月別: 2007年9月

リハビリ日記(6)

DAY10:9月8日
 午前6時少し前、起床。室温24.3度。
 比較的途中目覚めることなく、8時間くらい眠ったように思う。
 トイレで勢いよく小用を足す音が高原のせせらぎを想起させて気持ちがよい。思わずマイナスイオンを胸一杯に吸い込んでみたくなる(嘘)
 ちなみに、マイナスイオンが身体にいい、という科学的データはまったくないそうだ。
 かつては「オゾンたっぷりの森に囲まれて」なんて不動産の広告があったりしたものだ。オゾンは身体に有害な酸素ラジカル(プラスイオン)を発生させる。活性酸素には発ガン性がある。
 ステンレスボトルの中でわずかに温度を保っている昨日のコーヒーを飲む。まあまあイケル。
 ベッドから出られるようになると病院生活は意外に快適である。
 買い物にも行かず調理もせず、どの店に入るか考えることもなく、時間になれば食事が出てくる。味だって30年前の東大駒場生協食堂や25年前のNEC相模原社員食堂よりもずっと美味しい。手間暇と費用(病院食は1食260円)のバランスを考えれば、ほとんど不満はない。
 掃除も洗濯もしなくていい。
 雑事から解放されて、読書や原稿書きができるのだから、むしろありがたい。
 自由はないけど、執筆が佳境になっていれば、もともと家に引きこもっているわけで、それに比べれば家事労働がないだけ、病院の方が便利なわけだ。
 ベッドから出ることのできなかった期間は確かにつらかった。
 つまり、病院生活がつらいのではなく、病気やそれにともなう不安や苦痛がつらいわけだ。外科的な手術をして快方に向かい、苦痛が取り除かれ退院後の生活が入院前よりも改善されるという明らかな希望がある上に、生活の面倒は病院が見てくれるわけだから、いまの生活がつらいはずがない。
 パソコンの充電ができないために、充電済みのパソコンをデリバリーしてもらわなくてはならないので、妻に負担をかけてしまう。それさえなければ、できるだけ長く病院にいたいくらいだ。
 だって、自腹でホテルに籠もって執筆に専念しても、食事の心配はしなくてはならないわけだから、いわゆる「自主カンヅメ」よりも入院生活は快適なのである。
 午前7時のNHKFMのニュース。
 やっと台風のニュースがなくなって政治などが報道されるようになった。
 デイルームにいたら、スノーボードでプロを目指していたこともあるという患者仲間のSちゃん(30代前半:60歳のお母さんがこれまた美人)がたびたび通りかかる。リハビリで周囲をぐるぐる回っているのだということで、誘われて僕も3周だけ一緒に歩く。僕は昨日リハビリセンターで初めて階段を数段昇降したばかりなのだけれど、下の階との階段を3回上り下り。
 彼女は、僕よりも手術が後だったのに、運動量も運動機能もとっくに追い越されている。若さもあるし、アスリートだからリハビリの重要性も強く認識しているのだろう。
 彼女にしてもナースのHさんにしても、人に元気を伝染させるタイプの人っていいなあ。できれば僕もそういう人になりたいけど道は遠い。
 午前9時、病室の窓際にある僕の位置で室温30度(廊下側では27度)になったのでデイルームに避難。原稿書き。連載エッセイを1本書き上げる。
 午前11時前、地下売店へ降りて、缶コーヒー。
 芥川賞全文掲載の「文藝春秋」が売り切れて代わりに「問題小説」が入荷していた。そういえば僕の短編の掲載はいつになるんだ。書籍は文庫本だけで、全体的に軽いもの。
 煎餅1枚のパックを52円で売っているし、超ミニサイズのカップ麺なんかがかなりあるのが病院風。(このあたりのディテイルが小説には重要なんです)
 エレベータを下りた正面のポスターには「病院で必要なものがなんでも揃う」と謳われている。じゃあPCバッテリー充電サービスなんてのはないのか。(もちろんコンセントが使えればそれがいちばん)
 昼食のところまでで、抗生物質の内服終了。
 改めて自主トレ第二弾。階段を含む周回コース5周。
 残りの時間は、ほぼ『プリズンホテル』(浅田次郎 徳間書店)を読んで過ごす。
 ずっと前に買ってあって読んでいなかったもので、帯に「超大型新人の最高傑作」と書いてある。直木賞作家にも新人時代はあった、という当たり前のことだけれど、「新人」ですでに「最高傑作」を謳ってしまっていいのか、これ以後出る本はそれ以下なのか、という心配に満ちたひとりツッコミを入れてしまう。
 浅田次郎さんは僕と3つしかちがわないのだけれど、もっとずっと年上のような感じがするし、ずっと前から小説家だったようなイメージがあるので、1993年現在で「新人」というのがなんとなく不思議。
 以前から日記には何度も書いているが、僕がサントリーミステリー大賞の候補になったとき、大賞に推してくれたのが浅田次郎さんだった。
 徳間書店の文芸書には担当編集者の名前が入っているのだけれど、『プリズンホテル』の担当編集者Sは、その後、幻冬舎に移って田口ランディの小説デビュー作を出している。いまはまた別の出版社にいるはず。文芸の世界はとっても狭い。
 偶然だけど、昨日、古くからの友人である田口ランディさんから入院生活応援の大型本が届いた。お、と驚くセレクションの本だ。ありがとう。
 夜9時前、いきなり窓の外に花火が上がる。
 小規模だけど、予想外のお年玉をもらったみたいな秋の花火だ。

