”STORY BOX” で連載している「インバウンド」は、もう10回以上、編集者とやりとりをして直している。
最初に編集者と一緒に沖縄に取材に行ったのは2009年の4月の終わりだった。もう足かけ3年だ。
今回もいろいろと意見交換の末、細かな修正。
編集者の執念もたいしたものだが、こちらも意見を譲ったり譲らなかったり、お互いに真剣に向き合って、妥協をしないでいいものを作ろうとしている。
もともと単行本で刊行する予定で始めたものだが、プロジェクトが長期になったこともあって、連載という形で世の中に出して、改めて単行本にまとめるという形に落ち着いた。
小説家がどんなに精魂を傾けて書いていても、本にならないとまったく無収入なので、長い期間にわたって何度も書き直していても、それだけでは一銭も僕の懐に入ってこない。
連載になれば、掲載の都度、原稿料が入ってくるし、それが本になった時点で改めて印税が入ってくるので、こちらとしては経済的に大変ありがたく、出版社としては先に一度商品化ができるということにもなる。
そんなこんなでとても長く関わっている本作もそろそろ最終フェーズ。
プリントアウトして第4章以降を見直しつつ手を入れているここ数日だ。
来年の春には単行本の形になる。
Diary
月刊「問題小説」12月号(徳間書店)が発売になりました。
阿川大樹の久々の短編(50枚)「自販機少女」が掲載されています。
午前3時半、新宿の自販機の前に立つ研介に足らない50円を差し出した少女との6時間ほどの物語。
本日発売の以下のメディアに阿川大樹が登場しています。
■「ダ・ヴィンチ」(メディアファクトリー) 2011年10月号
阿川大樹のインタビューが掲載されました。
■小学館 StoryBox 25 連載小説「インバウンド」 第2回
■オンラインマガジン「Sohzine vol.4」 エッセイ「作家の日常」 第4回
今回の旅行で、僕は、宮城県名取市閖上と福島県双葉郡川内村の二つの対照的な被災地を訪ねた。
川内村は福島第一原子力発電所30km圏の中でも放射線量の低い場所だ。
地震で亡くなった人はいないけれど、住民の9割以上が避難してしまっている。放射能は低くても、仕事もできないし、生活物資も不自由で、ひどく暮らしにくくなっているのだ。避難しないといろいろなお金ももらえなかったりもするらしい。
村はほとんどの建物の窓は閉め切られ、カーテンも閉まっている。ゴーストタウンでみたいな町に、点々と人のいる場所がある。人のいる家があるとほっとする。
残っている人は必死に今までと同じ暮らしをしようとしているけれど、家も壊れず、自分の周辺に何の目に見える変化もないけれど、目に見えない放射能によって、人がいなくなり、その結果、暮らしが変わってしまった。
おそらく将来も変わってしまっている。
あたりは岩盤の上にあり、いろいろな場所を見せてもらったけど、ほんとに地震の被害は少ない。横浜と大して変わらないといってもいいくらいだ。であるのに明らかに「被害」を被っている。
一方の名取市は、人口の一割の人が亡くなり、家も店も会社もなくなってしまった。町は跡形もなく消えてしまった。
見かけ上、何も変わっていない川内村とは対照的だ。
「津波の人は、3月11日で災害が終わっているけれど、福島はいまも災害が続いている」
福島の人がいうのを聞いた。
確かに、閖上ではほとんどの土地はから瓦礫が取り除かれ、半壊の家屋は解体され、新たに整地されて更地になっている。
家も作品もすべてなくしてしまった名取の icoさんは、新しい絵を描き始めているけれど、川内村の人は何もできずにいる。
川内村では、ほとんど何も壊れていないのに、自分の努力で災害から脱出できるという希望がもてない。希望をもつとしたら、村を捨てて別の土地で人生をやり直す決心をしなくてはならない。
どちらの災害も大変なことであり、災害の程度を比較することは無意味だけれど、原子力発電所の事故という災害が、いままでの種類の災害とはちがった性格を持っていることだけは確かだ。
イラストレーターの高橋麻衣子さんが描いてくださった阿川大樹の肖像です。
高橋麻衣子さんとは、最近知り合ったのですが、この絵を描くまでに2回会って、少し話をした程度。
じっと僕を見てスケッチをしたわけでもなく、3回目に会った時にはこの絵ができていました。
高橋さんの頭の中に印象として残った僕を描いてくれています。
