日: 2014年6月7日

阿川大樹の文庫棚

売り場仕切.jpg
 今日、59年の人生の中で、もしかしたら一番うれしいかもしれないことがありました。
 小説家になって、うれしいことはたくさんありました。
 デビュー作『覇権の標的』の見本が届いたとき。
『D列車でいこう』で、初めて自分の本が重版になったとき。
 それぞれ職業作家として大きなステップでしたからうれしかった。
 でも、今日、くまざわ書店でこれを見たとき、僕は思わず深呼吸をしました。
 少し照れて、この光景をじっと見ることができませんでした。恥ずかしくて、写真だけ撮って、すぐにその場を離れました。
 デビュー前から、書店の棚を見ていつも思っていました。いつか自分の名前の入った棚ができるような、そういう小説家になりたいと。ずっと棚に自分の作品を並べ続けられるような、そういう小説家になろうと。
 小説家という国家資格や小説家株式会社の社員証はありません。
 1冊本を出せば、あるいは本を出さなくても自分で「小説家」と名乗れば、だれでも、小説家であるということはできます。
 統計によれば、新人賞を獲っても30%の人は1冊目の本すら出すことができません。43%が1冊以下、2冊までで50%、(文庫化や再出版を含めた数字で)10冊以上出す人は20%しかいないのだそうです。
 昨日発売された『あなたの声に応えたい』が8冊目、あと10日ほどすると『横浜黄金町パフィー通り」という9冊目の本が出ます。10冊目、11冊目、さらにはその先の話も戴いています。
 統計のことを知ったのは数日前です。自分はいままでずっと駆け出しのつもりで、なんとか底辺にぶらさがっていると自覚していたので、その数字に驚いたところでした。
 そして、今日、仕事中に妻から電話があって「いま、本屋さんに居るんだけど、浅田次郎さんのとなりに阿川大樹の仕切がはいっているよ」というのです。
 半信半疑で閉店間際に自分で見に行ったら、ほんとうにあったのです。
 徳間文庫の棚。徳間文庫からは3冊でていますが、そこには『D列車でいこう』だけ。それなのに、わざわざ「ここが阿川大樹の場所です」と表示があるのです。
 いやあ、うれしいのなんの。
 しかし、この棚を守らなくてはいけないという気持ちが生まれました。
 祝杯を挙げたいくらいうれしかったのですが、短編の〆切が近いので、酒は飲まずに仕事をします。
 森村誠一さんの1611冊を超えることはとうていできませんが。