天井の高い静かな雰囲気の店で、まさにちょうどリーミーが3人のユニットでしっとりと歌っているところだった。
チャージは無料なのだけれど、店のシステムがわからないので、適当なところに座って聴いていると、曲の合間のMCの途中でリーミーが僕を見つけて「大樹さん、こっち座ってこっち」と最前列真ん前に有無をいわさず座らされた。(笑)
リーミーというは金武というもっとも荒くれ者たちのいる海兵隊基地キャンプハンセンのそばの町で、ロックを歌っていた女性で、あえていえばジャニス・ジョプリンのような人なんだけど、姉御肌でカリスマ性のある女性なんだな、これが。
かくいう僕も彼女がロックを歌うのはビデオでしか聴いたことがなく、きょうは彼女は実にしっとりとしたアコースティックだった。
ライブが終わったあと、やっとコロナ(550円)をゲットして、リーミーの店の常連さんなんかと午後1時過ぎまでその店でゆんたく。
部屋にもどると、昨日から同部屋になっていた男性が、「もしかして、コザ音楽祭で審査員をやっていませんでしたか?」と。
世界は狭い。(て、コザが狭いだけか)
コザ(沖縄県沖縄市)で募集されている「第一回コザ文学賞」の募集が始まりました。
阿川大樹は選考委員のひとりに名を連ねています。
基礎年金に関するとても大雑把な話
全額消費税増加でまかなうとして;
受給者2500万人に月6万円を支給するのに必要な財源は 1兆5000億円
それを一億人の消費支出でまかなうとして、
消費税率6%のとき、一人当たり必要な消費支出は 月25万円
つまり、消費支出が例えばひとり平均25万円というモデルだとすると、
消費税を11%に上げないと全額税負担できないということだ。
消費税でなくてもどこかに財源が必要であることにかわりはない。
ひとり月15000円、年金掛け金としてはらうか消費税で払うか、他に税金をあげるか、という話。
弱い立場の人を守ろうと思ったら、中間層以上の人は何らかの負担増が必要だ。
中間層にいて、「もっと上から取れ」みたいな「自分は関係ない」かのような意識は問題からの逃避だと思う。
役人や政治家の無駄遣いを減らすのにも時間がかかる。「まず無駄遣いをなくしてから増税」なんてことをいっていたら自分の傷が深くなるだけだ。
無駄遣いをなくすのと増税は後先の問題じゃなくて、同時進行しかない。
みんな、自分の国なんだぜ。あんたたちが選んだ政治家だぜ。あんたが雇っている役人だぜ。
役人や政治家が悪いとしたら、僕もあんたも含む「国民」のせいなんだぜ。
他人事みたいに人のせいにして、自分のせいじゃない、政治家が悪い、なんて、のんきなことをいわないでくれ。
所得税の課税限度にすら届かないから、小説家になってからの近年の僕は年収的には完全に最下層にいるわけだけど、それでも増税しなきゃダメだろうと思っている。(昔、めちゃめちゃ働いた蓄えがあるから、生活に困ってはいないから弱者ではない)
立食蕎麦を天ぷら蕎麦からタヌキ蕎麦にしてでも、さらには100円マックでガマンしてでも、みんなで税金もっと払わなきゃダメだろう。自分の国だよ。
なんで、みんな他人事みたいなこと言って「増税反対」みたいなこと言えるんだ。
暮らしていけている人たち、みんなで「暮らしていけない人たち」を守ってやれるようにしようよ。
貧困層を直撃しない中間層以上への増税をしようじゃないか。
自分が本当の弱者なのか貧困層なのか、フェアに考えよう。
「貧困層を守れ」という大義名分でほんとうは自分の負担を増やしたくないだけ何じゃないのか。
胸に手を当てて考えてくれ。
いまの自民党の増税案がいいっていっているわけじゃない。
ちゃんとした増税を真面目に考えようよ。本当に弱い人がちゃんと生きていける日本を作ろうよ。
語呂合わせで、「ゴーヤーの日」なのだそうです。
4月9日は「フォークの日」、6月9日は「ロックの日」。
プールへ行ったかえりにスーパーによってゴーヤーを買いました。
そんなわけで、夕食のおかずにつくってみたゴーヤチャンプル。
プールはウィーキング20分、25mx6本。
明日からの出張の準備しなくちゃ。
photos with RICOH GR Digital