リハビリ日記(5)

DAY9:9月7日(金)
 午前6時、平穏な目覚め。
 外はまだ台風模様。散歩がてら病棟の廊下を端から端まで歩く。道行く人が傘をあきらめ、レインコートだけで走っている。なんか気持ちよさそう。(笑)
 前日、妻が差し入れてくれたコーヒー(ステンレスボトルに入っているがもちろん冷めている)を飲む。違いがわかる病院の朝。ダバダー。
 口直しに給湯栓にいってティーバッグのウーロン茶(105円で20パック中国製)を入れる。毒が入っているかもしれないが味はよい。
 風力発電はもちろんまだ止まったまま。
 朝の検温、35.8度。やっと平熱にもどった。
 午前7時。向かいのクイーンズタワーのオフィスフロアは昨夜から照明の点いているところが何階かある。徹夜で仕事をしているのか、それとも単なる消し忘れか。
 毎日NHKFMの朝7時のニュースを聞いているが、台風のニュースは映像がないとつまらない。他のニュースはどこかへいってしまうし。
 テレビを見るのをやめてラジオのニュースだけで10日以上生活しているけれど、くだらないあら探しバッシング報道に接しないので、とても気分がいい。報道は事実関係を教えてくれればよい。テレビが怒りを煽ってくれなくても、こっちは冷静に怒る。テレビに感情をコントロールされたくない。毎日怒りを煽られたり自分たちのリーダーに失望させられたりして、自分で幸福な時間を壊されたくない。情報として伝えてくれれば、あとはこちらでいろいろ判断するさ。
 午前9時過ぎ、同室だったUさん(頸椎の手術)が退院していく。
 症状が出る前、健康なときは1年に365冊小説を読むのを目標にしていた、という今どき奇特な(笑)潜在的お客様なので、ならばと拙著『D列車でいこう』を前夜に差し上げたら、さっそく夜遅くまで読んでくれていたようだ。
 昼には風が強いけれどすっかり雨も上がって暑い日に。
 風車は回ったり(風が強すぎて)止まったり。
 午後2時、リハビリ。
 わずか15分ほどの指導なんだけど、帰りには身体の動きが軽くなっているからリハビリの方法論というのもたいしたものだなあ。できれば自分でちゃんと勉強してみたいと思う。
 となりの男性部屋にしきり屋さんで大声の話し好きの男性がいて、廊下を経由して一日中話し声がしている。同じ部屋だったらなかなかしんどいな。
 幸いこちらはルームメイトに恵まれていてありがたい。静かすぎずうるさくなく。
 ドクターが来たので、まだ見ていなかった手術後のレントゲンを見せてもらう。背骨のどこの部分を削ったかよくわかった。
 問題のビリルビンの値が高い件は、すでに解消して正常値にもどっているとのこと。よかった。ほんとビックリしたぜ。(よくなったらよくなったで、先生、はやく教えてくれ~)
 午後4時、シャワー。
 本日の予定イベントは以上。
 いろいろな人がメールをくれたりして、みんながみんな「ヒマでしょう」という。
 実は、日記を書いたり、ふだん読めない本を読んだり、小説のアイデアを考えたりしているうちに、すぐに夕食の時間になり、夕食が終わると瞬時に消灯になる。もっとたくさん本を読める、原稿が書ける、と楽しみにしていたのだけれど、思いの外、病院の一日は短い。
 生活上の雑事がないぶんだけ時間の余裕があるはずだけど、就寝時間が早すぎるからなあ。でも、睡眠中に肉体が回復していく(「寝る子は育つ」は医学的に正しい)わけなので、やっぱり寝るべきなんだよね。
(ちゃんと寝なかったから肉体が壊れたのかもしれない)
『資本開国論』(野口悠紀雄 ダイヤモンド社)読了。
 日本経済や政治について僕が感覚的に考えていることを、実に理路整然と「ほぼ」肯定してくれている。この本のおかげで、自分の感覚にデータの裏付けが取れた。

