「With You」

10月4日(初日)  新宿・シアター・サンモール
原作・総合プロデュース 神田昌典
脚本・演出 永井寛孝
 僕自身、劇団「夢の遊眠社」の創立メンバーであり、芝居を創ってきた経験があるので、演劇一般について作り手側の視点で見てしまうことを、まずはじめにお断りしておきます。
(以下、文中、敬称を略す)
 この演劇については、ひとことでいうと「楽しかったが居心地が悪かった」というのが率直なところだ。
 この芝居を観て、僕はたくさん笑ったし、楽しかった。だが、反面、観ている間に何度も落ち着かない気持ちになった。


 本作は、ビジネスに対する論理的な主張を演劇という手段によって提示する、演劇という手段によってある種の考え方を広める、という形に留まっているように思う。
 芝居は原作・神田昌典の考えの下にあり、演劇が観客に「教える」立場にあるという点で、本当の意味で演劇とビジネス(理論)の融合に成功しているとはいえない。
 演出・脚本の永井寛孝は原作を咀嚼できていない、もしくは原理的に咀嚼し得ないようだ。たくさんの作劇上の創意工夫に苦労の跡が見て取れるけれど、いまだ、作り手とメッセージには大きな距離があるのだ。
(ただ、この演劇が新しいチャレンジであることを勘案すれば、それを直ちに責めるべきだとは思わない)
 ビジネスをビビッドに咀嚼できないまま、演出はおそらくは原作に沿ってビジネスの世界の在るべき姿を語ることにためらいがあり、迷いがある。ビジネス側の主張によって生じる「照れ」を随所で笑いを取ることで逃げている。あるいは演劇と融合し得ない「論理的な結論」を一方的に提示するという(もしかしたら根源的な)難題を解決し切れていない。
 主人公・青島タクを含め、登場するビジネスマンたちを、脚本も演出も、終始、一度も肯定しない。だから登場したその瞬間から、観客は彼らがやがて否定されるであろうと感じる。
 一般に、物語のカタルシスは、まず観客が主要な登場人物のいずれかにシンパシーを抱き、自分が心の中で応援するその人物が、危機に遭遇することでハラハラドキドキし、努力の末に危機を克服することによって得られる。
 ところがこの物語に登場するビジネスマンたちはすべて最初から、どこかいけ好かない人物であり、観客は終始冷ややかに「やがて失敗する」ことを予測、または、期待している。
 主人公・青島タクにもその他の主要人物にも、観客はシンパシーをもつことができない。だから、観客は彼らに危機が訪れても不幸になっても「やっぱりね」とか「ざまあみろ」とか思うだけなのである。
 その主な理由はおそらく過度の記号化と論理の押しつけだ。
 演劇という表現は魂を削って肉体によって行われる観客への新しい「事件の提示」であるはずだ。
 観客は舞台上の事件に遭遇し、その体験からそれぞれの反応をする。提示された多様性によって、観客自身の知性や感性によって、目の前の芝居を受け止め、自分の体験した事件として、そこから自分自身の感情や結論を産み出すものだ。
 しかし、この芝居は、観客に「これこれこういう考え方があるんですよ」とあらかじめ作者側によって定められた意図を「教えようと」しているように思われる。寓話。つまり「ビジネスの在り方学習手段」としての演劇である。
 演劇の観客はその意図を感じて拒否反応をする。
 あらかじめその考えの信奉者は「そうだ、よくぞいってくれた」とシンパシーをもち、一方、一般の観客は、自分が自由に感じとることを拒絶され、あらかじめ導かれた結論へ導かれていくことによる精神的な抵抗が生まれ、いらだつだろう。
 登場人物の配置は極端に図式的で、ストーリーは教訓的だ。
 もちろん「学習手段としての演劇」を必ずしも否定するものではない。だが、そのときの演劇はアートではなく教化ツールである。このコンテキストでビジネスの論理は演劇の上にあり、ビジネスと演劇が融合することはないだろう。
 観客にとって演劇を観る最大の楽しみは、舞台の上で起こる未知の事件を体験することである。
 基本的に「With Your」が舞台に提示したのは、「未知の事件」ではなく、「既知の思想」だった。おそらく神田昌典の狙いは演劇という形をした「もうひとつの教本(テキスト)」をつくることだったのだろう。
 観客が教えを請うためにテキストを求めて来たとすればそれでよい。実際に観客の多くはそういう人であっただろうと思われる。だからこの演劇が失敗だとはいいきれない。
 しかし、演劇として見に来た顧客は戸惑い、思想を上から与えられることの居心地の悪さを抱いたであろう。
 もうひとつの問題点は、なぜミュージカルなのか、という問いが未解決であることだ。
 言葉のテンポは心地よく、ほとんどの場面でセリフは面白い。ギャグも達者でたくさんの「笑わかし」に満ちている。その点を取り上げれば一流の舞台の要素をきちんともっている。演出の手腕と役者の力量を感じる。
 であるのに、歌になるといきなり芝居全体のテンポは崩れる。
 さあ、こっからは歌ですよ、みなさん聞いてください、と舞台が勝手にモードチェンジし、スローダウンするのだ。ほとんどの場面で、歌が芝居をぶちこわしている。
 主人公・青島タクに思い入れが集まらない理由のひとつに、敵役・大村テツヤの憎らしさを場面でなく歌と踊りで説明しているだけであるということも大きい。
 記号的な悪役キャラだが、実際にこの上司にいじめられているシーンは歌以外にはなく、タクによる説明だけだ。
 狡猾な上司はたしかに現実にいる。が、それ以上に「自分の実力を過大評価して評価が低いのを上司や会社のせいにする社員」はもっと多い。つまり現実は敵役が歌う歌詞の方にむしろ説得力があるのだ。
 主人公が観客からシンパシーを獲得するには、「なるほど青島タクは優秀なんだ」ということを彼自身の言葉以外の手段で観客に納得させなくてはならない。しかるのちに観客自身の目で「あの上司は理不尽だ」と思わせなければならない。主人公自身が「あいつはひどいやつだ」と語っても観客は納得しないのである。本作にはそのプロセスが欠如していた。安易に歌と踊りで図式化したこともその原因のひとつだろう。
 そこで演奏される音楽の質も確保されていない。全体として人を引きつけるほど歌はうまくないし、曲も凡庸である。セリフは確実にプロのレベルなのに、いくつかの歌を例外として、音楽が始まったとたんに「ちょっとうまいアマチュアレベル」になってしまっていて、このレベルの音楽は聞いていてつらい。作り手たち自身、いったい(知り合いでない)このレベルの演奏家を金を払って聴きに行きたいと思うのだろうか。芝居の中の歌だからこれくらいでいい、と考えているのではないか。
 レベルに達していないなら、無理に音楽を入れる必要はないのだ。役者たちはセリフだけで十分に表現できるのになぜ稚拙な音楽を入れるのか。ミュージカルという甘美な形式に酔っていないか。
(本作の役者たちが実際にミュージカル出演経験のあるキャストであることを思うと、実はこの点は本作に限らず日本のミュージカルに共通した問題であることはたしかなのだが)
 総じて音楽とダンスはディズニーランドのアトラクションレベルだった。ストレスなく聞いていられるミュージカルらしいシーンは、喫茶サンペリのマスターとママのシーン、弾き語りの金谷ヒデユキ、そしてラストの独唱(高橋洋子)など、ごく一部に限られる。
 ここまでに述べたように「演劇の観客」である僕にとってはストレスを感じる舞台だった。
 しかし、それでありながら、ラストの高橋洋子の歌には力があった。バックバンドの演奏も見違えるようなテンションを発揮し、まるでちがうバンドが演奏しているようだ。
 この歌でストレスが一掃され、カタルシスが訪れた。
 有無を言わせぬ目の前の現実であらゆる理屈や感情を圧倒する。これこそステージパフォーマンスの醍醐味である。
 芝居全体のもやもやを一発で吹き飛ばすことのできる、たった一曲の音楽の力を改めて感じた。それだけに全体の作り込みの弱さが悔やまれる。
 純粋な演劇としてみたとき、舞台として「こなれていない」印象ではあったが、楽しむことができたことはたしかだ。したがって、「ビジネスの考え方を伝える手段としての演劇」であると考えれば、できあがりは十分に許容範囲であるともいえる。プロデュースの意図がそこにあるのなら、十分、成功しているといってもよいと思う。
 ビジネスが人間の生きているあたりまえの「社会的環境」である以上、本来、ビジネスはもっと演劇に取り入れられるべきなのかもしれない。
 ほとんどの観客はどこかで職業人として生きている。多くの演劇人も、現実に演劇以外の世界で収入を得ている。ビジネスから離れたユートピアに住む観客はいない。
 であるのに、演劇に中でビジネスが語られることは極端に少ない。
 本来、演劇とビジネスはもっと近くにあるべきなのかもしれない。
 そのために、演劇になかにもっとビジネスがテーマとして入り込むべきだろう。
 
