予報では夜には雨。
でも、出がけに降っていないので傘は持たない。濡れても死にはしない。
と、ハードボイルド(?)に家を出るハードボイルド作家(ほんとか)の阿川大樹である。
午後3時半、家を出る。
渋谷で立ち食い蕎麦、冷やしたぬき。(440円)
飯田橋ホテルメトロポリタンエドモント。
エントランスを入ると、ロビーの椅子にかけていた男がこちらを向いて立ち上がるのが見えた。編集者だ。
約束は午後5時だったが、まだ定刻には15分ほどある。
ティールームへ移動。
ゲラを受け取る。ずっしりと重い。
タイトルの討議。 〈*****-*〉と仮決め。
装丁のデザイナーの件、予定発売日など。
別会社別媒体の連載のスケジュールなどのこと。
午後6時、階上へエスカレータを上がると、知った顔、多数。
推理作家協会新年会。昨年後半はあまり協会のパーティには参加していなかったので久しぶり。
大沢在昌理事長、開会挨拶。
すぐに乾杯。
松村比呂美さんに発見される。ドラマ原作で売れっ子の新津きよみさん(直近では「トライアングル」フジテレビ系火曜夜放送中)も一緒。
松村さんとはいままでネット上でおつきあいだけだったが、実はちょっとしたいきさつでデビュー前の拙作を読んでくださった数少ない読者だったらしいと判明。
新津さんは、とても趣味のいい着物をお召しで凛とした目の人だ。(ちなみに旦那様はやはりミステリー作家の折原一さん)
料理を取っていたら翻訳家の藤田真利子さんに発見され、最近の人権問題についての話など。近くでいい匂いを立てている「フォアグラ丼」を食べながら。お話ししなかったけど、同じテーブルには北村薫さん。
会場にいつもよりも編集者が少ないけれど、景気のせいか。
それでも「お手伝い」の銀座のおねえさま方は大勢。(笑)
ビンゴのMCは石田衣良さん、そして回すのは楡周平さん。プレゼンターは大沢在昌さん。
リーチになったのに、一等・ニンテンドーDSiに届かず。それどころか最後までリーチが増えただけだった。残念。
寿司、蟹しゃぶ、オードブル系も、そこそこ、食べました。
その上、ケーキにコーヒー。
酒は、水割り4杯(リザーブ、チーバスリーガル、オールドパー)、ビール2杯、赤ワイン3杯。
いつもよりも知り合い少なめのため、いつもはできない飲食も楽しめたかな。
コーヒーサーバーのそばで、新津きよみさん、松村比呂美さん、それぞれとツーショット写真に収まる。(あとで、ちゃんと送ってくださいね)
逢坂剛さんの周りにはソフトボール同好会の面々。(逢坂さん、少し前には銀座のおねえさまに取り囲まれていた)
売れっ子携帯小説作家・内藤みかさんとはロボットを動かしているお子さんの話など。
午後8時少し前、辞去して、新宿へ向かう。
もちろんゴールデン街。まずU店、そしてA店、とハシゴ。
ほらみろ、全然、雨なんか降らないじゃないか。
午後5時半をまわって外出。
野毛の Basil という立ち飲みイタリアン(?)の店で待機していると、作家仲間の山口芳宏さんから電話が入る。大崎梢さんも合流するという。
2005年デビューの阿川大樹、2006年デビューの大崎梢、2007年デビューの山口芳宏の新進気鋭(?)