リハビリ日記(4)

手術後7日目 DAY8:9月6日
 前夜から同室内の排便問題がたびたびあった。
 病院だから、そういうことは当たり前で、同室者として別に迷惑だとも思わないけれど、ご本人はきっと気にしているんだろうな。手術後、身体が不自由で身動きができないのにそういう心労を抱くことが辛いところ。
 病院生活はそれぞれが自分第一にしてよいところだと思う。いわば迷惑をかけ合いながらみんなで病気を克服していく共同体だ。
 午前3時、目が覚めたところで起きてしまおうかと思ったけれど、結局、次に目が覚めたのは午前6時20分、夜勤の看護婦さんKさんが採血に来たときだった。
 朝の室温は23度代、この2週間ほどですっかり涼しくなった。起きている時間には上に羽織る衣類が必要になってきたな。
 デイルームへ出て、メールのチェック。留守電に病気を気づかう友人のメッセージ。
 今夜、台風が来るということで、横浜港が見渡せるこの病院の人はけっこうみんなわくわくしている。なんだ、台風が好きなの僕だけじゃないんだ。被害を受ける人もあるから、おもてだってはいえないけど実はみんな台風が好きなのだ。もちろん他人の不幸が蜜なのではない。自然の力を目の当たりにするところと、いろいろな非日常の緊張感が好き。
 ちなみに台風時のスタッフの出勤対策として仮泊施設など病院からの特別な配慮はないそうだ。医療スタッフだから何があっても出勤しなければならないのだけれど、現場は厳しい。
 午前9時前、隣人の下痢が止まらないようだ。浣腸が効きすぎている。
 いろいろ匂うのはともかくとして、たびたびシモの世話になることについて、本人がかなりめげている。
 そんななかで、ナースが小さな事を誉めたりして元気づけたりしながら、手際よく、シモの世話をしつつ、体を拭いたりして、まるで手術のチームワークのよう。
 その最中にも他の病室からのナースコール、たびたび鳴り響き、さながら戦場、またはドラマ「ER」の様相。
 今目の前の状況は、おそらくそのどれもが生命に関わるものではないと思われるものの、時々刻々の判断をしながら、凛々しく仕事をこなす、ナースのかっこよさといったら。
 その手際とリズムを見ると、救急医療も手術もおむつ交換も仕事に貴賤がないのがよくわかる。これもいい取材成果だ。
 午前9時前、部屋の引っ越し。
 手術後、ナースステーション近くの部屋に移っていたものが、手間のかからなくなった患者は入院時の部屋へ出戻り。窓の景色が少し変わる。左遷というのか出世というのか。(笑)
 回復してくると当然ナースの世話になることが減ってくるのだけれど、面白いもので、手術直後の人なんかが世話をしてもらっているのを同室で見ていると、ちょっと羨ましかったりする。
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 月曜日と木曜日が手術日なので、この病棟では火曜水曜は静かで、木曜は戦場になる。
 ただし、すでに快方に向かっている患者ばかりの部屋に引っ越したので、午後は安穏。窓から台風で荒れてきた景色を見ながら雑談したり原稿書いたり読書したり。
 
 午後、高校の後輩Mちゃんが見舞いにやってくる家族以外の見舞客第一号。ヒマワリの花束を戴く。お、置き場がない!
 リハビリの負荷が高くなってきて、けっこういっぱいいっぱい、筋肉ヒクヒク。
 風の音がいよいよ激しくなり、風力発電の風車は止められている。
 そのまま台風の夜となる。

リハビリ日記(3)

