オリンピックサッカー男子 日本対アメリカ、敗戦。
そもそもなんでオーバーエージを使わないのか、さっぱりわからない。
真面目に勝つ気があるようにみえない。
まずキーパーがだめなんだからA代表クラスを選ぶべきだし、選んだ遠藤が体調不良でだめって、そもそも代わりをたくさん選んでおかないのがわからない。
まあ、最初から期待していたわけじゃないけど、なんだかベストすら尽くしていないのがすっきりしないなあ。
テレビはボール支配率のことばかりいって日本が序盤は有利に展開、なんていうけど、サッカーの勝敗とボール支配率は相関がないことは統計でわかっているので、ボールを持つ時間が長いことは別に優位でも何でもない。
なんで、そういう嘘を報道するかね。
序盤の運動量が多くて、点を取られた後、息切れして攻撃できなくなっていたわけだから、前半の運動量が多く、その結果、ボール支配率が高かったことは、試合を不利にしただけじゃないか。
90分戦って、点を多く取ったチームが勝つのがサッカー。
運動量を多くしても点が取れなければ意味がない。最後まで続かないなら運動量を多くするのはむしろリスク。 むだに全力で走り回って途中から息切れするなんて。子供じゃないんだから。
暑くて体力の消耗が激しいなら、相手にボール持たせて、いい場所でボールを奪ったときにだけ、一気に攻め上がるべきでしょう。90分のなかのどの時間帯でどういうサッカーをやる、というゲームプランがないのだろうか。
ここぞと言うときに全員が動くチームが強い。どうでもいいときにパス回して、ここぞと言うときに動けないのでは話にならないよね。
ブラジルなんて、ここだとなったら、中盤からゴール前に3人、4人、一気に来ますよ。
あの試合で「内容では勝ってた」なんて監督や選手が言っている時点でだめかも。
なんか、日本のスポーツ界とスポーツ報道にうんざり。
Diary
朝まで仕事をしたかったので、ヨットは休みにした。
で、夕方、スポーツクラブのプールへ。
日曜の夕方は終了時間が19時だということもあって、プールも混雑。
終わって帰ろうとすると、自転車の後輪がパンクしている。
歩いて五分ほどの距離なので、押して帰りました。
(外を歩いて汗をかいたシャツをロッカーに下げてあとでまた着るのがいやなので、自転車でささっと行くようにしている)
夜は、HDDレコーダーの中味を整理して空きをつくるために録画したまま見ていなかったものを、再生しながら居間で仕事。
昨年のオヤジバンドコンテストの映像があった。第11回。
次に仕事しながらモントルージャスフェスティバル2007。
そこでふと気づいたこと。
オヤジバンドが流行っているとかいわれているけど、よく考えたらへんだ。音楽と年齢って、もともとあまり関係ないんじゃないだろうか。
ジャズフェスティバルでもロックフェスでも、ステージに上がっているプロのミュージシャンの年齢は四〇歳以上の方が多い。
当たり前だよね。年齢が上がるほどテクニックも音楽性も高くなっていくことの方が多いんだから。
プロのバリバリ現役がオヤジの方が多いわけだから、アマチュアだってオヤジが多いのはまったく特別なことじゃない。
どうやら、どこかに「オヤジはロックをやらない」という事実無根の思い込みがあって、だから、そう思っている人が「オヤジなのにロックをやっている」と本人も周囲も言ったりするわけだ。
それは単に、30年前にはオヤジたちにロック文化がなくて、若い世代しかロックを聴かなかったり演奏しなかったりしただけのことだと思う。
でも、歳を取ったらロックを聴かなくなる、という特別な理由はなくて、ロックだけ聴くことはないかもしれないけど、ロックだって聴くだろう。
逆に若い頃に演歌の文化に触れていない世代は歳を取っても演歌を聴くようにはあまりならないわけだ。
ロック=若者 演歌=オヤジ という図式は1970年代にはそうだったかもしれないけど、それはそのときたまたまそうだっただけのこと。
というわけで、オヤジバンドをやっている人にありがちな、どこか「自分は若い」というちょっと肩に力が入った感じにも違和感をもったのでした。
好きな音楽を聴いたり演奏したりするのに、年齢なんてもともと関係ないのだ。
朝6時半に起きて近くを散歩するつもりだったが、ものすごい雨。
昨日の晴天が嘘のようだ。ほんとうに運がよかった。
最後なので、大浴場へ朝風呂を楽しみにいく。
浴場は年配の男性がいっぱい。「○×寿会連合会」という団体さんがバス4台ほどで泊まっているのだ。
ところが、風呂場の洗い場に使い終わったカミソリが散乱している。試しに数えてみるとその数およそ50本近く。後の人のことを考えていないんだな。