写実したのではなく、印象を絵として具現化したものです。
僕がふだん「僕らしい僕」だと思っている特徴とは、同じようでいて違う。そして違うようでいて同じかもしれない。
果たして、みなさんがご存じの阿川大樹とのちがいはどうでしょう。
「幸福な会社」の続編・「会社、売ります!」(徳間文庫)の予約受付が始まりました。
ここしばらくの阿川大樹は、
7月 1日 「会社、売ります!」(徳間文庫)発売。
7月 6日 「インバウンド」連載開始。
小学館の文庫サイズの小説誌 Story Box にて巻頭、一挙120ページ。
書店によって売り場が色々ですが、小学館文庫の棚にあることが多いかも。
7月10日 黄金町落語会
阿川大樹初の落語台本書き下ろし「黄金町」の初演です。
今回、初めて新作に挑戦する金原亭馬吉さんの落語会。
当日は、阿川の新作の他に、いつもどおりの古典落語も。
馬吉さんとのトークライブもあってもりだくさん。
午前10時過ぎ、枕元で携帯が鳴る。
S社の編集Sさん。
午後1時半に横浜駅近くで会って、連載小説のゲラを受け取る。
7月6日発売の小説誌の巻頭に掲載と。ありがたいことです。
ただし、原稿料は想定範囲内の下の方。
連載、単行本、文庫、とこの長編には3度稼いでもらえるので、とりあえずそれがありがたい。
小説家のビジネスモデルはこのパターンが基本。
いままで、単行本から文庫、連載から文庫、と2回しかお金が入ってこない形だったので、やっと基本パターンに。
ただし、これから着手するK社の長編は文庫書き下ろしなので、1回しかお金が入ってこないパターン。
もちろん、重版がかかれば、その都度、印税が入るけれど、世の中の99.9%の本は初版だけで増刷されないので、ビジネスとしてリーズナブルにカウントできるのは初版だけ。重版印税は想定外のボーナスくらいに考えておかなくてはならない。
ちなみに小説家の所得は実際にどれくらいの収入になるかが事前にわからず、場合によって上下にものすごく変動があるので、税法上は漁業者と同じ「変動所得」という区分になっている。
船を出してもまったく魚が捕れないこともあれば、どんとニシン御殿が建ってしまうこともある、そういう業種だということです。
僕くらいの知名度の作家の場合、単行本よりも部数が出る文庫はプレゼンスを上げるための媒体としてはよいのだけど、一方で、労働に対する収入という観点からは文庫書き下ろしばかりでは、生活が立ちゆかない。
それでも、つきあいのある出版社/編集者の幅を拡げていくことも、小説家として生き残る為には重要で、つきあいのなかった出版社との仕事もできるだけ受けて、パイプを太くしていかなくてはならない。
もし一社としかつきあいがないと、担当編集者が社内で異動になったり退職したりしたとたん、まるっきり仕事がなくなってしまうことだって考えられる。
そんなこんなを考えるのも、書くのは自分一人で、書くことのできる量は限られているので、プロモーション/マーケティングと収入のバランスを常に考えておく必要があるからだ。
それにしてもゲラは編集のコメントで真っ赤っか。
着手するにはちょいと気を引き締めて勢いをつけないと、心が折れてしまう。
ことの起こりはふたつの事件(?)だ。
ひとつめ。
この冬、スタジオに置いてあったタカミネのエレガットをケースから出したら、壊れていた。
乾燥のために、表板が割れ、ブリッジが飛んでしまった。
木でできている以上、直して治らないわけではない。
けれど心臓部が壊れたようなもので、修理には相当の期間と金額がかかる。
治ったところで、音は変わってしまう。
それほど高級な楽器というわけでもないし、強い思い入れのある楽器というわけでもない。
痛々しくて見ていられないけれど、それを無理に直すモチベーションもない自分に気づいた。
ふたつめ。
4月にコザへ行ったら、シンガー・ソングライターのヤラ・ヤッシーが新しいギターを買っていた。
ヤマハの10万円ほどの楽器だけど、これが思いの外いい。
レスポンスも音のバランスもとてもいいのだ。びっくりした。
30年以上前、ヤマハのギターはあまり良くなかった。
ヤマハだけでなく、その頃は20万円以上出さなければ無条件で「いい」と思える楽器なんてなかった。
10万円以内では、選択肢は「ヤマハ以外」だった。
ヤッシーのギターを弾いてみて、ヤマハのイメージはまったく変わった。
4月に予定外に連載の仕事が入った。
