AGAWA Taiju

坂本龍一のこと

都立新宿高校出身の弟が、ある日、新宿で隣の席で飲んでいた人が同窓の先輩だということで話をするようになった夜があり、どんな仕事をしているのかという弟の問いに、「ミュージシャン」だと答が来て「いろいろ大変でしょうけどがんばってください」と〈激励して〉別れたと聞いたことがある。
その人が「坂本龍一」として後に有名になった人だった。
坂本は1952年1月生まれ、1954年12月生まれの僕の3年上の学年で、都立高校にも学園紛争があった真っ盛りの新宿高校の生徒だった。
僕が入学した後にも、高校の敷地には独特の書体の立て看板があった。ガリ版刷りの社会運動のチラシも頻繁に配られていた。クラスでもいろいろな討論をした。僕も高校生の時に代々木公園に集合して、「安保反対」「沖縄返せ」「佐藤(栄作総理大臣のこと)を倒せ」とシュプレヒコールを挙げながら、表参道を横一列に腕を組んでデモをしたことがある。
坂本はそれより前のずっと激しい運動があった時代に高校生活を過ごした。
そんなこともあって、だいたい僕らの世代を含め、上の世代は基本的に反自民、または、左翼的な目で社会を見ることがデフォルトになっている。
自民党支持が多いいまの若者と正反対に、60代70代で顕著に自民党支持率が低く野党支持が多いという世代的特徴だ。
現在に至る坂本の発言は、当時、僕ら高校生の多くが見ていた「日本」「社会」「自民党」「大企業」「資本主義」「支配者と被支配者」についての考え方をそのまま反影していた。
原発反対への社会的な発言は一つの重要な立場の表明として評価できるとして、一方で、福島の事故の後、復興を妨げるような、科学的に誤った知識による風評加害を繰り返す人でもあった。
YMOこそ、僕にとっては全然心に響かない音楽だったけれど、「戦場のメリークリスマス」のテーマは、繰り返し繰り返し聞いても奥が深く、きちんと教育を受けた才能のある人の創り出すものの力を強く感じるものだった。
ひとりの人間がすべてを持っていなくてもいい。すべて正しくなくてもいい。
坂本龍一は、彼の作った音楽によって、この社会に大切なものを残した。

プランD

 ライブ終わって、魂が抜けたというか疲れが出たというか。
 栗原さんの個展の最終日も、Tsukada さんとこのライブも、至星さんの美味しそうなカレーも、家から出る気力が湧かずで。
 それでも、3時過ぎから、ベランダでオーストラリアへ帰る Sakura Alice のところから先日もらい受けたスチールの棚の錆落としをして組み上げ、仕事場の床を塞いでいたものをむりやり縦に積んだので、床に片付けのためのスペースができた。
 2021年秋に12年いた黄金町の仕事場を引き払って膨大な荷物が家に入り、妻も2022年春に大学の研究室を引き払ったものだから、家の玄関も廊下も居間ももちろんそれぞれの部屋も、段ボールなどが塞いでいて、家全体が通路はだいたい60cm幅でしかもジグザグ。居間にもソファへつづく狭い同様の通路が確保されているだけ。
 片付けをするにはいったん広げる場所が必要なのに、それがないものだから片づけられないという状態がつづいていた。
 やっと少しスペースができたのと、広げるスペースは引き戸を開けてベランダを使えばいいじゃん、と瓢箪からコマで気づいた。
(いや、さっきまでは、ベランダに続くドアの前にダンボーがあって、僕の部屋からベランダへはアクセス不能だったのだ)
 というわけで、プランA、プランB、プランCなど全部実行できなかったがプランDができたので、まあ、生産的

ICレコーダー

 以前に、車からバッグを盗まれてしまったときに、取材用のICレコーダーも一緒に盗まれてしまったのですが、改めて手に入れた。
 動作テストをかねて、録音状態でポケットに入れたまま、しばらく行動していました。
 再生してみると、その時に気づかなかった音や、音から景色が浮かんだり、その場の空気が頭の中に再現されてきます。
 これは小説の情景描写で心象を書くときにとても参考になる。
 あと、アイデアを思いついたときに、独り言を言っておけば忘れないのでいいかもしれない。
 あと、ある事象から次の事象への正確な経過時間が、その時に時計を見ていなくても正確に分かる。
 というわけで、小説家としては、後で聞かなくてもとりあえず録音機を動作させてもっているというのはけっこう役に立つかもしれない。