ここに限らず、年配の男性はどこでもとてもマナーが悪い。若者の方が礼儀正しいことが多い。どうしてなんだろう。
60歳以上の男性は家庭で専業主婦の奥さんに面倒を見てもらっていて、旅行に行くときでも、パンツから着替えまで全部奥さんが用意したカバンをそのままもってくるようなライフスタイイルの人が多いせいではないかと思う。
この年代の人は、自分で下着を選んで買ったことがないという人がとても多い。家のお風呂でも、きっと、掃除なんてしていなくて、どんなに散らかしてもそのあと奥さんがちゃんと掃除してくれている。
会社ではそこそこちゃんとしていても、生活の場になると自分で自分の面倒を見られない人が結構いる。飲食店などで店員に向かって横柄な態度をとるのも特徴。
「あ、おねえさん、これ片付けて」
なんて言い方をなじみの店でもなんでもないところで初対面の店員に向かってする。
「すみません、これ片付けてもらえませんか」
くらいの言い方をするのが、初対面の対等な人間同士の言葉遣いだろうと思うのだけど。
だいたいそんなところで偉そうな口の利き方をするのは、人間の器が小さく見えて格好悪いと思わないのかなあ。
朝食を摂り、午前10時のチェックアウト時間少し前に出発。
ワイパーを最高速にするほどの豪雨であった。
道路はまたしてもすべて渋滞もなく順調で午後3時前には都内に到着。
妻はそのまま車で仕事場に向かうので、僕は渋谷で降ろしてもらって電車で帰宅。
我ら夫婦の夏休みはこれで終了。2日連続で一時も原稿を書かないなんてこと、すごく久しぶりだ。よく寝たし、いつも重たい目も雄大な景色でリフレッシュ。
しかし、案の定、体重が1kg以上増えていた。
まず、スポーツクラブへ行って筋トレ、夕食後は執筆に復帰。
7時20分に目覚ましをかけたつもりだった。
2時間遅れの起床午前9時20分。
午前11時、出発。一路、長野県大町温泉郷へ。
一番の難所は中央高速調布インターチェンジまで。高速に乗ってしまえばあとはほとんどそのまま渋滞なし。交通量は少ない。ガソリンが高くなったせいもあるのかな。
こちらは1980年代前半にリッター140-172円を経験しているので、いままでそれより安かった方が不思議な感じがして、特に驚かないんだけど。
体感的にここ最近、いくつかの品目で急に上がったというものの、過去20年間、あまり物価が上がっているという実感がないし、多くの品目で価格はむしろ下がっているので、現在辺りまでは「物価高にあえぐ」という印象はない。テレビではさんざん庶民に大打撃なんていうけど、全然、ピンと来ない。昔はもっとずっと生活苦しかったから。
(これ以上に上がると、そろそろ初体験ゾーンかもしれないけど)
サラリーマンをやっていたころの昼食代は、工場勤務の社員食堂時代は別にしても20年前でも800円くらいだった。そのころのガソリンはリッター150円くらい。
いまでは、コンビニ弁当があるので、500円でも可能だし、マクドナルドでよければ300円でもランチが可能。物価はまだそんなに高いという実感はありません。
タマゴも牛乳もほとんど上がっていません。
30年前、手取り10万円を切る初任給で風呂なしトイレ共同の8畳一間に暮らしていたときも、夕食を外食すると定食が600-800円だったから、今と同じようなものです。いまみたいにチェーンの居酒屋はあまりなかったので、飲み代ももっと高かった。
高速道路はスイスイ走るととても楽しいので、ガソリン高騰も悪くない。
いままで無駄に走っていたところが節約されるようになるでしょう。宅配便だって、ほとんどの場合、別に1日で届かなくたっていいじゃない。
無駄に急いで無駄にエネルギー消費していたのを改めるいい機会だと思います。
と、そんなわけで、午後4時、大町温泉郷の旅館「緑翠亭 景水」に到着。
和風の温泉旅館は久しぶり。
窓側が外の景色の見えるお風呂になっている。24時間お湯が満たされている浴槽は信楽焼。
夕食の料理は板長さんの創意工夫が表現された味も見かけもすばらしいもの。
難をいえば、量が多すぎるってことかな。こりゃあ太りそうだ。

若葉町のレトロな映画館「シネマ・ジャック&ベティ」の一階に新しくできたカフェまで自転車で行ってみようと思った。もしかしたら仕事場に使えるかなと。
ところが、店の前に着いたらちょうど『ハブと拳骨』というコザを舞台にした映画が始まる時間。
二階の映画館で予定外に映画を観てしまいました。
映画、ピア系の監督にありがちにテンポが悪いところがあったけど、そこそこ楽しめました。三線とカチャーシーがちょっと嘘っぽかったのは、もう少し練習すればなんとかなっただろうにと思うと残念。
予告編でなんとグラミー賞8部門の歌姫ノラ・ジョーンズ映画初主演の『マイブルベリーナイツ』を発見。見なくては!