 もうひとつ、この演劇の功績として、ビジネスの論理を持ち込むことで、演劇にお金を引き寄せることができることを証明して見せたことを挙げておきたい。演劇人は「貧乏くさい悲観的現実」に甘んじることなく、経済の視点をきちんと掲げて、資金と観客を獲得する努力を続けるべきだと思う。
 我田引水になるけれど、「夢の遊眠社」が成功したのは、学生劇団の頃からこの視点をもち、さまざまな観客動員の手段を講じていたことも大きいのだ。
 解散までに80万人の観客を集めた遊眠社だが、実は初期の無料公演(お代は見てのお帰り)でも赤字を出したことがなかった。まず観客を、それもふだんは演劇など見ない観客を呼べるだけの宣伝をすること、演劇ファンでない人が見て面白い芝居を作ること、継続的にメディアに告知しつづけること、など、学生劇団だったころから質と収益性の両方を常に追いかけていた。
 映画の世界では、すでにそのような「成功シナリオ」が確立しているにもかかわらず、おそらく多くの演劇人が経済音痴でいることの免罪符として、演劇至上主義の伝統をいまだ抱えていることが、演劇界の大きな問題なのだから。

「With You」” への2件のコメント

  1. いやあ、同じ劇を同じ場所から見たのですが、そういう見方があるんですね~^。言われればその通りかも知れませんね。何か物足りないような感じのところもありましたからね。鋭いところを突いていますね。音楽が入る部分も、言われる通り。何か、一休みという感じがしましたが、でも、野球の交替を見て入るようで、ほっと!する時間でもありましたね。素晴らしい、ミュージカル評勉強になりました。

  2. s.kawada さん、昨晩はご一緒させて頂き、ありがというございました。ひさしぶりの観劇で、楽しかったのですが、愛をこめて思ったことは全部書いてみました。

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