音楽

加藤和彦とザ・フォーク・クルセダーズ

 初めてギターを手にしたのは、小学校6年生の頃だった。
(11歳の時だからなんと43年前だ)
 まもなく同級生のバンドでグループサウンズのコピーをやっていた。
 中学一年のとき、川口の「ゴーゴー喫茶」(死語)で開催されたバンドコンテストに出た。
 演奏曲は、周りはみんな大人で、リズム&ブルースとか、ジミヘンなんかだった。
 僕らだけがグループサウンズで子供だったもんだから「審査員特別賞」をもらったのを覚えている。
 中学の文化祭に出ようと教室で練習していると、学校でも派手めのグループの女の子たちが入って来て、後ろの方で踊っていた。
「そうか、バンドをやると女が寄ってくるのだ」
 とまあ、ローティーンにして、そんなことがわかったのだった。
 だからといって、もてたわけじゃないけど。
 とにかく、学校で唯一のバンドだった。
 フォーク・クルセダーズの「帰って来たヨッパライ」がブームになったのはその頃だ。
 僕は、家にあったオープンリールのテープレコーダーを倍速で動かし、さっそくマネしてつくってみた。これはけっこううまくできた。
 3年生の時は、世の中がフォークブームに変わっていた。
 僕は「ザ・トーイチ」という名前のフォークグループを結成して、PPMの曲だとか、フォークルの「イムジン河」なんかをステージで演奏した。
 高石ともやとか岡林信康なんかも歌っていたと思う。
 そういえば、オリジナル曲「何故」(笑)というのも、同じステージで歌った。
 これは僕の初めてのオリジナル曲だ。
 つまり、フォーク・クルセダーズは、僕が同時代に聴き、唄い、そして、音楽を創るということに関して、感化された時期の代表的なグループだった。
 加藤和彦は、いつも、自分の音楽にチャレンジしていた人だった。
 彼は流行を創ることはあっても、流行を追うことはなかった。
 それが、多くの人々を惹きつけたのだと思う。

神が与えたもの 歌手・小林淳子

 午前九時前起床。
 朝食は好物の「たぬきそば」。
 だいぶ前に横浜橋商店街の天ぷら屋で山のような量で一袋50円だった揚げ玉。にんべんの鰹だしを5倍に薄めたつゆ。98円のゆで麺。
 朝から好物が食べられて幸せ。
 ね、幸せなんて簡単に手に入るのさ。
 夕方から都内へ出かけるので、スタジオには早めの出勤。
 午後4時半、いったん帰宅。
 午後5時、着替えて出かける。
 都立大学駅前。
 友人である歌手・小林淳子さんの慢性骨髄性白血病の治療費用を集めるチャリティコンサート。
 チケットはすでに事前に完売していたのだけれど、当日、無理矢理、押しかけて、受付でなんとか入れてもらった。
 小林淳子という人は、世間では無名に近い人だけど、一流の歌手である。
 僕は彼女の歌を何度も聞いているけれど、いままで聞いた中でも今回の「手で語る愛」は最高のできだった。
 54年間生きてきた僕が、音楽を聴いて涙を流したのは、サンフランシスコ近郊の Concord Pavillion で行われた Concord Jazz Festival の Wynton Marsalis と、2007年6月24日と今日の小林淳子の二人だけである。
(別に、彼女が白血病だから泣いたわけではない。少なくとも2007年に彼女は白血病ではなかったし、そんなことは簡単に忘れさせる演奏なのだから)
 21世紀になって、彼女は演奏活動をあまりしなくなっていた。
 たまにすると、どこかに自分の思い描く歌が歌えない苛立ち、みたいなものが感じられた。(それでも素敵な歌を唄っていたけれど)
 それは例えば、バックバンドと瞬時に駆け引きをするステージの勘のようなものであったり、おそらくは、年齢を経て以前のように音域が取れなくなった自分と、出ない音を必要だと思う自分との、ギャップを受け入れられないというようなことのように僕は感じていた。(あくまで僕が勝手に感じた「例えば」の話だ)
 昨年の9月に病気が発覚し、白血病の特効薬「グリベック」の副作用で、しばらくは声も出なくなっていたという。
(1錠3000円以上するグリベックを一日4錠飲み続けなければならない、という高額な医療費問題が、今回のコンサートのチャリティになっている)
 声のでない状態から少しずつ出るようになる過程で、彼女は自分からどんな声が出るのか改めて見つめ直して、「今の時点で自分がもっている声」を自分で新しく探り、その声をもってどのように表現したらいいか、歌そのものを再構築したように思う。
 それは、ステージから離れ、年齢を重ねて、いろいろなものを失う引き算の中での迷いのある歌ではなく、いったん声を失い、それを取り戻していく中で、ゼロから足し算で彼女が歌を作り直していった成果であったように思う。
 例えば、以前の自分という、失ったものに近づけるのではなく、自分が新しく手に入れた自分の声を、今までとはちがう形で客観視して、それを得られた喜びを感じながら、もっているものを最大限に使って歌を唄うことができたという、そういうことなのではないかと思う。
 今日、僕は、ひとりの歌手が再びステージに戻って来たことを喜んだ。
 そして、彼女が(その友人を含む)自分の力でホールを満員にし、自らの歌で何ヶ月分かの薬代を稼ぎ出したことを、喜んでいる。
 ステージから離れていた歌手が、生き延びるため、薬代のためにステージに戻ってきたのだとしたら、神様というのはなかなか上手な意地悪をするものだ。
「あんたは歌手なんだから、薬代くらい自分の歌で稼ぎなさい」
 天上で彼は笑っている。