それに『パークアンドラブホテル』というのも面白そう。
映画自体久しぶりだけど、ちょっと火がついた感じだ。
深夜は、小説に復帰。
沖縄から帰ってきたら2.5kg増えていました。
運動しない(暑くてできない)で美味しいもの食べてましたから。
で、昨日から今日の昼近くまで、徹夜でプロット書いてました。
どのみち編集者と摺り合わせるので、あえて最後までは詰め切らないで、最後の落とし前は保留のままなのだけれど。
昨日の着手時には30枚ほどだったものが、提出時には65枚。
物理的に一晩で原稿用紙35枚分書いたのは新記録、パーソナルベストじゃないかなあ。
プロットで35枚だから、完成原稿にすると300枚分くらいの中身を書いたことになる。
風呂に入ろうと、給湯中に、体重測ったら1.9kg減ってました。
よく身が削れたみたいです。(笑)
体重落とすには、原稿書きがいいようです。
ただし、脂肪が減らずに体重だけ減ったので、体脂肪率は「なんじゃこりゃあ」というくらいに高まっている。
そうでなくても、フラフラになるまで仕事したので、あんまり健康的じゃないです。
なんだか、目のピントが合いません。というか目が痛い。
人というのは、未知のものを見るときに、何か知っているものと同じものを発見し、まず最初にそこから類推して仮説を立てる。こういう場所はおそらくこうであろう、という具合に。
この方法は十分に経験を積んでいる人なら多くの場合、それほど精度は悪くない。
ただ、あくまでも経験を基準にする以上、経験したことのないものがあれば類推は困難になるし、群盲象を語るようにサンプル地点がちがうことで結論が変わることもある。
時間として53年間生きてきているし、地理的にアメリカには60回くらい、その他の国や地域にも15ヶ国くらい行ったことがあるから、僕はそれほど世間知らずではないと思うけれど、コザはまったく想像を超えている。
一言でいえば、平準化されていないために、ある測定結果をもとに延長線上に類推することがほとんどできないのだ。
週末と平日でまったく異なる町になる。夜と昼とも全然ちがう。店の構えと中がちがう。夜でも、午後10時と午前2時は全然ちがう。
見た目は、きわめてさびれている。都会と比べれば特にその差は大きい。
都会なら看板のペンキが剥がれて読めなくなっている店はふつうまったく期待できないが、コザでは外装と店の満足度はほとんど独立していて無関係だ。なので、看板や外装で判断すれば、コザはただのさびれた活気のない町にしかみえない。
週末だけオープンする店が有り、その店が特別なにぎわいをもつ。
看板もボロいし、平日にどの時刻に通りかかってもつぶれて営業していない店に見えるだろう。営業している時刻に店の前に立っても掠れた看板に照明が当てられている程度で、まあ、それほど見栄えはかわらないかもしれない。
だが、金曜の午後11時から午前2時にその店に行けば、チャージなしドリンク500円で、世界でも一流のロックを聴くことができて、アメリカ兵も日本人も入り乱れて熱狂している。
午前1時にオープンし、午前2時からライブが始まって午前5時までそれが続き、ずっと満員の店がある。昼間はもちろん、午後10時に前を通っても、ただのつぶれた店にしか見えない。実際、僕は4年間もその店は営業していないと思っていた。
たいていは午前0時に開くが開かないこともあるバーがある。
何もないときはただ無愛想な店主が飲み物を出しているだけである。
平日でも午後2時を過ぎると、カウンターに数人の客が並ぶことがあり、そのほとんどがプロのミュージシャンだったりする。それだけならそういう客層であるというだけだ。
が、そこにアメリカ人がやって来て、壁のギターを弾いてもいいかと言いだす。
彼は軽くつま弾き始め、やがてちょっと歌い出す。
ライブハウスでもないのに、その店にはギターが3本あり、時には客がギターを携えて来店している。歌い始めたアメリカ人にカウンターの客が合わせる。代わる代わる全員がギターを持ちかえてセッションになる。
