Diary

メディアの没落と情報格差

 麻生首相が頻繁にホテルのバーに行っているということを、ぶらさがり取材をした北海道新聞の長谷川綾という記者が指摘した。
 いわく「高額な店で毎晩飲食していて、庶民感覚からずれている」と。
 麻生さんは、ホテルのバーや、(記者も知っている)麻布十番の店の名を挙げて、「高いところだとは思っていない」と答えた。
 それを聞いたぶらさがりの時にいた多くのメディアが、麻生首相のネガティブキャンペーンのネタとして、「ホテルのバーは高くない」という首相の発言をきわめて恣意的に歪曲して一斉に取り上げた。
 その尻馬に乗った民主党や社民党や共産党が、「国民が生活に苦しんでいるのに……」というコメントを発表した。
 で、国民の方はどうしたか。
 mixi のこのニュースへのコメントでは9割以上の人々が、
  「ホテルは高くない」
  「お金を持っている人が自分のサイフでどこへ行こうが問題ない」
  「首相が居酒屋や焼鳥屋へSPや報道陣を引き連れて来たらかえってみんなの迷惑」
  「一国の首相が、和民に通っているとしたら、そんな情けない国に住みたくない」
  「金持ちには金を使ってもらわないと景気がよくならない」
  「もっと大事なことがあるのにくだらないネガティブキャンペーンにはうんざり」
 とメディアに批判的な反応をした。
 一部の、ホテルのバーの値段を知らない人は、メディアの論調の通り「毎日高い店に出入りするなんて」と反応した。
 ところが、そうしたコメントのほとんどには、他の人が「ホテルのバーは高くない」と、帝国ホテルやニューオータニのバーの値段表や、麻布十番「馬尻」のメニューの写真などを示して、事実関係を教えてあげていた。
 ぶらさがり取材のやりとりの全文は、ネット上に文章で、あるいは you tube などの映像で参照でき、それを見た上で、麻生首相の行きつけの店の値段を知れば、メディアの報道がいかに事実を曲げているかということを誰でも、直接確かめることができる。
 メディアの死が近づいている。
 ネットコミュニティが健全な発展を示し始めている。
 むろん、いつもそうではないけれど。
 問題は、情報格差。
 インターネットを使わず、新聞テレビだけを情報源としている人たちの中には、メディアの的外れな報道を真に受けてしまう人が少なからずいる。

『まぼろしハワイ』 よしもとばなな

 『まぼろしハワイ』(よしもとばなな 幻冬舎 1575円)
 ひとことでいうと、
   同じ形では続かない家族
   自然なやわらかい殻で包んでくれる居場所
   特別な時間と特別な場所
 についての小説。
 「まぼろしハワイ」「姉さんと僕」「銀の月の下で」の3作が収められている。
 「銀の月の下で」で登場するホテルはヒルトン・ロイヤル・ワイコロアのようだ。
  会社員だった頃、その近くのコンドミニアムに何度か遊びに行ったっけ。
 よそもとばななの小説を読むのは初めてではないはずだけれど、以前に何を読んだか思い出せない。

