午後1時前、車検のためディーラーに車を持ち込む。
その足で、妻と近くの「ラ・ボエーム」でランチ。デザートセットにする。
元町の洋服屋を何軒か回って、コートを見る。
Evisu, Brooks Brothers, GAP など。
エビスはめちゃめちゃお洒落だけど、ユニクロの20倍くらいの値段。(笑)
喫茶室ルノアールで仕事。
ここは無線LANが使えるので、オフィスとあまり変わらない。コーヒーが510円だけど、長い時間いても大丈夫。長くいるとお茶をもってきてくれる。
結局、GAPでコートを買う。
ユニクロ以外で洋服を買ったのは何年ぶりだろう。(笑)
横浜駅東口の郵便局前で年賀状を300枚買う。
Diary
人間の臭いのしない町であるみなとみらいを歩くのはあまり面白くない。
コンクリートの景観デザインも、初めて見れば美しいのだけど、毎日見ていれば飽きる。
なので最近はみなとみらいを Baybike で早々にパスして、桜木町駅か関内駅まで行ってしまう。そこから黄金町のスタジオまで歩く。人間のいるところでないと面白くない。
今日は通勤時に久しぶりにクィーンズスクエアやランドマークプラザを通過。
目的はコート。
ユニクロの7000円くらいの白いコートをここ数年着ていたのだが、それが少し黄ばんできた。
クリーニングに出さなければならないものはなかなか白のコートを着るのは難しい。春の衣替えまで白さを保つことができないからね。そうでなくても、白いものは何かの拍子に致命的な汚れがついてしまう。
ユニクロなら失敗しても惜しくないので、洗濯機でザブザブ洗ってしまうこともできる。
「冬に白いコートを着る」という小さな冒険が気楽にできるのだ。
とはいえ、白きものやがては黄色なるべく無常の理により、数年のうちにくたびれてきた。
いつものようにユニクロを覗きH&Mを見て、これからはせめてGAPを買おうと改めて思ったまま、何も買わずに黄金町へ出勤。
それにしても最近のユニクロはすっかり明るい色のバリエーションがなくなり、デザイン的な遊びもなくなってしまったなあ。自他共に認めるユニクラーである僕も、下着類以外には食指が動かなくなってきた。
スタジオでは大した仕事もせず、年賀状の版面をデザインしたところで、本日の仕事は終わり。
都橋で軽く飲んで帰宅。
東横線を中目黒で下車、目黒川沿いにゆっくりと歩いて目黒区美術館へ。
桜並木で横浜でいえば大岡川。
秋岡芳夫展 モノへの思想と関係のデザイン。
秋岡芳夫は工業デザイナーとして有名な人で、実は秋岡芳夫の子息(秋岡陽)と高校で同期だったのだが、当時は父上がそのいう人だったとはまったく知らなかった。
展示を見てびっくりしたのは、秋岡芳夫のデザインしたもので、僕が実際に使ったり触れたりした記憶があるものがたくさんあることだ。
学研の「科学」の付録。セコニックの露出計。ゼンザ・ブロニカ。三菱鉛筆ユニ。エトセトラ、エトセトラ。
彼にとってモノは買うものではなくつくるもの。いつも何をどうやって作ろうかと考えていた人だと言うことがとてもよくわかる。
と同時に、デザインそのものだけでなく、デザインという形のない物に正当に値付けをし、クライアントもデザイン事務所も、幸福な関係の中で仕事ができるようなシステムを作り上げようとしたことも先進的だといえる。
晩年に熱中していたという無数の竹トンボの精緻で美しいことよ。
工業製品にせよ、手作りの製品にせよ、芸術作品にせよ、「モノをつくる」人にとって、この展示は大きな啓示を得られるものだろう。
久々に目黒区を歩くといい気持ち。
黄金町の猥雑さも刺激的で素敵だけれど、都会にあって都会から隔離されたような目黒の住宅地はそれ自体リゾートのようだ。
オートバイに乗る口実を兼ねて、家から17kmほどの立場のパン屋さん「薫々堂」へ。
ワールドカップのボランティア仲間だった亀山裕子さんが旦那さんとやっている店。
僕が57年間に食べたことのあるパン屋さんでここのパンがナンバーワンです。
お目当てのシュトーレンの他、各種パンを買って帰る。
そのうち焼きたてで温かかったたものを昼食に食べ、改めて黄金町へ出勤。
ほとんど仕事ではなく、会議資料で時間を使ってしまった。
”STORY BOX” で連載している「インバウンド」は、もう10回以上、編集者とやりとりをして直している。
最初に編集者と一緒に沖縄に取材に行ったのは2009年の4月の終わりだった。もう足かけ3年だ。
今回もいろいろと意見交換の末、細かな修正。
編集者の執念もたいしたものだが、こちらも意見を譲ったり譲らなかったり、お互いに真剣に向き合って、妥協をしないでいいものを作ろうとしている。
もともと単行本で刊行する予定で始めたものだが、プロジェクトが長期になったこともあって、連載という形で世の中に出して、改めて単行本にまとめるという形に落ち着いた。
