日: 2023年4月3日

坂本龍一のこと

都立新宿高校出身の弟が、ある日、新宿で隣の席で飲んでいた人が同窓の先輩だということで話をするようになった夜があり、どんな仕事をしているのかという弟の問いに、「ミュージシャン」だと答が来て「いろいろ大変でしょうけどがんばってください」と〈激励して〉別れたと聞いたことがある。
その人が「坂本龍一」として後に有名になった人だった。
坂本は1952年1月生まれ、1954年12月生まれの僕の3年上の学年で、都立高校にも学園紛争があった真っ盛りの新宿高校の生徒だった。
僕が入学した後にも、高校の敷地には独特の書体の立て看板があった。ガリ版刷りの社会運動のチラシも頻繁に配られていた。クラスでもいろいろな討論をした。僕も高校生の時に代々木公園に集合して、「安保反対」「沖縄返せ」「佐藤(栄作総理大臣のこと)を倒せ」とシュプレヒコールを挙げながら、表参道を横一列に腕を組んでデモをしたことがある。
坂本はそれより前のずっと激しい運動があった時代に高校生活を過ごした。
そんなこともあって、だいたい僕らの世代を含め、上の世代は基本的に反自民、または、左翼的な目で社会を見ることがデフォルトになっている。
自民党支持が多いいまの若者と正反対に、60代70代で顕著に自民党支持率が低く野党支持が多いという世代的特徴だ。
現在に至る坂本の発言は、当時、僕ら高校生の多くが見ていた「日本」「社会」「自民党」「大企業」「資本主義」「支配者と被支配者」についての考え方をそのまま反影していた。
原発反対への社会的な発言は一つの重要な立場の表明として評価できるとして、一方で、福島の事故の後、復興を妨げるような、科学的に誤った知識による風評加害を繰り返す人でもあった。
YMOこそ、僕にとっては全然心に響かない音楽だったけれど、「戦場のメリークリスマス」のテーマは、繰り返し繰り返し聞いても奥が深く、きちんと教育を受けた才能のある人の創り出すものの力を強く感じるものだった。
ひとりの人間がすべてを持っていなくてもいい。すべて正しくなくてもいい。
坂本龍一は、彼の作った音楽によって、この社会に大切なものを残した。