友部正人

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 午前7時半、起床。
 8時朝食。(おお!)
 9時半になったので、スポーツクラブへ。(おおお!)
 11時半、クインーズスクエア地下のタイ料理「ゲウチャイ」でセンレック・ナムトックムという赤い汁ビーフン(すっぱからい)でランチ。
 家で仕事開始。
 なんだか腹が減って、レトルト「カレー職人」でカレースパゲティ。(やっぱり運動すると腹が減る)
 夕方になって、進捗をあきらめて100円バスで黄金町へ向かう。
 シネマ「ジャック&ベティ」でドキュメンタリー映画「フツーの仕事がしたい」の21時の回のあとに友部正人のライブがあるというので、見に(聴きに)行く。
 少し早めなので、1階のカフェ(レジが映画館のチケット売り場になっている)でアイスコーヒーを飲みながらちょっとだけ仕事。
 直が近づいたので劇場に行くと、切符のもぎりをしていたのが映画館の梶原社長で、挨拶がてら一言二言。
 映画はほとんど土屋トカチ監督が一人でとったドキュメンタリーで、「リアル蟹工船」というキャッチフレーズがついたトラック運転手を巡る物語。
 月間500時間以上働いている現実の運転手がユニオンを通じて理不尽な労働条件を変えていく話。重たい映像だったけど、「理不尽なものに負けない」というメッセージは伝わってきました。
 土屋トカチ監督は、近所に住んでいるらしく、毎日舞台挨拶に来ているらしい。僕の観た回も、終わったら登場して友部正人のライブが始まるまで、MCをしながらミニトーク。
 映画の終わったあと、22時半近くから友部正人のライブ。
 友部は1972年デビューのフォークシンガーで多分、僕と同年配でフォークに染まったことのある人は必ず名前を知っているシンガーソングライター。僕が生で聴くのは初めて。
 デビュー36年を経て21枚のアルバムを出しているのに、演奏技術というものを敢えて拒絶したようなシンプルなギターを弾きながら、存在感のある声でシャウトする歌い方。
 出色なのは不条理でありながら叙情性をもった歌詞。
 虚構の世界をつくってみせるところがちょっとすごい。
(友部正人は高島町に住んでいるらしい)
 23時にライブ終了。
 疲れたので、都橋商店街まで歩いて、サントリー角の水割りを3杯飲んで帰宅。

農家のお米

 三重県の農家から、コシヒカリが27.5kg届きました。
 こちらのお宅からは、山菜や山芋や筍、それにご主人が釣った鮎など、近くで採れたもの、お金ではなく手間をかけたものを戴いています。究極の産直です。
(買って送ってくださっている松坂牛を戴くこともあります)
 今回は、お米。安全で美味しいお米。近ごろではこれも究極の贅沢かもしれません。
 袋に「うるち玄米」と書いてあるから、ありゃ、一升瓶にいれて暇なとき突いて精米しなくちゃ(笑)、と思ったけど、開けてみたら白米だった。
 農家の出荷用の袋なんですね。たしかに農家は白米は出荷しないから、精米済み米を入れる袋なんてないんだ。

エフェクター

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 大仕事が一区切り状態なので、ここ3日くらい部屋の片付けをしています。だいぶ床が出てきました。(笑)
 そんな間に、エレキギター用のエフェクター買っちゃいました。
 オークションで。
 実は、30年近く前に買ったものをひと揃い持っていて、ぜんぜん使ってないんだけど、いざ使うとなると電池がたくさんいるから、ひとつでいろいろできるやつ。(笑)
 メモリーがついているので、足踏み一発で、演奏中に音色を変えられる。て、ステージでライブやらないかぎり必要ないじゃん。
 ま、楽器そのものが「必要ないジャン」といわれても反論できないので。
 基本的にアコースティックのギタリストなので、たまにエレキ弾いてもアンプ直結でジャズっぽく弾いています。が、エフェクターつけてメタルサウンドにすると、それはそれで気持ちいい。たまにはね。
 うんと歪ませると、リズムが曖昧になるし、人の心から遠ざかるみたいで、音楽的に出したい音じゃなくなるけど。

月刊 Forbes 日本版 11月号

Forbes 日本版 11月号にエッセイを書きました。
185ページの「喜怒哀楽」というコーナーに。
創刊200号記念号だそうで、全体にけっこう面白そう。
目次はこちらです。(携帯ではみられません)

中村屋「インドカリー」

 8時間たっぷり睡眠。休養のため、ヨットもおやすみ。
 また、昼から入浴。
 クイーンズスクエアのマクドナルドで読書。
 日曜だけど、先週が連休だったし雨降りだからか、空いている。
 買い物の妻と合流し、中村屋 Olive House で「インドカリー」。
 さすが老舗の味です。正統派日本のインドカリー。
 帰宅して、また少し眠る。
 赤ん坊のように好きな時間に寝たり起きたり。
 かなり回復してきた感じで、夜、仕事に復帰。

