今日は、『告白』(湊かなえ 双葉社)を読みました。
第一章が小説推理新人賞の受賞作品。
短編の賞を獲っても単行本デビューに結びつかないのがふつうなのですが、異例中の異例で、受賞作を含む連作短編でデビュー。
ということで、読みました。
元々短編であることもあって、濃密でいい小説。
昨日の東野圭吾が、筋立てで楽しませる小説だとすると、湊かなえはシチュエーションそのものの構築で楽しませる。
折も折、松尾芭蕉の有名な句の素敵な英訳に出会いました。
How still it is here–
Stinging into the stones,
The locusts’ trill.
(奥の細道 ドナルド・キーン訳 講談社インターナショナル)
湊さんも、東野さんも、キーンさんも、それぞれすごいです。
こうして文字で表現しているいいものに出会うと、自分も末席ながらそういう役割の一員であることを、うれしく、また誇りに思います。
元気がでるし、やる気が出る。
読書って楽しいな。
第三稿を仕上げる前の気分転換というかお勉強というか踏ん切りに『流星の絆』(東野圭吾 講談社)を読みました。
480ページを一日で読むような読み方をしたのは久しぶりだったけど、楽しかった。仕事として読んだのだけどそれでも楽しかった。
本を読むのは楽しいと思えたことは、うれしい経験でもあった。
僕の小説は犯人捜しではなくて、どちらかといえば迫り来るピンチと局面打開の物語なのですが、こんどは犯人捜しも書いてみたいと思いました。
明日、もう一冊、別の人のを読んで、自分の作品にもどろうと思います。
『まぼろしハワイ』(よしもとばなな 幻冬舎 1575円)
ひとことでいうと、
同じ形では続かない家族
自然なやわらかい殻で包んでくれる居場所
特別な時間と特別な場所
についての小説。
「まぼろしハワイ」「姉さんと僕」「銀の月の下で」の3作が収められている。
「銀の月の下で」で登場するホテルはヒルトン・ロイヤル・ワイコロアのようだ。
会社員だった頃、その近くのコンドミニアムに何度か遊びに行ったっけ。
よそもとばななの小説を読むのは初めてではないはずだけれど、以前に何を読んだか思い出せない。
Forbes 日本版 11月号にエッセイを書きました。
185ページの「喜怒哀楽」というコーナーに。
創刊200号記念号だそうで、全体にけっこう面白そう。
目次はこちらです。(携帯ではみられません)
汐見薫さんの新作が出ました。
デビュー作『白い手の残像』(ダイヤモンド社)以来、満を持しての新作です。
『ガイシの女』(汐見薫 講談社 1785円)
外資系銀行に勤める岩本杏子(34歳)負け犬キャリアウーマンが企業犯罪の犠牲になった兄の死の真相をさぐっていく物語。
汐見さん自身、東京外語大卒業後、外資系銀行で働いていたので、いわばかつてのホームグラウンドに舞台をもってきての作品ですね。楽しみです。阿川で言えば『覇権の標的』で半導体業界を舞台にしたようなもの。
実はまだ読んでいません。これから入手予定。
ご承知のように阿川はいままで(それから多分次も)「仕事のできる女」というのをメインキャラクタにして作品を書いてきているので、もしかしたら、相通じるところがあるかもしれない予感がします。
前作『白い手の残像』でも気持ちのいい読後感がありましたが、何しろ小説家でしかもミステリー作家のくせに、お酒が飲めなくて、推理作家協会のパーティでも、真っ先にケーキに手を伸ばしてハリウッド系作家の隣でひたすら「ひとりケーキバイキング」をしているような人なので、たぶん、本作もふつうではない形で楽しませてくれるのではないかと期待しています。
本日、出版社から届いた本。
『現役東大生キャバ嬢のキャバクラは数学だ』(黒咲藍 徳間書店)
執筆資料本。
キャバ嬢だと理系で東大は売りになるけど、小説家が理系で東大出ていても売りにならない。
でも、この本、なんとなく男が書いたような文章。まあ、理科系女とか、女優とかは男性的だから、と思えば普通なのかもしれません。
昨日会ったばかりの、某社編集長からメール。
7月に預けてあった50枚の短編が1月発売の小説誌への掲載が決まったとのこと。
