黒部ダム 立山ロープウェイ

 午前6時過ぎに起きる。
 昨夜は満腹ほろ酔いであっという間に寝てしまったので8時間たっぷり睡眠を摂った。なにしろ食事の個室から戻ってくると部屋に布団が敷いてあるわけで、これはもういきなりそこへ飛び込んでしまう。(笑)
(すみません、寝る前の歯磨きをサボりました)
 最近、旅行しても安宿ばかりなので、洗いざらしのシーツと布団カバーの感触がとりわけうれしいのです。(笑)
 朝一番は、とりあえず部屋の風呂に入る。朝日が当たる湯船。窓の外は緑。
 冷蔵庫には朝酒もあるが、小原庄助さんになって身上(しんしょう)つぶしてもいられない。車の運転が控えている。
 午前7時半、朝食。
 これもひとつひとつは少量だけど何しろ皿数が多くてお腹いっぱい。うーむ、明らかに健康に悪い。
 アジの一夜干しを固形アルコールの火で炙りつつ、イカそうめんの他にサラダにフルーツ、温泉玉子、薄味の上品な煮物、タラコとシラスおろしと海苔があり、さらには岩海苔の佃煮を始めとして佃煮系のものもいろいろあったり、もう10杯くらいご飯のおかわりができそうだけど、そんなおかずを食べるだけでお腹いっぱいでご飯のおかわりどころではない。
 だったら残せばよさそうなものだけど「食事は残さず食べなさい」と「戦地の兵隊さん」の話まで持ち出して教育されたもので。「三つ子の魂百まで」である。
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 9時を過ぎて出発。
 10kmほど山を登った扇沢駅へ。
 そこからは裕次郎の映画「黒部の太陽」で有名になった難工事の現場でもあるトンネルを、関西電力の経営するトロリーバスで黒部湖駅まで。
 15分で到着してトンネルから外へ抜けると、そこはすでに黒部ダムである。
 前日の夜は雨だったが打って変わって本日は晴天なり。
 ま、日頃の行いがいいから、当然ですけどね(笑)
「なんで黒部ダムなの?」
 そう30代の人に聞かれたのだけれど、僕らの世代は「黒四ダム」といえば、日本の発展の象徴であり、元祖「プロジェクトX」ネタとして誰でも知っている。貧しかったけれど日本の未来が輝いていたときの話だ。
 ちなみに「くろよん」はダムだけど「にこよん」は日雇い労働者のこと。東京都の職業安定対策で都が日雇い労働者に支払う日当が240円だったということに由来する。(1949年頃)
「くろよん」は述べ1000万人の建設労働者の手によって作り上げられた。 着工1956年竣工1963年。つまり翌年が東京オリンピックであるから、まさに高度成長の日本の象徴なのだ。
 というわけで、50歳以下の人は黒部ダムに特別な思い入れはないと思うけれど。
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 天気がいいので、そのまま一気に大観峰(だいかんぼう)まで上がってしまうことにする。まずは、ダムの上を反対側まで徒歩で渡り、そこからケーブルカー黒部平まで、さらに立山ロープウェイで大観峰へ。
 途中からあたりには雪渓が残る。夏の太陽で白と緑のコントラストが眩しい。植物相もいわゆる高山植物になっていく。
(このあたりも観光客の約半数以上は中国人)
 
 ロープウェイで雄大な景色を楽しんだ後はそのまま同じルートを引き返す。
 黒部湖までもどり、遊覧船ガルベ号で30分ほど人工のダム湖を遊覧する。ちなみに、この船は「横浜ヨット株式会社」という鶴見にある造船所で作られている。横浜のベイクォーターから山下公園などへ向かう「シーバス」とほとんど同じ作りなので、もしかしたらシーバスも同じ造船所かもしれない。
(横浜ヨットは現在JFEの子会社)
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 黒部ダムの周辺の展望台から色々な角度でダムを見る。
 とにかく巨大な建造物であり、既視感としてはマチュピチュに遺跡にそっくり。
 ダムもすごいのだけれど、周りの山の険しさはもっとすごい。
 よくぞこんな険しい山奥にこんなに大きな建造物をつくったものだと思うと同時に、ここにダムがなければ、これほどの山奥の険しい場所に僕など一生やってこれる機会はなかっただろうと思う。
 ダムあってこそのこれだけの交通機関であり、この交通機関がなくて、この渓谷に取り残されたら、自力で生きて帰れる自信はない。それほど険しい山に囲まれた地域なのだ。
 ホテルにもどり、まずはまた信楽焼の内風呂。
 腹一杯で食べきれない夕食。酒は控えめ。
 午後9時、人生二度目の足つぼマッサージ(20分2500円)。
 またしてもバタンキュー。

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