古道具オーディオ

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 新しい仕事場のオーディオをネットオークションで揃えています。
 今日は神戸の高架下の古道具屋さんからオークションで落札したアンプが届きました。
 ONKYO INTEC 205 シリーズの A-909 という機種。落札価格は3600円。
 前日に届いた山形の古道具屋さんのスピーカーは ONKYO FR シリーズの D-V7 というやつ。落札価格はなんと950円です。
 さっそくつないでならしてみると……。
 ん? 音が出ません。
 スピーカーはテスト済みなので、アンプが死んでる?
 ボリュームを最大にすると右だけかすかに音が出ます。高音だけ。
 ははーん、もしかしたらクロストーク?
 でなければ、出力がショートして保護回路が働いている感じの音。
 背面を見るとプロセッサーイン/プロセッサーアウト端子があります。わかりました。イコライザーをつないだりするこの端子にジャンパー線がありません。
 余っているRCAのコードでここがショートするようにしたら、思った通り音が出ました。
 古道具屋さんが端子の掃除をするときに外して、つけるのを忘れたんでしょう。自分でつないで結果OKなので、クレームは言わないことにします。
 ジム・クローチ(アコースティックロック?)を聴いてみると、なかなか粒立ちがいい。
 ワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」をかけてみると、これはかなりいいです。
 スピーカーの f0 が 55Hz なので、ほんとの低い音はでませんが、とてもバランスのいい音。ONKYOって正直な音を出すので好きなんですよね。新品でもそれほど高級なグレードのスピーカーじゃないけど、解像度も定位も立派です。驚いたな。
 というわけで、950円スピーカーと3600円アンプでワーグナーを聴きながら淹れたてのコーヒーを飲んだら幸せになりました。
 当初、iPod を直接挿せる小型のオーディオ装置(いわゆるアクティブスピーカーと呼ばれる商品群)を買おうと思っていたのですが、こっちが正解でした。
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ウィーン放送交響楽団

