月別: 2020年9月

台風じまい

入院準備。
今日はヨットハーバーへ行って、セールをすべて外してキャビンへしまう作業。
いまの状態で昨年の台風19号に耐えたけれど、船台ごと風の力で動いた。
今年は海水温が高く、台風が関東へ直接向かってくれば過去最大級まで発達する可能性がある。
というわけで、午前9時半から12時半まで3時間ほどかけて処理。
早起きは三文の得。

帰りに黄金町へ立ち寄って、展示のチェックと、入院に必要なものの引き上げ。
黄金町バザールは結構人が出ている。

帰宅後、シャワー。
夏の間背負っていた鞄、履いていたスニーカーを洗って干す。

久しぶりに早起きしたら眠くて、夕方までソファで熟睡。

母の家

コロナで、長い間、会っていなかった母を訪ねる。
FaceTime ではお互い顔を見ていたけれど。
長野のお土産のクッキー、カボチャ、それに最近の頂き物である食パンのお裾分け。

帰りに黄金町によって、雑用をこなす。

疲れていた

前日より午前6時ころまでいろいろ雑務を片づけていた。
バイオリズムがズレているなかで、朝や昼に用事があると、あまり寝ないでそれに合わせて起きることになる。

目が覚めてから、ベッドを出たくなって起きたら、午後5時だった。
疲れていたんだね、と自分を労う。

それから、生麺のラーメンを茹でて朝食。具はなし。
妻は、自室でリモート会議をしている。

こちらは居間でまた雑務の続き。

夕食、というか2食目は午後11時過ぎ、妻のスパゲティ。うまい。

まもなく三週間ほど家を空ける予定なので、包丁を研いでおく。妻は研げないので。これも入院準備。

PCR検査

午前9時半、起床。朝まで錦織圭の試合を見ていたので睡眠時間4時間。

PCR検査の検体の唾液を取らなくてはいけないのだが、寝ている間に体が乾燥していて集めるのに苦労する。
腰の手術のために入院するに当たって、院内感染予防のためにPCR検査をしなければならない。
もし陽性なら入院手術は受けられない。
今日は、その検体を提出する日。
午前10時半、同病院にて、麻酔医から術前説明。
終了が11時少し前で、PCR検査の受付の11時まで待って提出。
4日くらいかかるらしいが陽性ならすぐに連絡が来る。陰性なら連絡は来ない、らしい。
OCR検査を受けたあとに新たに感染しては意味がないので、本日以降、いままで以上に感染予防に気をつけなければならない。
自転車やバイクや自家用車で黄金町へ通って仕事をするだけなら誰にも会わないのでOK。

というわけで、自転車で出勤。
あとからバスで妻が事務所にやって来て、まずは、リモート会議を始める。
午後3時、会議が終わったところで、黄金町バザールを少し案内。
午後5時過ぎ、妻と別れる。
午後9時半まで、いろいろ事務的な仕事。
入院前にしなければいけないことがたくさんある。
忘れないうちに事務所家賃の振り込みも済ませる。
国勢調査もインターネットで回答を済ませる。

作品調整

ハックドラッグで、テニスで転んでできた擦り傷に貼る絆創膏を買う。
近くにできた丸亀製麺へ行ってみる。

木曜日の今日は黄金町バザールは休場。
高架下で壁画を描いているキム・ガウンは今日も描いている。

自分は、ビデオの軽微な修正をして、展示場所のデータの差し替え。
さらに、ちょっとしつらえを

やっと、横浜トリエンナーレ

入院前に済ませなければならないことのひとつ。
今日は横浜トリエンナーレへ。
横浜美術館をまわり、第二会場の「プロット48」はかつての「アンパンマンミュージアム」の建物。
そこで、出展作家のさとうりさと待ち合わせ、作品制作の裏話なども聞かせてもらう。
カフェが混んでいて、30分ほど、立ち話。

閉場の18時までいて、疲れたので、タリーズコーヒーで休憩してから帰る。
7000歩ほど歩いた。ほとんど痛みがない。手術しなくてもいいのではないかと思うほど。

国勢調査の封筒。
本名の他に、ペンネームが書かれた封筒がもう一通配布されてきたのだけど、どんな名簿を使っているのだろう。
届いている郵便物を覗いている?
公に届けているのは屋号として届けている税務署だけのはず。
そういえば、表札を見て調査用紙を配布するという話も聞いたことがある。

眼科

まだ薬は残っているが、入院中の分も必要なので、いつもより早めに眼科。
白内障は進んでいない。ドライアイもOK。年に一度の緑内障の検査も大丈夫。

それはそうと、早起きが辛い。
もっと早く寝ればいいのだけどね。
だって、大坂なおみのUSオープン決勝戦を見てたものだから。
WOWOW契約していないのでスコアだけだけど。

