月別: 2009年8月

光陰矢の如し

 あっというまに金曜日。
 メールで9月のイベントの準備とか。
 ふつうに長編の原稿。
 昼食は回転寿司で1050円も食べてしまった。
 午後11時、スタジオを出て、都橋「華」で「ネギそば」の夕食。

月刊文庫 Story Box

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 本日もあまり枚数が進まない。あと二、三日で連載にもどらなければならないのに。
 夜、歌人のHさん来訪。グループで出している歌集を頂戴する。
 帰宅したら、小学館から新しい月刊小説誌 Story Box が届いていた。
 なんと、文庫サイズ。価格税込500円。
 たしかにあの文藝春秋のサイズでは今どき読みにくいし持ち歩きたくない。
 若い人は文庫で小説を読む、というのもそうだろう。
 ニーズにより近づけているのはたしかだ。
 新しいチャレンジなので、これが月刊雑誌であると理解され、うまく書店に並ぶまでに苦労がありそうだけれど、がんばって欲しい。
(分類の上ではふつうの文庫本あつかいなのかな)
 
 思えば、小学館の人から新小説誌の話を聞いたのは、2006年くらいじゃなかったかな。長い長い紆余曲折の後のチャレンジが成功するといいと思う。
 妻が旅行から戻ってきたので、久々に夕食を自宅で摂る。

黄金町の静かな水曜日

 なんとなく穏やかで静かな気持ちでスタジオへ。
 
 同じ棟のカフェも休みなので、広い建物に僕一人。
 別に何が変わる訳じゃないのだけど贅沢気分(笑)
 夕方、アーチストの増田拓史さんが、「ラーメン食べに行かない?」と来訪。
 通りへ出た「かつ家」の博多ラーメン(530円)。
 午後9時過ぎ、週刊SPAのライターと名乗る人が突然やってきて、午後10時頃にもしかしたら取材したいと。
 ずいぶん急で突飛な時間の依頼だと思ったけど、別にその時刻まで仕事をしていてもかまわないので、「じゃあ、お待ちしています」と答える。
 ところが10時20分くらいになって、「さっきうかがった話で結構です」だって。
 さっきした話はいつからスタジオに入っているか、と聞かれて返事しただけだけど。(笑)
 妻は旅行中なので、飲んで帰ろうかとも思っていたけど、疲れてその気にならなくて、まっすぐ帰宅。
 午前0時を過ぎてから、外へ出て軽く運動。

製鉄所の工場見学

 午前6時過ぎに起床。
 JR蘇我駅へ向かう。
 早めについて、駅構内で朝食(立ち食いラーメン350円)。
 さらに「ベックス」でコーヒーを飲みながらメールチェックと仕事。
 午前9時40分。
「第三企画室」の編集者、イラストを描いてくださっている木内さんと合流して、JFEスチールの工場へ。
 小学生などと一緒に、工場見学会に参加。
 広い工場をバスで移動しながら見学。
 溶鉱炉から流れ出てくるサラサラの銑鉄。オレンジ色に光を放ちながらコンベアを移動する鉄の塊。
 工場内に敷設された鉄道。ナンバーのない工場内専用の車両。
 重さ2トンの粗鋼のロールをいくつも積み込んで移動する76個もタイヤがあるトレーラー。
 岸壁近くで山になって保管されている鉄鉱石、石灰石、石炭。
 鉄鉱石の粉塵で工場中が赤茶けている。
 ヘルメットをしてトランシーバーで説明を聞きながら狭い階段を移動し、1000度の鉄が起こす熱風の上を渡る。
 不景気のせいで熱間圧延工程は動いていたがその先の冷間圧延工程は操業を休止している。おそらく溶鉱炉は温度を維持する程度の生産だけを続けている。
 12時終了のあと、隣接するショッピングセンターのサイゼリアでランチ。
 いったん帰宅して、午後4時過ぎに黄金町のスタジオへ出勤。
 午後9時まで仕事して、少し夜遊び。