 みなとみらいホールfで、クラシックの演奏会を聴きました。

ウィーン放送交響楽団

 指揮者:ドミトリー・キタエンコ

 ピアノ:ヘルベルト・シュフ

(曲目)
グリンカ 歌劇「ルスランとリュドミラ」序曲
チャイコフスキー ピアノ協奏曲第1番 変ロ短調 
チャイコフスキー 交響曲第4番 ヘ短調 

 席は1列1番。最前列の一番左。
 ふつう、こういう席は「いい席」とは言われないのですが、僕は割と最前列とか好きだったりします。
 オーケストラの楽器の生音が直接聞こえて、いろいろな方向から楽器の音がするのが楽しい。
 今回は一番左の席なので、第一バイオリンの一列目のさらに外側にいるという感じ。さらには弦楽器の後ろにかまえているパーカッションの3人が、障害物なしに全部見える。
 だいたい僕が音楽を聴くときは、自分が演奏しているつもりになって聴くので、第一バイオリンの末席にいるような感じだし、ほとんどの時間何もしていないシンバルとかトライアングルを「ここぞ」と入れる瞬間までの打楽器奏者の呼吸とか、そういうのがわかる。
 あと、コンチェルトの指揮者とピアニストが目でコミュニケートしているのがすごくよくわかる。
 で、演奏ですが、とにかく弦楽器のアンサンブルが完璧でした。
 ニュアンスの解像度が高くて情報量が多いのだけど、すべての奏者がピッタリ合っていて、ほんとに全員でひとつの楽器のよう。ビブラートのかけ方にもばらつきが無くて、完璧に揃っている。ピッチもほんとに正確で音に濁りが少ない。ひとりひとりの技術が確かでないと、これだけニュアンス豊かな演奏をこれだけ揃えて演奏することはできないと思う。
 だからとにかくストリングが無音から弱く音を出し始めるような部分があるとぞくっとします。
 管楽器は、フルートとトランペットがちょっとピッチがずれるときがあったけど、もともと管楽器のピッチってそんなものかもしれない。僕の席の位置からいって、管楽器が目立って浮いてしまう傾向があるので、ちょっと管楽器には不利な場所だったかな。
 打楽器もすごくよかった。特にシンバル、完璧。ティンパニ、滑らか。
 プロ演奏家のトライアングルのバチの使い方、生まれて初めてちゃんと見ました。(笑)
 僕はチャイコフスキーという作曲家はそれほど好きじゃなかったんです。
 やたらメロディアスで、言ってみれば歌謡曲みたいな音楽だと思っていた。
 自分で積極的に聞くのはバイオリン協奏曲くらいで、他は自らは選んでは聞かない、という感じでした。
 もちろんスコアを見たこともないので、レコードやCDなんかを聞いた印象です。(いえ、スコアを見たって読み切れないですけど)
 けれど、今日、第一バイオリンの一番尻尾の場所で聞いてみて、初めて曲がわかった。なんだ、チャイコフスキーさん、いろいろ細かいこと仕掛けてやってるじゃん。いままで知りませんでしたよ。という感じ。
 それは指揮者キタエンコの作り込みがちゃんとしていたからかもしれません。全然漫然としてないの。次にどう来るかというのを、上手に裏切ってくれる小技が一杯入ってる。上質のジャズのインプロビゼーションでビビッとくるのとおんなじ感じ。
 とにかく、生まれて初めてチャイコフスキーを聴いて「ああ、いいな」と思いました。新発見。
 ピアノのヘルベルト・シュフは、とても滑らかに弾く人で、インパクトはないけれどきれいな演奏、というか、まあ上品な演奏だと思いました。
 僕自身はピアノにパーカッシブな音を期待する人なので、こういう演奏は好みとはちがうけど、コンチェルトの在り方としてはこういう演奏はアリなんだろうと思います。このオーケストラがアンサンブルに特色があるから、ソロピアノもその一員として溶け込むような演奏、というのはひとつの在り方です。
 関係ないけど、コンチェルトが終わって休憩時間にピアノが僕の席のすぐ前に片付けられてやってきたのだけど、席からステージのピアノを見上げることになるもんだから、スタインウェイを裏から見ることになって、その屈強な骨組みに関心しました。それと、脚についているホイールの機能美がとっても美しいの。
 クラシックの演奏会は久しぶり。
 満喫しました。
 僕が夢見る人生最高の贅沢は、自宅にベルリンフィルを呼んで演奏してもらって、そこで居眠りをすること。

友部正人

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 午前7時半、起床。
 8時朝食。(おお!)
 9時半になったので、スポーツクラブへ。(おおお!)
 11時半、クインーズスクエア地下のタイ料理「ゲウチャイ」でセンレック・ナムトックムという赤い汁ビーフン(すっぱからい)でランチ。
 家で仕事開始。
 なんだか腹が減って、レトルト「カレー職人」でカレースパゲティ。(やっぱり運動すると腹が減る)
 夕方になって、進捗をあきらめて100円バスで黄金町へ向かう。
 シネマ「ジャック&ベティ」でドキュメンタリー映画「フツーの仕事がしたい」の21時の回のあとに友部正人のライブがあるというので、見に(聴きに)行く。
 少し早めなので、1階のカフェ(レジが映画館のチケット売り場になっている)でアイスコーヒーを飲みながらちょっとだけ仕事。
 直が近づいたので劇場に行くと、切符のもぎりをしていたのが映画館の梶原社長で、挨拶がてら一言二言。
 映画はほとんど土屋トカチ監督が一人でとったドキュメンタリーで、「リアル蟹工船」というキャッチフレーズがついたトラック運転手を巡る物語。
 月間500時間以上働いている現実の運転手がユニオンを通じて理不尽な労働条件を変えていく話。重たい映像だったけど、「理不尽なものに負けない」というメッセージは伝わってきました。
 土屋トカチ監督は、近所に住んでいるらしく、毎日舞台挨拶に来ているらしい。僕の観た回も、終わったら登場して友部正人のライブが始まるまで、MCをしながらミニトーク。
 映画の終わったあと、22時半近くから友部正人のライブ。
 友部は1972年デビューのフォークシンガーで多分、僕と同年配でフォークに染まったことのある人は必ず名前を知っているシンガーソングライター。僕が生で聴くのは初めて。
 デビュー36年を経て21枚のアルバムを出しているのに、演奏技術というものを敢えて拒絶したようなシンプルなギターを弾きながら、存在感のある声でシャウトする歌い方。
 出色なのは不条理でありながら叙情性をもった歌詞。
 虚構の世界をつくってみせるところがちょっとすごい。
(友部正人は高島町に住んでいるらしい)
 23時にライブ終了。
 疲れたので、都橋商店街まで歩いて、サントリー角の水割りを3杯飲んで帰宅。