手術後6日目 DAY7:9月5日
 午前5時にはしっかり目が覚めてしまったので、そのまま起きてしまう。
 朝食、完食。
 午前10時、待望のシャワー! 10分前に見に行ったらすでに開いていたので、支度をして5分前に入り、10時29分まで、たっぷり時間を使って1週間の垢を落とす。頭なんて3回洗ってしまいました。
 遠く台風が近づいている。
 午前中、かなり激しい天候の変化をした横浜港の風景も、昼前には落ち着いてくる。
 師長さん(昔でいう婦長さん)から部屋の移動の話。阿川の日記の存在がばれていたこともあったりして、患者と医療現場の視点のちがいの話なんかをする。
 医療関係は評判がとても大切なので、昨今はいろいろなブログのことなども気にしているようだ。インターネットの評判がいつも正当であるとは限らないけれど、「気にする」というセンスがよい病院をつくっていくのだと思う。
 午後2時半、リハビリへ。
 歩行器なしで歩く。まだ少し安定しない。病棟の同じフロア内は歩行器なし、との指示が出る。結構、走っているスタッフもいたりして、まだ恐いけれど。
 午後4時、手術後、初めて地下3階の売店へ行ってみる。
「ずいぶん遠くまで遠征していますね」
 と後ろから声をかけてきたのは明後日退院予定の患者仲間のUさんだ。Uさんとはいろいろなところで会う。ということはUさんがやたらと動き回っているということだ。
 ベッドに寝ていると、たとえ傷が癒えてきても体力はどんどん落ちていくけれど、いったん立って歩くようになると、日一日といわず、時々刻々、快方へ向かっていく。この分水嶺までどうやって辿り着くかが問題なのだと知る。(内科的なむずかしい病の場合特に)
 夕刻になって、また天候はめまぐるしく変わる。台風はいよいよ接近している。

リハビリ日記(2)

手術後5日目 DAY6:9月4日
 ぐっすり眠った。起きると全身筋肉痛。
 朝食後の体温36.9度。まだ身体は若干戦闘モードってことか。(僕の平熱は35.6度くらい)
 午後のリハビリのために体力温存。寝たり起きたりしながらいろいろな姿勢で読書など。
 お湯の蛇口までいって、コーヒーを淹れてみる。1年以上の賞味期限切れ。(笑) 「白い恋人」なんて1年以上なんともないのに、二ヶ月期限を伸ばしたのがいけないみたいなこといわれて、ばっかみたい。最初から6ヶ月長くしておけばよかったってことだけど。(いけないのは細菌が検出された「バウムクーヘン」の方)
 ベッドにもどって伊藤園の「お~いお茶」ティーバッグ。これがおいしい。
 午前11時過ぎ、同室のX線撮影 Hitachi Sirius Star Mobile という小型の装置。
 昨日から看護学校の生徒がナースひとりに2人ずつついて実習している。
 本日、読み始めた本は、『再生巨流』(楡周平 新潮社)。
 午後2時半からリハビリセンターへこちらから出向いてリハビリ。
 ストレッチ、筋トレ、歩行練習。
 昨日動きはじめたせいで筋肉疲労が残っていて、いまひとつスムーズに歩けない。
 
 3時半、母が見舞いに来る。
 マドレーヌのような美味しそうな洋菓子をもってきてくれたのだが、せっかくだけれど食べるわけにはいかない。親の愛情はありがたいのだけれど、入院もいわば仕事中なので申し訳ない。
「できるだけふだんと同じように楽しく入院生活を送ろう」がテーマではなくて「病院生活の辛さを体験取材しよう」ということなので、その一環として「病院食だけで生活してみる」ということをやっているわけなのだ。
 パソコンの電源を取ることをを断られたので、二台のPCを自宅で充電してピストン輸送してもらうことにした。
 昼も夜も食事は完食。とくに夕食は美味しかった。
 ここまでで、入院日記がすでに原稿用紙50枚になっている。

リハビリ日記(1)