の作家三人で「萬里」に入って、中華を食べながら互いの創作の秘密に迫る。(笑)
あと愚痴だの編集者の悪口も少し。(少しだってば)
実は、3人は、デビューはるかに前である10年以上前からの知り合い。
山口さんの新刊「豪華客船エリス号の大冒険」(東京創元社)には少しだけ情報提供をしたということで、新刊を手渡しでもらったので、さっそくサインしてもらう。
昨年、山口芳宏さんは鮎川哲也賞という推理小説の世界では有名な賞を獲ってデビューした。小説家になるのは簡単ではないけれど、小説家であり続けることはもっとむずかしく、二冊目三冊目が出せない人も多いので、二冊目が出たのはデビューしたことよりも遥かにめでたいことなのだ。
その後、都橋商店街の「華」へ移動して、終電まで飲んで話す。
デビューの年次ではなんと僕が一番古いけど、大崎梢さんにはとっくに追い越されているし、山口芳宏さんには追いつかれてしまった。
がんばろう、と一人誓った夜であった。
あ、タイトルはただの冗談です。そんな団体はもちろんありません。
編集者の付箋とコメントのたくさんついた原稿を見直す作業。
指摘事項はほぼ合意できる部分なので、まずは、それを反映させるところまで。
およそ80枚削る。
あとは、もっと面白くできないか最後の一押し。
一部、知りたい中国語の単語があったので、夕方から、中国人のママがやっている行きつけの店へ。
日曜までに調べてくれるという。ありがたい。
山荘の主(妻の高校大学の先輩)が北軽井沢ダウンタウンへ出るのに便乗して出かける。
いまはなき草軽鉄道の北軽井沢駅の在った周辺が小さな町になっている。
僕だけそこで降ろしてもらい、町をくまなく探検して、野菜直売所の隣にプレハブ風の立食蕎麦屋を発見。僕は立食蕎麦屋を見ると試さずにいられない。
たぬきそば(400円)、最初からいやな予感がしたのだけど、やっぱりおいしくなかった。(笑)
町で唯一のコンビニで買ったアイス最中「モナ王」(山本モナとは無関係)を頬ばりながら、探検したり迷ったりして、50分かけて帰宅。4.2Km。最短距離なら2Kmちょっとだろうか。
もどるとお昼時で、あらためて車で「古瀧庵」なる蕎麦屋へ出かけてざるそば大盛。こちらはもちろんおいしい。蕎麦は大好物なので何食続けてもOK。
かつて福井にいったときなど、3日間で12食そばを食べたことがある。
もともと、同じ食べ物を続けて食べるのを避けるという気持ちが自分にはまったくないし、他人のそれも理解できない。おいしいと感じる限り、食べたいものを食べればよいではないか。
午後は、山荘の庭の木陰にデッキチェアを出して小説を書く。
すごくいい時間。
足下には蚊取線香。いろいろな虫が周りに寄ってくるが、意外と攻撃は受けない。
沖縄から帰ってきたら2.5kg増えていました。
運動しない(暑くてできない)で美味しいもの食べてましたから。
で、昨日から今日の昼近くまで、徹夜でプロット書いてました。
どのみち編集者と摺り合わせるので、あえて最後までは詰め切らないで、最後の落とし前は保留のままなのだけれど。
昨日の着手時には30枚ほどだったものが、提出時には65枚。
物理的に一晩で原稿用紙35枚分書いたのは新記録、パーソナルベストじゃないかなあ。
プロットで35枚だから、完成原稿にすると300枚分くらいの中身を書いたことになる。
風呂に入ろうと、給湯中に、体重測ったら1.9kg減ってました。
よく身が削れたみたいです。(笑)
体重落とすには、原稿書きがいいようです。
ただし、脂肪が減らずに体重だけ減ったので、体脂肪率は「なんじゃこりゃあ」というくらいに高まっている。
そうでなくても、フラフラになるまで仕事したので、あんまり健康的じゃないです。
なんだか、目のピントが合いません。というか目が痛い。
家の近くまで編集長が来てくれて、駅前のお店で、先日わたした第3作の改稿について打合せ。
かなり大幅に改稿することにした。
王道はこっちだろうが……と意識しつつ敢えてちがうやり方にチャレンジしたところが、ほぼことごとく不評だったという感じなのだけれど、逆にいえば、指摘されているポイントはわかっていながらそうしているわけでもあるので、指摘については予想通りであり、納得できる。