エフェクター

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 大仕事が一区切り状態なので、ここ3日くらい部屋の片付けをしています。だいぶ床が出てきました。(笑)
 そんな間に、エレキギター用のエフェクター買っちゃいました。
 オークションで。
 実は、30年近く前に買ったものをひと揃い持っていて、ぜんぜん使ってないんだけど、いざ使うとなると電池がたくさんいるから、ひとつでいろいろできるやつ。(笑)
 メモリーがついているので、足踏み一発で、演奏中に音色を変えられる。て、ステージでライブやらないかぎり必要ないじゃん。
 ま、楽器そのものが「必要ないジャン」といわれても反論できないので。
 基本的にアコースティックのギタリストなので、たまにエレキ弾いてもアンプ直結でジャズっぽく弾いています。が、エフェクターつけてメタルサウンドにすると、それはそれで気持ちいい。たまにはね。
 うんと歪ませると、リズムが曖昧になるし、人の心から遠ざかるみたいで、音楽的に出したい音じゃなくなるけど。

コザ音楽祭で審査員

 起床午前8時40分。
 晴れている。晴れるとなったらそれはもう強烈な日差しだ。
 まず初めに考えたこと。洗濯できる!
 沖縄の天気は変わりやすい。お天道様のゴキゲンのいいうちに人間はスキをうかがって洗濯をせねばならぬ。というわけで、朝食前に洗濯。
 さすが二時間ほどで乾いてしまった。横浜のマンションはベランダに洗濯物が干せないので、太陽の光で干したものを着るのは久しぶりだ。
 しかし、この変わりやすい天気では会社勤めの人は洗濯物を干せないな。
 朝食は昨日のうちに買っておいた ZAZOO のパン。
 ちょうどオーシャンの隣なのだけれど、なかなかおいしいのだ。
 昼前から原稿書き。
 昼は、昨日食べ損なった弁当を冷蔵庫から出して電子レンジでチン。
 いつものようにオーシャンに出勤して原稿書き。
 午後4時、コザ音楽祭本戦会場のミュージックタウン音市場へ。
 どういうわけか本日の僕はこのバンドコンペティションの審査員なのだ。
 その他の審査員はコンディショングリーンのボーカルとして有名なカッチャン、紫のドラマー宮永英一、ZODIACの照喜名薫ほか、錚々たるメンバー。本土の人間は僕だけである。
 本戦は午後5時半から11のバンドで争われた。
 客席後方に設けられた審査員席で、評価シートに点数をつけながら聴く。
 プロを目指す若いミュージシャンにとっては将来がかかっている。いい加減に点数をつけるわけにはいかない。しかも、唯一の小説家の審査員として、場合によっては特によかった歌詞があれば審査員特別賞を出すということだ。
 バラエティに富んだ出場者たちだったが、これはすごいと驚かせてくれるグループはいない。演奏技術も凡庸。
 ずっと関わってきた審査員たちによれば、今年は全体にレベルが低いのだという。
 小説でもそうだけれど、プロになるということは、世界に満ちあふれているすべてのミュージシャンと競争する場に出るということ。ある年の本選会で一番であるかどうかは、それを考えればほんとに些末なことなのだ。
 グランプリと金賞は僅差だったが、真剣な討議の結果、COCORE(ココア)というバンドがグランプリに決まった。
 僕はベストボーカル賞のプレゼンターとして賞状と副賞をわたす。
 さて、終了後は、「音洞(おとぼら)」という店でリーミーがアコースティックで歌うライブが九時からあるはずなので、駆けつける。ただし、時刻はすでに10時半である。
 初めての店におそるおそる入っていってみると、コザには珍しい天井の高い静かな雰囲気の店で、まさにちょうどリーミーが3人のユニットでしっとりと歌っているところだった。
 チャージは無料なのだけれど、店のシステムがわからないので、適当なところに座って聴いていると、曲の合間のMCの途中でリーミーが僕を見つけて「大樹さん、こっち座ってこっち」と最前列真ん前に有無をいわさず座らされた。(笑)
 リーミーというは金武というもっとも荒くれ者たちのいる海兵隊基地キャンプハンセンのそばの町で、ロックを歌っていた女性で、あえていえばジャニス・ジョプリンのような人なんだけど、姉御肌でカリスマ性のある女性なんだな、これが。
 かくいう僕も彼女がロックを歌うのはビデオでしか聴いたことがなく、きょうは彼女は実にしっとりとしたアコースティックだった。
 ライブが終わったあと、やっとコロナ(550円)をゲットして、リーミーの店の常連さんなんかと午後1時過ぎまでその店でゆんたく。
 部屋にもどると、昨日から同部屋になっていた男性が、「もしかして、コザ音楽祭で審査員をやっていませんでしたか?」と。
 世界は狭い。(て、コザが狭いだけか)