手術後4日目 DAY5:9月3日
「ベッド起こしていいですよ」
 新しい朝が来た。希望の朝だ。いままで30度までしか起こせなかったベッドを椅子のようになるまで少しずつ起こす。目の前の視界が開ける。
 しかし、痛いので長くそのままではいられない。つまり座っていることもできない体だってわけだ。なかなかきびしい現実である。
 空はゆっくりと晴れてくる。隣は本日手術。
 起きて朝食。同じ牛乳も起きて飲むだけで美味しい。
 えぼ鯛の干物、おいしい。おにぎり1個半。みそ汁、スプーンでなく口をつけて飲む。おいしい。
 しかし、起きていると背中が痛いし、ひどくつかれる。おなかも詰まっている。やっとの思いで薬を飲んで、真横にベッドを倒すとほっとする。まるで病人(いやたしかに病人なんだけど)
 午前9時過ぎ、ベッドに座って起き上がる。起き上がるときが痛いがきちんと座ると傷みもない。ベッドにいる時のように当たるところがないから、しばらくその姿勢を満喫する(笑) 医師が来るのが待ち遠しい。
 午前10時すぎ、ナースステーションに「回診ですの声」。
 来るぞ来るぞ、て、お化けが来るわけじゃない。
 まもなく医師がやって来ていう。
「立ってみましょう」
 思ったよりもうまく立つことができた。手術室に入ってから約96時間後のことだった。
 廊下を片道20mほど行って戻って、合格! 今日から立ってよし。
 エヘン! わぁーい!
 バルンカテーテルを抜かれるにゅるっという感触。
 うれしくて、電話したりメールしたり。
(つまり、歩ける、ということは携帯電話の使える場所まで移動できる、ということでもあるわけだ)
 美人のナースがエスコートについてくれて、歩行練習。きゃ、デートみたい。(ただし中学生のデートね)
 トイレ、無事、自力で小ができた。(長くバルンカテーテルを入れていると、外した後、自発的に排尿ができなくなることがあると聞いていたので、心配だった)
 しばらく、自分で歩いたら、無事、ふつうの排便もできた。これで最大の悩みが消えた。自由だ。
 その後、ひとり歩行練習中にいろいろなナースとすれちがうたびに「うんち出ました?」。(別に僕が特別うんち騒ぎを起こしているんじゃなくて、便通は通過儀礼だからなのだ)
 午後、リハビリの先生が来てくれて、一緒に歩く
 明日からは、こちらがリハビリ室に出向く。
 
『4Teen』(石田依良 新潮社)読了。
 14歳の中学生4人組の日常における冒険物語。
 いい小説でした。言葉そのものが生きている。こういう小説が評価される(直木賞受賞作)ということはうれしいことだ。僕が書きたいテーマ(のひとつ)とかなり被っている。僕が書けば自然にちがうものになるので、被っていること自体は気にならない。
 それについては、先日、K書店取締役と話をしたときの会話を思い出す。
「たとえ同じストーリーを書いたって、同じ小説になんかなりっこない。勝手にちがう小説になってしまいます。だから、無理に先行作品を気にする必要なんてないんですよ」
 そうかもしれない。

自立

手術は安全に終了。
術後4日目の本日、自力で立ちました。
手術が成功かどうか、つまり、症状が取り除かれたかどうかは、まだ不明ですが、元気です。

寝たきり日記(3)

手術後3日目 DAY4:9月2日
 午前3時40分、ついにナースコールを押して便器を持ってきてもらう。
 10分程がんばるがわずかにガスが出ただけ。くそ、たかが排便ごときがうまくできない。そしてそれがQOLを大きく低下させるのだ。
 次に入院するときは.もっと上手に糞をしてやるぞ。くそ。
 だぶん今日一日は宿便に苦しめられる曰となるだろう。
 病気と快適に戦うには、病気の知識だけでなく入院生活の知恵が必要だった。
 ウンコのマネージメントについてなんてだれも教えてくれなかったぞ。今回の入院で最大の苦痛は明らかにこれであって傷の傷みなんかではないような気がする。手術の痛みはこのトロールできるが、意外に排便はコントロールしにくい。
 手術の傷の痛みなんかよりも、便秘の方がよっぽど辛い。
 逆にいえば便秘の人ってふだんから大変だってことなのか。宿便侮りがたし。便静粛宿夜川を渡る。
 少し前から右手親指が痺れている。なんだろう。
 朝食最小限。
 ひさしぶりに青空で気持ちがいい。
 日曜で回診もないので午前中は静かな時が流れる。
 寝たまま飲む水を飲みそこなってむせると傷に響く。もちろん笑っても響く。くしゃみは最悪。
 これ以上腕力が弱ると、やがてはベッド上で姿勢を変えられなくなってくる。そうなると床擦れが始まるわけだ。こうして死んでいく人の転落の道が見えてくる。これも今回の重要な取材成果だ。自分で死んでみないと死人の小説が書けないのでは小説家はできない。人の死を書くためにもずっと入院したいと思っていた。やっとチャンスがめぐってきたわけだ。
 ヨットに乗ったら気持ち良さそうな日曜日。
 昼食、ハンバーガーとホットドッグ。わお。ひさびさに前のめりになって食べる。目の前の食欲が宿便の恐怖を凌ぐ。上海の女スパイにまんまとやられた自衛官の気持ちがわかったような気がする。(笑)
 やっぱりあった。(僕には関係ないけれど)お風呂の順番トラブル。
 病院を舞台にドラマを作る時なんかは、つかえるエピソードだ。
 隣の人は明日の手術を前に、神経質になっている。
 午後5時、軽い床擦れになりはじめ。頻繁に姿勢を変える。多分病気はここからが辛いのだと思う。予定通りならこちらは明日から起きられるが、そうでない人は絶望的な無限連鎖と戦いながら、同時に病と闘うわけだ。
 真面目なテーマとして、床ずれの研究はもっとやったほうがいい。患者のQOLにとってきわめて重要。
 後ろ臭{うしろが}。僕の造語(笑)
 自分が移動した後からっいてくる自分の匂い。シャンプーしたい。病院で死ぬということはこういう匂いを発散させて死ぬということなのだな。
 別に自分が死ぬことを考えているわけではなく、あくまでこの機会に「病院で死ぬ」人物を書くときのために、自分を使って取材をしている。この日記を読んで、阿川大樹が悲観的な考えに陥っていると誤解しないでくださいね。
 むしろ病院の日々は思った以上の取材成果で毎日わくわくしています。
 ちょっと長い日程で取材旅行をしているようなつもりなので。ここのところいくことができないでいる沖縄取材旅行の代わりみたいなもの。まさに同じくらい楽しんでいます。
 寝る前の検温37,0度。このあたりは快適に過ごすためにアイスノンと下剤をもらう。