ひとしきり終わってから、自己紹介をする。
そのアメリカ人のことをだれも知らないがミュージシャンだというので、店のパソコンで検索してみると、全米でCDを500万枚売っているグループのボーカルだとわかる。彼に加わってセッションをした客はみなプロのギタリストだから、500万枚アーチストよりももちろんギターが旨い。
口には出さないがビックリして帰ったはずだ。
別な店では、カウンターの日本人客が、黒人兵にブルースギターの弾き方を教えているのを見たこともある。
たぶん、そんな町は日本のどこにもない。
コザはどこにも似ていないから、いろいろ類推するのがほとんど不可能だ。見た目はただのシャッター街で、実際、空き店舗も多いのだけれど、見た目からは絶対空き店舗だとしか見えないけれど、実は営業している店もたくさんあり、中ではそんなことが起きているのだ。
貸店舗を返すときに原状復帰をしないみたいだから、多くの空き店舗にも看板が掲げられている。営業している店でも造作にほとんどお金をかけない。突然の夜逃げの店もある。
ようするに、店が閉まっているときに、空き店舗かどうかを判断する方法がまったくない。確かめたかったら2週間くらいにわたって昼間や深夜や早朝など色々な時刻に定点観測してみる必要がある。
これほど外観で判断できない町も珍しい。
だからこそ探検が楽しいし、町はアドベンチャーに満ちている。
その上、それによって発見できるもののクオリティがとても高いから、コザという町はものすごく魅力的なのだ。
起床午前8時40分。
晴れている。晴れるとなったらそれはもう強烈な日差しだ。
まず初めに考えたこと。洗濯できる!
沖縄の天気は変わりやすい。お天道様のゴキゲンのいいうちに人間はスキをうかがって洗濯をせねばならぬ。というわけで、朝食前に洗濯。
さすが二時間ほどで乾いてしまった。横浜のマンションはベランダに洗濯物が干せないので、太陽の光で干したものを着るのは久しぶりだ。
しかし、この変わりやすい天気では会社勤めの人は洗濯物を干せないな。
朝食は昨日のうちに買っておいた ZAZOO のパン。
ちょうどオーシャンの隣なのだけれど、なかなかおいしいのだ。
昼前から原稿書き。
昼は、昨日食べ損なった弁当を冷蔵庫から出して電子レンジでチン。
いつものようにオーシャンに出勤して原稿書き。
午後4時、コザ音楽祭本戦会場のミュージックタウン音市場へ。
どういうわけか本日の僕はこのバンドコンペティションの審査員なのだ。
その他の審査員はコンディショングリーンのボーカルとして有名なカッチャン、紫のドラマー宮永英一、ZODIACの照喜名薫ほか、錚々たるメンバー。本土の人間は僕だけである。
本戦は午後5時半から11のバンドで争われた。
客席後方に設けられた審査員席で、評価シートに点数をつけながら聴く。
プロを目指す若いミュージシャンにとっては将来がかかっている。いい加減に点数をつけるわけにはいかない。しかも、唯一の小説家の審査員として、場合によっては特によかった歌詞があれば審査員特別賞を出すということだ。
バラエティに富んだ出場者たちだったが、これはすごいと驚かせてくれるグループはいない。演奏技術も凡庸。
ずっと関わってきた審査員たちによれば、今年は全体にレベルが低いのだという。
小説でもそうだけれど、プロになるということは、世界に満ちあふれているすべてのミュージシャンと競争する場に出るということ。ある年の本選会で一番であるかどうかは、それを考えればほんとに些末なことなのだ。
グランプリと金賞は僅差だったが、真剣な討議の結果、COCORE(ココア)というバンドがグランプリに決まった。
僕はベストボーカル賞のプレゼンターとして賞状と副賞をわたす。