髪を切る

 朝一番、午前10時、美容院。
 二ヶ月ぶりに髪を切る。
 午前11時過ぎ、朝昼兼用の食事は「すき家」の牛丼。味噌汁とお新香をつけて400円。
 その足でそのまま黄金町のスタジオへ。
 終日、淡々と仕事。
 腕時計の電池の交換とか、メガネのフレームの修理とか、郵便局の払い込みとか、やるべきことはいろいろあるのだけど、そういう雑事より小説書く環境に自分を置いておきたいのだな。
 午後9時、帰宅。

「僕と演劇と夢の遊眠社」

 夢の遊眠社の創立メンバーで現在東京芸術劇場(芸術監督が野田秀樹)の副館長・高萩宏さんが「僕と演劇と夢の遊眠社」(日本経済新聞出版社)を上梓したので、出版記念パーティに招かれて行ってきました。
 250人ほどの大パーティ。
 演劇関係者が中心で小田島雄志さん、扇田昭彦さんなんかも発起人。
 野田秀樹も発起人だけど来なかった。(笑)
 結構、平均年齢の高いパーティ(笑)
 途中、遊眠社初期のメンバーということで、田山涼成、上杉祥三、松浦佐知子、川俣しのぶの俳優陣と並んでステージ立ち、ちょっとスピーチしました。
 帰りに電車でさっそく読み始めたけど、けっこう面白い。
 演劇を、内容に妥協せずにきちんとペイするビジネスにしたという意味で、夢の遊眠社とプロデューサーだった高萩宏の功績は、やっぱり大きいものだと再確認した次第です。
 よい芝居と商業性は対立すると、当時の多くの演劇人は決めつけていたところがあった。
 演劇というのは金にならない、とみんなが思いこんでいた中で、はっきりとその点を変革したのは、(友達が書いた本であるということを別にしても)日本の文化史の中でやはり、記録されておくべきことで、その意味で、よい本だと思います。
 遊眠社にいたことはやっぱり僕の人生に大きな影響を与えています。
 芝居の世界でも、文学座とか、青年座とか、そういう既存のエスタブリッシュメントはあったのだけれど、そのまったく外に、新しく道を創ることができるのだ、ということを実際に体験したことで、僕の人生の選択は自然に広くなった。
 目的に到達するために、道を選ぶだけでなく、場合によっては道から造ればいいのだ、と。
 遊眠社は、演劇に於けるアントレプレナーシップそのものだった。
 あらためて、よい友人に恵まれていい時間を過ごしたのだと、思いました。
 何人かの友人たちに久しぶりにあったけど、考え事をしたくて、まっすぐに帰ってきました。

神奈川新聞花火大会の日

 いつもより早め、午前11時前にスタジオへ。
 建物の中では、雑誌か何かの撮影をしている。
 スチル写真なのに、結構大がかりで十人以上スタッフがいる。
 スタイリストの助手っぽい男性が洋服にスチームアイロンをかけていたり。
 僕は通り過ぎるだけで、自分のスタジオに籠もる。
 最初の仕事は、マルチトラックレコーダーの修理。
 ミキサー部分は完璧に動作するのだが、レコーダーの部分のモーター音がうるさい。ミキサーしか使わないのだから、モーターの配線を切ってモータが動作しないようにすればいい。
 というわけで、ネジを10本ばかり外して中を開け、モーターの配線を探してカット。
 配線を探すのにけっこう時間がかかり、関係ない配線も切ってしまったりしたけど、2箇所目のカットで用が足りた。
 修理というより破壊だけど、これで静かな4チャンネルミキサーが手に入ったというわけ。
 テープレコーダーの部分は、駆動用のゴムベルトが切れて、ドロドロになって手にべったりついたりして、それがいちばん厄介だったりして。(笑)
 その後は、ずっと長編の執筆。
 どうしても連載の〆切に追われてしまうので、放っておくと長編が進まないことになる。それでは困るので、結構、必死である。
 夜は、神奈川新聞花火大会。
 みなとみらい地区は6時から交通規制になるので、6時前に帰宅。
 あたりは人間だらけで、黄金町よりかなり気温が高い。
 昨年は27万人だったそうだけど、今年は山下公園の花火が中止で、その文の人までくるから、さらに人出が多くなるんじゃないかな。
 いつもの秘密の場所で花火見物。