聖火リレーで中国は対応を誤った

 やっと聖火リレーが終わった。
 ネット上の情報を証拠も含めて検証して総合すると、どうやら警察が相当に中国人よりの対応をしたらしく、チベット支援の人たちだけでなく、現場を見ていた人たちからも、報道姿勢と警備方針について非難の声が上がっている。
 警備上の理由からは人数の少ない方を押さえつけるのは鉄則なので、「混乱させない」という観点からは当然のリスク管理だと言えるけれど、報道の方はまったくお粗末だった。
 このあたりは、実際に長野の現場にいた人たちがいろいろな形でネット上にレポートしている。
 ところで、中国人のグループが世界各国で聖火を取り囲んで「五星紅旗」を振り「聖火を守った」ことは、果たして中国の為になったのだろうか。
 実際に沿道を埋めているのはネットで声を掛け合った個人個人などだそうだが、彼らが振っていた「五星紅旗」は、わざわざ中国政府が支給しているわけだから、ようするに中国政府は彼らの行動を煽っていることはまちがいない。
 そんな人海戦術や、大声や、ときには暴力的な実力行使もして、反対の立場にあるものを威圧的に封じ込める姿が世界中で見られ、それがまた世界中に報道された。
 その結果として聖火が「無事に」北京に到着したところで、それで中国が立派だと国際的に評価されることはなくなってしまった。むしろ、かえってチベット問題が大きくクローズアップされるだけだったように思う。
 もし、チベットを支援する何者かが聖火を暴力で消してしまったら、世界の非難はその人間に向かい、中国は被害者になることができたかもしれない。ところが、現実には「聖火を守るために威圧的態度をとった」という印象が残り、「中国はたかが聖火ごときにこんなことまでやるのだから、さぞかしチベットではひどいことをやっているにちがいない」という「印象」を持つ人の方が多いのではないかと思う。
 愛国に燃えているはず中国人たちはこのことをどう考えているのだろう。
 結局、彼らが昂揚させた愛国心は国の評判を落とすのに役立っただけだ。
 もし日本で行われるオリンピックの聖火が世界中で歓迎されないという事実があったとき、たしかに日本人も、あるいは、僕自身も、不愉快になるだろう。けれど、それは感情の問題であり、やるべきことはその感情とは別のところにある。
 他国の中にあって注目を集めた大通りで自国の国旗を振り回すことで旗を振る人の国の評判は下がることはあっても上がることはない。シャンゼリゼ通りを大声を上げて日の丸を振って歩く団体がいたら、当然、フランス人は日本を嫌いになるだろう。ようするにその場で「力」を示しても、たとえその場で相手を圧倒しても、何の得にもならないのだ。
 彼らの刹那的な感情としての愛国心は満たされるかもしれないが、愛する自分の国にとって結果的に少しもプラスにはならない。
 それを仕向けたのが中国政府であったということも、絶望的にセンスが悪い。中国政府が在外中国人に「自制」を求めていれば全然ちがう結果になっただろうに。

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