税金は安ければ安いほどいい、なんて僕は思わない。
本当の弱者は守ってあげなくてはいけない。が、声高に「生活が苦しくなる」と文句を言っているひとの大多数は「贅沢ができなくなる」だけのこと。ほとんどの人は弱者を守る側の人であって、救われるべき弱者じゃない。
ひとりあたり年間200万円くらいの収入で、健康であればそれで十分楽しく生きていける。(会社員を辞めて小説家になって身をもってそれを実証しているからよくわかる)
本当に貧しい人を守ってあげるためには、十分生きていける人からはもっと税金を取らなくてはならない。単純に計算すればわかることだ。弱者救済は必要で、それを実行するには多くの人が自分の暮らしをどこかで切り詰めて財源を確保する必要がある。
最近話題の暫定税率は一日に換算すると60億円。(20万円のマッサージチェアに換算して毎日3万個分)
税金の無駄遣いはおおいに気に入らないが、道路特定財源の無駄遣いを全部やめても、それを補うことはできない。無駄な道路建設はやめて欲しいが、それにしてもこの財源の多くの部分は新規の建設ではなく既存の道路などの保守費用だ。つまり、ガソリンの税金をなくしてしまったら、道路を荒れ放題にしておくか、教育か福祉か産業振興かなにかしらの費用を減らさなくてはならない。
つまり「税金を上げる前に無駄遣いをやめろ」は理屈に合わない。無駄なマッサージチェアだの天下り役人の高額な退職金など全部やめても、暫定税率を元に戻さなければ全然足りないのだ。
つまり無駄遣いを減らすのは当然としてもあくまでもそれとガソリン値上げは別問題なのだ。
無駄な橋や道路の建設をやめるにしても、そんなには節約できない。
結局「税金〈も〉上げて無駄遣い〈も〉やめろ」しかありえないのだ。
むしろ、税金上げてもいいからもっと教育や医療や福祉に金をかけて欲しいと僕は思う。
やっと聖火リレーが終わった。
ネット上の情報を証拠も含めて検証して総合すると、どうやら警察が相当に中国人よりの対応をしたらしく、チベット支援の人たちだけでなく、現場を見ていた人たちからも、報道姿勢と警備方針について非難の声が上がっている。
警備上の理由からは人数の少ない方を押さえつけるのは鉄則なので、「混乱させない」という観点からは当然のリスク管理だと言えるけれど、報道の方はまったくお粗末だった。
このあたりは、実際に長野の現場にいた人たちがいろいろな形でネット上にレポートしている。
ところで、中国人のグループが世界各国で聖火を取り囲んで「五星紅旗」を振り「聖火を守った」ことは、果たして中国の為になったのだろうか。
実際に沿道を埋めているのはネットで声を掛け合った個人個人などだそうだが、彼らが振っていた「五星紅旗」は、わざわざ中国政府が支給しているわけだから、ようするに中国政府は彼らの行動を煽っていることはまちがいない。
そんな人海戦術や、大声や、ときには暴力的な実力行使もして、反対の立場にあるものを威圧的に封じ込める姿が世界中で見られ、それがまた世界中に報道された。
その結果として聖火が「無事に」北京に到着したところで、それで中国が立派だと国際的に評価されることはなくなってしまった。むしろ、かえってチベット問題が大きくクローズアップされるだけだったように思う。
もし、チベットを支援する何者かが聖火を暴力で消してしまったら、世界の非難はその人間に向かい、中国は被害者になることができたかもしれない。ところが、現実には「聖火を守るために威圧的態度をとった」という印象が残り、「中国はたかが聖火ごときにこんなことまでやるのだから、さぞかしチベットではひどいことをやっているにちがいない」という「印象」を持つ人の方が多いのではないかと思う。
愛国に燃えているはず中国人たちはこのことをどう考えているのだろう。
結局、彼らが昂揚させた愛国心は国の評判を落とすのに役立っただけだ。
もし日本で行われるオリンピックの聖火が世界中で歓迎されないという事実があったとき、たしかに日本人も、あるいは、僕自身も、不愉快になるだろう。けれど、それは感情の問題であり、やるべきことはその感情とは別のところにある。