多和田えみ デビュー

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 多和田えみちゃんのミニアルバム「∞infinity∞」が本日発売になりました。
 1年ほど前かな、沖縄でミニライブを聴きました。写真はそのときのもの。
 コザにある僕がよく行く飲み屋さんでライブだったのです。
(実は、その隣が彼女が歌を勉強しているスクール)
 彼女、毎日のようにあちこちでライブを重ねてました。
 ちっちゃい体ですげえがんばり。
 プロの世界の話なので、がんばったから偉いわけじゃありませんが、自分の歌を聴いてもらうという原点をしっかりもっているんですね。
 カバー曲も上手にこなすのですが、自分の歌になると、俄然、輝きを増します。
 ちょっと話もしました。
「自分の持ち歌の方がずっといいね」といったらうれしそうにニコっとした。
 そういや、このときのライブ、僕はパーカッションでちょこっと参加したのであった。 (タンバリン叩いただけです)
 ぼくは「ゆらゆら」という曲が好き。
 いまなら、yahoo動画で、フルバージョンを聴くことができます。
 iTunes でも購入可能(1曲150円)
 僕は、明日、アルバムを買いに行きます。
多和田えみ・オフィシャルウェブサイト
http://www.techesko.com/main.html
多和田えみ・ブログ
http://emi.ti-da.net/

Huey Luis + Chicago

 歩いて10分のパシフィコ国立大ホールで、Huey Luis & The News と Chicago のコンサートへ行った。
 それぞれ100分の公演が間の休憩20分を挟んで二つ連続。
 ところどころ、もう片方のミュージシャンが反対方のステージにゲスト出演。
 シカゴにところでは、ヒューイルイスの連中が全員どこぞのホテルの浴衣を着てステージに乱入。
 午後7時から始まって終わったのは10時40分。
 いやあ、それにしても疲れた。前の人たちが最初から立ち上がっちゃうんで、4時間近く立ちっぱなしだし。
 案の定、聴衆の平均年齢は50代。
 沖縄でもそうだけど、僕が見たり聞いたり喋ったりするミュージシャンって、おっさんばっかりやん。
 若者はあんまりロック聞かないみたいだし。
 ロックっていまの高校生にとっては、僕らが高校生の頃の演歌みたいなものなのかな。少なくとも若者の音楽ではなさそう。
 たまにマセた(笑)高校生がロックをやっていたりするわけだ。
 曲ごとに取り替えたりするからものすごい数のギターが登場したけど、ギブソンはなくて、フェンダーがほとんどでしたね。
 あと若干のよく見るけど僕が名前を知らない楽器。

ジャニーギター

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「かわいい子は旅をしています」
12日のこと。
コザのギタリスト・照喜名薫から写真付きメールが来た。
写真はどうやら万座ビーチホテルの野外ステージで出番を待っている僕のギター。
彼が弾くと、どんな音が出るんだろう。