その金額の範囲内で、気に入った楽器を買え、という啓示だ。(笑)
というわけで、書籍の〆切をクリアしたら、エレガットを買おうと思っていた。
候補は YAMAHA NTX1200R もしくは NCX1200R だ。
(型名だけみるとヤマハの1200CCのオートバイみたいだ)
23日、明け方にS社向けの長編を脱稿した僕は、いったん帰宅して睡眠を摂ると、夕方から横浜駅西口のヤマハにいって、この2台のギターを試奏して NTX を買うことにした。
どちらにしようか少しだけ迷ったが、どちらかを買うことに迷いはまったくなかった。
たかだか10万円ほどの楽器とは思えないほど良かった。
どの弦のどの音もバランス良く鳴る。
レスポンスが良くて、弱い音もちゃんと出る。
スタジオに持ち帰って数日になる。
まず、弾き方が変わった。弱い音を積極的に使えるということは、それだけニュアンスが細かくなる。
次にアドリブのフレーズが変わった。
アドリブのフレーズには、楽器がもっている「いい音」をたくさん使おうという自然な選択が含まれていたことに気づいた。
いままで弾いていた楽器よりいい音のする場所がたくさんあるから、いままで知らずに避けていた音を使うようになったのだ。
新品の楽器を買ったのは30年ぶりくらいだ。
新品を買っていないから、僕は30年間の楽器製造の技術の進歩を知らなかったのだ。
スチール弦のエレアコも買い換えたくなっってしまった。困ったものだ。
阿川大樹です。
ここは、横浜市に生まれた人なら「あの町には行ってはいけない」と言われて育った町、黒澤明の『天国と地獄』では麻薬の町として描かれ、わずか数年前まで200軒を越す違法売春飲食店(いわゆる「ちょんの間」)が立ち並んでいた黄金町です。
いま、拙著『D列車で行こう』(徳間書店)さながらに、町の再生を賭けて、地域と行政がアーチストのアトリエとしての利用を軸に、新しい町おこしをはじめています。
阿川大樹は「黄金町ストーリースタジオ by 阿川大樹」と銘打って、京浜急行のガード下に作られた真新しいスタジオの入居者の一人として、執筆の拠点を置くことになりました。
大きな窓の外には大岡川の水面と桜並木、反対側には老朽化した店舗で営業を続ける古い飲食店が見えます。
新住民による新たな息吹と昭和の残像、怪しいものと健全なもの、古いものと新しいものが、清濁混交しつつ存在しています。
希有にして不思議な黄金町地域へ、横浜方面へお越しの節は、ぜひお訪ねください。
(参考URL)
黄金町エリアマネージメントセンター
http://www.koganecho.net/
ヨコハマ経済新聞
http://www.hamakei.com/column/135/
ほんの少し前のようす
http://www2.tba.t-com.ne.jp/oldyokohama/kogane.htm
http://erowriter.at.infoseek.co.jp/kanagawa_koganecho/kanagawa_koganecho.html
新住民によるマイクロビジネス群
http://koganecho.sakura.tv/
阿川のスタジオのようす
http://ameblo.jp/koganechobazaar/entry-10245841527.html
阿川大樹公式サイト へ
原発の事故で多くの人の健康と心と財産が脅かされている。
いままで、僕は原子力発電所を安全だと信じることが一度もできなかった。
科学を学んだものとして、安全であればありがたいというわずかな期待を込めながら、いろいろ調べてきた。
原子力を推進している機関に正式な質問状を出して回答をもらったりしても、やはり危険であるという結論は変わらなかった。
何十年と危険だと思っていたのに、ついに大きな被害を出してしまった。
結果的に、僕にとっていまの事態は「反原発運動の敗北」である。
なぜ原子力発電所の建設と運用を止めることができなかったのか。
地震が起きた日から、ずっと考えてきた。
原発に反対する人の意見を毎日大量に見たり聞いたり読んだりしてきた。
世の中でこれほど多くの人が危険について指摘し、運動をしてきたというのに、なぜ、原子力発電所がこれほどたくさんできてしまったのか、それを改めて考え続けた。
当然ながら、原子力発電所は「エネルギーが大量に必要である」という前提から始まっている。