自宅待機

午前中、給湯システムの操作端末の定期交換のために自宅待機。
午後は、擦り切れてしまった居間のソファのクッションの新しいのが届くので待機。

午後4時にはすべてが終了したが、そのままゆっくり自宅で過ごす。
夜9時前に近所の「まいばすけっと」に冷凍餃子を買いにいって夕食。

職場のデスクトップPC iMac が最近不安定になり、新しく買った27インチ4Kディスプレイも表示しきれないので、Mac Mini を注文した。
3.0GHz 6コア第8世代Intel Core i5
16GB 2,666MHz DDR4
1TB SSDストレージ
Intel CPU の Mac を買うのはもしかしたらこれが最後かもしれない。

Pay-easy でヨットの国際VHF無線局の電波利用料を振り込む。
ついでに、推理作家協会の年会費も振り込む。
これも手術前の残務整理。

GoToキャンペーン

今日は安息日。
久しぶりにたくさん眠ったらすっかり元気になった。

起きたら昼過ぎで、夕方、また寝て,午後10時過ぎに食事。

夕食後、GoToキャンペーンの還付申請をした。
適用されると思ってなかったのだけど、蓼科でチェックアウトの時にフロントの人が「宿泊証明書」をくれたのだ。

しかし、大量の「エクセル方眼紙」のおかげで作業効率はひどく悪く、何時間もかかってしまった。還付は2万円と少し。
(でも悲しいかな小説書くより時給換算が高い)
(往時のビルゲイツなら1秒かけて床の100ドル札を拾うのは時間の無駄だったというのに)

エクセル方眼紙、口座番号を1マスに数字1文字ずつ入れさせるって、なに考えているんだ。あげく、申請を始めて見ると、フォームに書き込めば良くてそのエクセルファイルは必要ないいとあとでわかったり、それでも必要なエクセルファイルもあったり。脱力。
電子申請で用意すべき書類と、紙で申請するのに必要な書類が区別されていないので、無駄なことする。
行政が非効率なだけではなくて、国民の時間を無駄に消費させて生産性を下げる。

黄金町バザール2020 オープン

現代アートの国際展示会、黄金町バザール2020(第一部)がオープンしました。

阿川大樹の黄金町バザール2020 インスタレーション作品について、

タイトル
 阿川大樹《楽しい町が あった ある》2020 映像インスタレーション
  (英語タイトル)
   《a delightful town, there used to be, there come up》

このインスタレーションは、以下の、ひとつのビデオ作品と、2つのフェイクによって構成されている。

ビデオ作品(A)
 《留まる 通り過ぎる》2020, ビデオ 3分50秒
   《to remain, or to pass by》
フェイク作品群(B)
(大岡川側)
  マリア《ただ、待っている》2005年 ビデオ 長さ可変
(京急高架側)
  サトル《お客さん、こっちから逃げてください》2005年 ミクストメディア

 2009年からレジデンスアーティストとして黄金町に滞在している阿川大樹は、2014年、黄金町の2005年からの町の変貌を題材に小説『横浜黄金町パフィー通り』(徳間書店)を書いた。
 そのラストシーンは、川をパレードする芸術作品群から黄金町に上陸して、高架下にたどりついた人々が、地図を配りながら町の歌を唄うママさんコーラスの合唱団に迎えられるところで終わっている。

 阿川は、この小説のラストシーンを現実の世界に起こすことを狙って、合唱曲「地図をつくろう 黄金町の歌」を作詞/作曲した。この曲は、黄金町バザール2014のオープニングレセプションで町の混声合唱団「コールなでしこ」によって初演された。以来、毎年、黄金町バザールのオープニングレセプションで唄われている。

「地図をつくろう」は町の歌であるはずだが、年に一度しか町で唄われていない。
 コロナでレセプションが中止されると、その機会も失われることになった。

 いつでもこの歌を聴くことができることで、人々はこの歌を覚える機会を得、合唱団以外の人も唄うことができるようになるはずだ。
 その意図の元に、2009年から2020年への町の変化を織り込んだ映像(=ミュージックビデオ)を制作。そこにはだれでもが歌えるように新たに編曲した管弦楽によるカラオケが使われている。歌はコロナ禍で合唱を収録できないため、阿川自身が唄い、デジタル技術によって女性ボーカルに変換したものとのユニゾンの形で収録されている。
 「バザール」終了後、このビデオはいわゆる「カラオケビデオ」として歌詞を映像内に加えた形でもリリースされる。その結果、人々は、いつでも管弦楽をバックに「地図をつくろう」を唄うことができるようになる。

 3分50秒の作品(A)と、壁に固定されたスマートホンからのぞき見られるフェイク(B)によって、2005年から2020年への変貌を空間全体に表現している。
 フェイクがどのようなものかは、ぜひ、展示会場へ行って確かめて欲しい。