時々、作品を読んでくださった読者の方からメールをいただくことがある。
「『フェイク・ゲーム』、図書館で借りて読みました。とても面白かったので、次は『D列車でいこう』も借りようと思います」
とまあ、そんなことを書いてくださっていたりする。
これには思わず苦笑してしまう。
もちろん、世に出した作品を多くの読者に読んでいただけるのはうれしいことだ。しかし、一方で、小説家は、本を買ってくださる読者の方からの浄財で生計を立てている。
いくら読んでくださっても、本を買っていただかないと、明日への糧(比喩的表現でなく文字通り「食べ物」のこと)が手に入らないのだ。
僕がデビューする前、とある翻訳家にお目にかかった。
「すみません、××(その方の訳書のタイトル)、買わせていただいたままで、まだ読んでいないのです」
と挨拶の時に恐縮していた。
するとその翻訳家はさらりといったのだ。
「いいんですよ、読むのはいつでも。買ってくだされば、それで生活できますので」
そのときまで僕は勘違いしていた。当たり前のことが頭から抜け落ちていたことに気づかされた。
僕の目の前にいる人は、プロフェッショナルなのだと。
世の中に、何かを書きたい、それを本にして読んでもらいたい、という人は少なからずいる。
たとえば、定年退職して自分史を出版した人は、自分でお金を出してでも本を作り、自己実現の一環として、それを多くの人に読んで欲しいと思っている。
小説家デビューを目指している人にも、ひとりでも多くの人に自分の作品を読んでもらいたいと思っている人は多いだろう。そのために自費出版をする人もいる。
たしかに、プロにとっても、本を出すことは自己実現ではある。
けれど、それは職業を通じての自己実現であるから、「読んで欲しい」というのは「買って読んで欲しい」ということなのだ。
図書館で読まないでくれ、ということではない。
図書館という公共システムがあり、それを十二分に利用するのは推奨されるべきことだ。
たくさんの読者の方が、阿川の本を図書館で読んでくださっているのを知っている。
横浜市立図書館だけで『覇権の標的』は、おそらく数百人の方に貸し出されている。
それはありがたいことだと思っている。
しかし、著者に感想をお寄せいただくときに、図書館でお読みになったとしても、ことさら図書館で読んだことに言及しないでくださると、著者としてはなお心安らかなのである。
阿川の本を図書館で読んでくださっても結構なのです。いや、どういう方法であろうと、ぜひ読んで頂きたい。が、どうか図書館でお読みになったという事実は「阿川には内緒」にしておいて戴きたい。
そして、図書館で阿川の本を読んで面白かったと思って戴けたのならば、できれば、次回は書店にて購入してくださるとありがたく存じる次第です。
Diary
本日もあまり枚数が進まない。あと二、三日で連載にもどらなければならないのに。
夜、歌人のHさん来訪。グループで出している歌集を頂戴する。
帰宅したら、小学館から新しい月刊小説誌 Story Box が届いていた。
なんと、文庫サイズ。価格税込500円。
たしかにあの文藝春秋のサイズでは今どき読みにくいし持ち歩きたくない。
若い人は文庫で小説を読む、というのもそうだろう。
ニーズにより近づけているのはたしかだ。
新しいチャレンジなので、これが月刊雑誌であると理解され、うまく書店に並ぶまでに苦労がありそうだけれど、がんばって欲しい。
(分類の上ではふつうの文庫本あつかいなのかな)
思えば、小学館の人から新小説誌の話を聞いたのは、2006年くらいじゃなかったかな。長い長い紆余曲折の後のチャレンジが成功するといいと思う。
妻が旅行から戻ってきたので、久々に夕食を自宅で摂る。
夢の遊眠社の創立メンバーで現在東京芸術劇場(芸術監督が野田秀樹)の副館長・高萩宏さんが「僕と演劇と夢の遊眠社」(日本経済新聞出版社)を上梓したので、出版記念パーティに招かれて行ってきました。
250人ほどの大パーティ。
演劇関係者が中心で小田島雄志さん、扇田昭彦さんなんかも発起人。
野田秀樹も発起人だけど来なかった。(笑)
結構、平均年齢の高いパーティ(笑)
途中、遊眠社初期のメンバーということで、田山涼成、上杉祥三、松浦佐知子、川俣しのぶの俳優陣と並んでステージ立ち、ちょっとスピーチしました。
帰りに電車でさっそく読み始めたけど、けっこう面白い。
演劇を、内容に妥協せずにきちんとペイするビジネスにしたという意味で、夢の遊眠社とプロデューサーだった高萩宏の功績は、やっぱり大きいものだと再確認した次第です。
よい芝居と商業性は対立すると、当時の多くの演劇人は決めつけていたところがあった。