さて、終了後は、「音洞(おとぼら)」という店でリーミーがアコースティックで歌うライブが九時からあるはずなので、駆けつける。ただし、時刻はすでに10時半である。
初めての店におそるおそる入っていってみると、コザには珍しい天井の高い静かな雰囲気の店で、まさにちょうどリーミーが3人のユニットでしっとりと歌っているところだった。
チャージは無料なのだけれど、店のシステムがわからないので、適当なところに座って聴いていると、曲の合間のMCの途中でリーミーが僕を見つけて「大樹さん、こっち座ってこっち」と最前列真ん前に有無をいわさず座らされた。(笑)
リーミーというは金武というもっとも荒くれ者たちのいる海兵隊基地キャンプハンセンのそばの町で、ロックを歌っていた女性で、あえていえばジャニス・ジョプリンのような人なんだけど、姉御肌でカリスマ性のある女性なんだな、これが。
かくいう僕も彼女がロックを歌うのはビデオでしか聴いたことがなく、きょうは彼女は実にしっとりとしたアコースティックだった。
ライブが終わったあと、やっとコロナ(550円)をゲットして、リーミーの店の常連さんなんかと午後1時過ぎまでその店でゆんたく。
部屋にもどると、昨日から同部屋になっていた男性が、「もしかして、コザ音楽祭で審査員をやっていませんでしたか?」と。
世界は狭い。(て、コザが狭いだけか)
コザ(沖縄県沖縄市)で募集されている「第一回コザ文学賞」の募集が始まりました。
阿川大樹は選考委員のひとりに名を連ねています。
基礎年金に関するとても大雑把な話
全額消費税増加でまかなうとして;
受給者2500万人に月6万円を支給するのに必要な財源は 1兆5000億円
それを一億人の消費支出でまかなうとして、
消費税率6%のとき、一人当たり必要な消費支出は 月25万円
つまり、消費支出が例えばひとり平均25万円というモデルだとすると、
消費税を11%に上げないと全額税負担できないということだ。
消費税でなくてもどこかに財源が必要であることにかわりはない。
ひとり月15000円、年金掛け金としてはらうか消費税で払うか、他に税金をあげるか、という話。
弱い立場の人を守ろうと思ったら、中間層以上の人は何らかの負担増が必要だ。
中間層にいて、「もっと上から取れ」みたいな「自分は関係ない」かのような意識は問題からの逃避だと思う。
役人や政治家の無駄遣いを減らすのにも時間がかかる。「まず無駄遣いをなくしてから増税」なんてことをいっていたら自分の傷が深くなるだけだ。
無駄遣いをなくすのと増税は後先の問題じゃなくて、同時進行しかない。
みんな、自分の国なんだぜ。あんたたちが選んだ政治家だぜ。あんたが雇っている役人だぜ。
役人や政治家が悪いとしたら、僕もあんたも含む「国民」のせいなんだぜ。
他人事みたいに人のせいにして、自分のせいじゃない、政治家が悪い、なんて、のんきなことをいわないでくれ。
所得税の課税限度にすら届かないから、小説家になってからの近年の僕は年収的には完全に最下層にいるわけだけど、それでも増税しなきゃダメだろうと思っている。(昔、めちゃめちゃ働いた蓄えがあるから、生活に困ってはいないから弱者ではない)
立食蕎麦を天ぷら蕎麦からタヌキ蕎麦にしてでも、さらには100円マックでガマンしてでも、みんなで税金もっと払わなきゃダメだろう。自分の国だよ。
なんで、みんな他人事みたいなこと言って「増税反対」みたいなこと言えるんだ。
暮らしていけている人たち、みんなで「暮らしていけない人たち」を守ってやれるようにしようよ。
貧困層を直撃しない中間層以上への増税をしようじゃないか。
自分が本当の弱者なのか貧困層なのか、フェアに考えよう。
「貧困層を守れ」という大義名分でほんとうは自分の負担を増やしたくないだけ何じゃないのか。
胸に手を当てて考えてくれ。
いまの自民党の増税案がいいっていっているわけじゃない。
ちゃんとした増税を真面目に考えようよ。本当に弱い人がちゃんと生きていける日本を作ろうよ。