詳細はしかるべき時期が来てからお知らせします。
本日届いた本。
『天使はブルースを唄う』 山崎洋子 毎日新聞社
『黄金町マリア』 八木澤高明 ミリオン出版
『白いメリーさん』 中島らも 講談社文庫
いずれも、いま書いている長編の次、第4作になる予定の長編の資料。
DHCのサプリメントとか、配達記録の郵便物とか、携帯電話の電池とか、いろいろ配達物が届く日だ。
深夜、録画してあったドキュメンタリー『中国エイズ孤児の村』(2007アカデミー賞短編ドキュメンタリー部門受賞作)を見る。これは歌舞伎町小説の資料として中国の田舎の景色や家の中のことを知りたかったためだが、他にもいろいろヒントになった。
『反転―闇社会の守護神と呼ばれて』(田中森一 幻冬舎)を読んだ。
東京地検の検事をやめて裏社会の弁護士になったいわゆる「ヤメ検」の自叙伝。
60年前の貧しかった日本の田舎、バブル時代、検察庁、経済犯罪、そんな小説のネタ満載(?)のノンフィクション。
こういう本の読者はどういう人たちなのだろう。まさか、みんな小説を書こうと思っているわけじゃないだろうに。(笑) 情報量豊富な良書。
終戦記念日。昼間、窓の外の温度計は38度を指していた。実社会は気象台の百葉箱よりだいぶ温度が高いようだ。とはいえ、外へは出なかったので、涼しく過ごした。
新しい長編を書くにあたって、『覇権の標的』をざっと読み直していた。
というのも、この小説、6年くらいの期間、書いては直し書いては直しを繰り返していて、しかも、最終的にエイヤと削って短くしたりしたので、出版された状態の本に、何がどこまで書いてあったのか、確認する必要がでてきた。
読者が読むバージョンになるのは最後の最後なので、作者にとってはいちばんつきあいが短いのです。
次に書く小説が、自分のマネにならないための先行作品のチェック(笑)というわけ。
流し読みをしていく。
ところがこれがどこを読んでもけっこう面白いんですな。(自画自賛)
なので、ついつい読みふけってしまう。それに気づいてあわててパラパラめくりモードにもどしたり。
というわけで、まだお読みでない方、『覇権の標的』(ダイヤモンド社)をぜひどうぞ。
『しまうたGTS(ゴーイング・トゥ・サウス)』
山田あかね[著] 小学館[刊] 1500円+税
山田あかねの3作目、読了。
(自分が執筆に集中できないときはいさぎよく読書に切り替えるのだ)
主人公はデビューし損ねたミュージシャンで、脳腫瘍で残りの命が少ないと知った20才の男。
かつてのバンド仲間・城司と自分の恋人・ナナナがふたりで沖縄にいるらしいということで、手術前日に病院からエスケープして追いかけて探そうとするうちに奇妙な男と奇妙な女といっしょになって3人で波照間島まで行く、という物語。
女性が主人公でどちらかというと内面的な描写が中心の前2作とちがって、舞台が広くなってミステリー仕立て、という、一見、「山田あかねの新境地!」と帯に書きたくなるところだけど、どっこいやっぱり山田あかね。
山田あかねの魅力は、登場人物の迷いとか(世間から見た)一貫性からのゆらぎとかを細かいところで丁寧に描いていることだと思う。
人間は、こういう人がよい人(あるいはカッッコイイヤツ)である、なんて「期待される人間像」を自分でも意識していながら、本当の自分がそれと同じではないということも知っている。だから、ときにその人間像から逃げ出したかったり、いや、なんとか「こうありたい自分」を演じようとしたり、しながら生きていく。そこでの葛藤は、多くの小説の永遠のテーマだし、山田あかねの小説はいわば小説の王道をいつもまっすぐに追いかけている。
媒体としてのストーリーはいろいろでも、つねに、そういう心の動きを丁寧に描いている。
いちおう日本推理作家協会会員である僕としては、ミステリー仕立てに引っ張っている謎の提示のしかたにもう一工夫欲しいと思ってしまったりはするのだけど、別にそんな欠点は、この小説にとってさほど重要なことではなく、小説らしく小説を楽しめるよい作品だと思う。
それぞれに何かを抱えながら、でも、あるいは、だからこそ、自分に正直に生きてみよう、と、少なくとも小説を読んでいる間は思っていたい、そんな人におすすめ。