その前提を疑うことなく、だから原子力発電所は必要なのだと言われ続け、その前提を崩すことができなかった。
炭酸ガス排出がよくないというもう一つの前提がそれを補強した。
そして、他の発電手段が技術的に、あるいは、経済的に不十分であるという前提が加えられた。
原子力発電所は安全である、という絶対的な前提を基礎にして、推進されてきた。
改めて前提を並べてみよう。
1)電気エネルギーが大量に必要である
2)火力発電は炭酸ガスを排出することで環境を破壊する
(石油石炭天然ガス資源の国際依存というリスクも存在する)
3)太陽光、風力、潮汐、地熱などによる発電は技術的に未熟で経済的にも成立しない
4)原子力発電は安全でクリーンである
今回の事故によって、4)が成立しないことは明らかになった。
仮に今回の事故を教訓に改善が為されたとしても、それで万全であると言い切ることは不可能だと僕は考えている。
どんな事態を想定したところで、人の創造力は経験以上には膨らまず、原発事故の被害の及ぶ規模や年月からいって、経験したときにはもう後の祭りだ。
想定できる人為的ミスについても同様だ。
しかし、時間が経てば異なる見解も表明されるようになり、ふたたび原子力発電所の建設を推進しようという動きはでるだろう。
絶対安全などということはあり得ないと考えるし、そもそも危険因子は自然災害や偶発的な事故だけでなく、テロや戦争など意図的な攻撃の標的となることを考えれば、安全であるはずがない。
ミサイルや自爆航空機の衝突も十分あり得る。
原子力発電所作業員や制御システムを運用する人間が故意に事故を起こそうとする可能性も否定できない。
少数の悪意をすべて予測し、すべてに対策を取ることはそもそも不可能だ。
そのような危惧は、新しいものではなく、ずっと表明され続けてきた。
であるのに、原子力発電所は作られた。
その事実を前提に考えると、安全性の議論とは別に、上記の、1-3をきとんと問い直さなくてはならない。
安全であるという前提以外の、そもそもの原子力発電所建設の前提である1-3について、長期間、すべて問い直しつづけて、いま僕自身は、この前提自体があやまっていると考えている。
これについては、時間を作って別の機会にできるだけきちんと述べたいと思う。
それはそれとして、1-4のすべての前提が否定され、日本中にどれだけ原子力発電所建設反対の人が多かったとしても、我が国の社会システムにおいては、発電所を作りたいと思う少数の人が原発立地の少数の人と合意しさえすれば、原子力発電所の建設が可能なのである。
あらゆる原子力発電所は、そのようなシステムの反映として建設されている。
原子力発電所の建設に反対し、本当に建設を止めるためには、この点に注目しなければならない。
いままで、僕を含め、原子力発電に反対する人は、主として建設の主体である電力会社や政府に対して議論を挑んできた。運動家たちの反対運動のターゲットも、電力会社や政府だった。
しかし、たとえ彼らを論破しても原子力発電所は止まらない。
実は原発を推進する意志を持つ人たちにとっては、反対運動をそこそこに受け流して、建設地とだけ話をすればよかったのだから。
建設地の人たちが一枚岩で両手を挙げて賛成してきたわけではないことも知っている。原発の事故の責任が建設地の周辺の人々にあると責めるつもりもない。
福島を始めとする原発立地には、その地域ごとの事情があり、結果として原発建設を受け入れる決断をする事情があった。
つきつめれば経済の問題だ。
雇用、税金、補助金、交付金、その他の通常の地元の経済、そうしたものに、原子力発電所を受け入れようとする本当の要因があった。
原子力発電は一世代で背負うことができないほどに危険であり、やめなければならないと僕は思う。
今後も引き続き、原発の建設や運用を阻止するためには、立地地域のそうした事情を原子力発電所以外の手段で解決する答を用意しなければならない。
そうでなければ、日本のさまざまな地域で「背に腹は代えられぬ」と考える人たちがこれからも出るだろう。建設したい側の人たちは、その人たちにアプローチしてなんとか原子力発電所を動かそうとするだろう。
以前も、現在も、多くの反原発の人がしているように、電力会社や政府に向けてだけ反原発運動をしても、原発は阻止できない。
原子力発電に反対する人は、僕自身も含め、そのことを肝に銘じなければならないと思う。