寝たきり日記(2)

手術後2日目 DAY3:9月1日
 寝たきり3日目ともなると食欲がない。
 暗くなるという以外に朝昼晩のめりはりもない。
 10時前、回診。
 傷口OK。
 ガーゼ交換。ベッドと背中に挟まれたガーゼが傷口を押して痛かったのがよくなった。
 体温37.1度、冷や汗が出る。アイスノンをもらってまた体を拭いてもらう。とっくに開き直っているので見られても触られても平気。でもナースが先に友だちだったらいやかも。小はあいかわらず管から、大はがまん。浣腸は平気になったけどウンコ見られるのはまだイヤだなあ。でもあと1.5日、我慢できるかなあ。
 リハビリの先生がベッドまで来て人間トレーニングマシンになってくれて筋トレ。
 体幹の筋力が落ちてベッドの上で姿勢を変えるのが少し難しくなってきた。わずか3日間でこれだ。当然、足にもきているはずだが、歩いていないのでわからない。
 とにかく寝込んだり監禁されたりしたら、あっと言う間に体力が低下することがわかる。これが実感できただけでも入院したかいがあったというもの。
 1週間人質として監禁されていた場合、強硬突入しても,拘禁が強ければ、人質は体力を失っていて自力で逃げるのは困難になる。突入プランを立てる時.人質がどのような状態にあるかによって戦略は大きく変えなくてはならない。なんてことがわかったわけだ。
(入院で病院と自分の身体の変化を取材して得られるものは、こうして多岐にわたる)
 午後背中から入れていた痛み止め(エピ)がなくなったので、キズがかなり痛む。またボルタレンを入れてもらえば痛くなくなると思うが、取材の為、もう少し我慢してみる。
 食欲は急速に減退してきている。体を拭いてもらっていても自分で結構匂う。
 人間ただ3日間寝ているだけで体が壊れていくのがわかる。壊れきる前に病が治らないとき、人はきっと病院で死ぬのだ。
 僕の場合は内科的には健康な状態からの外科手術だから問題がないけれど、内科的な重篤な疾患で病院から出るのは、思いの外むずかしいぞ。ある線を越えて長引く病をもっていて「出る」というはっきりした意志のもてない人(まさかと思うが世の中には意外にいる)は死が待つ蟻地獄にはまってしまう。
 午後3時、『喜屋武マリーの青春』を読んでいるうちにまた汗が出てくる。コザ騒動のシーン。この本、沖縄戦後史の良書だ。
 今日は土曜日なので周囲に見舞客が多い。
 タ食、いよいよもって食欲がない。便通が原因だと思う。明日1日我慢して栄養摂取に問題を残すのは本末転倒なので、ついに下剤をもらうことにした。