王道ではダメだと思っているわけではなく、ある種、創作者の意地みたいな感じでちがう方法をとってみたくなることなので、やっぱり王道の方がよいと言われれば素直に納得できるわけだ。
このあたりは、編集者を信頼しているので、助言はほぼそのまま受け入れることにしている。
あとは、それを実現する具体的なアプローチについて、フリーディスカッション。
それがまた楽しいのですね。
創作というのは孤独な作業なので、プロフェッショナルなパートナーと同じイメージを抱きながら語り合うことのできる時間というのはかけがえがない。
というわけで、いったん書き上げた小説が振り出しにもどった。
方向は見えている。またがんばりましょう。
最後はビールをご馳走になりながら雑談をしてほぐす。
ボランティア団体の月例世話人会へ、今年初めて参加。
昼間のうちは映画化関係のメールのやりとり。
夜になって本気モードの執筆開始。
すっかり川上未映子に影響を受けてしまってます。
自分が執筆モードなので、彼女の小説はまだ読んでないけど、音楽の方で。
そういう意味では川上未映子ではなくミュージシャン名義だから「未映子」の影響というべきか。
(さらにいえば「未映子」を名乗る前の「川上三枝子」名義のアルバムも、純正ロックでとってもいい)
言葉自身のもつ力というか魂みたいなものについて考え込む。
未映子の歌が滲みる。彼女の歌い方も言葉を音としてではなく言葉として(へんな表現だけど)送り出そうという歌い方なんだな。
こういう風に、言葉に入り込んでしまうのは、エンターテインメント作家としてはたいへんよろしくないわけです。純文学へいってしまっては、僕の目指しているキャリアはまたリセットになってしまう。53歳でやっとここまできて、いまさらリセットしている人生の残りはないからね。
なので、かなり困ったな、と思ったんだけど、ふと気づいた。
そう、言葉を大切にするなら、歌の方でやればいいじゃないか、と。
そんなわけで、猛烈に歌をつくって唄いたくなっている。
いまの長編が書き上がったら、一曲、書こうと思う。
ん? 確定申告? それもあるんだよな。まったく。 浮き世はままならぬ。
午前5時就寝。
午前8時20分、目覚ましが鳴ったが起きず。
やばい! 8時48分、起床。
午前9時2分、病院の受付に到着。
同25分、診察終了。(手術後6ヶ月の「定期点検」)
近くにプロントができていたので、380円のモーニングセット。
スーパーに寄って日用品や食料品の買い物。
午前11時過ぎ、帰宅。執筆開始。
午後3時、近所の中華屋さんでランチ。
その足でスターバックスへ出勤。室内が暑く眠くなりそうだったので、「本日のコーヒー」サイズはグランデ。
午後5時近くまで執筆。
疲れたところで、ブックカフェになっているので、芥川賞全文掲載の文藝春秋をテーブルまでもってきて、 川上未映子の受賞インタビューだけ読む。
この人の顔、すごくいいと思うんだよね。
自分ができている。簡単に凝り固まったのではなく、手を広げて辿り着いた顔をしている。などと人様の尊顔を批評するなんざ失礼至極なのだけれど。
インタビューを読んでも、ブログ(というか公式サイト)を読んでも、セルフプロモーションをきちんと考えている。やっぱり音楽系の人であるということもあると思うけれど、衆目をきちんと集める、ということをきちんと意識している人だ。
純文学系の人によくある悪いところは、全部、彼女の中では解決されていて、立ち位置というのができている。
というわけで、小説の方はきちんと読まないといけないので、時を改めることにした。
夜は夜で、また執筆。
〆切のエッセイも書いてメールで送付。
ヘッドフォン、都合10時間ほど鳴らしたと思うのだけれど、いい音になってきました。
「売れる本と書きたい本のどちらに重きを置いていますか」
と、まあ、そんなふうな質問を戴いたことがあります。
ところが、僕の中で書きたい本と売れる本は対立概念じゃないので、「どちら」という感覚は全くないのですね。
まず書きたいことはものすごくたくさんある、ということ。