ついに試聴室ライブ

ついに試聴室ライブ。
Kyly の紹介や、試聴室が黄金町にあったこと、その頃から今まで続く、”Songs made in Koganecho” の話をしながら3曲しか歌わないのに30分くらい前座をしてしまった。(笑)
そのあと、Kyly の2部に分かれたステージがあり、最後は3年前に阿川が作詞して “Sakura Storm” そして、今年の新曲できたてほやほやの “Spinning Blades”
ライブなのでいろいろあったけれど、お客さんもけっこう来てくださり、楽しんでもらえたのではないかと思う。
ライブの後の打ち上げ。
既に時刻は午後10時半で周りのお店も閉まるころなので、Kyly の滞在先の3LDKへ、途中コンビニで食べ物飲み物を買って行く。
メンバーは韓国人4人、フィリピン人、ドイツで生まれスペインで育ったフランス人で5ヶ国語を話す人、日本人は3人、なので共通語は英語。ただし、英語ネイティブの人はひとりもいない。
これは黄金町ではわりとふつうのこと。
英語って、アメリカ人やイギリス人と話すための言葉ではなくて、世界中の誰とでも話すための共通語だ。
気がつくと午前3時を過ぎていたので、中座して徒歩で自宅へ向かう。
途中、松屋で久しぶりの牛めし。川村屋ばっかり行っていたからね。
前座を務める阿川

Metal Shelf

妻を透析へ送った帰りに、オーストラリアへ帰る Sakura の家に立ち寄る。
昨日分解した棚を受け取って持ち帰る。
またいつか彼女に会えるだろうか。

新曲のデモ版

歯科2回目。歯周病の詳しい検査。
帰りに久しぶりのマクドナルド。食べ始めてから川村屋へ行けばよかったと気がつく。
オーストラリアへ帰る友人 Sakura Alice Mei 宅へ。
いろいろ始末に困っているからもらってくれ状態の物の洪水のなかから金属の棚をもらうことにして、とりあえず分解。
明日、車で取りに来る。
新曲、できてきた。かっこいい。
夕方、5時から久々のアーティスト会議に出て、Kyly を紹介してコーラスの部分の録音に参加してくれる人を募る。
その後、パーティ。すごく久しぶりだ。

Kyly のGIG は雨

黄金町では「のきさきアートフェア」「はつこひ市場」とふたつのイベントが開催されている。
その一環で、おまつり広場で Kyly のライブがあるはずだったのだけど、あいにくの雨。
野外のお祭り広場は使えず、かわりにかいだん広場での開催となった。
お祭り広場のイベントが雨になるのは始まり以来3回連続。
ともあれ、無事に第1回のライブは終了。
(新曲はまだ)
かいだん広場で準備中の Kyly

結婚記念日

昨日が結婚40周年。ルビー婚式というらしい。
結婚した時からすれば想像を絶する長い年月です。
結婚記念日当日の23日は妻が人工透析に行かなければならない日なので、一日遅れで本日、ご飯を食べに行きました。
豪華。腹一杯。
そのなかで、前菜に出て来た一見ただのサツマイモ(一枚目の写真の黄色いお皿に載っている)が、これぞ和食という想像を超えた味の料理になっていて素晴らしかった。材料が贅沢で美味しいのは当たり前だけど、ただのサツマイモには料理人の技が込められていました。
初めて行った店だけど、レピートしたくなる。

(技術的な問題により、写真はのちほど表示します)

「サヨナラ」ダケガ人生ダ

勧君金屈巵
満酌不須辞
花発多風雨
人生足別離

(于武陵)

ふと思い出して、心に滲みる。
桜の季節だし、

たぶん、作詞をしているところだから。

コノサカズキヲ受ケテクレ
ドウゾナミナミツガシテオクレ
ハナニアラシノタトヘモアルゾ
「サヨナラ」ダケガ人生ダ

(井伏鱒二訳)

“さよならだけが人生ならば
人生なんか いりません”

(寺山修司)

(追記)
じっと見ていたら訳してみたくなった。

このバカラで 君は飲め
ほら なみなみと つぎつぎと
花が咲いたら 雨が降る
またサヨナラが やってくる
(阿川大樹)

逗子へ

逗子文化プラザ市民交流センターで開催中の逗子トモイクフェスティバル2023に行ってきました。
庄野紀明さんが、拙著『終電の神様』をテーマにした作品を作ってくださっています。
高架下にはキム・ガウンさんっぽい壁画があり、別の所にはぽつんと女性が立っていました。
いろいろな列車を走らせて見せていただきました。
動く電車、楽しい!