選挙。
前回の選挙のときは、椎間板ヘルニアによる座骨神経痛のため、足が痛くて歩くことが余りできず、途中で何度も休みながらやっと投票所に辿り着いたのだった。二年前のことだ。
その一ヶ月後に手術をして、いまはいくらでも歩くことができるようになった。医療というのはありがたいものだ。
治す人も治してもらう人も、どちらもハッピーな社会になるといいね。
涼しくなったので、今日も徒歩で仕事場へ。
帰りは雨だったので、日ノ出町から100円バス。
家に着いたら、民主党が圧勝になっていた。
まあ、みんなで選んだんだから、それでいい国になるといいね、としか言いようがない。
なんにしても、選挙で政治が変えられると、多くの人が思うことは民主主義の基本だから、その点について、とりあえずよかったと思う。
夕方6時過ぎから、17歳男子と暫く話をする。
すごくまっすぐな人。どんな大人になるのかな。
若者は、よく食べる。(笑)
午前0時過ぎに、徒歩で帰宅。
「著者が売る本屋さん」は、媒体として本を接点に、場所として黄金町を接点にして、作家と読者、作家と作家、読者と読者、さらには、それらと町を行く通りすがりの人々を新しくつなげるプロジェクトです。
「著者が売る本屋さん」は、そもそも、こんなつながりによって生まれています。
1976年、阿川大樹は野田秀樹らと劇団「夢の遊眠社」を立ち上げたことにより、女優・常田景子と出会いました。常田景子は、現在、黄金町から伊勢佐木町を挟んだ場所に居を構え、書籍に加えて、演劇の上演台本を中心に翻訳家として活動をしています。
1999年、高嶋哲夫、新井政彦、阿川大樹は、第16回サントリーミステリー大賞の最終候補者として出会いました。
高嶋哲夫は、「イントゥルーダー」で大賞・読者賞を受賞して同年デビューし、2005年には新井政彦が「ユグノーの呪い」で日本ミステリー文学大賞新人賞を受賞してデビュー、同年さらに阿川大樹も、ダイヤモンド経済小説大賞優秀賞「覇権の標的」で小説家としてデビューしました。
奇しくもサントリーミステリー大賞で読者審査員として、高嶋/新井/阿川の候補作を読んでいた汐見薫は、阿川よりも1年先に、同じダイヤモンド経済小説大賞優秀賞「白い手の残像」でデビューしています。
2007年、阿川は黄金町を小説の題材としてウォッチしていました。近隣の若葉町にあるシネマ・ジャック&ベティで開催された「黄金町プロジェクト解散説明会」で檀原照和と出会います。
その後、檀原照和は、2009年、黄金町地区を含む横浜の昭和史を克明に浮き上がらせるノンフィクション「消えた横浜娼婦たち」を上梓し、阿川は同映画館で行われた出版記念トークライブで檀原と再会します。今回、その檀原の紹介により、実体験にこだわる異色のノンフィクション作家・西牟田靖も本イベントに参加することになりました。阿川は、当日初めて、西牟田に会います
2009年4月、阿川大樹は、縁あって、黄金町地区の入居アーチストとして執筆活動の場を移し、6月に第1回の「著者が売る本屋さん」を開催しました。
11名の作家によるわずか43タイトルばかりのマイクロ書店は4時間で50冊以上を売り、新しい著者と読者、著者と著者の関係を産み出しました。
第1回の参加者、ひかわ玲子、実川元子、野中邦子、すがやみつる、江崎リエ、山口芳宏、大崎梢、村松恒平、水瓶ジュン、中野幸紀は、1980年代にパソコン通信ニフティサーブ「本と雑誌のフォーラム」をはじめ、通信により居住地域も活動分野のちがいも越えて関係が拡がった仲間たちでした。
初回参加の、村松恒平、水瓶ジュンは、今回の「著者が売る本屋さん」にも、再び参加しています。
偶然、黄金スタジオのカフェ「試聴室ver.2」を訪れた歌人・日野やや子は、隣接する阿川大樹の仕事場に立ち寄り、「歌クテル」をひっさげて、今回、著者の一人として参加することになりました。
黄金町という場所を介して、「著者が売る本屋さん」は、人と人を繋ぐ触媒として作用をしはじめています。
それらのつながりが、いったいこれから何を産むでしょうか。
どうか「著者が売る本屋さん vol.2」にご注目ください。
MIDIキーボード( M-AUDIO Oxygen 49)と、ついたてなどを車で搬入。
キーボードにはいろいろなコントロールがついているのだけど、Garage Band でどう使うのかがまだよくわからない。
代わり映えせず、長編執筆。
翌、午前2時過ぎ、帰宅。