レストラン「イグレック」

 脱稿疲れで無気力状態がつづく。
 とりあえず風呂に湯を張り、入浴剤を入れて、音楽を聴きながら入浴。
 ぼんやりと過ごして、夕方、自転車で馬車道のスターバックスへ出かけて、読書。
 熊本へ出張中の妻から電話があり10時頃に帰宅予定と。
 家で、妻と合流し、10時半、野毛のレストラン「イグレック」へ。
 チキンとキノコのマリネ、トマトと夏野菜のパスタ、プラチナポークのグリル、ワイン1本。
 この店が満員なの初めて見たぞ。(笑)

苦しがる人々

 厚労省の調査で「生活が苦しい」と感じるのが過去最高の57%だったそうです。
 数字から見て、別に貧乏な人たちだけがそう感じているわけではないということがわかります。
 苦しいと感じるよりも楽だと感じる方が楽しいのに、それほど貧乏でもない人までもが、「苦しい」と感じて不幸せになってしまっている。
 大して不幸せでもないのに満足しない国民性って、困ったもんだなあと思います。
 この人たちは客観的に経済的な豊かさでは満足しないでどんなに経済力があっても「苦しい」と思ってしまう。
 経済の問題ではなく心の問題だってことです。
 日本みたいな豊かな国で、最下層にいるわけではない、平均よりも上の経済状態の人までもが「生活が苦しい」って絶対おかしいです。
 何のための経済? なんのための労働?
 
 焼鳥屋で飲めて、900円のラーメン食べられて、毎日風呂に入れて、昼飯をどこで食おうか迷うことができて、子供を塾に通わせられて、たまには奥さんが誘い合ってホテルで3000円のランチを食べていて、子供はDSのソフトを何本ももっていて……。
 そういう人が「生活が苦しい」って思ってしまうのって、おかしくないですか?
 それって誰のせいですか?
 どうやったらみんなシアワセになれるんですか?

自民党総裁選 みごとなパフォーマンス

 自民党総裁選候補者の共同記者会見の生中継をみました。
 5人、みごとな役割分担。
 全体として様々な論点を表に出して、自民党の優位性を説明するようにオーガナイズされている。
 質問する方の「平河町クラブ」の質問がまた、太鼓持ちというか、あうんの呼吸の質問だし。記者クラブ体質もここに極まれりです。
 たぶん、麻生太郎選出を前提に、全員が自民党として選挙に勝つことを目指して、意思統一がされている。
(暗黙の了解なのか、具体的な打合せをしたのか、そこは不明だけど)
 代表選を無投票にした民主党はこれをみて地団駄踏んでいるでしょうね。まちがいに気づいたはずです。はたして、それにどうやって対抗するのでしょうか。
 小泉ブーム、参議院選挙野党過半数、このふたつの事件で、どうやら自民党の中では意識改革が相当に進んでいる。かつてのように「だまって自民党に任せさえすれば大丈夫」という態度の人はいなくなった。
 一番、昔のタイプで偉そうで抽象的なのが、実は小池百合子であるという状態。
 石破なんか、オバマ流に人を感動させる音楽的リズムをもっているし。(笑)
 逆に古い体質を露呈しているのは小沢一郎。
 昨夜のNHKでも、財源について具体的な施策を示さず「政権を換えればよくなる」の一点張り、これは「野党は無責任、責任政党である自民党に任せれば大丈夫」とひたすら言っていた昔の自民党そっくりです。
 私に任せれば悪いようにはしません、というだけで国民がついてくることを期待しているけど、本当にそうだろうか。政治不信は「自民党不信」ではなく、民主党だって信頼されてはいないというのに。
 ものすごく政治スタイルが保守的というか、昔ながらのやりかたで、国民の目の多様性とか、国民の危機感とかを見くびっている感じがするのが、自民党よりも民主党になってしまっています。
 5人の誰をとっても、小沢一郎よりずっとまともに見えるし、少なくとも低姿勢。それがポーズだとしても、そういうポーズが必要だとみんなが気づいている点で、自民党は以前とは変わっている。
 う~ん、野党だらしねえ。
 なんとか切り返せ。
 でないと、びっくり自民圧勝、なんて可能性もあるぞ。
 そうなったら福田辞任作戦大成功になってしまう。もともと福田辞任はすごく巧いタイミングをついていると思ったけど、そのあとの自民党の流れの読み方がすばらしい。
 二日つづけて、プールにも行って、本日、執筆は絶好調。