演劇というのは金にならない、とみんなが思いこんでいた中で、はっきりとその点を変革したのは、(友達が書いた本であるということを別にしても)日本の文化史の中でやはり、記録されておくべきことで、その意味で、よい本だと思います。
遊眠社にいたことはやっぱり僕の人生に大きな影響を与えています。
芝居の世界でも、文学座とか、青年座とか、そういう既存のエスタブリッシュメントはあったのだけれど、そのまったく外に、新しく道を創ることができるのだ、ということを実際に体験したことで、僕の人生の選択は自然に広くなった。
目的に到達するために、道を選ぶだけでなく、場合によっては道から造ればいいのだ、と。
遊眠社は、演劇に於けるアントレプレナーシップそのものだった。
あらためて、よい友人に恵まれていい時間を過ごしたのだと、思いました。
何人かの友人たちに久しぶりにあったけど、考え事をしたくて、まっすぐに帰ってきました。
昨日は44人、10日に16人、9日に5人、なんて調子で横浜市では、順調に(?)感染者を増やしてます。
累計で149人だそうです。
現在小学校3つが学級閉鎖。
知人のお嬢さんのところの中学では学年閉鎖。
いよいよ本格的な流行が始まっているかもしれません。
報道するなら今なんだけどなあ。
どうせ9月には任期満了になる衆議院の選挙が何時行われるかが、毎日毎日時々刻々報道するほどの重要事項かいな。
テレビにとっては、番組編成の上で、重要な関心事であることはわかるけど。
スタジオで今後予定されているイベントをお知らせします。
■「著者が売る本屋さん vol.3」
2010年9月25日(土) 13:30-17:00
場所: 黄金スタジオE
6月最後の日。今年も半分終わってしまった。
人生は短い。
午後1時、ずっと沖縄に住んでいた従姉妹がスタジオにやってくる。
本土で会うのは、何年ぶりだろう。(笑)
沖縄のこととか、家族のこととか。
午後4時過ぎ、シネマ・ジャック&ベティで、映画「アライブー生還者ー」を見る。
「アンデスの聖餐」を扱ったドキュメンタリー。
おそらく僕にとって長い期間のテーマになるだろう。
黄金町の街作りの一環でウエブカメラを阿川のスタジオで始めようとしています。
9月の「黄金町バザール」までにサーバーを設置しようかと計画中ですが、実験的に skype でスタジオの外を見られるようにしてみました。
Skype ご利用の方は、story studio で探してください。
もしオンライン状態なら、ビデオ通話をかけると自動着信して、阿川のスタジオの窓の外の景色が見えるようになるはず。
なお、実験は予告なく中断、または、中止することがあります。
小説家という職業がビジネスモデルとしてどんなものか、意外と知られていない。
売れっ子作家は必ず忙しいけれど、その逆は成立しなくて、忙しい作家が売れっ子だということにはならない。(阿川が忙しいのがまさにそのよい例だ)
仮に毎日毎日午前9時から午後8時くらいまで働いたとして、書き下ろしの原稿料や初版印税だけでは、相当がんばっても売上500万円を超えるのは難しい。
会社員と違って、そこから経費を引いたのが「年収」になるわけなので、手取り収入は、まずまず成功している人で大卒初任給程度。
職種として考えたとき、サラリーマン以上に稼ぐのはかなり大変なことだ。
単行本が文庫化されたり、増刷がかかるようになって、(つまり、新しく書かずに、以前書いたものから再び印税が入ってくるようになって)初めて「労働時間に見合った」収入になるという感じ。
法律で定められた神奈川県の最低賃金は766円だけれど、小説家の時給って、計算してみると、それよりも遥かに安い。
(経費を控除してしまうと、たぶん、時給100円とか200円)
ところが、ある日突然ベストセラーになると、売上200万円のときと経費は同じで売上が数億円になったりする。
忙しくないと生活できる最低レベルにならなくて、しかし、そこから先、労働時間や忙しさと収入はほとんど無関係。同じ労働時間でも、人によって収入が100倍はちがう、というそういう商売です。
例えるならプロ野球選手あたりが一番近い。
日本の二軍の選手も大リーグのスター選手も、働く時間は変わらないけど、年間収入は200万円から20億円くらい差がある。
似ているのは当然で、どちらも労働時間とは関係なく、身体ひとつで生み出せる経済的価値で収入が決まる仕事だから。
去る6月14日、黄金町オープンスタジオの一環で開催された阿川大樹プロデュースによる「著者が売る本屋さん」は、盛況のうちに終了しました。
集まった書店員(著者)11名、当日販売されたタイトル数は43、販売実数は53冊でした。
ご来場戴きましたみなさまに、お礼申し上げます。
(このエントリーの写真は紫苑さんに提供して戴きました。ありがとうございました)