小説家がどんなに精魂を傾けて書いていても、本にならないとまったく無収入なので、長い期間にわたって何度も書き直していても、それだけでは一銭も僕の懐に入ってこない。
連載になれば、掲載の都度、原稿料が入ってくるし、それが本になった時点で改めて印税が入ってくるので、こちらとしては経済的に大変ありがたく、出版社としては先に一度商品化ができるということにもなる。
そんなこんなでとても長く関わっている本作もそろそろ最終フェーズ。
プリントアウトして第4章以降を見直しつつ手を入れているここ数日だ。
来年の春には単行本の形になる。
月刊「問題小説」12月号(徳間書店)が発売になりました。
阿川大樹の久々の短編(50枚)「自販機少女」が掲載されています。
午前3時半、新宿の自販機の前に立つ研介に足らない50円を差し出した少女との6時間ほどの物語。
本日発売の以下のメディアに阿川大樹が登場しています。
■「ダ・ヴィンチ」(メディアファクトリー) 2011年10月号
阿川大樹のインタビューが掲載されました。
■小学館 StoryBox 25 連載小説「インバウンド」 第2回
■オンラインマガジン「Sohzine vol.4」 エッセイ「作家の日常」 第4回
今回の旅行で、僕は、宮城県名取市閖上と福島県双葉郡川内村の二つの対照的な被災地を訪ねた。
川内村は福島第一原子力発電所30km圏の中でも放射線量の低い場所だ。
地震で亡くなった人はいないけれど、住民の9割以上が避難してしまっている。放射能は低くても、仕事もできないし、生活物資も不自由で、ひどく暮らしにくくなっているのだ。避難しないといろいろなお金ももらえなかったりもするらしい。
村はほとんどの建物の窓は閉め切られ、カーテンも閉まっている。ゴーストタウンでみたいな町に、点々と人のいる場所がある。人のいる家があるとほっとする。
残っている人は必死に今までと同じ暮らしをしようとしているけれど、家も壊れず、自分の周辺に何の目に見える変化もないけれど、目に見えない放射能によって、人がいなくなり、その結果、暮らしが変わってしまった。
おそらく将来も変わってしまっている。
あたりは岩盤の上にあり、いろいろな場所を見せてもらったけど、ほんとに地震の被害は少ない。横浜と大して変わらないといってもいいくらいだ。であるのに明らかに「被害」を被っている。
一方の名取市は、人口の一割の人が亡くなり、家も店も会社もなくなってしまった。町は跡形もなく消えてしまった。
見かけ上、何も変わっていない川内村とは対照的だ。
「津波の人は、3月11日で災害が終わっているけれど、福島はいまも災害が続いている」
福島の人がいうのを聞いた。
確かに、閖上ではほとんどの土地はから瓦礫が取り除かれ、半壊の家屋は解体され、新たに整地されて更地になっている。
家も作品もすべてなくしてしまった名取の icoさんは、新しい絵を描き始めているけれど、川内村の人は何もできずにいる。
川内村では、ほとんど何も壊れていないのに、自分の努力で災害から脱出できるという希望がもてない。希望をもつとしたら、村を捨てて別の土地で人生をやり直す決心をしなくてはならない。
どちらの災害も大変なことであり、災害の程度を比較することは無意味だけれど、原子力発電所の事故という災害が、いままでの種類の災害とはちがった性格を持っていることだけは確かだ。
イラストレーターの高橋麻衣子さんが描いてくださった阿川大樹の肖像です。
高橋麻衣子さんとは、最近知り合ったのですが、この絵を描くまでに2回会って、少し話をした程度。
じっと僕を見てスケッチをしたわけでもなく、3回目に会った時にはこの絵ができていました。
高橋さんの頭の中に印象として残った僕を描いてくれています。
写実したのではなく、印象を絵として具現化したものです。
僕がふだん「僕らしい僕」だと思っている特徴とは、同じようでいて違う。そして違うようでいて同じかもしれない。
果たして、みなさんがご存じの阿川大樹とのちがいはどうでしょう。
「幸福な会社」の続編・「会社、売ります!」(徳間文庫)の予約受付が始まりました。
ここしばらくの阿川大樹は、
7月 1日 「会社、売ります!」(徳間文庫)発売。
7月 6日 「インバウンド」連載開始。
小学館の文庫サイズの小説誌 Story Box にて巻頭、一挙120ページ。
書店によって売り場が色々ですが、小学館文庫の棚にあることが多いかも。
7月10日 黄金町落語会
阿川大樹初の落語台本書き下ろし「黄金町」の初演です。
今回、初めて新作に挑戦する金原亭馬吉さんの落語会。
当日は、阿川の新作の他に、いつもどおりの古典落語も。
馬吉さんとのトークライブもあってもりだくさん。