暑いときは自転車一辺倒だったけど、涼しくなってきたので徒歩気持ちがいい。
書き下ろし長編を執筆中。
午前1時前に帰宅。
横浜駅西口で、いくつかの買い物。
あおい書店で Garage Band の解説本を買う。
コンピュータ関係の本を買うなんて、ずいぶんと久しぶりだ。
『フェイク・ゲーム』も棚にありました。在庫してくださってありがとう。
午後遅くなって、その足でスタジオに出る。
午後11時過ぎまで。
妻の液晶ディスプレイと、音楽製作用のキーボードを、amazon で注文。
午後3時、地域の入居アーチストの連絡会議。
終了後、大井競馬場へ。
場所は黄金町から京浜急行で立会川という駅で降りて徒歩10分ほどだ。
競馬をやるなら、やっぱりその前は立ち食い蕎麦でしょう、というわけで、駅を降りたところの立ち食い蕎麦屋がちょうど開店したところでミーグチ(沖縄の言葉で、「最初の客」という意味)。
推理作家協会ソフトボール同好会の懇親会で、最上階の部屋を貸し切って、トウィンクル・レースの観戦。
競馬場に行くのは初めて。自分の手で馬券を買うのも初めて。
悩んだのが服装。
競馬場に行く服装と言えば、タキシードから、アスコットタイから、ダボシャツに腹巻きまで、どれもあり得る。
交通手段も、ロールスロイスやベントレーから、徒歩、無料シャトルバスまで、いろいろあり得る。
「プラネットルーム」という謎の場所がどんなところかまったくわからないので判断がつかない。
というわけで、かりゆしウエアにしました。
沖縄ではこれがセミフォーマル。銀行員も役所の職員もみんなこれで、本土で言えば、背広かダークスーツに相当。
こういうときこそビギナーズラック、と、馬三連単(一位から三位までの馬を順番通りに予測する)を中心に狙っていら、10レースまでで4700円の損失。
最終11レース、起死回生を狙って本命を中心に手堅く2200円を買ったけれど、このレースに限って本命は3着。
オーマイガッ。
というわけで、7000円ほどの損失でした。
やっぱりビギナーズラックは、無心にやらないとだめで、狙うものではないようです。(笑)
4時間、しっかり遊んだと思えば、まあ、順当な遊興費かな。
それにしても、投票する馬や枠、掛け金を決めるのがすべてマークシートなので、100円も1000円も10000円も、マークするところが数ミリ違うだけで、お金の重みが全然感じられない。
これは何十万も何百万もその気になればどんどん使ってしまうのがわかる。
もちろん場内には銀行ATMもあります。(わあ、あぶないあぶない)
午後9時過ぎ、負けたギャンブラーのあるべき姿を全うしようと、立会川駅近くの立ち飲みで、冷や奴つっつきながら焼酎かホッピー、と思ったのだけど、いまいち空気にあった店がみつからず。
結局、まっすぐ帰宅しました。
某社某編集から電話。
取材旅行の交通費清算の件とからめて書き下ろしの進捗状況など。
はい、がんばってます。
いずれにしても、もう少しスピードを上げたい。
夜、帰宅途中、無灯火の自転車と裏路地で正面衝突。
久しぶりに空を飛んだ。
幸い受け身がしっかりできたようで、身体の損傷は軽微。こちらの自転車も大丈夫。
相手はたぶん酔っていた。
明るい大通りから暗いところに入った瞬間で、ほとんど見えなかった。
目前に視認したのはわずか3mくらいの距離か。
あっと思ったときには、前輪を互いに差し違える形で衝突。自転車の後輪は浮き、身体は左斜め前に放り出された。
四車線の車道を右側通行してくる自転車も多いし、このあたりでは自動車よりも自転車の方が恐い。
本日は、ヨット協会の野外ビールパーティ。
うちのチームが幹事で、午前中からパーティの準備。
玉葱、いくつ切っただろう。
で、パーティでは、僕は、ジントニックバーを。
ジン4本分、ジントニック作りましたよ。
たぶん、80杯以上、作ったと思う。
氷を割るのと、最後にステアする加減が、ポイントです。
こんど、マイアイスピックを買おう。
みんな楽しそうで満面の笑顔。
人を幸福にするのは、自分にとっても幸福なことだ。
なんてタイトルをつけながら、ちょっと暑さに参っている阿川です。
でも、みんながんばって働いているよなあ、と思うことが多い今日この頃です。
僕も、もっと、脳味噌に汗かかんとあかんなあ。(突然関西弁)
Led Zeppelin 聴きながら、原稿書こう。
本日の予定、まずは、雑誌のエッセイ、つぎに長編。