他国の中にあって注目を集めた大通りで自国の国旗を振り回すことで旗を振る人の国の評判は下がることはあっても上がることはない。シャンゼリゼ通りを大声を上げて日の丸を振って歩く団体がいたら、当然、フランス人は日本を嫌いになるだろう。ようするにその場で「力」を示しても、たとえその場で相手を圧倒しても、何の得にもならないのだ。
彼らの刹那的な感情としての愛国心は満たされるかもしれないが、愛する自分の国にとって結果的に少しもプラスにはならない。
それを仕向けたのが中国政府であったということも、絶望的にセンスが悪い。中国政府が在外中国人に「自制」を求めていれば全然ちがう結果になっただろうに。
20年もののバイク GB250 Clubman を知り合いのメカニックにメンテナンスしてもらって再び乗り始めたのがちょうど1年前のことだ。
自賠責保険も満期を迎える。
幸いなことに4月から保険料が安くなった。
どちらにしても期限が切れる前に保険を更新しなければならない。で、コンビニで自賠責保険に加入できるとわかって、プールの帰りにセブンイレブンに寄った。
大きなコピー機に液晶タッチスクリーンがついている端末があり、そこで、ナンバープレートの内容、車体ナンバー、住所氏名などを入力すると、紙が出力されて出てくる。
それをもってレジで保険料を払うと、レジで、「保険のしおり」とナンバープレートに貼るシールをくれる。
さっきの端末にもどり、さきほどプリントアウトされた番号を入れると、保険証書がプリントアウトされて出てくる。
保険加入の方法としてこれ以上簡単な方法はないし、数分で、保険証書まで即日発効というスピード。
コンビニってすごいな。
多和田えみちゃんのミニアルバム「∞infinity∞」が本日発売になりました。
1年ほど前かな、沖縄でミニライブを聴きました。写真はそのときのもの。
コザにある僕がよく行く飲み屋さんでライブだったのです。
(実は、その隣が彼女が歌を勉強しているスクール)
彼女、毎日のようにあちこちでライブを重ねてました。
ちっちゃい体ですげえがんばり。
プロの世界の話なので、がんばったから偉いわけじゃありませんが、自分の歌を聴いてもらうという原点をしっかりもっているんですね。
カバー曲も上手にこなすのですが、自分の歌になると、俄然、輝きを増します。
ちょっと話もしました。
「自分の持ち歌の方がずっといいね」といったらうれしそうにニコっとした。
そういや、このときのライブ、僕はパーカッションでちょこっと参加したのであった。 (タンバリン叩いただけです)
ぼくは「ゆらゆら」という曲が好き。
いまなら、yahoo動画で、フルバージョンを聴くことができます。
iTunes でも購入可能(1曲150円)
僕は、明日、アルバムを買いに行きます。
多和田えみ・オフィシャルウェブサイト
http://www.techesko.com/main.html
多和田えみ・ブログ
http://emi.ti-da.net/
歩いて10分のパシフィコ国立大ホールで、Huey Luis & The News と Chicago のコンサートへ行った。
それぞれ100分の公演が間の休憩20分を挟んで二つ連続。
ところどころ、もう片方のミュージシャンが反対方のステージにゲスト出演。
シカゴにところでは、ヒューイルイスの連中が全員どこぞのホテルの浴衣を着てステージに乱入。
午後7時から始まって終わったのは10時40分。
いやあ、それにしても疲れた。前の人たちが最初から立ち上がっちゃうんで、4時間近く立ちっぱなしだし。
案の定、聴衆の平均年齢は50代。
沖縄でもそうだけど、僕が見たり聞いたり喋ったりするミュージシャンって、おっさんばっかりやん。
若者はあんまりロック聞かないみたいだし。
ロックっていまの高校生にとっては、僕らが高校生の頃の演歌みたいなものなのかな。少なくとも若者の音楽ではなさそう。
たまにマセた(笑)高校生がロックをやっていたりするわけだ。
曲ごとに取り替えたりするからものすごい数のギターが登場したけど、ギブソンはなくて、フェンダーがほとんどでしたね。
あと若干のよく見るけど僕が名前を知らない楽器。