書きたいことが少ししかないと、それが売れなさそうってこともあり得ますが、書きたいことがたくさんあるから、そのなかには売れる可能性が十分にあるというものもたくさんある。したがって、売るために書きたくないことを書く、ということが生じるとはまったく思っていません。
では、書きたいものの中で売れそうにないから書けないものはあるか。
ある時点ではそれはあります。
たとえば、修業時代が長いですから、書き上がった長編短編が何作かあります。それぞれ書きたかったものを書いた。でもって、まあ、いろいろな事情でいまは売り出せないということはある。
先日の推理作家協会のパーティでも、とある編集者からこんな質問を受けました。
「**の小説、いまどうなってますか?」
**というのは、デビュー前にその出版社に持ち込み、某賞の応募作としてその編集者に読んでもらった作品のことです。数年前のことですが覚えていてくれたんですね。
「いやあ、***だったりしてなかなか出せないんですよ」
「あれは面白いから、多少手を入れた上で何年かしたら出版できますよ」
と、いうわけです。
すべては基本的に阿川大樹のネームバリューの問題です。
阿川大樹という名前で買ってくださる読者が増えれば、出版社の方からぜひうちで出版したい、というようなことを必ずいってくるようになる。
どんなに売れっ子になっても、すべての出版社がなんでもいいから原稿をくれというわけではありません。
5000部でも採算が取れるけど、どうせなら5万部、できれば50万部と要求水準もそれなりに上がっていきますから、「そっちじゃなくってどうせならこっちで行きましょうよ」ということになる。
ですが「いい小説」という概念に沿うかぎり、どこかにそれを出したいと思ってくれる出版社はいる。そういう小説を求めている読者も必ずいる。
しかし、そういう出版社にしてもリスクを負えないから、おいそれとは出せない。でも、阿川大樹という作家にネームバリューがつけば、少なくとも損をしないくらいには売れるようになる。つまり自分の力で出版社のリスクを減らすことができる。
売れる作家になれば、(出して損をするほど)売れない小説というのはなくなるので、書きたい小説が(程度の差こそあれ)すべて売れる小説になる。
作家は自分の力で「売れないと思われた本」を「売れる本」に変えることができる。なので、書きたいことがたくさんあり、それで売れていくことができれば、基本的に書きたい本はやがてちゃんと世に出せる。
いま売れそうにない本は、それなりに売れる本に変えてから(つまり阿川大樹にネームバリューを付けてから)売り出せばよい。
新製品を出すときには、製品を今の需要にマッチさせるか、あるいは、製品を売るために需要を創出するか、すればいいわけです。
「阿川大樹の小説」という新しい市場ができれば、そこで商品化が可能になる。市場のないうちに無理に新製品を出す必要はない。
いかにも売れなさそうな小説しか書きたい小説がない、という作家の人はこれはかなり悶々とすることになるでしょう。自分の中で「売れる本」と「書きたい本」が対立しちゃいますし、編集者もそれを感じとりますから。
阿川の場合は、さいわいそういうことはないので、とにかくどんどん書いて、実績を積むことが、さらなる自分の自由度を獲得する武器にもなる、と考えているわけです。
そのために個々の作品毎に待ち時間ができることは全然問題ない。
そもそも書きたいものというのは、たとえば中学生からもっていたものであったりするわけで、すでに四十年くらい体の中にしまってあるものだってある。この先十年余計に温めておいてもどうってことないですし、それまでのあいだ、別の「売れそうな書きたいこと」をどんどん書いていればいい。
はたして、結果が思った通りになるかどうかは、すべて日々書いている作品の結果にかかっている。毎日がその戦いの一部であるし、もしかしたらそれは綱渡りでどっかでハシゴを外されてそのままお陀仏なんてこともあり得ますけれど。
分野こそちがうけれど、イチローや松坂と同じプロの世界にいるわけだから、当たり前のことです。
プロである以上、一打席一打席、一球一球が、勝負。
そして書きたいことを書ききるまでこの世に生きているということ。
あと、ついでにいえば、「根拠のない自信」というのも腕一本のプロフェッショナルに必須の才能だと思います。(笑)